野党「安保法案をあらゆる手段をもって成立を阻止する」-「民主主義の本質と価値」
■多数決支配が民主主義?
野党の国会での強行採決反対や議事妨害に対して、「安保法案は与党が多数議席を維持している以上、議会で採決するのは当然で民主主義の帰結である」という批判があります。
野党の国会での強行採決反対や議事妨害に対して、「安保法案は与党が多数議席を維持している以上、議会で採決するのは当然で民主主義の帰結である」という批判があります。
はたしてそうでしょうか。
■民主主義の本質と価値
つい最近、ハンス・ケルゼンの1929年の著作「民主主義の本質と価値」(長尾龍一・上田俊太郎共訳・岩波文庫)の新訳を読みました。学生時代に読んだ旧訳の表題は「デモクラシーの本質と価値」(西島芳二訳)。ハンス・ケルゼンは、ドイツのワイマール時代、マルクス主義やナチズムと対抗し活躍したリベラル派憲法学者です。
ケルゼンは、アウトクラシー(独裁主義)=(「プロレタリア独裁」と「ナチス独裁」)に対抗して、リベラルなデモクラシー(議会制民主主義)を擁護する論陣をはりました。曰く「デモクラシーの本質は、多数決主義ではなく、個人の権利と自由の尊重である」と。ファシズムはもちろん、マルクス主義的民主主義論を完全に論破しました。
今、この情勢の中で、この新訳を読んで学生のときにはあまり意識しなかった次の議会制度の論述が印象に残りました。今の日本の議会・政治状況に示唆を与えると思いました。
「議会制手続というものは、主張と反主張、議論と反論の弁証法的・対論的技術から成り立っており、それによって妥協をもたらすことを目標としているからである。ここにこそ、現実の民主主義の本来の意義がある。」
「議会制における多数決原理が政治的対立の妥協の原理であることは、議会慣行を一瞥するのみでも明らかである。対立する利害の中間線を引くこと、対立方向に向かっている社会力の合成力を作り出すこと、これこそが議会手続の全体が目指していることである。」
「こうして我々が議会手続を支配する多数決原理の本来の意味(「妥協の原理」の意味、引用者注)が理解するならば、議会主義においても最も困難で危険な問題の一つ、すなわぎ議事妨害の問題をも正しく判断することができる。議会手続を規律する諸規則、特に少数派に認められた権利は、少数派が議会の仕組みを議会の仕組みを一時的に麻痺されることにより、その意に沿わない決定がなされることを困難にし、さらに不可能とする可能性をもっている。… しかし議事妨害を多数決原理に反するものとして絶対的に否定することは、多数決原理を多数派支配と同一視しない限り不可能であり、その同一視は正当でない。」
「民主主義の特徴である多数者の支配の他の支配形態との相違は、それが反対者、すなわち少数者を概念上前提とするばかりでなく、反対者を政治的にも承認し、基本権・自由権・比例原則によって保護するところにある」
今週、展開されるであろう参議院での攻防は、議事妨害を含めた攻防になるでしょう。しかし、議会少数派の議事妨害を含む反対は、安部内閣の議会多数派支配の非妥協的な国会運営への批判であり正当なものでしょう。
■白鳥の歌
ケルゼンは、結局は、ナチスに追われて米国に亡命します。岩波文庫に1932年に書かれた「民主主義の擁護」が載っています。その最後の文章は次のようなもの。ワイマール憲法体制が終焉を迎える直前の「白鳥の歌」です。
民主主義救済のための独裁などを求めるべきではない。船が沈没しても、なおその旗への忠誠を保つべきである。「自由の理念は破壊不可能なものであり、それは深く沈めば沈むほど、やがていっそうの強い情熱をもって再生するであろう」という希望のみを胸に抱きつつ、海底に沈みゆくのである。
1932年から84年後の今、われわれは1946年日本国憲法体制の終焉の始まりを目にしているのかもしれません。
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