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2016年9月14日 (水)

「シン・ゴジラ」と「平成ガメラ」

 安倍首相が、「シン・ゴジラ」で「自衛隊の活躍が描かれている」と嬉しそうにコメントしたそうです。


 他方、「シン・ゴジラ」は、「自衛隊礼賛映画で、憲法改正して緊急事態条項導入しようとする勢力の露払いである」との左派からの批判もあるようです。

  ところで、1995年に公開された「ガメラ 大怪獣空中決戦」(金子修介監督)という映画があります。私は、映画関係の労働組合の活動家から「子どもだましの怪獣映画と思うだろうけど、騙されたと思って観てくれ。」と言われて、レンタル・ビデオ屋で借りて観ました。

  この「平成ガメラ」は面白かった。着ぐるみの「ガメラ」なんだけど、ガメラとギャオスとの戦いは素晴らしくエキサイティングだった。また、自衛隊は、ガメラと対ギャオス駆除の共同戦線(集団的自衛権?)を展開するのも面白かった。その後、「ガメラ2レギオン襲来」も公開され、この平成ガメラ・シリーズは自衛隊全面協力の映画となりました。金子監督の「ガメラ」には、官房長官が自衛隊に防衛出動を発令するシーンもありました。この点では「シン・ゴジラ」の原型です。

 「平成ガメラ」の公開当時、「自衛隊の礼賛の映画だ」と左翼陣営から批判がおこりました。

 ところが、面白いことに金子修介監督(1955年生まれ)の父親はベトナム反戦のために十数年間にわたり、「ベトナムに平和を」というゼッケンを着けて通勤し社内でもゼッケンをつけた反戦活動家だったそうです。これは金子監督ご本人も語っておられ、ご両親は「左翼一家」だったとのことです。また、金子監督自身、山本薩夫監督を尊敬していると語っておられるので、まあ「左派」のはずです。

 このような「左派」の監督でも、ガメラが日本に現れたらと想定したら、やはり自衛隊を描かざる得ないのです。お子ちゃま向け映画では、ウルトラ警備隊や地球防衛軍という設定がありえるのですが、それでは「お子ちゃま映画」から脱せないわけです。

 では、金子監督は自衛隊を礼賛映画をつくったのでしょうか。そうではないですね。
 SFとはサイエンス・フィクションですが、ファンタジーではありません(私見)。あくまでSFはフィクションなのですが、どこかサイエンス(疑似サイエンスでも)な裏付けがなければ面白くないわけです。それがないと完全な「ファンタジー」となり、男にはつまらないのです。

 現実に「ゴジラ」や「ガメラ」が現れたとすれば、日本人と日本社会がどう反応するのかを考えるときに、自衛隊や政府・官僚の動きを想定しなければ、面白いものにならないのです。それは「自衛隊礼賛」とか、そうでないとかという政治的思惑とはまったく関係がない話です。

 「シン・ゴジラ」が愛国映画だとか、自衛隊礼賛だとか、という評価論争(?)があるようです。でも、そんな政治メッセージ(政治プロパガンダ)からは超越しているのでしょう。まあ、そういう評価論争を映画宣伝の一環に利用しているとも言えますが。

 庵野秀明監督(1960年生まれ)は、アニメの「エヴァンゲリオン」や実写映画の「式日」、「ラブ&ポップ」をつくってきました。これらを私も観ていますが、何を考えているのかよく掴めない監督です。が、彼のつくる映像のかっこよさはとびきりです。「ラブ&ポップ」のラストの「あの素晴らしい愛をもういちど」の歌をバックに、「どぶ川」(渋谷川)を行進する女子高生のシーンは秀逸でした。


 庵野監督は宮崎駿や高畑勲とも仕事をしているので、「物語」をつくるにあたって、政治的な脈略も理解して作っているはずです。高畑・宮崎は、「映画を描くには、作品の背後の社会的・政治的背景をもった世界を構想しなければならない。映画で描くのはそのうちの2割だ。でも、そういう構想をもたないと映画のリアリティや世界観は出せない」と語っていました。庵野監督もこういう考えのはずです。

 しかし、このような政治的背景を前面に出すことは、映画作品としては「掟破り」(ダサい政治的メッセージ)であることも熟知しているはずです。でも、そういう「味付け」が社会的な注目を浴びる手段であることもわかっている。映画という社会的作品は、多様な解釈を許容する広がりと深さをどれだけ持つか、多面的な存在だからこそ、商業的な価値も含めて「価値」が高まることをよく庵野監督は知っているはずです。

 その意味では、「シン・ゴジラ」も「平成ガメラ」も、政治的メッセージなどは持っておらず、脚本家と監督が映画を極めたいと思った結果でしかないでしょう。そこにどのようなメッセージを読むかは観客に委ねられることになります。

 私は、「シン・ゴジラ」で自衛隊が活躍しても、「日の丸」ははためかないことに意味を読みこみます。また、日本人には、超人的なヒーローは出現せず、チームプレイに徹するしかない。日本ラグビーや陸上400メートル・リレーのように。これも私の勝手な解釈です。

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