ゴルバチョフの死に想う(2)
ゴルバチョフが亡くなったとのニュースに接したとき、ちょうどE.H.カーの「歴史とは何か」(1961年の講演)の新版を読み終えたところだった。この本も、岩波新書で学生時代に読んだが、新版をあらためて読んで興味深かった。
カーは共産主義を批判していたが、同時にロシア革命を、より大きな歴史的文脈に据えて、革命は不可避(「歴史的必然」、「見えざる手」、「歴史の狡知」などどう表現しようと良い)であったとして、ロシアと世界に与えた衝撃を、その成果とともに最後まで評価していた。
そのカー(1982年没)が生きてソ連崩壊を見ていたら、どう論評しただろうか。
カーは、歴史について「人物史観」(「歴史は偉人たちの伝記である」)を子供だましと批判する。曰く「第2次世界大戦をヒトラーの個人的な邪悪さの結果とのみ語るのは歴史ではない」(ウクライナ侵攻はプーチンの邪悪さの結果と今も言っている。)。
カーじゃ、歴史とは歴史的事実の因果関係を解明することであり、因果関係は「政治」の視点からではなく、「社会的・経済的な事象」から原因を抽出して、諸々の原因を相互に順序づけることであり、この因果の解明こそが「歴史解釈」である。そして、因果の解明(歴史解釈)の視点は、当該歴史家の未来への展望から過去を問い直すことと切り離せないとする。そして、「その視点は人類の進歩の信念からはじめて得られる」とい言い切っています。
カーは、モンテスキューの次の言葉を引用する。
「一つの戦いの偶然的な勝敗で一国を滅ぼしたという場合、一つの戦いの結果が国家の崩壊を招き寄せるほどの全般的な原因がその前にあったのである」と。
なるほど。(日本の敗戦をミッドウェー海戦の偶然的な敗北に帰する日本人に聞かせたいね)
他方、本書では「偶然」が歴史に与える影響について論じている。指導者の個人的な性格・性質も偶然であると言う。悩ましい論点だとする。
例えば、レーニンが天才でニコライ二世が愚か者だったからロシア革命がおこったわけではないし、スターリンの恐怖政治はスターリンが邪悪だったからだけではない。
それぞれには、それぞれの社会的・経済的な原因がある。レーニンが53歳で死亡せず生き残ったとしても、レーニンは急速な工業化を強権的に進めるというソ連の歴史コースは変わらなかった。それは当時の経済的・社会的要請であったという。彼の大著「ボリシェヴィキ革命」に詳細に書かれている。しかし、スターリンのような残虐の方法よりも緩和されたであろうとカーは言っている。
カーが生きてソ連崩壊とゴルバチョフを見ていたら、きっと次のようにコメントするのではないか。
ソ連末期にゴルバチョフがいなくとも、ソ連の共産党独裁の社会主義体制は、1980年代には現実に不適合を起こしており、経済的・社会的要因で崩壊することが不可避であった。しかし、ゴルバチョフが指導者でなければ、多大な流血、場合によればソ連軍の東欧侵攻によってヨーロッパで大きな戦争がおこったであろう。そうなってもソ連の崩壊は不可避だが、短期的に見れば戦争と流血の惨事を防ぐには、指導者のゴルバチョフという個人の資質(偶然)が大きく決定的な影響を与えた、と。
そして、社会的、経済的要因としては、重化学工業化や産業化には、共産党の中央集権的な計画経済は有効だったが、経済の情報化や多様な消費生産が求められる段階になると、中央集権的な計画経済は桎梏になり自壊せざるをえなかった。それをゴルバチョフ改革派は修正しようとしたが、もはやその力は残されていなかった。その後の中国の改革開放路線の資本主義化と比較し分析する だろう。
| 固定リンク
コメント