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2017年5月 3日 (水)

アニメ「風立ちぬ」は宮崎駿の自伝だった?

▪️岡田斗司夫の評論に目からウロコ

宮崎駿のアニメ「風立ちぬ」は2013年公開された映画です。正直にいって、非常に困惑したアニメ映画でした。

主人公として描かれている堀越二郎の映画としてみると、日本の侵略戦争に対する宮崎駿の歴史観や政治的スタンスと矛盾しているように感じざるを得ません。ゾルゲを彷彿する人物を出したり、ドイツでの反ナチスの活動家を出したりして、戦争に批判的なテイストを入れていますが、中途半端でしかありません。

アニメの表面的な主題だけを追ってみると、美しい日本というテーマになってしまってつまらない駄作にしか思えませんでした。

ところが、岡田斗司夫氏の評論「『風立ちぬ』を語る~宮崎駿とスタジオジブリ、その軌跡と未来」(光文社 電子増補版)を読んでまさに目からウロコが落ちました。このアニメ「風立ちぬ」は宮崎駿の自伝的アニメだというのです。

このアニメを堀越二郎に仮託した宮崎駿自身の自伝なんだと思うと、すべて納得がいくアニメ映画になります。

▪️宮崎駿の生い立ちが最初から反映されている

宮崎駿は、戦前の飛行機製作会社(宮崎航空興学) の一族として生まれ育ったそうだ。飛行機、特に戦闘機に特別の興味関心があることは自ら隠そうともしていない。

このアニメの出だしは、飛行機のパイロットになりたいが、近眼でその夢が叶わず、墜落するシーンからはじまる。

▪️庶民の働く女性(女性労働者)が繰り返し美しく描かれる

工場で働く女工から声援を送られる御曹司というシーンも、きっと宮崎駿の子供のころの記憶が反映しているのだろう。そして、岡田斗司夫も同書で指摘しているが、関東大震災で奈緒子と女中おきぬを助けるが、主人公の心に残っていたのは、まだ子供の奈緒子ではなく、美しい女中のおきぬの方であったという描写がある。

宮崎駿が若いころ東映での労働運動に参加するようになることは有名だが、ルーツとして幼少時代に自分の父親が経営する飛行機工場での女子労働者たちへの何らかの同情心があったことを示唆しているように思える。

千と千尋でももののけ姫でも、紅の豚でも、働く庶民の女性を圧倒的に美化して描いているのが宮崎アニメの特徴といえる。

▪️妻の生命よりも仕事を優先する二郎の非情さ

二郎の描きかたは、妻の病状や健康には無頓着で、美しい飛行機さえ作れれば良い。そのためには結核になった妻の健康より、戦闘機(人殺し飛行機)づくりを優先するという非情な男というストーリーと言える。

男は崇高な天職(仕事)に邁進し、病身の妻は常に美しくい、夫を支えて足出まといにならないよう生きて行くという「儒教的夫婦関係」への賛美と見える。しかし、この男の声優をあえて素人である庵野秀明に演じさせている。庵野秀明の声優は単なる棒読みで、感動的な儒教的夫婦愛にふさわしくない(と岡田斗司夫は指摘する)。庵野秀明の二郎は、ただの木偶の坊(棒読み)にしか聞こえず、この儒教的夫婦愛への感動を観客に誘わないのである。

主人公の男は、戦闘機作りに邁進する非人間的な非情な「ただの専門バカ」にしか見えない。

▪️宮崎駿の女性観

映画の中では、二郎の妹かよ(「不美人な専門職(医師)」である女性)が出てきて、奈緒子の健康を無視して仕事しかしない兄(二郎)を痛烈に批判する。

宮崎駿氏のこの女性観(母性感含む)は全作品を通じての通奏低音として響いており、「風立ちぬ」にも色濃くでている。宮崎駿の女性観は結構保守的である。ラナ、クラリス、ナウシカもシータもすべて自立しながらも、古典的な良妻賢母的な人格。同時に庶民的な働き者の女性も大好き。

ただ、この点、宮崎駿は自覚的であり、現代の女性から自分の女性観が厳しく批判されるものであることを意識しているようである。これは上述した妹からの批判を描く点にあらわれている。(これも岡田斗司夫氏も指摘している)

さらに、岡田斗司夫は、家庭を犠牲にしてアニメにのめり込んだ宮崎駿の夫婦関係の反映であると指摘している(他人の家庭のことまで踏み込んでいいのか?)。宮崎駿の妻は、息子である宮崎吾郎に対して「あなただけはアニメの道に入らないで、あんな家族を犠牲にする仕事の鬼のような父親にならないで」と懇願していたそうだ(結果的に、息子もアニメの世界に入った。)

▪️本庄は高畑勲だな

主人公の同僚で本庄という設計者が描かれている。実在の人物であるようだが、主人公の堀越二郎のライバルであり親友である。彼は、非常に論理的に物事を見て批判的に考える人物。例えば、堀越二郎が貧しい庶民の子に、シベリアをあげようとする。しかし、子供らはこれを拒絶する。これに対して、本庄は、「偽善だ。お前のつくっている飛行機の部品でその子らの一家は二ヶ月くらい食べていける」と。また、「戦争があるから、俺たちはかってに飛行機をつくってる」という自虐的なことも言ったりする。

この本 庄は、高畑勲のことだと思う。

▪️軽井沢に出没するのはゾルゲだな

あの時代に対する批判的場面としては、アニメの中で、軽井沢で塔尾上するドイツ人がいる。このドイツ人は「このままではドイツも日本も爆発する。戦争を防がねば」と二郎に言う。最後は特攻に追われて軽井沢から消える。

彼はリヒャルト・ゾルゲであろう。
ゾルゲは、ドイツ共産党員であり、コミンテルンから送り込まれたソ連赤軍諜報員だ。

またドイツに訪問した二郎や本庄の前で、反ナチスの活動をする若者らが一瞬登場する。二郎はそういう局面に出会うが、やはり美しい理想の飛行機=戦闘機製作を続ける。

これらのエピソードは、反戦運動に共感しながら、そちらの方向には進まないという点を強調しているように読める。

これは宮崎駿や高畑勲は一時、東映動画の労働運動の中心人物だったが、その後、労働運動から離れて、あくまでアニメ作りに邁進したことの反映ではないかと思える。

▪️モノづくりとアニメづくり

三菱重工での二郎のチームは、多数の技術者をかかえて製作や設計の会議では集団で討議してわきあいあいの楽しそうなシーンがなんども描かれている。きっとアニメづくりのシーンもこういう楽しさがあるのだろう。

▪️最後のシーンについて

アニメでは、奈緒子も一人、山奥の療養所で死に二郎はゼロ戦を完成させるが敗戦。二郎は「一機ももどってこなかった」とつぶやく。そして、夢の中で、死んだ奈緒子から、「あなた生きて」と言われてエンディングとなる。

この最後の言葉は、宮崎あてでなく、モデルになった堀越二郎あてのリスペクトをこめたセリフだろう。宮崎駿の自伝としては恥ずかしすぎる。

彼の自伝の最後は、草原でカプロー二と良いワインを飲んで青空を見上げるだけでよいはずだから。

宮崎駿としては、堀越二郎に託して自分の人生を描いてしまったわけである。恥ずかしいから、これで引退すると言わざるを得なかったのではないでしょうか。

▪️今後について

以上、岡田斗司夫氏の評論に触発されて勝手な推測を書きました。

ついでに、宮崎駿氏には、ナウシカ漫画本の最後のおさまりが今ひとつなので、後日譚を短編で描くことと、「シュナの旅」という自作の漫画をアニメ化してほしいだけです。ちょっと欲張りすぎの注文というはわかっていますが、スタジオ・ジブリを今後、残すためにもがんばってほしい。

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