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2021年10月24日 (日)

読書日記 「性の進化論講義」更科功著(PHP新書)

「性の進化論講義」更科功著(PHP新書)2021年8月発行

最近はやりの人類の性差論かと思いきや、まっとうな進化論の講義でした。

さて、オスとメスがいるのは有性生殖の場合。

 

私の高校時代の生物の知識では「原始的な生物が無性生殖で、より高度な複雑な生物は有性生殖と進化した」ということでした。
ところが、現代の進化論では、上記のような素朴な考え方は否定されている。

 

無性生殖の方が、実は効率性やコストが少ないとのこと。

 

それではなぜ有性生殖が幅をきかしているのか(無性生殖の生物も珍しくないそうですが)。

いろんな学説があるが、有力な学説は、病原体(寄生者)に対抗する免疫システムを獲得するためだそうです。

 

個体にとって、捕食者よりも、病原体の方が脅威となっている(ライオンで捕食されるよりも、病原体で死ぬ方が圧倒的に数が多い。100年前のスペイン風邪と第一次世界大戦を比較しても、1000万人以上死んだスペイン風邪の方が脅威)。

 

無性生殖だと、免疫を決める遺伝子がワンパターンであり、危険な病原体に直面すれば同じ遺伝子が多いその生物は絶滅する危険性が高い。

 

人間だと抗原や抗体を司るMHC遺伝子は両親から二つしなかい。しかし、有性生殖だと、多種多様ないろんなMHC遺伝子の組み合わせが生じる。したがって、病原体が現れても、ある個体は免疫がきかず抵抗できないが、ある個体は有効な抵抗力がある場合もある。種としては生き残る。

 

よって、有性生殖はオスとメスは、病原体との競争結果で有性生殖の方が生存や繁殖に有利だったからという理論があるそうだ。

 

ちなみに、ホモ・サピエンスは7万年前頃にアフリカを出た。先にヨーロッパや中東に進出していたネアンデルタール人と部分的交配して全世界にホモサピエンスは広がった。xアフリカを遅く出発したホモ・サピエンスは、アフリカの病原体に対する免疫しかなかったが、ネアンデルタールと交配することで、アフリカ以外の病原体に対する免疫をもつMHC遺伝子を獲得した。ネアンデルタール人のMHC遺伝子は、アジア人の方が多い。アフリカに遅く発したホモ・サピエンスは、アフリカの病原体に対する免疫しかなかったが、ネアンデルタールと交配することで、アフリカ以外の病原体に対する免疫をもつMHC遺伝子を獲得したと考えられるとする。

この本には書かれていないが、新型コロナの流行の感染者と死者の比率や数が、ヨーロッパとアジアで大きく異なることとの関係を妄想してしまう。ヨーロッパ人と東アジア人の遺伝子的差がやはりあるのかもしれない。


著者によれば、進化論は、自然淘汰の理論であり、個体が遺伝的変異を経て世代ごとに変化する理論。

自然淘汰とは、 要するに「子供を多く残すことができるかどうか」で決まる。そのために、環境に有利な形質や生存に有利な形質が変異で生じて次の子供に承継されることが必要。

 

進化の自然淘汰は、次のような条件で生じる

 

① 同種の個体間に遺伝的変異が生じる(異なる特徴が子に遺伝する)
② 生物は過剰繁殖する(親の個体よりも多くこども生む)
③ 遺伝的変異によって、生殖年齢に達する子の数が異なる。
④ より多くの生殖年齢に達する子が持つ変異が、より多く残る。

オスとメスとの関係性は、この自然淘汰の理論で決まってくるとのこと。偶然性で決まる遺伝的変異、環境との適応関係、自然淘汰、性淘汰によって確率論的に決まるようだ。子供を育てる形質や、異性をめぐって闘争するのがオス同士の場合もあればメス同士の場合もあるとのこと。

 

メスの配偶子製造コスト+メスの子育て期間 > オスの配偶子製造コスト

 

この場合にはオス同士がメスをめぐって争う。例えば、ゾウやライオン。

 

メスの配偶子製造コスト < オスの配偶子製造コスト+オスの子育て期間

 

この場合にはメス同士がオスをめぐって争う。例えば、南米にいるある鳥類。

 

以上の例は、妊娠や子育て期間は、メスは繁殖(生殖)行動をしない場合。

 

では、妊娠、子育て期間でも、繁殖(生殖)行動をする例外的な生物であるホモ・サピエンスの場合はどうか。直接的な答えは書かれてていない。このあたりは極めて慎重で、安易なホモ・サピエンスへの適用はしていない。

 

 

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2021年10月 3日 (日)

読書日記「「ジョブ型雇用社会とは何か-正社員体制の矛盾と転機」濱口桂一郎著(岩波新書)

読書日記「ジョブ型雇用社会とは何か-正社員体制の矛盾と転機」濱口桂一郎著(岩波新書・2021年9月発行))



 濱口桂一郎氏ことハマチャンが2009年7月発行の「新しい労働社会-雇用システムの再構築へ」(以下、「前著」と言う。)の続刊です(以下、「新著」と言う。)。新著の狙いは、2020年に経団連が「ジョブ型」を打ち出し、マスコミ(特に日経)がジョブ型への転換を煽るようになったが、その「ジョブ型」の理解は、著者の打ち出したものとは似ても似つかぬ、大間違いなので、その誤りを正すことを目的としているとのことです。



 メンバーシップ型雇用は、ジョブ型と違って、雇用契約それ自体に具体的な職務が定められておらず、いわばそのつど職務が書き込まれるべき空白の石版です。そこでは労働者と職務の結びつけ方(ジョブ型は先ずは職務があって、それと人を結びつける)、賃金の決め方(ジョブ型は職務によって決める)、労政関係の労働組合の在り方(ジョブ型では職種別賃金を職種別あるいは産業別労組が団体交渉と労働協約で決める)が異なります。

 

 メンバーシップ型では、企業は、職務のポストの空きではなく、先ずは人を見て「正社員として相応しいやる気のある人」を採用する。また、賃金については、職務(ジョブ)ではなく、「人」を見て属人的に決める。企業別に総額人件費の増分を企業別労組で交渉している。

 

 そして、著者は、このメンバーシップ型とジョブ型という概念を分析道具として使用するもので、どちらが良いかという政策的価値判断の概念としては用いていない。前著でも、なにも日本のメンバシップ型をジョブ型に直ちに変更すべきと推奨しているものではないと、私は受け止めています。

 

 前著でも、現代の日本型雇用がメンバーシップ型となっているのは、それなりの理由や社会背景があるが、そのメンバーシップ型から生じる問題点が顕著になっていることから、それを現実的な方法で改革すべきというものであったと私は読みました。

 

 その典型が非正規労働者の格差是正についての論述にあらわれています。

 

 
「直ちに職務給を変えるなどということは少なくとも短期的には事実上不可能です。短期的に事実上不可能なことが前提条件として均等待遇や均衡処遇を語ることは、結果的には当面均等待遇や均衡処遇を実施しないことの言い訳になってしまいます。」「期間比例原則のような現行の賃金制度を前提した改革の道を探ったのは、賃金制度の変更を前提としない短期であっても実施可能な政策を提起すべきだと考えたのです。」(前著105頁)

 

 さて、前著発行後、2016年に安倍内閣の「働き方改革」のもとで、「同一労働同一賃金の実現」が打ち出されて、2018年にはパート・有期雇用法の改正されて、同一労働同一賃金ガイドライン(短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者に対する不合理な待遇の禁止等に関する指針)が発出されて、「日本版同一労働同一賃金」が法制化されました。

 

 これに対して、新著では、ジョブ型雇用の下での「同一労働同一賃金」がメンバーシップ型雇用の下に「導入」されたとすることは虚構であるとして批判(あるいは揶揄?)されている(と思う。)。



 いわゆるガイドラインの中で、正社員と非正規社員が同一の賃金制度をとる場合を前提として本文(本則)にて論じられているが、日本の場合には、正社員は職能給、非正規社員が職務給と賃金制度が異なる場合が通常なのに、それを本文で触れずに「注」でしか触れていない。その注の内容も、「将来の役割期待が異なる……という主観的・抽象的説明では足りず」という程度しか書かれていない。結局、同一労働同一賃金の名に値いしないものになっていると批判されている。

 


 この点は、まったくそのとおりであり、パート・有期雇用法8条を同一労働同一賃金の原則とすることは、法解釈上も多くの誤解を招くことになり、同一労働同一賃金の原則を使用すべきではないと私も思います。しかし、均等・均衡処遇の原則を、新たに政策課題として新たな立法化まで浮上させた、この10年の動きを無意味と清算することはできないのではないでしょうか。この法律を活用して、非正規労働者や労働運動がどこまで改善を獲得できるのか、労働運動にこそ期待をかけるべきだと思います。



 時に歯切れのよいハマチャン節は面白いのですが、あれっと思うこともしばしばです。例えば、高度プロフェッショナル制度について、長時間労働の抑制それ自体よりも、残業代ゼロ法案とネーミングして、時間外手当問題にのみ注目している旨の批判(新著193頁)とか、「労働組合は資本家の圧政に耐えかねた貧窮のプロレタリアートが結成したというのは九割方ウソです。」(新著263頁・中世ギルドの伝統をひく熟練職人が結成した)とか、労働側から見ると「?」と感じます。このような決めつけ部分が気になります。ちょっと極論ではないかと感じます。



 また、具体的な制度である解雇の金銭解決救済制度などについても労働側との見解の違いは大きいところがあり、個々の制度論は意見を異にするところが多々あります。



 でも、この新著で、例えば経営側は、職務給への変更を断念した後、生活給を職能給と再構成して、潜在的な職務遂行能力で説明するようにしたが、この職務遂行能力の実態は要するに正社員としての「やる気」(だから、人事評価が情意評価となる)と喝破しているような箇所がたくさん出てきて大いに勉強になります。



 著者は日本型正社員のメンバーシップ型の問題点を指摘しながらも、改革の方向を「白地に絵を描く」ようなわけにはいかないことを踏まえた上で、政策的な提言を考える姿勢には共感を持ちます。



 私は、日本型正社員のメンバーシップ型雇用をいきなりジョブ型に変更することは不可能であることは明白なのですから、無限定な職務や長時間労働、女性正社員や非正規労働者の格差問題については、メンバーシップ型を(ジョブ型雇用も参考にしながら)修正することで改善していくべきだと思います。



 長時間労働や配転が無限定なのは「日本はメンバーシップ型だから仕方がない」という現状維持の正当化論拠に「メンバーシップ型」が使われないことを切に望みます。



 新著を読んで、あらためて前著を読み直してみると、新しい労働社会への改善に向けてより深く広い提言が書かれていたのだと思いました。

 

 

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