経済・政治・国際

2017年10月 9日 (月)

「リベラル」と「保守」、そして「左派」の違い

民進党が分裂して、立憲民主党が結成されました。立憲民主党はリベラル政党を自称し、共産党や社民党は、これと選挙協力をすすめています。「リベラル」と「左派」って何か。私の考えを整理します。

 

「保守」と「革新」

 

私は1959年生まれで、私の若い頃の理解では日本政治の対立構図は「保守」対「革新」でした。1955年~1980年代後半までは、この構図で政治的対立が描かれていました。

 

日本の「保守」はもちろん自由民主党(自民党)です。自民党という政党は、自由主義と民主主義を党名に掲げながら、政治的・市民的な自由や民主主義を真面目に尊重しません。
その証に、自民党は、基本的人権の尊重と民主主義をわが国で初めて宣言した日本国憲法を敵視し、自主憲法制定を党是とする大日本帝国憲法に親近感をもつ復古主義的・民族主義的な色彩の強い「保守」です。少なくとも、自民党は、自己の見解と異なる意見を持つ人々の政治的・市民的な自由を尊重する姿勢に乏しい存在です。ですから、日本における「保守」は、欧米とは異なり、政治的・市民的な自由主義を軽視する姿勢が強く、右派(右翼)の色彩が強いのが特徴です(
注1)。

 

これに対して、日本社会党が社会主義(ないし社会民主主義注2)を標榜して「保守」に対峙しました。もっとも、日本社会党も、真面目に社会主義を尊重したわけでなく、実際には「護憲」(基本的人権、国民主権、平和主義)を標榜する政党でした。支持した多くの国民も社会主義(ないし社会民主主義)を支持したわけではなく、あくまで「護憲」(基本的人権尊重、国民主権、平和主義)を支持したわけです。
この日本社会党と日本共産党を加えた勢力が「革新」でした。これはまぎれもなく左派(左翼)です(
注3)。

 

「リベラル」と「保守」

 

1991年ソ連崩壊、ソ連・東欧社会主義体制が終焉したことにより、日本では左派(左翼)は衰退し、日本社会党は社会民主党へ、さらに民主党へと変貌し、もはや社会主義や左翼を連想させる「革新」という言葉を使用しなくなりました。日本共産党のみが「革新」という言葉を使用します。

 

この頃、「革新」や「左翼」との関係を絶つために、もっぱら民主党や社会民主党が、「リベラル」という用語を使用するようになったように思います。

 

リベラルを教科書的に言えば、自由主義(リベラリズム)と同一であり、経済的には個人的所有を基本とした資本主義を意味し、政治的には政治的市民的自由が保障された議会制民主主義を意味します。ですから、自由主義を党名とする自民党も本来は、リベラルのはずです。

 

ところが、前記のとおり、自民党は経済的な自由主義(資本主義)ですが、政治的・市民的な自由主義に対して冷淡です。政治的・市民的な自由の尊重とは、多様な政治的言論の自由、思想や宗教の自由を尊重するものです。何よりも少数派の政治的・市民的自由の尊重こそがリベラルの要諦です。多数派の政治的・市民的自由のみを尊重しても、それは自由主義的(リベラル)とはけっして言いません。
その点で、自民党は、何かと言えば、「非国民」「反日」「在日」という言葉を投げつける方々と同じ心理的傾向をもっており、自らをけっしてリベラル政党とは規定しないでしょう。

 

以上、日本では、「保守」と「リベラル」は、資本主義を是とする立場は共通ですが、政治的・市民的な自由を尊重するか否か、つまり、日本国憲法の価値を擁護するか否かで大きな対立があるわけです(ただし、リベラルの中でも平和・安保については非武装中立から、専守防衛や集団的自衛権容認までの幅があります)。

 

「リベラル」と「左派」

 

上記のとおり、リベラルとは、経済的には個人所有権に基づく資本主義の立場にたち、政治的・市民的自由を尊重し、多様な価値観に寛容で、議会制民主主義を信奉する人々です。

 

左派は、資本主義の欠陥を指摘し、社会主義経済を指向しますから、資本主義経済を擁護するリベラルとは対立します。

 

しかし、両方からの相互接近があります。

 

左派からリベラルへの接近

 

現代の左派(日本だけでなく、ヨーロッパも)は、ソ連のスターリニズムや中国の共産党独裁の反省から、政治的・市民的な自由と権力分立などの立憲主義を尊重するようになりました(昔は「ブルジョア民主主義」と非難していた)。
また、暴力革命によって社会主義革命を遂行するという革命論から、議会制民主主義を通じての革命という社会民主主義的路線をとるようになりました。
さらに、社会主義計画経済の失敗により、市場経済の活用が必要との認識が左派でも共通となりました。今は、左派がリベラル化しました(ただし、左派の中も平和主義については非武装中立から専守防衛・自衛中立まで幅があります)。

 

リベラルから左派への接近

 

現代米国のリベラルは、①個人所有に基づく経済的な自由(資本主義)、②政治的・市民的自由の尊重を原則としつつ、三つ目③として、①と②の諸自由を社会全員が活用できるように、その物質的手段(生活保障、教育や医療等の福祉手段)の保障を求めるようになりました。この代表的な論者は、ジョン・ロールズです。
この③の要素は、古典的な自由主義(リベラリズム)とは異なるもので、ヨーロッパや日本で言えば、社会民主主義的な要素です。ですから、リベラル左派などとも呼ばれます。これが日本のリベラルに近いものです。

 

なお、米国では、リバタリアン(自由至上主義)という立場があり、③の政府の社会福祉施策を社会主義的だとして強く反対しています(例えば、「オバマ・ケア」廃止論)。

 

■リベラルと左派の違い

 

現代日本の「リベラル」と「左派」の理念的な違いは、経済的な自由主義(資本主義)に対する姿勢、つまり社会主義的要素を肯定するか否かの違いです。
ただ、現在の具体的な政策としては、企業活動に対してどの程度の公的規制を図るのかという程度問題に帰着します。例えば、長時間労働規制とか、非正規労働者の格差是正とか、法人税等の課税強化などです。実際には、それほど大きな違いはありません。

 

日本や米国のリベラルと「ヨーロッパのリベラル」との違い

 

ヨーロッパから見ると、社会福祉や社会的公正を取り込んだ現代米国のリベラル(リベラル左派)や日本のリベラルは、社会民主主義と見えることでしょう。
ヨーロッパの「リベラル」とは、より経済的な自由を強調する党派を意味しています(フランスのマクロン大統領などがこれにあたります)

 

以上のとおり、日本の「リベラル」と「左派」には理念的な共通性が基盤にあり、両者が協力することは不思議ではありません。

 

注1:自民党にも、旧自由党(吉田茂)系のリベラル派がいました。いわゆる宏池会です。このようなグループを保守リベラルと言います。

 

注2:社会主義と社会民主主義の理念的な違いはややこしい。ざっくり言えば、「最初は一緒のもので、途中で別れたが、今や実際上の違いはなくなった」のでしょう。

 

注3:左翼と右翼の違いは

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2012/11/post-54da.html

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2017年10月 8日 (日)

前原誠司さんを批判する「信なくば立たず」

■前原さんのツイッター


前原誠司さんは、民進党の「希望の党」への事実上の合流について、ツイッターで説明しています。
http://blogos.com/article/250906/

前原さんは、<憲法改正に積極的に取り組み、北朝鮮問題を踏まえた現実的な外交・安全保障政策を打ち出す。共産党や社民党との協力という「左傾化」に反発し、希望の党に合流し、日米同盟基軸の保守政党として安倍自民党政権を打倒する>と述べられています。 


私は、この前原さんの「政治思想と方針」を是としたとしても、この間の前原さんの政治行動と決断は、「一国のリーダー」となる資質を欠くことを自ら証明してしまったと思います。


■全て想定内

10月3日、前原さんは、民進党議員の一部が小池百合子代表から排除され、結果的に民進党が希望の党と立憲民主党に分裂したことについて、「全てが想定内だ」と明言しています
(時事通信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017100301055&g=pol)」。

 

つまり、前原さんは、当初から民進党の全員が希望の党へ合流することは不可能であり、一部の者が排除されることを承知していたことを自ら認めました。(※注1)

 

ところがそれ以前、前原さんは、9月28日の民進党両院議員総会では次のように発言していたのです。

■誰かを排除しない

「もう一度二大政党制にするためだ。誰かを排除することじゃない。もう一度政権交代を実現する、安倍政権を終わらせる、理想の社会を実現するためだ。」
(毎日新聞
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20170928/mog/00m/010/001000c

 

そう、前原さんは「誰かを排除するためではない」と明言していたのです。民進党議員全員の希望の党への合流をさせるとも述べていました。民進党議員は、不安な気持ちながら、代表の前原さんが「そこまで言うのであれば」と前原さんの代表としての提案を了承したというわけです。

 

ところが、実際の経緯は、ご承知のとおり、民進党は事実上解体し、「立憲民進党」と「希望の党」に分裂してしまいました。

 

前原さんは、安倍政権を打倒するためには、これしかないと強調されます。それはそうかもしれません。しかし、それでは何故、両院議員総会にて、自ら思ってもいない、「誰かを排除することではない」「全員を合流させる」などと発言したのでしょうか。

 

前原さんは、堂々と、民進党両院議員総会にて、ツイッターで語った自らの「信念」と「決断」を述べ、合流を提案をすれば良かったのです。そして、反対派がいるなら分党すれば良かったのです。

■政治は非情-ニヒリストたち 

こんなことを言うと、「青臭い書生論だ」、「政治は権力闘争であり、選挙直前ではああでもしなければ希望の党への合流などは決められない」、「騙されるほうが無能」、「反対派を切り捨てるため、だまし討ちもやむを得ない。それが政治の世界だ」と政治玄人(ニヒリスト)から嘲られるでしょう。

前原さんは、あの戦国武将・真田昌幸ばりの「表裏卑怯の者」(表裏比興の者)であり、老獪な策士
なのであると。(※注2)

しかし、果たしてそうでしょうか。

■一国のリーダーたる資質

古今東西の歴史を見れば、中国の三国志や日本の戦国時代、生き残りをかけた権力闘争では、権謀術策、裏切りとだまし討ちにあふれています。所詮、「勝てば官軍」です。これは企業間の経済競争も同じでしょう。

 

確かに、企業や軍隊(部隊)が生き残るために、異論を言う者や足手まといになる者を、非情に切り捨てる方が合理的かつ効率的です。政党も、それが合理的なのかもしれません(短期的には)。

 

内田樹さんが「企業が無能な者を切り捨てるのは競争に勝ち抜くために効率的で合理的だが、その手法で国を運営して良いのか。」と指摘されていました(「株式会社化する日本」)。一国のリーダーである政治家は、企業のCEOや軍隊のコマンダーのように非情で効率優先であってはならない。なぜなら、国民は国が気にくわなかったからといって別の国に移るわけにはいきません。国と国民は一蓮托生の「共同体」なのです。

 

したがって、一国のリーダーたる者は、「登山隊のリーダー」のような資質が求められます。登山隊のリーダーは、メンバー全員の安全を確保し遭難を回避することが使命です。一国のリーダーにとって、メンバーとは全国民です。企業のCEOや軍隊のコマンダーのように、国の維持発展のために足手まといな国民を切り捨てるという人物では、一国のリーダーとしては成り立たないわけです。国民にそう思われたらおしまいです。 

まさに「民信なくば立たず」 

前原さんは、自らを優秀な企業のCEOや軍隊のコマンダーであることを証明されました。しかし、チームのメンバーの無事を使命とする登山隊のリーダーの資質がないことも国民の前に明らかにされたのです。これが前原さんが政治家として失格だと私が思う理由です。

今後、誰が前原さんの言葉を信用するのでしょうか?


※注1:前原さんは、単に小池百合子さんに騙されただけで、希望の党との合流にあたって、政策面や合流の条件などを詰めて文書化することを怠っただけの、ただのバカという説もあります。ただのバカより、稀代の悪人(「表裏卑怯の者」)のほうが格好良いので前原さんは開き直っただけとの説もあります。京都人から見ると、前原さんは典型的な「ええかっこしい」らしいです。


※注2:今回の
衆議院選挙は、所詮、野党の分裂、希望の党の失速により、結局は、自民・公明の勝利となる可能性が高そうです。そして、「自民+公明+維新+希望の党の一部」による連立政権となりそうで、安倍総理は続きそうです。

 

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2017年4月30日 (日)

北朝鮮「危機」に思う

■今、そこにある危機

 トランプ大統領は、オバマ政権の戦略的忍耐路線を転換して、北朝鮮が核実験・ICBM弾道ミサイル実験を実施したときには、核・ミサイル関連施設の攻撃を辞さないことを警告しました。
 日本では、俄然、緊張感が高まっています。鉄道会社の一部が北朝鮮のミサイル発射の情報で一時的に列車を全線ストップさせたり、一部自治体は生徒にミサイルが飛来したときの対応について文書を配布しているとのニュースもあります。今年9月1日の「防災の日」には、全国各地で北朝鮮ミサイル攻撃も想定した、防災訓練が実施されることになるでしょう。

 現代に桐生悠々がいれば、また嗤うかもしれませんが(注*)。

■合理的に考えればこの局面で戦争は起きない


 冷静に考えると、この局面で先制攻撃が実施される可能性は少ない 米軍が北朝鮮の核関連施設・ミサイル施設を先制攻撃したときには、北朝鮮は当然これに反撃して、韓国と日本を攻撃することになるでしょう その場合に、もっとも被害をうけるのは韓国です。全面戦争になれば、数千、数万、数十万人の甚大な犠牲が生じるでしょう。もし北朝鮮が核兵器を使用すれば、トランプ大統領は躊躇なく北朝鮮に核攻撃をするでしょう。どうころんでも、米軍と韓国軍が勝利することは間違いない。

  しかし、米軍が韓国(韓国民)の承諾なく北朝鮮に先制攻撃を仕掛けた場合、結果的に米軍と韓国軍が北朝鮮に軍事的に勝利しても、甚大な犠牲を被った韓国は、けっしてアメリカを赦すことはないでしょう。おそらく、戦後の韓国には「反米政権」が成立することになるでしょう。

  つまり、米国は、北朝鮮に軍事的勝利をおさめても、政治的には朝鮮半島の親米政権を長期的に失うことになり、政治的には大きな敗北となります。
 
  したがって、トランプ大統領といえども、5月の大統領選挙後に成立する韓国政府の承諾ないまま、北朝鮮に対して先制攻撃を行うということはまず考えられません。
  現在のトランプ大統領の軍事的な警告は中国向けであり、中国の責任にて北朝鮮の核ミサイル開発を中止させろという圧力にほかならず、この局面での米軍の軍事力行使はありえないと考えるのが素人でもわかる道理です。

■2人のマッドマン

 ただし、当然、北朝鮮も上記のように考えているでしょうから、金正恩は、「どうせ脅しだ」と考えてミサイル発射実験や核実験の挑発を行う危険性があります。
 この挑発が行われた場合、ツイッター的な反応を得意とするトランプ大統領が「どうせ金正恩は戦争すれば負けるとわかっているから反撃してこない」と考えて、先制攻撃を指示する危険性があります。
 つまり、合理的に考えれば、この局面で軍事衝突は起こるわけがないのですが、「瀬戸際外交」をお家芸とする金正恩と「瞬間湯沸かし器的頭脳」のトランプ大統領との間では、偶発的に戦争が勃発する可能性があるということになります。
 マッドマン・セオリーというのがあるそうです。
 交渉において、通常の合理的な行動をする相手と思わせるのではなく、相手は常軌を逸して何をするかわからないと思わせて相手から大きな譲歩を引き出すという戦略だそうです。ニクソンは意図的にマッドマン・セオリーで外交交渉を行ったそうです。トランプ大統領は、このマッドマン・セオリーの信奉者という評価があります。

  ただし、マッドマン・セオリーが通用するのは、相手が合理的な人間の場合です。ところが、金正恩も「マッドマン」のようです。このマッドマンの二乗となるセオリーは、予測しがたい結果を生むかも知れません。
 このように偶発的に戦争が勃発した場合には、韓国は未曾有の被害が発生し、日本も大きな被害を生じる危険があります(核ミサイルが到達する可能性は低いですが、化学兵器や原発への奇襲はありえる)。


■軍事的緊張緩和

 合理的に考えれば、この局面での戦争勃発は、双方に何らのメリットもない以上、この局面での戦争回避、特に偶発的な戦争を回避するための措置がもっとも望まれる政策となります。

 そうである以上、日本政府としては、いたずらに軍事的緊張を高める措置を米国にも北朝鮮に対しても諫めるという方針をとるべきです。安倍内閣は、逆に煽っているように見えて危険です。


■一番悪いのは中国だ

 北朝鮮が核武装し、ICBMまで開発する段階までに至った最大の責任は中国にあります。オバマ政権が戦略的忍耐という姿勢をとったときには中国は腰をあげなかった。

 トランプ大統領になり、軍事的警告を発するようになって、漸く中国は石炭や石油の北朝鮮輸出規制などを行うようになり、政府系新聞を通じて、北朝鮮に警告を発するようになりました。 その意味では、シリアへの空爆などの軍事的な警告を発したトランプ大統領の方が、北朝鮮問題について中国を動かしたということになります。

■落着点は 中国仲介による米朝会談しかないか


 最終的には、米朝2国間の話し合いを中国が仲介することで、北朝鮮危機を回避するしかないように思います。
 この場合、①北朝鮮の核開発の放棄、他方で、②米国・韓国及び北朝鮮が相互に軍事侵攻しないことの確約(米韓朝の平和条約締結)、③北朝鮮の現体制の容認(北朝鮮体制転覆の米韓の取組みの放棄)、④米国の経済援助という枠組みになるしかないのではないか。
 そして、おそらくこの枠組みでは日本は関係国から排除されることになろう(米・中・韓にとって、日本はロシアとともに北朝鮮問題では攪乱要因と位置づけられちゃう)。
 その上で、北朝鮮の民主化・自由化、そして将来の朝鮮統一は、朝鮮半島の韓国人・朝鮮人 同じ民族同士の平和的な話し合いに委ねるというコンセンサスをつくることが最善でしょう。

(注*)
 戦前のジャーナリスト 桐生悠々は、1933年(昭和8年)8月に軍が実施した防空演習に対して、信濃毎日新聞の社説で「関東防空大演習を嗤う」として、「如何に冷静になれ、沈着になれと言い聞かせても、また平生如何に訓練されていても、まさかの時には、恐怖の本能は如何ともすることを能わず、逃げ惑う市民の狼狽目に見るが如く、投下された爆弾が火災を起こす以外に、各所に火を発し、そこに阿鼻叫喚の一大修羅場を演じ、関東地方大震災当時と同様の惨状を呈する」と指摘しています。
 もっとも桐生は、「だから、敵機を関東の空に、帝都の空に、迎え撃つということは、我が軍の敗北そのものである。この危険以前に於いて、我機は、途中これを迎え撃って、これを射落とすか、またはこれを撃退しなければならない」と主張するものです。

 現代で言えば、ミサイル防衛システムで北朝鮮のミサイルを迎撃せよということになります。しかし、この程度の合理的批判でさえ、陸軍に睨まれて、桐生は信濃毎日新聞社を退社しなければならなくなりました。

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2015年12月29日 (火)

慰安婦問題の日韓政府合意に思う - 安倍首相あなどりがたし

 安倍首相とそのブレーンはしたたかで優秀です。あなどりがたし。

■慰安婦問題の日韓政府合意

 慰安婦問題の日韓政府合意を見ると骨子は次の三点

①「日本政府は責任を痛感し」、「安倍首相は、元慰安婦の方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」、
②「日本政府の予算により全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる」
③「問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、今後、国連等国際社会において相互に非難することを控える」
 韓国外相は、さらに慰安婦少女像の撤去する努力をするとも表明している。

 弁護士の目でこの交渉結果を評価すれば、日本はとれるものを全部とっている。交渉ごととして見ると、日本は極めて満足すべき成果を得たといえる。

■日本は欲しいものを獲得した

 安倍首相は、最終解決であり慰安婦問題を蒸し返しをしないという約束を韓国政府から獲得した。

 もし韓国側(民間団体など)が、合意に反対して合意履行に反発して日本を非難することになれば、日本政府は合意違反だとして国際社会で韓国を非難できることになる。
 日本国内では、一部の右翼から非難されるであろうが、大多数の穏健な日本人は安倍首相の決断を支持し、支持率は上昇は間違いない。
 さらに米国からも高く評価される。

 今回の日韓政府合意は、河野談話の延長上の解決です。日本政府は責任を認め、安倍首相がおわびと反省の気持ちを表明し、日本政府が10億円を政府予算から支出することになった。河野談話よりも踏み込んだ解決です。以前はあくまで「道義的責任」と明言し、「基金」はあくまで日本の民間資金の拠出だったからです。「法的責任」にこだわるのは単なる名分論です。
 あとは、安倍首相が心のこもった元慰安婦の方々へのおわびといたわりの誠意を示せば、日韓両国民が和解に大きく向かうのではないでしょうか。

■安倍チーム あなどりがたし

 つくづく、安倍首相とそのチームは、したたかで優秀だ。鮮やかな電撃外交合意です。「タカ派の方が外交では大胆な譲歩と決断ができる」とよく言われますが、まさにそれを地でいったような外交です。

 安倍首相 あなどりがたし。さらに自信をつけた安倍首相は、来年の参議院選挙も思い切ったカードを切りそうですね。自公政権の圧勝で、維新の参加して、自民党憲法案が新しい憲法になりそうです。

■「法的責任」について

 なお、「法的責任を認めなかった」として韓国側が反発しているようですが、日本政府が「責任を痛感する」と述べて「政府予算から資金を拠出する」という実質を見るべきでしょう。
 この戦争被害の「法的責任」は難しい問題です。戦争で生じた政府行為については、国家間の条約や協定で決着をつけるしかないように思います。
 戦争においても個々人の不法な権利侵害があったとき、国家間とは別に個人が損害賠償を請求できるという法律論に私も共感はするが、国際社会も国際人権法はそこまで発展していないと思う。

 もし元慰安婦の日本への国家賠償請求が認められるなら、他の朝鮮や中国で日本政府による不法な人権侵害をされた方々がすべて日本に損害賠償請求権を持つことになる。そうであるなら、広島や長崎の被爆者は、米国に対しても損害賠償請求を認められるべきである。ドイツに対してもナチスに虐殺されたユダヤ人や他のポーランド人らもドイツに損害賠償請求できることになる。逆に、ドレスデンで無差別爆撃で犠牲になったドイツ市民も英米に損害賠償請求できるし、旧満州でソ連赤軍に蹂躙・虐殺された日本の民間人やシベリア抑留された日本人もロシアに損害賠償請求ができることになろう。つまり、パンドラの箱をあけることになる。しかし、これらの問題を裁く国際人権法も司法機関も未だ存在しない(未だ発展途上ということだが)。

 ということで、遺憾ながら、戦争の賠償問題は、個々の市民や国民ではなく、国家間の条約の枠組みで処理されるしか現実的におさめることができない問題なのだと思います。

 ちなみに、慰安婦に対して政府が「法的責任」がないことと、慰安婦に対して政府が「責任」があることは別に何ら矛盾しませんから。「法的責任」とは要するに裁判で損害賠償や刑罰を科される責任ということです。より大きな政治責任を負うことは何ら不合理ではない。国際問題には、法的責任よりも、政治的責任のほうが重要だと思う。

■韓国譲歩の「大きな謎」


 しかし、なぜ韓国がこの合意を締結し、しかも少女像の撤去を努力するとまで表明した理由は何だろう。

 少し韓国が譲りすぎのように思える。

 韓国国内の反発が心配。双方の国民の大部分が了解し、特に被害者である元慰安婦側の納得が得なければ本当の不可逆的な最終解決にならないのだから。

 その背景は何だろう。韓国大統領の姿勢がブレている印象も受けるが、・・・米国の圧力なのだろうか。米中の牽制、綱引きの中で韓国が翻弄されているのか?

 この点は今後、誰か解説して欲しい。



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2015年12月 7日 (月)

無差別空爆・原爆投下と「二重結果の原理」

■加藤典洋著「戦後入門」

加藤典洋著の「戦後入門」(ちくま新書)を読みました。
新書版で635頁の大著です。

帯には「私たちよ、これでいいのか?-日本だけが、いまも戦後を追わせられない」と銘打たれています。
本書を単純化すると、「護憲的改憲論」「左折の改憲論」の提言です。でも、そんな単純化でない複雑な論理の進め方(プロセス)に共感するとことろが多い。

■アンスコムのトルーマンの原爆投下決定批判

ところで、本書で初めて、エリザベス・アンスコムという哲学者が、オックスフォード大学が米国大統領のトルーマン氏に名誉学位を授与することを反対したことを知りました。反対理由は、原爆投下という悪行を決定したからというのです。

そして、アンスコムの「原爆投下が悪行であり、道徳的に悪」という理由付けは絶対平和主義の立場からではありません。同書308頁に記載がありますが、これを要約すると。

  日本が既に講和を求める動きをしている状況下で、しかもそれを知りながら、何ら最後通牒や警告なく、2発の原子爆弾を投下した。果たして、この行為は正当化できるか。
 同じ人を殺す行為にも、殺害(Killing)と謀殺(Murder)が区別される。殺害は「単に人を殺す」ことだが、謀殺は「自分の目的を達する手段として罪のない人々を殺すこと」に区別される。
 謀殺は、最悪の悪行であり、単なる殺人よりも道徳的に罪深い。
 軍事施設を目標にした爆撃に民間人が巻き添えになるケースはどうか。たとえ統計的に確実だとしても、それは謀殺ではない。民間人への爆撃という結果自体は意図したものとはいえず、倫理学にいう「二重結果の原理(principle of double effects)」にあたる。
 罪のない人とは、「戦闘しておらず、戦闘しているものにその手段を供給うしていない人」のことである。明確である。
 トルーマン氏は、日本が講和を求めていることを知り、天皇の地位について条件を明示すればポツダム宣言を受諾することが予測できる地位にあった。一方、米国は、自らの国がそれなしには危機に瀕するというような「極限の状況」にはなかった。それなのに、なお軍事施設ではない都市を選び、原爆投下を命じた。それは謀殺にあたる。トルーマン氏は悪をなした。

■二重結果の原理と空爆

二重結果の原理、あるいは二重効果の原理は、倫理学上、都市への地域爆撃が許されるかどうかなどを考える原理だそうです。

上記のアンスコムの論述とジョン・ロールズが原爆投下と大都市無差別空爆の倫理的に非難したことについては、寺田俊郎教授の2010年の論文があり、これはWEB上ですぐに読めます。

「あるアメリカ人哲学者の原子爆弾投下批判」
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1006/1/prime31_109-118.pdf

■イラクへの米仏英露の空爆

テロ軍事施設等を狙っての空爆なのか、報復による無差別空爆なのか。
殺人なのか、謀殺なのか。

第二次世界大戦以来の延々と議論されてきたテーマなんですね。

「病気」(テロ)の原因を解明し、原因を解明して治療薬や治療法を開発する。
原因は解明されている(過激思想の背後にある貧困とか差別とか)が、それを解消する方法を実現する見通しはいまだない。

その場合でも、「病気」が進行している以上、効き目がありそうな対処療法(捜査や軍事力行使)を試みるしかない。しかし、副作用が激しいものは対処療法としても適切ではない。

理性的にバランスが維持されるのか、恐怖や怒りでバランスが壊れるのか。

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2015年11月21日 (土)

ISへの米仏露の空爆に思う

■設問
次のような場合には、空爆すべきなのでしょうか
1万人の非イスラム教徒の居住地域にISが進攻しようとしている。ISがそこを支配したら、多くの非イスラム教徒が虐殺され、若い女性は奴隷とされる。
その国の政府は崩壊しており、その非イスラム教徒を救出できない。近隣の少数民族の軍事組織はISと戦う用意はあるが、ISのほうが軍事的に優勢である。
このままではISが進攻して、非イスラム教徒や少数民族が迫害されることになる。ISは国連の停戦の呼びかけには耳を貸さない。
米軍などが、ISを空爆すればISの進攻を阻止することができる。

しかし、ISの戦闘部隊を狙っても、ISの周囲にいる(人間の盾を含めて)一般の民間人をまきこむ可能性が高く、数百人単位の民間人が犠牲になる危険がある。
他方、ISの進攻を放置すれば、数百人の非イスラム教徒が虐殺されたり奴隷にされることは確実である。

■倫理問題として
こういう場合に、空爆すべきか否か?

●賛成説(軍事力容認)
米軍など軍事的能力を有する国家は、可能な限り、民間人を巻き添えにしないように努力しつつ、ISを空爆して、非イスラム教徒を救うしかない。それでも発生する民間人の犠牲(誤爆)はやむを得ない。

●反対説(絶対平和主義)
空爆をしても憎しみの連鎖が続くだけで、報復が無限ループになる。また、罪のない民間人を犠牲にすることは許されず空爆すべきではない。そもそも欧米の帝国主義の結果であり、欧米軍に軍事介入する資格はない。軍事的手段は控えて対話を呼びかけるべき。

倫理的にどちらが正しいか、といっても結論はでないでしょう。
あるいは、倫理的にはどちらも正しいのでしょう。

(追記)サンデルの「正義の話をしよう」に書かれた「道徳のディレンマ」です。
暴走電車から5人を助けるのに、あなたは隣にいる太っちょを転落させれば暴走電車を止められる。あなたは軽すぎて飛び降りても暴走電車は止められないとする。さあ、この場合に太っちょを転落させるべきか。
多くの人は、積極的に無実な人を手にかけることはできないと言うでしょう。
設問の場合も結論はでないでしょう。
・罪なき人をできるだけたくさん助けるべきだ。
・IS側にいる民間人をできるだけ殺さない努力を尽くすなら許される。
・いや、どんな理由があろうと無実の人を殺害してはいけない。

■現実的問題として

常識的には、賛成説が多数説になるでしょう。それが人類社会ってものです。
空爆には、強い米軍が後ろ盾になっているとか、米国の威信や世界支配力の維持のためとか、民主主義国家での国民からの支持を得るためとか、子どもを含めた民間人の犠牲を無視するとか、帝国主義的な行動だとか、そもそもイラク戦争を行った米国が悪いとか、きれい事ではないもろもろの事情がからまります。けっして、空爆が正しいとはいいきれない。


でも、平和主義の立場であっても空爆することに反対するのはむずかしいでしょう(相対的平和主義)。

その思いの底には、どの国(ISはもちろん、イスラエルやアメリカ、ロシア等々)であっても民間人への暴虐に反対するという気持ちがある。「悪行」に対しては、犠牲をはらってもたたかうべきだという建前を否定しきれないから。


確かに、「絶対平和主義の思想」は、すばらしいと思います。「暴力の連鎖を断ち切れ」、「右の頬を打たれたら、左の頬をも差し出しなさい」。

しかし、「言うは易く行うは難し」です。もし、非イスラム教徒側に、あなたの子どもや家族がいても、その絶対平和主義を貫けるでしょうか。

(追記)
IS側にあなたの子どもや家族がいれば、逆の立場の親同士が対立するでしょう。

両者の要求を調整するには、空爆ではなく、地上軍を派遣して誤爆をできるだけ避ける方策が最も良い現実的な解決手段かもしれない。しかし、それでは戦争範囲と戦闘行為は拡大する結果になり、泥沼におちこんでしまいます。



凡人には絶対平和主義実践不可能なことです。このような絶対的平和主義は、聖人君子だけの国があれば実践可能でしょうが。そのような国はどこにもありません。
これは実際におこった事柄です。
ISは、ヤジディ教徒を迫害し、異教徒の女性を奴隷としていました(これは確認された事実です)。米軍は、2014年にISを空爆を開始しました。

■報復的空爆と人道介入的空爆
今、フランスやアメリカ、ロシアがISに対して行っているのは報復的空爆のようです。ヤジディ教徒救出やクルド民族支援のための人道的な目的達成のための軍事力行使(空爆)とはいえないかもしれない。

(追記)
過剰な報復的空爆は、報復という目的であり、自衛手段としては正当化できない。報復の結果、過剰な民間人の犠牲者を出すことになり、まさに過剰防衛となります。

でも、ISの戦闘員訓練所や対外テロ支援施設、武器弾薬倉庫を破壊するという目的と武力行使の範囲であれば、やむを得ない自衛的な空爆となるでしょう。

フランス大統領も何らかの方法でISへの処置をしなければ、フランス国民の支持は得られず、極右の国民戦線が大躍進し、右翼民族主義者のルペンが大統領になりかねない。政治的指導者としては、選択肢はほかにないとも言える。

■判断基準

結局、空爆を支持するか否かは、「軍事力行使の目的の正当性と、軍事力行使の質と量が、正当な目的達成に必要最小限のものであるかどうか」によって判断されるしかない。まあ、あまりに法律家的な常識的な結論ですが。

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2015年9月23日 (水)

素人の懸念「平和安全法制」は日本の安全保障を高めるのか?  -「抑止力」のもたらす帰結

■「平和安全法制」が成立した。

法律としては「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」の二つ。前者は自衛隊法などまとめて10本の法律をいっぺんに改正するもの。

この安保法制法律が憲法9条に違反することは、法律論としては決着済みです。これを合憲とする法論理はありえません。法律解釈は文理解釈が基本です。個別的自衛権を認めて自衛隊を合憲とするのも文理解釈上、無理に無理を重ねるものです。さらに集団的自衛権まで認めるのは、法解釈としては不可能です。

保守的で有名だった元最高裁長官や元判事、元内閣法制局長官まで「違憲である」と明言するのは極めて異例なことです。これを合憲とする論者は、法解釈ではなく政治論を述べているに過ぎません。今の内閣法制局長官は「法匪」でしょう。

■安全保障の専門家

この「平和安全法制」を許容する<論理>は、要するに「わが国の安全が脅威に直面している以上、憲法9条の解釈よりも、国家の安全と独立を維持することを優先すべき」という政治論です。

有り体に言えば、安倍政権や集団的自衛権を支持する国際政治学者らは、「憲法9条を守って国が滅んでどうするのか。憲法学者には国は守れん。」というわけです。

しかし、国家の安全保障について、玄人にまかせて道を誤った例は、古今東西にわたり繰り返されてきた事柄です。日本人も今から70年前に思い知ったはずです。だから、素人が疑問や批判をすることは当然であり、かえって専門家や玄人こそ、素人の素朴な疑問に答える責任があるはずです。これが立憲民主主義の考え方ですから。

■中西寛教授のインタビューを読んで

安全保障の「玄人」の代表として中西寛教授が朝日新聞で「日本の安全保障の環境変化」について語っていました。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S11977214.html

中西教授は、要するに「米国の国力後退による多極化と中国の台頭」という二点を強調します。確かにこの二点が最近の顕著な変化です。

中国は、明確に軍事的プレゼンスを強めており、南シナ海ばかりか、太平洋まで海軍力を強化しようとしています。アメリカからの干渉を排除するアジア地域の勢力圏を確立しようとしています。そのためにはアメリカとの衝突は避けながらも、ベトナムやフィリピンなどの小国との軍事的衝突は意に介さないように見えます。中国の覇権主義の台頭です。

■グローバル経済と「平和」

中国の経済成長は著しく、それだけでなく日本にとって中国は米国以上の貿易相手国となり、中国経済がなくては日本経済自体が立ちゆきません。米国も同様であり、中国にとっても日米欧との経済関係が破綻すれば、共産党支配自体が瓦解するでしょう。

まさにグローバル経済です。 これが米ソ冷戦時代と大きく異なる点です。平和を維持した方が、双方利益を得る場合には、戦争を回避しようとするものです。米ソ冷戦時代には、資本主義経済圏と社会主義経済圏は別れており、世界市場のグローバル経済にはなっていませんでした。お互い相手が消滅しても別に経済的には大打撃ではなかったでしょう。

中西教授はインタビューで、このグローバル経済の進展を「環境変化」としていません。しかし、このグローバル経済の要素は現代の平和維持のために重要な考慮要素と思われます。

■素人が考える安全保障上の脅威

素人でも想定できる日本の安全保障問題は、①中国との尖閣諸島軍事衝突、②北朝鮮との朝鮮戦争、③南シナ海での中国との衝突、④中東やアフリカへの自衛隊派遣です。


① 尖閣諸島の日中軍事衝突

尖閣諸島を中国が武力で攻める事態に備えるべきだとよく言われています。確かに、尖閣諸島での領土紛争が軍事衝突に発展する可能性があります。特に中国の挑発的な軍事対応や偶発的な軍事衝突はあり得ます。


ただし、これは日本領土内への進攻の話しですから、個別的自衛権の行使の問題であり、当然、日米安全保障条約が対応する問題です。

自民党の石破氏らは、日本の自衛隊が米軍のために血を流す覚悟をしない限り、米軍が尖閣諸島を守るために出動しないと言っていました。しかし、もし中国が尖閣諸島に軍事侵攻した場合に、在日米軍が動かないとしたら、世界中で米国の威信は失われます。ウクライナならまだしも、これだけ日本に米軍を配置しながら中国の軍事侵攻を傍観したとなったら、欧州諸国の信頼を失い、ひいては日米安保条約体制を失うことになりかねません。

他方、中国も今尖閣諸島で日本と軍事衝突して、日米と事を構えることは経済的にみても政治的にみても大損するだけで、何の利益も得ないことはわかるでしょう。中国が今、そのような行動をとる可能性は低い。

ですから、尖閣諸島危機に備えて今回の集団的自衛権を含む安保法制が必要だというのは理解に苦しみます。尖閣諸島で軍事衝突を回避するためには、現実的には海上保安庁の艦艇を増強し、人員・装備を強化すること、また、日中間の偶発的軍事衝突回避のためのルールやホットラインを整備することで十分のはずです。

② 南シナ海での中国進出と軍事衝突

ベトナムは、日本の安保法制整備に理解を示し、南シナ海での日本の自衛隊の役割を期待すると表明しています。同様に米国は、南シナ海で日本の自衛隊が、米軍の活動の補完と肩代わりしてくれる自衛隊に大いに期待していると言っています。

近い将来、南シナ海での米国、日本、フィリピン、ベトナムの共同軍事演習を行って中国を牽制するようなことになるのでしょう。


その数年後、もし中国とフィリピンやベトナムとの間に軍事衝突が生じ、米軍がこれに介入して米国と中国との軍事衝突になった場合、米国が日本に支援要請をしたら日本政府はどう対処するでしょうか?


もはや日本政府は断れないでしょう。結局、日本政府は、重要影響事態とか存立危機事態とかを「拡張解釈」して、海上自衛隊の艦艇などが米海軍に燃料や武器弾薬補給をするでしょう。対中国との戦争に参加(兵站=後方支援)することになります。


③ 朝鮮半島での北朝鮮との戦争


仮に北朝鮮が韓国と戦争を始めた場合どうでしょう。(現実的には、北朝鮮が軍事侵攻をするシナリオはあり得ないと思います。北朝鮮にとって自滅行為だからです。北朝鮮の支配者にとって核兵器を持って引きこもりするしか生き残るすべはないし、支配者自身それを自覚しているでしょう。もっとも、それも長く続かないでしょうが。)


米軍と韓国軍は、当然北朝鮮軍と戦争になります。米軍に後方支援や機雷掃海を支援された場合、日本政府はどうするのでしょうか?


これまた日本政府が断れるとは思えません。

おそらく、読●新聞や産●新聞や●ジテレビが、米軍基地が北朝鮮から核攻撃を受けるとか、北朝鮮の特殊部隊が原発を急襲するとか国民を煽り、結局は、存立危機事態とか重要影響事態ということになるでしょう日本は兵站=後方支援として参加して、北朝鮮から攻撃を受けるでしょう(北朝鮮にとっては個別的自衛権の行使)。
なお、核兵器開発を破壊するために米軍が先制攻撃することも考えられますが、韓国が絶対に反対するでしょうから可能性から排除します。(今の日本政府は賛成しかねませんが。)

④ 中東への自衛隊派遣

中東においては、米軍だけでなく、難民が押し寄せるEUも、アサド政権を支えるロシアも、ISに軍事攻撃をしかける事態が生じるでしょう。

それも集団的自衛権というよりも、安保理の決議による国連の措置として行われることでしょう。 この場合、日本に参加が求められた場合、日本政府は断れるでしょうか。日本政府は断れないですよね。そのために国際平和支援法(国際平和共同対処事態への対処)を作ったのですから。


でも、今度は、道路工事や学校建設するわけではありません。戦闘行為は行わないが、武器弾薬の供給などの兵站(後方支援)を自衛隊が行うことになります。攻撃されれば正当防衛だけでなく、任務遂行のためや友軍を支援するために武器使用をします。アフガニスタン・タリバン戦争やイラク戦争の轍を踏むことになるでしょう。


■最高の「抑止力」は核兵器

中西教授らは、日米同盟を強化して抑止力を高めることで、上記のような事態が起こらないようにできると言うのでしょうか。

否、相手のあることですから、上のような事態は起こるでしょう。起こることを想定して米国に約束して制定した法律である以上、断れません。


そして、日米同盟を強化して抑止力を高めれば、相手(中国)はそれに対抗する策を考えます。「手を出したら、痛い目に遭うぞ」というのが抑止力ですから、当然、中国も軍事的対抗措置を強化します。

ところで、国際政治学者が「今や国際環境が変化し、日本の安全保障が脅威にさらされている」というけれど、米ソ冷戦時代のほうが、日本にとっても、今よりもっと軍事的緊張がありました。

現実に想定されたのは、ヨーロッパ正面でソ連(ワルシャワ条約軍)と欧米(NATO軍)が軍事衝突をして、これに連動して極東ソ連海軍(原潜)が太平洋に進出する。極東ソ連陸軍が北海道に進攻する事態です。自衛隊と在日米軍がこれと戦う(日本不沈空母)。 ゴルバチョフが登場するまで、これが実際に起こると思われていた現実のシナリオでした。そのため日米同盟、核の傘で「抑止力」が高められました。

この「抑止力」とは核兵器のことです。

ソ連や中国の核ミサイルは、当然、在日米軍に照準をあわせていました。横田基地や三沢基地、横須賀基地、嘉手納基地がターゲットでしょう(今でもそうかも?)。

ですから、日米が抑止力を高めた場合には、中国が行う対抗策は「核兵器」を強化することです。それとともに、ロシアと軍事協力関係を深めることでしょう。

そうなると日米でミサイル防衛を整備したり、日本が核武装したり、果てしない軍事拡張の渦巻きにまきこまれていくでしょう。


安全保障の専門家である国際政治学者は、そうは思わないのでしょうか。 いや、きっとそう予測しているのでしょう。でも、これは、逃れられない「人類の現実」だと考えているのでしょう。平和を夢想する「脳内お花畑」の連中は「情緒論」でしかないと、切り捨てるリアリスト(ニヒリスト)たちですから。

でも、この予想される事態のどこが日本の安全保障を強めることになるのでしょうか。危機を深めるだけのように思います。

行き着く事態は、米国と中国との「新冷戦」です。日本は米国の従属国として、新冷戦の最前線国家になるでしょう。安部首相の常任理事国入りの夢想には好都合かもしれませんが。

もっとも、米国首脳も中国首脳も、そう馬鹿ではないように思います。オバマ大統領と習近平主席が近々、会談します。日本頭越しの協議が積み重ねられて、最終的には、米中両国が今後の世界秩序の線引きをするのではないでしょうか。


■では代替案は?


日本は、英国型ではなく、スウェーデン型のスタンスにたった方が、メリットがあるのではないかと思います。米国とつるんで中国と対抗しようというのは危ない橋です。

スウェーデンのように西側に属しながら、(軽)武装中立で、一歩引いて大国の興亡を脇で観ていた方が良いのでははいでしょうか。

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2015年5月27日 (水)

第二次世界大戦の性格-安部・志位「ポツダム宣言」論争

■ 安部首相は志位質問をかわしただけ

話題になった安倍首相と志位共産党委員長の7分間の党首質問を、ユーチューブで見ました。
とかく「安倍首相がポツダム宣言を読んだことがあるかどうか」の問題として報道されていますが、志位委員長の質問の趣旨は、安倍首相が「第二次世界大戦で大日本帝国が間違った戦争をしたと認識しているか」というものです。
これに安倍首相が明確に答えなかったために、”ポツダム宣言が日本を侵略国家として、無条件降伏を迫り、日本がこれを受け入れたことを否定するのか”とたたみかけた。安部首相の弱点を押さえた良い質問です。


安倍首相の弱点は、ポツダム宣言を肯定する答弁をしたら日本を侵略国と認めることになってしまい、それでは自らの歴史認識に反する。他方、ポツダム宣言が間違っていると言っては、戦後国際秩序の基本を否定し、米・英・ロ・中をはじめとする旧連合国を敵にする外交上の失言になる。そこで安倍首相は、窮余の策として「詳らかに読んだことはない」と「無知」を口実にして逃げた。
(なお「善悪の判断もできない安倍首相に集団的自衛権の行使をゆだねて良いのか」というのが志位質問の「落ち」)

■ 安部首相は「ポツダム宣言」を読んでいる
安倍首相がポツダム宣言を読んでいることは間違ありません。月刊誌「Voice」2005年7月号の対談)で、安部氏は「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたのですから。(ポツダム宣言と原子爆弾投下の前後関係を間違えているのは「ご愛敬」)。

■ 安部首相の第二次世界大戦の歴史認識

安倍首相は次のように考えているのだと思います。


当時は欧米の帝国主義・植民地支配の時代である。日本が帝国主義国家としての強大な経済力・軍事力を持たなければ、アジアは欧米列強にずっと支配される。

欧米列強を跳ね返す力を持つのは日本しかないのが現実だった。だから、日本が帝国主義的な行動をとるのはやむを得ない道だった。

にもかかわらず、アジアを植民地支配した欧米が一方的に日本を侵略国家だと非難するのは許せない。世界史は、そんな単純なものではない。


私は、この論法に一理があることは認めます。「第二次世界大戦は、民主主義国家とファシスト独裁国家との戦いであり、民主主義国家が勝利した」という図式論より、もう少し複雑であったと思います。
でも、この論法には重大な欠点があります。民衆の犠牲を何ら考慮しない点です。

■ 第二次世界大戦の性格=帝国主義戦争


日本の場合は、1931年から1945年までのアジア・太平洋戦争。その性格は、アジアに対する侵略戦争・帝国主義戦争にほかなりません。帝国主義戦争は、19世紀以降、欧米列強が資源確保や市場拡大のために行った植民地獲得の侵略戦争のことです。
そして、20世紀になって後発帝国主義国家となった大日本帝国が、欧米が支配するアジアに対して植民地を獲得し拡大しようとして仕掛けた戦争です。要するに、村に先に押し入って支配していた強盗集団から、後から来た強盗集団が村を奪おうとして戦いになったというものです。
いわば相互に帝国主義戦争であり、対欧米との関係では帝国主義国家同士であり、道義的な「悪」という点では五分五分でしょう。(ただし、法的には、先に仕掛けたという点で日本は国際法違反で分が悪い。)したがって、ポツダム宣言が脅迫的な無条件降伏を迫ることは第二次世界大戦の性格から見ても当然でしょう。

■ 民衆の立場から見れば


しかし、村に平穏に暮らしている民衆にとっては、欧米も日本も征服者です。中国人(当時は中華民国)は侵略された国家として自衛戦争をたたかった。朝鮮半島でも抵抗・独立運動があり、ベトナムやフィリピン他の国でも抗日運動がありました。
征服され支配される民衆の立場から見れば、帝国主義戦争は両者とも100%の「悪」です。欧米が帝国主義・植民地主義だからといって、日本の帝国主義戦争と侵略が「善」になるわけがありません。

■ 日本人の第二次世界大戦に対する態度


第二次世界大戦当時の日本人は、支配されるアジアの民衆ではなく、大日本帝国「臣民」として帝国主義側に参加する(させられる)立場におかれています。戦後の日本人としても「所詮帝国主義戦争だ」と高見の見物をするだけではすまないでしょう。
当然のことながら、日本人でも立場によって考えは異なった。

積極的に支配する側に参加して経済的利益や精神的優越感(愛国主義や民族主義)を得たいと思う人は
、日本だけが帝国主義戦争・侵略国として非難されることは我慢ならないという安倍首相と同じ考えを持つようになる(戦前はこれが多数派)。

戦争に動員されて生命を危険にさらしたり、他国の人間を殺すのは嫌だと思う人は
、帝国主義戦争と侵略戦争に反対します(戦前は少数派の「非国民」。今は「反日」分子)。また、ポツダム宣言も「解放」として受け入れます。欧米列強の勝利という側面はありますが、ポツダム宣言は「征服戦争を悪」と規定し、「人権と民主主義」という普遍的価値をかかげているからです。少なくとも大日本帝国やナチス・ドイツやファシスト・イタリアよりもまともだと私には思えます。

■安部首相は「矛盾」を内心でどう統合しているのだろうか?


安倍首相の米国連邦議会での演説と歴史認識に関する発言を読むにつけ、相互に矛盾しているように、私には感じられます。
「自由と民主主義」を高く掲げるかと思えば、「米国の押しつけ憲法」と現憲法を非難して自主憲法制定を声高に唱える。ポツダム宣言を否認したいのが本心のように見えるが、「米国と価値観を共有している」などと言う。米国と対等の関係に立ちたいと思っているかと思えば、現実の外交は対米一辺倒。
安倍首相の内心はどうなっているのか私には不思議。是非、素直に正直に思いを語ってもらいたい。どんな「思想」を持っているんだろう。

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2015年3月14日 (土)

「琉球独立」運動の政治的インパクト

日本全国の米軍基地の75%が沖縄に集中している。日米同盟の負担が沖縄に集中しています。この解消の見通しがつきません。

沖縄知事選で辺野古移設反対派の翁長知事が当選。総選挙でも沖縄全小選挙区で移転賛成派の自民党議員が落選して反対派が当選しました。


それでも政府は「力」で辺野古建設工事を推進し、安倍首相は翁長知事と会おうともしません。

にもかかわらず、本土の日本人の多数派は、辺野古移設を強行する安倍内閣を支持しています。世論調査で内閣不支持率が増加するということもありません。


移設容認派は、「日米同盟を維持強化して中国を牽制するために沖縄米軍基地が不可欠であり、沖縄県民の犠牲はやむを得ない」と思っているでしょう。

選挙で沖縄県民の民意が明確になっても、一顧だにしない日本政府に対して、沖縄の残された有効な意思表示は「沖縄/琉球独立」運動の高まりしかないように思います。

「沖縄独立」論は政治的な実現可能性もなく、沖縄だけで独立国家を営む経済的な基盤もないため、非現実的な構想であり、政策論としても「無責任」の誹りを免れないと思ってきました。いわば、呑んだ席での放言の類いで「居酒屋独立論」とも揶揄されてきました。

でも、本土の政府や本土の日本人に対する政治的インパクトとして、沖縄県民の中で「沖縄独立」「琉球共和国独立」の世論が高まることが効果があるのだと思うようになりました。

確かに、現時点で沖縄独立の実現可能性はないでしょう。

しかし、この「琉球独立派」が強まることは、国際的にも高い注目を集めるでしょう。米国政府や米国人に対するインパクトもあると思います。沖縄県民の強い思いをアピールする一つの有効な方法のように思えます。

もともとは、琉球は独立国だったわけです。明治政府が最終的に1879年に琉球国を滅ぼし、沖縄県として服属させたものです。また、国連人種差別撤廃委員会は、2010年には琉球人を独自の民族と認定し、米軍基地の押し付けを人種差別だとして、日本政府に琉球人を代表する人々との協議すべきと勧告しています。「琉球独立」の論拠はあります。

「琉球独立」のインパクトがなければ、本土の日本人も政府も、沖縄県民の意思を尊重しようとしないのでしょうか。

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2015年1月29日 (木)

ISIS、中東、と日本の「平和主義」

 ISISの日本人殺害・誘拐事件に関して、IISISをどう見るのか、日本はどう対処すべきなのか、左派やリベラル派内での意見が別れているようだ。中東情勢は複雑怪奇、しかもイスラムという日本人には馴染みのない宗教で、ますますわからなくなります。長文ですが、典型的であろうと思われる二つの考えを以下、検討してみます。

(1)   ベトナム戦争との対比

   最初に、左派やリベラル派の「心情」を理解するために昔話を。
 昔ベトナム戦争の時代、ベトコン=南ベトナム解放戦線は、今のイスラム過激派のように、米国や主流派マスコミから、野蛮な過激派として扱われていた。「米軍がベトナムの村の病気の子供たちにワクチンを投与したらベトコンがやってきて、子供たちの腕を全部切り落とした」とまことしやかに報じられていました(コッポラ「地獄の黙示録」)。それでも当時、多くの日本人は、それらをデマと考えて、民族独立を目指すベトコン=南ベトナム解放戦線や北ベトナムを応援していました。

(2)   絶対平和主義・憲法9条派

  日本のリベラル派や左派の一部には、ISISやイスラム過激派をベトコンのように、米国の軍事支配へのレジスタンスと見る気分があるのではないでしょうか。
 イスラム過激派の無差別テロには反対だとしつつも、イスラム過激派の欧米への復讐心や心情に無意識的に同情しているのではないでしょうか。すなわち、「テロや混乱の最大の責任は、石油利権を維持したい欧米諸国とその走狗であるイスラエル、米国に従属する日本政府が負うべきだ」と考えるのです。

  しかも、イスラム過激派が戦うのはシリアのアサド政権をはじめとすると独裁政権と欧米軍です。ISISだけを攻撃すれば、独裁政権や石油利権の維持を図る欧米を助けることになる。これはおかしい。ISISなどイスラム過激派のみを非難し、これと戦う欧米諸国やアラブ諸国を経済的に支援することは間違っている。したがって、「欧米のISISへの空爆の軍事介入には反対すべき」ことになる。

  そして、憲法9条を持つ日本は、《喧嘩両成敗》的に、ISISなどのイスラム過激派に対しても、欧米も周辺アラブ諸国に対しても中立的立場にあるべきだ、ということになります。これで、日本はISISらのイスラム過激派のテロ対象でなくなり、安心・安全だというわけです。

  これはこれで一つの考え方です。「絶対的平和主義」からの論理的帰結でもあります。 しかし、この現状認識で良いのでしょうか。

(3) ISISがどこまで脅威なのか

   確かに、中東の紛争は、歴史をリアルに見れば、常に石油利権をめぐる紛争です。産油地をどの国が、どの勢力が支配するかをめぐる武力闘争です。「誰が正義か」などと問うこと自体が無意味なのかもしれません。

   また、外国の軍事作戦ではイスラム過激派を押さえ込めないことは、ソ連のアフガニスタン侵攻、米国のタリバンとの戦争やイラク戦争の結果から明らかです。まさに泥沼です。欧米の軍事介入は解決どころか、火に油を注ぐような結果をもたらしてきました。

  しかし、だからといって、ISISなどのイスラム過激派の軍事的膨張に対して、国際社会が対抗措置をとらないとでよいのでしょうか? 国連を通じての資金や人道援助だけでISISを阻止できるでしょうか?危険な芽を放置して、より大きな危機を招くのではないでしょうか?

 ISISやイスラム過激派を、世界と人類にとって大きな危険と見るかどうかで、意見が別れそうです。それほどの脅威ではないとなれば、イスラム教徒同士で解決すれば良いことです(石油がなければ、欧米も介入などしないのでしょうが)。でも、今や石油利権を別としても、イスラム過激派は大きな脅威であり、地域住民を迫害しているということは国際的に共通認識になっていると思います。これは彼らの理不尽な無差別テロが証明しました。

(4)  国際重視派

   ISISやイスラム過激派が、報道されているように住民や外国人を苛酷な暴力と恐怖によって支配している以上、アラブ諸国が軍隊でこの武装勢力を攻撃し掃討することは正当でしょう。ISISは野蛮な暴力支配を実施しており、あたかもカンボジアのポル・ポト派のような勢力ではないでしょうか。

 そして、中東の地域国家が弱体で、ISISが強く支配地を拡大するなら、当該地域国家の承認と国連関与の下、米軍などの軍事行動もやむを得ないのではないでしょうか。

  これらが正当なら、憲法9条を持つ日本が国際社会の協力に参加して「軍事援助はしないが、ISISと戦うアラブ諸国へ人道援助をする」こと自体は一つの選択肢でしょう。ただし、日本のこのスタンスの表明はイスラム過激派からの攻撃対象となるリスクがあります(このリスクが現実化したのが今の事態です)。日本政府はイスラム過激派に付け入られたり、口実を与えたりしないような慎重な配慮をする必要がありますが、これは「戦術」問題。

(5)   国際的観点からどちらの政策(「戦略」)を選択すべきでしょうか?

   私は、ISISの非道さ、そしてイスラムの穏健派の人々がISISを強く非難している現状から見ると、国際重視派の立場が妥当だろうと思います。これは、ポル・ポト派の蛮行を排除するためカンボジアに軍事介入したベトナムが正しかったのと同様だと考えます。

(6) 国際情勢の分析と国内の安倍政権評価

 しかし、この国際的観点に、国内の安倍政権への評価や支持・不支持が絡んでくるので、さらに議論が紛糾します。ここでも左派やリベラル派内で意見が割れます。

   典型左派曰わく『安倍首相の危険な狙いを阻止するには徹底的に平和主義で行くべきだ』『国内の政治実践の観点から国際情勢を見るべきだ』『国際重視派の見解は、安倍首相の狙いは戦争に参加できる日本づくりだから、これに利用される利敵行為だ』というものです。

 でも、それでは国際情勢の分析が国内情勢の観点から縛られてしまう。典型的な「一国平和主義」です。国際情勢は、国内政治の都合とは関係なく動いていきますから、国内政治重視だけでは、今後生じるであろう国際情勢の急激な変化についていけないと思うのです(なお、私は将来、中国が経済の高度成長が終わり不景気で国内が混乱した場合には、中国民衆の不満のはけ口として、日本との領土をめぐる軍事衝突にでる危険が高いと思っていますので、国際関係はリアルに見るべきだと思っています)。

   国際重視の視点に立ちつつISISを非難し、他方、国内政治の観点からは安倍政権の暴走を批判するというスタンスをとらないと、中長期的に見て多数の国民の理解を得られないように思うのです。

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