ゴルバチョフの死に想う(その1)
先日、ゴルバチョフが亡くなったニュースに接して思い出した。1987年に出版された「ペレストロイカ」という彼の著書を当時読んだ。この本を読んで、当時、私はソ連の社会主義がリベラルで人間らしい社会主義になるのではないか、と個人的には期待した(←バカ)。
ゴルバチョフは「我々はソビエト国民の権利と自由の保障を強化することに特別な感心を持つ。ソ連最高幹部会議は、批判に対する抑圧行為を不法なものとして処罰する法令を発布する」「長期的で大局的な見地から国際政治を見るなら、どんな国もよその国を服従させることはできない」「新しい政治理念の大原則は単純である-核戦争は政治、経済、イデオロギー、その他いかなる目標を達成する手段としても用いてはならない」「大量殺戮兵器が出現し、国際社会における階級間の対立が深まれば地球破壊への引き金にもなりかねない。」と書いていた。
当時、日本の共産党は、ゴルバチョフの新思考外交を「レーニン以降最大の誤り」と言って、スターリン以上の誤りだとしてゴルバチョフを非難をしていた。
しかし、ソ連の指導者である彼が、米ソの軍事的対立を解消し、自国の軍事費を抑えて、国内の自由化と民主化を漸進的に進め、外国から資本と技術を導入して、効率的な市場化をすすめるというのは、当たり前の合理的な政策だと思った。当時、中国の鄧小平の改革開放路線が進行していた。
ところが、ソ連共産党の守旧派がクーデターをおこしてゴルバチョフは失脚し、エリツィンらの権力闘争にも敗れた(ちょうど大政奉還した徳川慶喜が薩長のクーデターに負けたのと一緒!)。ソ連の社会主義的再生を阻んだのは共産党守旧派とエリツィン派だった。そして、その後、ナポレオン的軍事独裁のプーチンが出現した。
ゴルバチョフは、ソ連の最良のコミュニストとして、ソ連共産党内部の権力闘争を勝ち抜き、一時期にはソ連のトップになって、米ソ冷戦を終結させてソ連国民の権利と自由を拡大しようと、ソ連の改革に着手した。しかし、共産党守旧派に妨害され、ロシア人民にも支持されず消えていった。これで共産主義的な進歩史観にとどめを刺した。
ソ連の崩壊と、その後の中国の発展を見ると、エマニュエル・トッドの家族史観による宿命論が最も説得的に思える。
曰く、ロシアや中国のような「共同体家族社会」(家父長が絶対的権威を持ちっており、息子たちは結婚後も父親と一緒に住んで父に従属する。兄弟間は平等(競争)的な関係にある)では、左右のイデオロギーに関係なく、一党独裁的な体制に親和的であり、欧米的なリベラルな民主主義は根付かないという。(もっとも、トッドは家族関係も歴史的変化があり、さまざまな地域での様々な条件で長期的には変化するとは言う。)
| 固定リンク
コメント