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2022年3月27日 (日)

ウクライナのロシア戦争とフィンランドの冬戦争


ウクライナ軍とロシア軍の戦争が毎日ニュースになり、コンピューターの戦争ゲームのように、軍人あがりの国会議員や安全保障の専門家がテレビで日々の戦況について語っている。判官贔屓でウクライナがんばれと思う。

でも、軍事のリアルの法則として、ウクライナ軍は単独でロシア軍を排除することができるのだろうか?
そんなことはまずないだろう。もはや長期戦になる。そうなれば、多大な民間人の犠牲を負うのは被侵略斟酌国家側なのだ。

最も似ているのは第二次世界大戦のフィンランドとソ連との冬戦争である。
3ヶ月の間にフィンランド軍はソ連相手に善戦したが、結局は孤立無援で敗北した。プーチンやロシア軍の参謀は、このフィンランドの冬戦争を当然に下敷きにしているだろう。

1939年11月30日、ソ連軍がフィンランドに侵攻。口実はフィンランドの社会主義政権が助けを求めているということだった(今のロシアの侵略と同じような口実)。

ソ連赤軍の兵士は、「資本主義の搾取と抑圧に苦しむフィンランド人民を解放するために解放軍として駆けつける。フィンランド人から歓迎される」と思っていた(今のネオナチに苦しむウクライナ人を救済するためと一緒)。

ところがどっこい、強靱なフィンランド軍(司令官は英雄マンネルヘイム将軍)の抵抗にあってびっくり。

スターリン60歳誕生日の1939年12月21日までに全てを電撃的に終えようと思ったところが思うようにならず、スターリンはびっくり仰天(今のプーチンと一緒)。

国際的にソ連は轟々と非難されて国際連盟から除名された。
これが国際連盟の最後の仕事で国際連盟はその後崩壊(今の国連はロシアを除名ところか、常任理事国排除もできない)

当時、英仏はフィンランドに援軍する援軍すると言いながら、結局援軍を送らなかった(今の米国とNATOと一緒です)。
ナチス・ドイツもソ連に距離を取り始めた(このナチス・ドイツは今の中国の役どころ)。
ソ連赤軍の無能さだけが目立った(でもって、ヒトラーはソ連に勝てると攻撃した一因になった)。

スターリンはさすがにまずいと思って、司令官をティモシェンコ将軍に変えて、1940年2月1日からフィンランドに対して、大攻勢をかけてフィンランド軍防衛線を瓦解させた(これから予想されるロシア軍の戦術核兵器やサリン化学兵器の投入)。

当時フィランドは1940年2月19日に外国からの援助は受けられないと悟って、講和交渉を開始(今、ウクライナも譲歩しつつある)して、3月13日に講和条件(当初のソ連の要求より過酷な条件)をのんだ。両軍の先頭は講和交渉の条件と密接に関係していたそうだ。1メートルでも多く支配地域を広げ押し返す状況で停戦条件が決まるという冷徹な原則。

このフィンランドの冬戦争、ソ連軍は8万5000人が戦死。フィンランド軍は2万5000人が戦死。フィンランド軍はよく戦った。

私の若い頃、ベトナム戦争が同時進行でテレビで報道されていたとき、小国ベトナムがアメリカに勝てるわけがないのだから、ホーチミンのベトナムは降伏した方が良い、なんて当時の私はつゆとも思わず、「アメリカはベトナムから出て行け」「英雄的なベトナム民族の自衛・解放闘争万歳」と信じて疑わず、デモにもいったよな。

でも現実では、ウクライナ単独ではロシアには勝てないだろう。ベトナムやアフガンのように長期ゲリラ戦で戦うしかない。
他方で、ロシアが限定核兵器やガス兵器を使用したら、どっかでNATO軍とロシア軍が衝突するかもしれない。

でも世界中で一番抑制的なのはアメリカ合衆国(バイデン大統領)。第三次世界大戦だけは回避するという宣言は安心できる。
また客観的に見れば、一番に利益を得ているのはアメリカだ。
そして、機を見て中国がロシアとウクライナ間の仲介するだろう(虎視眈々と狙っているはず)。
仲介が成功すれば、中国の地位が上がる。でもって、中国が国益上の利益を得ようとするだろう。
中国はウクライナ戦争とその仲介力で、台湾への支配介入のための道具、武器とするだろう。
まさに孫子の兵法。

国際政治は、そういう流れで動くと思う。

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2022年3月13日 (日)

ロシアのウクライナ侵略とフィンランドの歴史と外交政策

読書日記「危機と人類」ジャレド・ダイアモンド著(2019年・日本経済新聞社刊)

 危機にあたって国家はどう対応したのか、危機克服のためにどういう要素を考慮すべきかを、フィンランド、日本、チリ、インドネシア、ドイツ、オーストラリア、アメリカの歴史から考察した書物。今のウクライナは、過去の「フィンランドの対ソ危機」と同じ。歴史は繰り返すを地で行く。以下、私なりの要約。
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 フィンランドは、1809年にロシア帝国に併合されて、1894年にニコライ二世の圧政下にはいった。1917年にロシア革命が起こるとフィンランドは独立宣言したが、国内で社会主義革命を目指す赤衛軍とドイツの支援を受けた保守派の白衛軍との内線となり、白衛軍が勝利して、その後は左派勢力が弾圧、虐殺された。

 スターリンは1930年代末、ドイツの脅威に備えて、英仏ポーランドと防衛協力を申し出たが、これを拒絶されたため、1939年8月に独ソ不可侵条約を調印。同年10月、ソ連はフィンランドにソ連フィンランドの国境線の変更と海軍基地の設定を要求したが、これをフィンランドは拒絶し、同年11月から戦争が開始された(冬戦争)。スターリンはフィンランド民主共和国を設立させて、同国の防衛のためだと主張(今のロシアのウクライナ侵攻と一緒)。

 当時、ソ連は人口1億7000万人、フィンランドは370万人。フィンランド軍と国民は圧倒的なソ連軍に良く戦ったが戦死者は10万人(人口の2.5%)。ソ連軍の陸軍の戦術は拙劣で多大な損害を出した。フィンランド人の死者1人当たり、ソ連兵8人が死んだ。他方で、英仏は援軍を送ると口では言いながら、まったく援軍を送らなかった。外国人義勇軍が1万5000人がフィンラドに味方した。結局は冷徹な軍事力の差には勝てず、フィンランドはわずか開戦半年後1940年3月に講和して、最初の条件より不利な条件をのまされた。

 1941年6月にナチス・ドイツはソ連を攻撃し、同時にフィンランドはナチスと共にソ連に宣戦布告して占領されたカラリア州など奪還する。これを継続戦争という。当時は、フィンランドに苦戦したソ連軍は弱いと考えられ、ナチス・ドイツが勝利すると世界中が思っていた。でも、結局はソ連が勝利し、フィンランドはソ連と休戦協定を結んで同様の条件と多額の賠償金を支払うことになる。

 そこで、1945年以後、フィンランドは、ソ連の逆鱗に触れないよう、でも独立と、自由と民主主義体制の維持と西側との関係維持という「綱渡り外交」をとった。他の西側からはソ連におもねる「フィンランド化」と揶揄されたが、フィンランドの歴史を見ればやむを得ない。

 フィンランドのケッコネン大統領(任期1956年~81年)は、スターリンの思考は「イデオロギーでなく地政学的な戦略」であると喝破し、外交方針は「わが国の地政学的環境を支配する利害関係との折り合いをうまくつけること……予防外交であり、危険が間近にくる前に察知し、危険を回避する対策を講じること……国家は他国をあてにしてはいけない。戦争という高い代償を払って、フィンランドはそれを学んだ。……外交問題の解決にはさまざまな感情-好きとか嫌いとか-を混ぜ込む余裕はつゆほどもないことも学んだ。現実的な外交政策は、国益と国家間の力関係という国際政治の必須要素に対する認識に基づいて決定されるべきである。」

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日本は、第二次世界大戦に敗北したが、何を学んだのだろうか?アメリカの占領政策があまりにうまかったので、日本人は支配されているという感覚もなく、対米依存・従属のままで経済発展できた。そのため、ケッコネン大統領のような冷徹な認識に至らなかった。

だから、非武装中立が一番だとか、また、政府指導者らは今でも核兵器保有国(中国、北朝鮮、ロシア)に対して、日本も核武装・共有するとか、敵地を攻撃するとか、自国の地政学的環境を無視してお目出度いことを言うのではないか。

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