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2016年4月10日 (日)

ガルブレイス -「労働組合是認論」(あるいは解雇規制)の経済学的根拠

読書日記 「ガルブレイス-アメリカ資本主義との格闘」伊東光晴著 岩波書店
2016年3月 第1刷発行
2016年3月 読了
■定点観測-面白し
 10年、20年30年、同じ学者の本を読むことを、私は「定点観測」していると思っています。この人と思ったらずっと読む(小説もそうだけど)。ずっと同じ学者の書いたものを時代を超えて、10年20年30年読むと「面白し」です。
 「面白し」とは、暗闇のなかで見えなかった顔が、だんだん見えてくるということを意味するそうです(高校の古文で習った)。学者の顔が見えてくるだけでなく、時代の顔も、自分の顔も見えてくるのかも。


■定点-伊東光晴教授


 伊東光晴教授(京都大学名誉教授)の最新著作です。伊東教授は、1927(昭和2)年生まれですから、今や89歳。
 大学生時代から雑誌「世界」に掲載された伊東先生の論文や、一般向けの経済書を、気がつけば必ず読んできました。いわば定点観測対象です。他方の極点の定点観測は野口悠紀雄教授や八代尚弘教授です。
 伊東教授は、30年前から常に「ファクト・ファインディングこそ大切」と強調されてきました。伊東先生は、昭和2年生まれの日本人です。私の死んだ親父と同い年です。昭和の「恐慌」、「農村の困窮」、「失業」、「戦争」のすべてを知って、経済学者になった人でしょう。親父と同い年ということでなんとなく想像できます。
 伊東教授は、いわゆる「近経」の経済学者ですが、マルクス主義経済学者との交流も多く佐藤金三郎の「マルクス遺稿物語」の後半を伊東教授がまとめた。伊東教授の著作を読むと、伊東先生の「人物」の大きさがわかります(八代教授や竹中教授とは「格」がちがう、と思うのは私が昭和生まれだからでしょうか)。
 旧制高等学校の伝統を持つ、良き教養主義の教師。情熱と品格、まさに「クールヘッド&ジェントルマインド」なる「人物」の典型でしょう。


■著者自身の「アメリカ資本主義ないしアメリカ経済学との格闘」
 この本は、ガルブレイスの生涯と彼の経済学の紹介ですが、それにとどまらず、著者自身の「アメリカ資本主義との格闘」といえます。
 伊東教授は、現代のアメリカ資本主義は、「市場原理主義」というイデオロギーによって営まれる市場経済であり、その「アメリカ自由主義」は、「個人の自由」・「自己責任」の絶対視と適者生存の「社会ダーヴィニズム」(イデオロギーとしての自由主義)に支配されているとして、次の言葉を引用します。
 「大企業の発達は適者生存にほかならない。」 「アメリカンビューティー種のバラがつくられて、見る人の喝采を博するのは、そのまわりにできた若芽を犠牲にしてしてはじめてできることなのだ」。スタンダート石油会社もバラと同様である。「それは自然の法則と神の法則にほかならない」と。by 石油王ロックフェラー



■アメリカ自由主義と社会ダーヴィニズムのイデオロギー
 このような社会ダーヴィニズムの考え方は、今でもアメリカでは社会に浸透しており、共和党右派のティーパーティの思想でもあり、アメリカ経済学に入り込んでいる。リバタリアンの思想と共通している。
 「経済学のテキストブックを見れば、必ず消費者が、もっとも特なように行動をした結果としての需要曲線と、同じように企業が自ら望むように行動した結果としての供給曲線が引かれ、その交点で、価格が決まるという図が書かれている。その交点での価格と需給の量が望ましいのであり、それをもたらすのは競争である。
 これを乱す政策は悪である。農産物支持価格、家賃規制、最低賃金制、そして労働組合の活動は、この最適状態を乱す「反社会的行動」であるとしている。市場原理主義者と結びついた需要・供給・価格決定理論は、こうして社会ダーヴィニズムの支持理論となり、市場競争で敗れた者や貧困者は、自ら招いた結果にほかならないのである、ということを意味している。」(100頁)
 上に付け加えれば、アメリカ的市場原理主義者は、「使用者の解雇を規制することは、労働市場の最適状態を乱す反社会的行為であり、社会全体の雇用量を減少させて、失業者を増加させるだけだ」とも主張しています(八代尚弘教授、竹中平蔵教授ら)
  このようなアメリカ人の「格差容認」「貧困は自己責任」という価値観が強いのは、ヨーロッパのような伝統的な村落共同体の中での相互扶助の歴史がなく、そこから新天地アメリカに移住し、広大な土地に点在して、自らの努力のみで土地を切り開いたという社会的土壌があるからと指摘します。(なお、これに加えて、アメリカ原住民を殺戮し、アフリカ人奴隷を使ったという「暴力」の土壌があったと私は思います)。今や、この考えは日本でも主流となっています。
 ガルブレイスは、競争モデルに対して、拮抗力(対抗力)が必要と主張した。
「個々の労働者は比較的流動性(新しい職を見出し移ること)に乏しいため、長いあいだ私的な経済的支配力にたいしてきわめて弱体であった」。それゆえに労働組合に結集し、対抗し、労働時間の短縮や、賃金の引き上げを求めてきた、と。

■労働供給曲線、労働需要曲線
 伊東教授は、ケンブリッジ大学のマーシャルの「経済学原理」の労働供給曲線のことを述べます。 

 現代の経済学教科書は、当然のことながら「労働供給曲線」は「右上がり」です。賃金率が上がれば労働供給量は増し、賃金が下がれば労働供給量は減る。で、労働需要曲線は「右下がり」です。この両者の曲線の交点が均衡賃金、均衡雇用量です。
 ところが、マーシャルは、個々の労働供給曲線は、「右下がり」になると考えた。もし賃金率がW1からW”に切り下げられたとしよう。一時間があたり賃金が下がった。生活するためには、いままで通りの収入額がほしい。そこで、もっと長時間働こうという誘因が労働者に働く。賃金率の切り下げは、労働供給量を増加させる。
 つまり、労働市場は自己調整メカニズムを持たない。もし労働供給が過剰で賃金が下がれば、労働供給量が増え、さらに労働供給が過剰になり、賃金が下がる。‥‥ それが止まるのは労働者の生活の崩壊によってである。
  こうした賃金低下が一層の賃金低下を招くという悪循環を食い止めるためには、労働者が団結して自らを守る労働組合が必要であるというのがマーシャルの考えである。労働組合是認論の経済学的根拠は、この労働曲線の形であり、労働市場は自己調整能力を持たないという考え方である。(160頁)


■現代における労働組合衰退の経済学的根拠と労働者階級への葬送曲
 上記のマーシャルの考え方はマルクスと共通しています。
 しかし、ガルブレイスは、現代の資本主義での労働組合の役割の低下を次のように述べているそうです。
 インダストリー(生産の経済が社会を引っ張る時代はもはやすぎた。大企業体制の中で、価値を創造するのは、もはや「労働者」ではなく、「テクノストラクチャア」(工学・経済学・経営学・金融工学の技術者)ですから、大企業内で、組合は労働者にとってそれほど必要なものではななくなっている。

 さらに、伊東教授は次のように述べます。
私はこれに付け加えたい。マルクスが見た資本主義企業の下で生産を支えているのは、苦しい労働を続ける労働者であった。マルクスの言う生産力は彼らが担っていた。だが、大企業体制の中で、技術を進歩させ、労働者を搾取することなくより多くの利潤を生み出す体制をつくり出す生産力の体制をつくり出す生産力の上昇は、テクノスクラクチュアたちの努力である。技術者たちの総合力が生産力の担い手になったのである。労働者はその成果の享受するものになっていく。受益者が、マルクスの考かたような変革の主体になり得るのかどうかは疑わしい。
 この点は、おそらくそうなんでしょう。もはや先進資本主義国での労働者階級に、「世界史的な使命」などは存在しない。労働組合は、単なる「正当なプレッシャグループ」にしかすぎないでしょう。だからこそ、正当なプレッシャグループとしての役割を発揮してほしいものと私は思います。

■マルクスは労働者が可哀想だから味方したのか?
 マルクスとエンゲルスは、格差で苦しめられている労働者階級が可哀想だから味方したのではけっしてない。
 マルクスとエンゲルスは、労働者階級こそ「生産力の担い手」であり、労働者たちが団結して「自由な独立した生産者」として、経済計画をたてることで、皆の「アソシエーション」による「自由の王国」を打ち立てることを夢見た。そして、その経済学的根拠は、労働者こそが「生産力」を担い、生産力を飛躍的に高めることができるからという点にあった。
 ところが、ファクトファインディンスすると、現代の資本主義では労働者が生産力発展を担うということは、もはや否定されてしまった。労働者は単純生産の機械の歯車にすぎず、生産力を高める役割を担えるような能力はない。これからは人工知能とロボットに置き換えられる存在にしかすぎない。世界史を発展させる階級としての駆動力はもはやないと言わざるを得ない。
 今や、大企業体制の中で「テクノクラート=テクノストラクチャア=技術者」たちこそ、生産力発展の担い手であり、かれらこそ「株主」らから自立した「経営者階級」として、新しいグローバル資本主義を担う勢力(新しい支配階級)になるのでしょう。ブルジョア階級と技術者階級の合体としての「ブル=テクノ階級」ですな。

■経済二分論
 現代資本主義は、経済的に見て二つの領域に分かれているというのがガルブレイスのファクト・ファインディングの結論。
 
 第一は大企業によって、支配されている部門である。。正確に言えば少数大企業からなる寡占市場と、その巨大企業に部品その他を供給する企業集団を含めたものである。第二は各地に分散している個人企業、農業、サービス業-彼の言葉で言えば市場に従属している部門-である。
 上記の二つの部門では、経済的稼働の基準がまったく異なる。前者の経済部門では、競争モデルは妥当しないし、独占(寡占)企業の消費者の欲望を支配している。労働者には専制君主として力を行使しているもの。後者の部門では、自己努力や自己責任というプレッシャーの中で、「自己搾取」が行われている。

  
この企業の行動基準が大企業とそれ以外の二つに分かれるというのは、日本でも労働裁判をしていて私も感じるところです。日本では、究極的な自己搾取は、「過労死」として現れている。
 
伊東教授曰く、
 ガルブレイスが経済学の知的遺産に加えたものは何か。
 経済学を、現実との格闘に引き戻し、少数の巨大企業、他方で、その外縁にある多数の個人企業と農業のそれぞれの”行動様式”と”市場”について「実証的解明」をしたことである。それは個人の合理的行動の上に演繹理論をつくりあげていく既存のミクロ理論の否定である。それによって、プログラマティズムに基づく有意な政策を示すことで、適者生存の社会ダーヴィニズムのイデオロギーを葬ることでもある。


■最後に
 この著作を読むとロールズの正義論や格差原理がやはり頭に浮かびます。
 アメリカ民主党のサンダース大統領候補が、このガルブレイスやロールズの流れの中で登場したのかと思えます。いまだに生きているガルブレイスということか。たまたまであろうが、時期を得た著作です。

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