これからの「雇用の在り方」と「正義」について -小熊英二「日本社会のしくみ」を読んで
■本書概要
社会学者の小熊英二教授(慶応大)の600頁もの分厚い新書です。「日本の社会のしくみ - 雇用・教育・福祉の歴史社会学」(2019年7月20日発行)と銘打っています。
序章で、小熊教授は「本書が検証しているのは、雇用、教育、社会保障、政治、アイデンティティ、ライフスタイルまでを規定している『社会のしくみ』である。雇用慣行に記述の重点が置かれているが、それそのものが検証の対象ではない。そうではなく、日本社会の暗黙のルールとなっている『慣習の束』の解明こそが、本書の主題」と書いています。
最後に次の質問をかかげます。
スーパーの非正規雇用で働く勤続十年のシングルマザーが「昨日入ってきた高校生の女の子となんでほとんど同じ時給なのか」と相談してきた。あなたらどう答えるか。
これへの回答は社会のしくみによって異なるということを論証するものです。
本書は各章の冒頭に「本章の要点」が記述されています。その中から私が特徴的だと思った一部を抜粋すると次のとおりです。
第1章 日本社会の「三つの生き方」
「大企業型」「地元型」「残余型」の三つの生き方の類型がある。大企業型(大卒で大企業や官庁に勤務する正社員・終身雇用の生き方)の比率は26%だが、これが全体の構造を規定している。
第2章 日本の働き方、世界の働き方
欧米は企業横断的な採用や昇進のルールがあり、「職務の平等」が志向され、企業横断的な職務の専門能力や大学院の学位が有利となる。日本は、「職務の平等」よりも「社員に平等」を志向して、社内のがんばりが評価される。
第3章 歴史のはたらき
欧州では職種別組合が発達し、職種別の技能資格や職業教育、企業を横断する人材移動となり、労働運動の中で社会保障や政党の在り方と結びついて社会のしくみができた。米国では科学的管理法から職務(Job)の観念が生まれ、労働運動や差別撤廃の公民権運動、専門職団体によって職務の平等が広がった。長期雇用は必ずしも日本型雇用の特徴ではなく、日本型雇用の特徴は、欧米と異なり、企業横断的なルールがないことである。
第4章 「日本型雇用」の起源
明治初期は日本も「渡り職人」が中心であった。明治期の官庁制度や軍隊型の階級制度がその起源であり、官営工場の払い下げにより民間にも広まった。戦前の職工差別は激しく、「身分差別」として労働者に受け取られていた。
第5章 慣行の形成
新卒一括採用、定期人事異動、定年制、大部屋型オフィス、人事考課などは明治期の官庁や軍隊にその起源が求められる。日本では、学校が企業に対して人材の品質保証する機能を担った。
第6章 民主化と「社員の平等」
戦時期の総力戦体制から戦後の民主化の中で「社員の平等」(職工差別の解消)への道が開かれ、戦後の労働運動は年齢と家族に応じた生活給のルールを確立した。1950年代半ばから大企業と中小企業の「二重構造」が問題とされた。
1960年代前半は政府と財界は、職務給と普遍的社会保障、企業横断的労働市場による変革を構想したが、経営者はこれに抵抗し、労働組合も強く反対した。
第7章 高度成長と「学歴」
進学率の上昇により中卒就職者が減少し、高卒者が新卒一括採用により現業労働者に配置され、大学進学率も高まり大卒者が過剰となり、それへの対応として全社員を「能力」を査定して資格を付与する職能資格制度が導入された。この職能資格制度も戦前の官庁・軍隊型のシステムであり、人事担当者らもこれを自覚していた。
第8章 「一億総中流」から「新たな二重構造」へ
1974年で大企業正社員の量的拡大は終わった。企業は日本型雇用の重み意苦しみ人事考課の厳格化、出向・非正規・女性などの「社員の平等」を適用しない外部をつくり出す。1980年代に正社員と非正規社員の新たな二重構造が問題となる。1990年代以降は日本型雇用慣行は適用対象を限定しても、コア部分では維持される。
終章 「社会のしくみ」と「正義」のありか
■「職務の平等」と「社員の平等」
アメリカでは、第1次世界大戦前後は、職長が仕事を一定の予算で企業から請負って、その予算の範囲内で配下の労働者の賃金を決定していた。そこでは恣意的に処遇が行われて労働者に不満が強かった。また、雇用主は職長を通して企業への忠誠度を査定させて組合活動家を差別していた。これに対抗して、労働者は1910年代から、職長による不公正な処遇の改善、同一労働同一賃金を要求した。同じ仕事をしていれば同じ賃金を支払われるべきだと。そこで、職務記述書が重要となった。労働組合は、同一労働同一賃金の職務給、先任権、雇用保障を要求した。産業別労働組合が、職務の保有権の確立、賃金ルールの明確化と産業別の「標準賃金」確立を求めたたたかった。
ドイツでは、職種別労働組合を通じて技能資格を得て雇用主がその組合員を雇用するというシステムであり、職種別により賃金が決まった(協約賃金)。この職種別労働組合や産業別労働組合などが社会民主党の基盤となり、社会のしくみが決まっていった。
このように、欧米は、企業横断的な「職種」や「職務」を通じて、企業横断的な賃金(協約賃金、標準賃金)を決めて、職務の平等を志向した。これに対して、日本では、職務の平等ではなく、「社員の平等」を強く志向し、雇用の安定も企業内での雇用保障を求めて、職務の安定は二の次であった。
なお、小熊教授は、濱口桂一郎氏が日本型雇用を「メンバーシップ型」、欧米型を「ジョブ型」とする考え方を紹介しつつ、日本は「企業型メンバーシップ」であり、西欧は「職種のメンバーシップ」と形容したほうが良いという(本書200頁)。
日本の労働運動は「職員」の特権であった長期雇用と年功賃金を「労働者」まで拡張させて「社員の平等」を志向したが、他方で経営者の裁量で職務が決まることや他企業との企業規模での断絶があることを受け入れた。一方、アメリカは、同一の職務は同一の賃金を支払うという「職務の平等」を志向したが、他方で職務がなくなれば一時解雇されることを受け入れた。
それでは、日本の今後は?
■終章の「社会のしく」みと「正義」のありか
小熊教授は、透明性と公開性の向上が必須であり、横断的労働市場や男女平等が実現する方向でなければならないとしつつ、「本書は具体的なの政策提言の書ではない」として、労働や社会保障、教育の専門家に委ねるという。
最後に、社会の価値観をはかるリトマス試験紙のような質問を紹介している(金子良事・達井葉二「年功給か職務給か?」労働情報2017年4月号)。
スーパーの非正規雇用で働く勤続十年のシングルマザーが「昨日入ってきた高校生の女の子となんでほとんど同じ時給なのか」と相談してきた。あなたらどう答えるか。
三つの回答例が書かれています。
日本型の回答①(生活給の論理)、アメリカ型の回答②(同一労働同一賃金の論理)、そして、ドイツ型の回答③(社会民主主義的回答)です。是非、この本を読んで考えてみてください。
(付録 私の回答)
上記相談事例は、まさに「丸子警報器パート差別事件」そのままの事案です(長野地裁上田支部・1996年3月15日判決・労働者側勝訴)。労働弁護士として、私がこの方に相談されたら、そのスーパーの正社員の職務等とシングルマザーの担当職務等を比較して、その相違が合理性があるかどうかを詳しく聞きますね。是正する法律手段はあります。そして「是非、格差是正のためにみんなで労働組合をつくって使用者に団体交渉で要求しましょう。また交渉決裂したら裁判を挑みましょう。」という回答になります。
‥‥ただ、こんな労働運動として個人が行動するのは、今や難しいですよね。なぜ、労働者の権利意識がこれほど消極的になったのか、社会学的にどう見ているのか小熊教授に聞いてみたいです。
もっとも、この本はこういう労働法としての相談ではなく、社会の価値観としてどの方向を選びますかということが主題です。それは有権者である一人一人の選択で決めることができるはずです。本来は。
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