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2015年2月18日 (水)

「分離すれども平等」-人種差別のエートスと曾野綾子氏のコラム

■曾野綾子氏のコラム

曾野綾子氏は、安倍首相の私的諮問会議である「教育再生実行会議」の委員だったそうです。この方は、過去、自民党政府の下で「司法制度改革審議会」(!)などの委員も歴任されてきた、政府重用の「有識者」(!)です。

その曾野綾子氏が、産経新聞のコラムで、「労働力不足と移民」と題して、日本も移民を受け入れたほうが良いと述べた上で、次のように記述しています。

http://gohoo.org/15021801/

しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らなければならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎにきた人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。
(中略)
もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに別けて住む方がいい、と思うようになった。
 (中略)
爾来、私は言っている。
「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし、居住だけは別にしたほうがいい」

南アフリカ駐日大使は、産経新聞と曾野氏に対して、人種隔離政策である「アパルトヘイトを許容し美化した恥ずべき提案だ」として抗議をしています。 

これに対して、曾野氏は、「アパルトヘイト政策を日本で行うように提唱してなどいません。」「生活習慣の違う人間が一緒に住むことは難しい、という個人の経験を書いているだけです。」と反論しています。 

しかし、上記コラムを普通に読むと、曾野氏は、日本に移民を受け入れて介護等に従事させることを提言し、同時に移民には契約条件を厳重に守らせるべき、その条件とは、移民の居住区を人種ごとに別けることだと提唱しているとしか読めません。ですから、曾野氏の「反論」に説得力を感じません。 

■米国の人種差別訴訟判決

米国の人種差別撤廃闘争史の中で、有名な「ブラウン事件判決」という連邦最高裁判所の判決があります。 

この判決以前は、米国連邦最高裁判所は、州法によって公共施設や交通機関、トイレが白人用と黒人用に分離すること(人種分離)を義務付けていても両施設の品質が平等である限り、人種差別でなく憲法違反ではないと判断していました(1896年、プレッシー事件判決)。これが有名な「分離すれども平等」(Separate but equal)判決です。丁度、曾野氏の「差別でなく区別だ」という論法と同じです。 

しかし、その後、白人用の学校と黒人用の学校とに分けた教育委員会の措置をブラウン氏が憲法違反であると訴えた事件で、1954年、連邦最高裁判所(ウオーレン長官)が「分離すれども平等」の法理を否定して、「教育施設における人種分離」を憲法違反としたのです。これは公民権運動の画期的な勝利でした。

人種で分離するという発想自体が、人種差別の「エートス」に基づくものだと思います。ここで言う「エートス」とは、社会集団などの道徳的な慣習、ある社会の構成員の性格類型という意味です。曾野氏のようなエートスが、人種差別の温床だと言って良いように思います。

■曾野綾子氏を擁護する日本人が多いのに驚く

ところが、BLOGOS等のインターネット上の意見を見ると、曾野綾子氏のコラムを、人種差別ではないと擁護する日本人が多いのに驚かされます。 

そういう人たちは、アメリカやヨーロッパなどの外国に行ったとき、「日本人を含むアジア人は特定の区域に居住を制限する」と言われても、人種差別とは感じないのでしょうかねえ?そんなことを想像したこともないのでしょうか?

曾野綾子氏のコラムを人種差別ではないと主張する人の発想が、私には極めて不可解です。

 

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