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2015年1月16日 (金)

シャルリー・エブド過激派テロ事件と「風刺画」に思う

このテロ事件とそれに対する世界の反応を見ると、つくづく複雑な問題だと思う。ヨーロッパ的価値観とイスラムの価値観がまったく異なるから。

 イスラム過激派によるテロに反対することを大前提としても、「表現の自由も限界があり、宗教的権威(特にイスラム教)を配慮して冒涜的な表現は自己規制すべきだ」との立場が日本などでは有力のようだ。イスラム教が偶像崇拝を禁止していることを考慮すれば、尚更だろう。

  この考え方は、私も良く理解できる。

 が、そうなれば、風刺画で「キリスト」への批判や揶揄も許されないことになるのでしょうか。

また、日本では「天皇批判」も許されないことになるのだろうか。昔、「爾臣民麦を食え。余はたらふく食ってるぞ」というプラカードが不敬罪に問われた事件がありました。天皇に対して宗教的敬意をもっている人もいます。これは、彼・彼女らの信仰を冒涜するということになり許されないのでしょうか?勲章を授与された歌手が、これを茶化すパフォーマンスも冒涜にあたり許されないのでしょうか。

 もしそうであれば、北朝鮮の指導者である金氏を冒涜・揶揄する映画も許されないのでしょうか。かの国では国家の尊厳をあらわす指導者とされています(われわれがどう思うかどうかはともかく)。これを暗殺するテーマの映画は、風刺を超えて、テロを推奨するものではないのでしょうか。

  金氏と、キリストやムハマンドのような宗教的権威と一緒にするのは非常識ですか。

 金氏と天皇ならどうでしょうか。天皇とキリストでは?

その区別の基準はどこにあるのでしょうか?

フランスでは、カソリック批判を通じて、個人の自由を確立してきた革命以来の伝統と歴史もあります。ここで自粛をすれば、テロ犯の意図が実現することにもなりかねない、という意見も頭をよぎります。

極めて難しい問題です。結論はなかなか出ません。価値観が異なる共同体間で、合意できるルールはあるのでしょうか。

 大学のころに聞いた「表現の自由の神髄を表す」という格言(?)

「私は君の意見には反対だが、君の意見を言う権利は命をかけて守る」

 表現の内容には賛成しないが、これを権力が禁止したり、過激派が暴力で圧殺したりすることには反対する。自らが転載するかどうかは各自の判断にゆだねられる、という常識線に落ち着く。

 なお、私のこのブログでは、シャルリー・エブドの風刺画は引用する必要がないし適切でもないと考えて引用しません。

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