映画日記「シン・ウルトラマン」-メフィラス星人が提案する安保条約
この映画を公開直後に観て、しばらくして事務所の若手と2度目を観にいった。二度見はシン・ゴジラと同じ。
映画の1度目はストーリーとメイン映像に目を奪われる。でも、2度目はディテールに気がつく。劇場映画はTVと違って「名画」と一緒。何回観てもワンシーンに発見がある(それが名作の所以)。
以下、ネタバレあり
この映画は、やはり子供に楽しんでもらおうと意識した怪獣映画。私が小学2年生当時(1966年)、ウルトラマンのTV放映をワクワクしながら観た。その世代には、この映画も楽しく懐かしめた。それを知らない人はよくわからないかもしれない。そういう人々には女性隊員が巨大化するのがセクハラにしか感じられないのだろう。
また子供目線だと、「禍特隊」が単なる国家公務員の寄せ集めで格好よくなく実力も感じられないのが残念で、ストーリー展開に説得力が弱い。
大人目線だと、この映画はメフィラス星人(山本耕史)が出てくる後半が断然に面白い。メフィラス星人と日本国が星間条約を締結して、異星の進んだ科学技術を日本が提供を受ければ、日本の安全保障は盤石。
メフィラス星人は、日本に星間条約を提案する際に「私メフィラス星人を上位概念においてくれ」と言う。総理大臣はこれを了解する。メフィラス星人は、その星間条約をタブレットに写して示すが、その画面には「5条」のタイトルが読める。これは2回目観て気がついた。
さて、この5条とは、日米安全保障条約第5条ですね。外務省はウェブで次のように解説しています。
第5条は、米国の対日防衛義務を定めており、安保条約の中核的な規定である。
この条文は、日米両国が、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」に対し、「共通の危険に対処するよう行動する」としており、我が国の施政の下にある領域内にある米軍に対する攻撃を含め、我が国の施政の下にある領域に対する武力攻撃が発生した場合には、両国が共同して日本防衛に当たる旨規定している。
そして、メフィラス星人の言う「上位概念」は、日本国憲法の上位に安保条約が置かれているという意味になります。これは、今の日米関係へのメタファー(暗喩)であり、皮肉と揶揄だよね。「メタファー」は私の好きな言葉です。
メフィラス星人と日本の星間条約締結を阻止する反逆者が「禍特隊」とシン・ウルトラマンである。そして、シン・ウルトラマンとメフィラス星人がバトルを繰り広げる。
ところが、シン・ウルトラマンの故郷の「光の国」から来たゾーフィ(ゾフィーではない)が二人の紛争に介入する。メフィラス星人は、ゾーフィの介入した事実に気がつくと、即座に撤退する。
ゾーフィは人類に過剰に肩入れするシン・ウルトラマンを光の国のルールに反したとして処罰し、危険な人類を滅ぼすことを決定して実行に移そうとする。
ここでは、メフィラス星人は米国のメタファーで、ゾーフィが中国のメタファーですね。
メフィラス星人(米国)は、ゾーフィ(中国)との決定的な軍事的な全面対決を回避して、地球(日本)を見捨てることくらい簡単に決断する。
さて、そうなるとシン・ウルトラマン自身は、何のメタファーと考えられるだろうか。
「真・善・美の化身」とされるウルトラマンだが、最初のテレビ作品の企画・脚本の中心は金城哲夫。彼は沖縄出身の作家でTVの「ウルトラマン」に社会的問題を反映させていた。今から見ればその意図は明白で、「戦争と沖縄」「正義と差別」に終生こだわっていたと言っても良いだろう。彼は「沖縄海洋博」の演出も担当し、本土と沖縄の間の葛藤をいっそう抱えていた。(by NHKドキュメンタリー)。
シン・ウルトラマンを制作した庵野秀明(1960年生)は、当時の金城哲夫の発信していた雰囲気やメッセージを世代的に理解できるだろう。樋口真嗣(1965年生)は世代としてはギリギリかもしれない。ただ、庵野秀明は宮崎駿や高畑勲監督と仕事をしており、樋口真嗣も平成ガメラの金子修介監督と一緒に仕事をしている。樋口真嗣も金城哲夫の隠されたメッセージは理解できただろう。
この二人は、ウルトラマン、金城哲夫の作品に最大限の敬意をはらっており、その隠されたメッセージを盛り込んでいるにちがいない。
シン・ウルトラマンの「真・善・美の化身」とは、疎外された自己(日本又は沖縄)であり、理想化された自己(日本又は沖縄)なんだろう。
「シン・ゴジラ」は福島第1原発事故がメタファーであったし、「シン・ウルトラマン」は、日本の安全保障がメタファーだったのである。
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