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2015年12月31日 (木)

2015年 トップ20 閲覧数順位

2015年12月ででアクセス数が80万件を超えました。

閲覧数のトップ1位-20位は次のとおりです。

1   読書日記「絶望の裁判所」瀬木比呂志著

    意外にロングランです。

2 「ある憲法学者のおつむの変遷」-驚愕の長尾一紘教授の集団的自衛権合憲説

    憲法ネタです。長尾教授の変節(変説)には「びっくりぽん」

3  憲法9条の成立過程について

 このブログは結構たくさんの本(憲法制定過程を述べる本)を読んでまとめた。現憲法下でも自衛のための最小限度の武力組織をもっても憲法違反にはならないと、憲法制定プロセスを踏まえて、個人的に改説しました。

4  人質事件で安倍首相を「言語道断」という国会議員に思う

 今は、何もしなかった安倍首相を言語道断と声を大にして非難すべきだと思う。

5  2013年司法試験と予備試験

   何でこれが上位なのか?理解しがたい。受験生が読んでいるということか。

6  有期契約を理由とする不合理な労働条件の禁止(労働契約法20条)

   やっと、本来の労働法分野が上位となる。

7  有期労働契約の「更新上限の合意」への対応策

 これも本来の職務範囲

8  管理職用「退職勧奨」マニュアル

 IBMの内部資料。これも労働ネタです。

9  有期社員の差別是正を求める裁判提訴(労契法20条訴訟)

 これも本来の仕事


10 読書日記「法服の王国」黒木亮著

 この本は人気があるようです。


11 女性社員と制服

  これもロングラン        「女性」 階級の構成が複雑であり、社会学の分析対象にすると面白いかも。


12 会社分割・労働契約承継法と「在籍出向」


  地味な分野なのに。上位ということは、結構、世の中で広まっているのか。 


13 ISへの米仏露の空爆に思う

 難しい問題だが、いつも思うのは、ナチスや軍国日本に軍事的に対峙して勝利しなければ現代世界は大きく変わっていたということ。


14 日本の労働時間-未だに長時間労働社会 日本

  「時短」を真に要求するのは、子育てする人たち。
 今は女性が主力。男たちは家に帰るより会社でがんばっていたほうが楽しい。妻と子どもと一緒にいるほうが仕事するよりも、楽しいと思わない限り、男性の時短要求は出てこないだろう。 結構、仕事は楽しいというのが問題。仕事はスレイブだという意識が一般化すればよいのだが。そのときは日本は滅びるな。


15 「風月堂」セクハラ事件判決と裁判官の「セクハラ感覚」


   判例評釈?

16 ISIS、中東、と日本の「平和主義」

 武力行使だけでは解決しないと思うが、武力行使しなければISの暴虐はつづく。
 日本は、9条がある限り、武力行使はしないし、できない。
 結局は、中東やイスラエルの紛争は、国際社会は傍観して、彼らがとことん争ってあきらめて悟りを開くまで放置することしかないのかも。欧州もカソリックとプロテスタントの殺し合いを百年はつづけて、ようやく政教分離の知恵までたどりつくのだから。中東もそういうプロセスだと思って、国際社会は関与しないとか。 というわかにいかないんでしょうね。欧米、ロシアにとっては。石油や天然ガスがあるから。


17 民事裁判の証人尋問


   何でこれがアクセスが高いのか不思議?


18 政治指導者の「決断」と「喝采」-カール・シュミット理論の再来

 橋下氏のことです。彼はすぐに復帰して政治家になると思う。
 決断が国民から喝采されたのは、シュミットの同時代人、すなわち、ヒトラーでした。


19 「分離すれども平等」-人種差別のエートスと曾野綾子氏のコラム

 日本には、人種差別主義者やファシストの女性が多いと思う(男性同様に)。桜井なにがし、高市なにがし、稲田なにがし、その他大勢。いっぱい右翼女性がいる(岸壁の母予備軍)。なぜだろう?日本女性は極めて保守的で長年、自民党を支えてきた政治基盤というのが冷徹な事実と思う(スキャンダルがあると情緒的に反対するが、良きバランサーとして機能している)。
 朝日新聞的な女子は、インテリ女子で少数派だと認識しなければ。


20 読書日記「ケインズの逆襲 ハイエクの慧眼」松尾匡著

   理論「左翼」もここまで来た。興味深い、松尾教授の言説。
   マルキストならぬ、マルキシアンになります。


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2015年12月29日 (火)

慰安婦問題の日韓政府合意に思う - 安倍首相あなどりがたし

 安倍首相とそのブレーンはしたたかで優秀です。あなどりがたし。

■慰安婦問題の日韓政府合意

 慰安婦問題の日韓政府合意を見ると骨子は次の三点

①「日本政府は責任を痛感し」、「安倍首相は、元慰安婦の方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」、
②「日本政府の予算により全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる」
③「問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、今後、国連等国際社会において相互に非難することを控える」
 韓国外相は、さらに慰安婦少女像の撤去する努力をするとも表明している。

 弁護士の目でこの交渉結果を評価すれば、日本はとれるものを全部とっている。交渉ごととして見ると、日本は極めて満足すべき成果を得たといえる。

■日本は欲しいものを獲得した

 安倍首相は、最終解決であり慰安婦問題を蒸し返しをしないという約束を韓国政府から獲得した。

 もし韓国側(民間団体など)が、合意に反対して合意履行に反発して日本を非難することになれば、日本政府は合意違反だとして国際社会で韓国を非難できることになる。
 日本国内では、一部の右翼から非難されるであろうが、大多数の穏健な日本人は安倍首相の決断を支持し、支持率は上昇は間違いない。
 さらに米国からも高く評価される。

 今回の日韓政府合意は、河野談話の延長上の解決です。日本政府は責任を認め、安倍首相がおわびと反省の気持ちを表明し、日本政府が10億円を政府予算から支出することになった。河野談話よりも踏み込んだ解決です。以前はあくまで「道義的責任」と明言し、「基金」はあくまで日本の民間資金の拠出だったからです。「法的責任」にこだわるのは単なる名分論です。
 あとは、安倍首相が心のこもった元慰安婦の方々へのおわびといたわりの誠意を示せば、日韓両国民が和解に大きく向かうのではないでしょうか。

■安倍チーム あなどりがたし

 つくづく、安倍首相とそのチームは、したたかで優秀だ。鮮やかな電撃外交合意です。「タカ派の方が外交では大胆な譲歩と決断ができる」とよく言われますが、まさにそれを地でいったような外交です。

 安倍首相 あなどりがたし。さらに自信をつけた安倍首相は、来年の参議院選挙も思い切ったカードを切りそうですね。自公政権の圧勝で、維新の参加して、自民党憲法案が新しい憲法になりそうです。

■「法的責任」について

 なお、「法的責任を認めなかった」として韓国側が反発しているようですが、日本政府が「責任を痛感する」と述べて「政府予算から資金を拠出する」という実質を見るべきでしょう。
 この戦争被害の「法的責任」は難しい問題です。戦争で生じた政府行為については、国家間の条約や協定で決着をつけるしかないように思います。
 戦争においても個々人の不法な権利侵害があったとき、国家間とは別に個人が損害賠償を請求できるという法律論に私も共感はするが、国際社会も国際人権法はそこまで発展していないと思う。

 もし元慰安婦の日本への国家賠償請求が認められるなら、他の朝鮮や中国で日本政府による不法な人権侵害をされた方々がすべて日本に損害賠償請求権を持つことになる。そうであるなら、広島や長崎の被爆者は、米国に対しても損害賠償請求を認められるべきである。ドイツに対してもナチスに虐殺されたユダヤ人や他のポーランド人らもドイツに損害賠償請求できることになる。逆に、ドレスデンで無差別爆撃で犠牲になったドイツ市民も英米に損害賠償請求できるし、旧満州でソ連赤軍に蹂躙・虐殺された日本の民間人やシベリア抑留された日本人もロシアに損害賠償請求ができることになろう。つまり、パンドラの箱をあけることになる。しかし、これらの問題を裁く国際人権法も司法機関も未だ存在しない(未だ発展途上ということだが)。

 ということで、遺憾ながら、戦争の賠償問題は、個々の市民や国民ではなく、国家間の条約の枠組みで処理されるしか現実的におさめることができない問題なのだと思います。

 ちなみに、慰安婦に対して政府が「法的責任」がないことと、慰安婦に対して政府が「責任」があることは別に何ら矛盾しませんから。「法的責任」とは要するに裁判で損害賠償や刑罰を科される責任ということです。より大きな政治責任を負うことは何ら不合理ではない。国際問題には、法的責任よりも、政治的責任のほうが重要だと思う。

■韓国譲歩の「大きな謎」


 しかし、なぜ韓国がこの合意を締結し、しかも少女像の撤去を努力するとまで表明した理由は何だろう。

 少し韓国が譲りすぎのように思える。

 韓国国内の反発が心配。双方の国民の大部分が了解し、特に被害者である元慰安婦側の納得が得なければ本当の不可逆的な最終解決にならないのだから。

 その背景は何だろう。韓国大統領の姿勢がブレている印象も受けるが、・・・米国の圧力なのだろうか。米中の牽制、綱引きの中で韓国が翻弄されているのか?

 この点は今後、誰か解説して欲しい。



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2015年12月23日 (水)

読書日記「働く女子の運命」濱口桂一郎著

読書日記

「働く女子の運命」濱口桂一郎著 文書新書
2015年12月発行 読了 2015年12月22日


hamachanこと濱口桂一郎さんに、新著「働く女子の運命」をお送りいただきました。ありがとうございました。通勤電車内で熱中して読んで、つい降車駅を乗り過ごしてしまいました。

■「雇用システム」の違いからの分析

 濱口さんは、日本の企業社会における女性労働者がおかれている厳しい状況の原因を、「企業の雇用システム」の観点から、いつものとおり見事に腑分けしています。

 メンバーシップ型社会である日本企業は、「新卒採用から定年退職までの長期間にわたり、企業が求めるさまざまな仕事をときには無理しながらもこなしていってくれるだけの人材であるかどうかという全人格的判断がなされます。その中で、女性はいま目の前のこの仕事をどれだけきちんとこなせるかなどという些細なことではなく、数十年にわたって企業に忠誠心を持って働き続けられるかという『能力』を査定され、どんな長時間労働でもどんな遠方への転勤でも喜んで受け入れられるかという『態度』を査定され、それができないようでは男性並みに扱われないのです。ちなみに、この『能力』と『態度』の度合いを示す特殊日本的『職能資格』という言葉は、欧米社会の職業資格(ジョブ-引用者注)とは似ても似つかぬ概念です」というわけです。

 著者は、日本は、1990年代半ばから「市場主義の時代」となり、企業は日本型雇用システム(メンバーシップ型社会)の「中核(日本型正社員-引用者注)をより純粋に少数精鋭化しながら維持しつつ、もっぱらその周辺部を狙って規制緩和をしてきた」と結論づけます。

 その結果、「総合職という男性コースに入れてもらった少数派の女性たちは、銃後の主婦の援助を受けた「男性たちと同じ土俵で、仕事も時間も空間も無制限というルールの下で競争しなければなりません」。

 「他方で、一般職という女性コースはこの時期、企業からもはや存続の必要性が失われ、契約社員や派遣社員という形で非正規化が進行していきます」。今や、女性労働者の非正規率は過半数を超えています。


■欧米ジョブ型社会での男女平等

 欧米は、ジョブ型社会なので、社会的に公認された職業資格(企業を超えた共通な資格)が確立していて、労働者はジョブとスキルによって雇用と賃金が決定される。したがって、女性や男性の区別なくジョブとスキルが同じなら賃金は同一。例えば、アナウンサーというジョブとスキルが同じなら、賃金は当然同一であって、勤続年数や年齢、子どもの有無は賃金とは関係がないとのこと。
 ですから、欧米では、男女平等実現のため、男性が多く占める職種(ジョブ)に女性を積極的に雇用すること(アファーマティブ・アクション)。また、男性が多い職種の賃金と女性の多い職種の賃金を比較して両職種が「同一価値労働」であれば同一賃金とする是正の方策がとられます。具体的な「職務」(ジョブ)を基準としているので、すっきり分かりやすいことが説明されます。


■日本メンバーシップ型社会

 ところが、日本の職能資格制度では、「属人的」な要素によって評価されて昇格が異なり、昇給も異なります。評価要素は、「能力」と「態度」です。具体的な職務実績評価も含まれますが、それよりは「潜在的な職務遂行能力」への評価が重視されます。その職務遂行能力とは、要するに、「無限定かつ無定量の労働」に忠誠心をもって従事できるかということなる。この点で家庭責任を負う女性は不利になります。

 賃金も具体的な職務との関係ではなく、女房子どもを養える生活給を基本として職能資格制度が発生・運用されてきたので、女房子どもを養う必要がない女性には不利に運用されます。

 実は、私も昔は「潜在的な職務遂行能力なんて、情意評価で恣意的で訳がわからん。ナンセンス!」と思っていました。が、今自分が56歳を過ぎると「人」(私の場合は弁護士)の評価って、長期的に見るべきであって、たまたま担当の仕事(裁判)がうまくいったかどうかよりも、仕事に対する姿勢や態度、コミュニケーション能力、何よりも人柄のほうがずっと重要だとつくづく思います。若手の「伸びしろ」はそこで見た方が確かですし、一緒に呑みにいけば呑み方でもわかるしね。メンバーシップ型の働き方や人の育て方に一定の合理性があることは否定できないと思うようになりました。


■「育休世代のジレンマ」

 育休制度が立法化されて、職場で二つのジレンマが見られるそうだ。

 一つは、、出産した女性労働者が、残業なしの限定された職域や職種に配置されるという「マミートラック」に固定されるというジレンマ。

 二つは、出産した女性労働者が定時で帰宅し、また子どもの都合で度々休まざるを得ないことから生じる負担をかぶる上司や社員の不満というジレンマです。


■「マミートラック」ではなく、「ノーマルトラック」へ


 そこで、著者の処方箋は、通常の労働者(=正社員)の働き方を、マミートラックのような働き方にしようというものです。職務や労働時間を限定にした限定型正社員を「通常の労働者」として、男女が子育てしながら働き続けるノーマルトラックをもうける。

 ところが、企業の中枢には「いつでもどこでもどんな仕事でも働かせることができるという究極の柔軟性を駆使することで世界の冠たる競争力を実現したという成功体験をもった人々」が多数をしめいており、強い抵抗感があるそうです。

 著者が<無限定正社員の男性並みに「活躍」するように女性を駆り立てるのはもう止めよう>と述べたところ、「総合職を減らして昔の一般職を増やそうというのか?」と批判を受けたそうです。

 著者は、昔の一般職とは補助的業務を前提とした女性用コースであり、これに対して、限定正社員とは男女共通の一定の限定がある制度だと反論します。これから過去の無限定正社員を維持することは不可能で、将来の別モデルを構想すべきだと述べます。


■感想:労働時間の限定こそが男女平等の基本であることは大賛成

 著者が「無限定な正社員の労働時間」が最大の問題であるとされる点について、全面的に賛成です。選別された男性正社員が無限定かつ無定量の長時間過密労働にさらされていることが最大の問題です。

■感想:ジョブ型社会じゃないとできないのでしょうか?

 しかし、労働時間の限定は、限定型社員でなければできないのでしょうか。

 労働時間の限定は、労働契約上の限定だけでは実現しないと思います。日本では新たに厳格な労働基準法の定め(例えば、残業を厳格に禁止して、例外も一日最長2時間のみとする)を立法化して、一斉に全事業に適用しないと「時短」は不可能でしょう。「労使自治」にまかせては、「時短」は絶対に進まない。

 厳格な労働時間規制をすれば、メンバーシップ型社会でも労働時間は大きく短縮され、男女とも利益を得るのではないか。(もっとも、これができないからみんな頭を悩ましているのでしょうが。)


 また、欧米型ジョブ型社会には、個人的にあこがれますが、強力な産別労働組合という対抗プレイヤーがいないと社会的に成立も機能もしないのではないか。日本が欧米のようなジョブ型社会に移行するには、社会意識の劇的変化(戦争や大不況をくぐらなければ変化しないのでは?)や教育制度・内容の変更、産別労働組合による職種毎の産別協約賃金の設定などない限り、実現不可能でしょう。仮に今すぐ社会的合意ができても、これから3世代はかかるでしょう。


■感想:海老原氏の提言が現実的ではないか

 私は、海老原嗣生さん(「日本で働くのは本当に損なのか」)が提言する「入り口は日本型メンバーシップ型のままで、35歳くらいからジョブ型に着地させるという雇用モデル」がもっとも共感できます。

 日本的なメンバーシップ型の働き方(チーム労働)の良さも維持でき、今の雇用の実態にあっているように思います。海老原氏の提言については過去のブログでふれました。


○読書日記「日本で働くのは本当にそんなのか-日本型キャリア VS 欧米型キャリア」海老原嗣生著 PHPビジネス新書

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/11/vs-f7cd.html  


 濱口さんは、この海老原さんのモデルについて、働き続ける女性がジョブ型に移行する歳(35歳頃)まで子どもが産めず、高齢出産になりかねないことが問題だと指摘します。

 しかし、現実には20代で子どもを産んで育休をとりながら働く女性も少なくないと思います。また、キャリアをきずいてから35歳以上の高齢出産をするのか、子育てではなくキャリアを優先させるのか、所詮は個々の女性の選択です。社会が介入すべき事柄ではないでしょう。

 なお、この著書には、ほかに「皇国勤労観と生活給」、「戦時体制がつくった日本型雇用」、「生活給とマル経」、「日本型雇用システム礼賛と男女平等」、「経団連的な同一価値労働同一賃金の原則」などの興味深い論点(ネタ)が記述されています。勉強になります。

 なお、同書の帯に、「上野千鶴子氏絶賛!」とあります。上野氏の「女たちのサバイバル作戦」(この作戦目標は「同一価値労働同一賃金原則の実現」、「日本型雇用システムの廃止」等)についての批評も昔ブログに書きました。本ブログと関係します。


○読書日記「女たちのサバイバル作戦」上野千鶴子著 文春新書

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/11/post-f079.html

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2015年12月 7日 (月)

無差別空爆・原爆投下と「二重結果の原理」

■加藤典洋著「戦後入門」

加藤典洋著の「戦後入門」(ちくま新書)を読みました。
新書版で635頁の大著です。

帯には「私たちよ、これでいいのか?-日本だけが、いまも戦後を追わせられない」と銘打たれています。
本書を単純化すると、「護憲的改憲論」「左折の改憲論」の提言です。でも、そんな単純化でない複雑な論理の進め方(プロセス)に共感するとことろが多い。

■アンスコムのトルーマンの原爆投下決定批判

ところで、本書で初めて、エリザベス・アンスコムという哲学者が、オックスフォード大学が米国大統領のトルーマン氏に名誉学位を授与することを反対したことを知りました。反対理由は、原爆投下という悪行を決定したからというのです。

そして、アンスコムの「原爆投下が悪行であり、道徳的に悪」という理由付けは絶対平和主義の立場からではありません。同書308頁に記載がありますが、これを要約すると。

  日本が既に講和を求める動きをしている状況下で、しかもそれを知りながら、何ら最後通牒や警告なく、2発の原子爆弾を投下した。果たして、この行為は正当化できるか。
 同じ人を殺す行為にも、殺害(Killing)と謀殺(Murder)が区別される。殺害は「単に人を殺す」ことだが、謀殺は「自分の目的を達する手段として罪のない人々を殺すこと」に区別される。
 謀殺は、最悪の悪行であり、単なる殺人よりも道徳的に罪深い。
 軍事施設を目標にした爆撃に民間人が巻き添えになるケースはどうか。たとえ統計的に確実だとしても、それは謀殺ではない。民間人への爆撃という結果自体は意図したものとはいえず、倫理学にいう「二重結果の原理(principle of double effects)」にあたる。
 罪のない人とは、「戦闘しておらず、戦闘しているものにその手段を供給うしていない人」のことである。明確である。
 トルーマン氏は、日本が講和を求めていることを知り、天皇の地位について条件を明示すればポツダム宣言を受諾することが予測できる地位にあった。一方、米国は、自らの国がそれなしには危機に瀕するというような「極限の状況」にはなかった。それなのに、なお軍事施設ではない都市を選び、原爆投下を命じた。それは謀殺にあたる。トルーマン氏は悪をなした。

■二重結果の原理と空爆

二重結果の原理、あるいは二重効果の原理は、倫理学上、都市への地域爆撃が許されるかどうかなどを考える原理だそうです。

上記のアンスコムの論述とジョン・ロールズが原爆投下と大都市無差別空爆の倫理的に非難したことについては、寺田俊郎教授の2010年の論文があり、これはWEB上ですぐに読めます。

「あるアメリカ人哲学者の原子爆弾投下批判」
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1006/1/prime31_109-118.pdf

■イラクへの米仏英露の空爆

テロ軍事施設等を狙っての空爆なのか、報復による無差別空爆なのか。
殺人なのか、謀殺なのか。

第二次世界大戦以来の延々と議論されてきたテーマなんですね。

「病気」(テロ)の原因を解明し、原因を解明して治療薬や治療法を開発する。
原因は解明されている(過激思想の背後にある貧困とか差別とか)が、それを解消する方法を実現する見通しはいまだない。

その場合でも、「病気」が進行している以上、効き目がありそうな対処療法(捜査や軍事力行使)を試みるしかない。しかし、副作用が激しいものは対処療法としても適切ではない。

理性的にバランスが維持されるのか、恐怖や怒りでバランスが壊れるのか。

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