出生率の数値目標
■出生率の数値目標は非難されることなの?
「出生率1.8の数値目標を設定することは、女性の出産に関する自己決定権を侵害するおそれがあり、戦前の『産めよ殖せよ』に逆戻りする」という批判的記事を、朝日新聞が掲載しています。朝日らしいですね。
確かに、出産するかどうかは女性の自己決定権が尊重されるべきです。特に、欧米では宗教的理由で人工中絶が厳しく禁止されていたことから、日本以上に女性の権利拡大にとって重要な課題でした。ですから、生殖に関する女性の「自己決定権」が保障されることはまったく、そのとおりです。
しかし、日本では、今のままの出生率が続けば、人口が50年後に8000万人台に減少することは明らかです。労働力人口は今の半分になり、超高齢化社会になる。少しでも少子化のペースを落とす努力をするしかない。
少子化対策には、政府が出生率回復の数値目標をたててるべきでしょう。(もっとも、世界的な観点から見れば、世界人口爆発が問題なのですから、日本の少子化は歓迎すべきことかもしれません。でも、私は日本人なのでやはり考えざるを得ません)。
■「少子化対策」として合意できる施策
出生率回復には、次のような措置をとることは社会的に合意はできるでしょう。
1)男女共通の労働時間制限
2)雇用における女性差別是正措置の徹底
3)妊娠・出産・育児中の女性労働者保護
4)保育園等の増設や子供手当などの出産子育て支援制度の充実
もちろん、これを実施したからと言って、本当に出生率が増加するかどうかは分かりませんが。でも、やらないよりやったほうが良いということで、上記措置に反対する人はそういないでしょう。(財務省あたりは、金がない、外国人移民を受け入れたほうが安上がりで税も増収になると言うでしょうが。)
もとい「次世代の党」は反対しそうですね。でも、いまさら「女性は家庭にもどれ」などという政策はあり得ないでしょう。戦前のように、女性参政権を否定し、民法に「妻は無能力」と定めて家督相続を復活させれば、出生率が回復するのでしょうか。ジョークにもなりません。
■政策は財政措置
「政策」は、最終的に「財政」が投入されなければ、絵に描いた餅です。結局は、予算配分こそが政治の最重要課題です(あとは人事権)。
上記の出産・子育て支援施策に財政を投入するためには、出生率の数値目標設定が有効でしょう。出生率が回復するまで予算優遇措置が継続できるのです。これを閣議決定すれば、財務省の抵抗を排除できるでしょう。
朝日の記事に出ている学者は、「出産は個人の問題で、数値目標設定は女性に出産を押し付けることになる。政府は関与すべきでない」との趣旨を述べています。そうであれば、出産を援助するような措置自体も問題ということになるはずです。政府が「子供はいらないと思う人たち」から税金を徴収して「自己決定で子供を産み育てる人たち」に税金を余計にまわすこと自体がおかしい。あるいは、子供を産む人(女性)を優遇するのは、それを選択しない選択できない人(女性)の気持ちを傷つけるからおかしいなどということになるはずです。
しかし、人間が生物として存立し、かつ人間社会を成り立たせるためには、人間の再生産(労働力の再生産=生殖と子育て)が大前提です。
「出産・子育て」は、ミクロで見れば、確かに「個人の自己決定権」の問題ですが、マクロで見れば社会的な問題にほかなりません。ですから、「出産・子育て」は社会の共通課題であり、数値目標を設定して、「出産・子育て」を具体的に支援することは政府の当然の責務だと思います。
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