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2014年9月14日 (日)

朝日新聞の「吉田調書」の誤報について

■はじめに

Blogosという色々な人のブログを集めたHPあります。私がブログで書いたものも時々、転載されます。私のブログでも、いわゆる左右対立ものテーマ(「左翼と右翼の違い」、「日の丸強制」、「従軍慰安婦問題」とか)が転載されると、たくさんの反論(批判・非難)意見がつきます。

前回、朝日新聞の「吉田調書問題」に触れたら「朝日新聞を擁護する輩」と見られたようで、100くらい反論がありました。そこに、朝日の吉田調書誤報問題は「別途感想を書く」と書いたのでブログに書くことにします。

なお、寄せられた意見を読むと、あらためて一部のいわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人々にとって「朝日新聞」って特別な存在なんだ、と判りました。「叩ける朝日新聞」があって、「うれしさ百倍」という「多幸感」を示したり、「舌なめずり」しているという感じの高揚したコメントが多く、微笑ましく感じました。

■朝日新聞の「吉田調書」

朝日新聞が自ら検証しているように、「吉田所長の命令に違反して、福島第2原発に撤退した」という見出しは、完全にミスリーディングです。自分の都合の良いように事実をゆがめて伝えており、誤報として非難されるのは当然ですし、社長の謝罪も当然でしょう。池上氏のコラム掲載拒否のように不適切な報道姿勢です。

もっと微妙な評価の問題が絡むのかと思っていましたが、命令違反というのはムリなリードだと思います。

■報道と裁判との類似

報道は民事訴訟とにている面があります。民事訴訟では、「主張」と「立証」(証拠)は区別されますが、「主張」もできるだけ「証拠」を踏まえたものにするのが適切です。でも、えてして、当事者は、自分の求める主張を証明する「証拠」があると安易に飛びつきたくなります。弁護士も人の子。自分の要求(主張)に沿った証拠があるとチェックが甘くなりがちです。

その証拠を証拠構造全体の中での重要性を位置づけて、その信用性を慎重に吟味しなければならない。でも、自己に有利だと飛びつきたくなる誘惑は確かにあります。このあたりが人間の弱さです。どんな弁護士も、一つや二つは身に覚えがあると思います。

「ムリスジ」(無理スジ)の主張に固執してしまうんですね。

この誘惑は、原告か被告か、左翼か右翼か、リベラルか保守か、にかかわらず陥りがちな傾向です。しかし、甘い主張立証をすれば、法廷では結局、敗訴という痛い目にあいます。

だから、それを自らチェックするのが「プロ」です。当事者的な要求とは別に、それを客観的に見るもう一人の自分を保持しなければなりません。これがプロフェッションです。重要な事件では複数の弁護士の目で検討するのが必要不可欠です。

何故「朝日新聞」は判断を誤ったのでしょう?

■朝日新聞の「誤報」の動機?

朝日新聞が「吉田調書」を読んで「命令違反で撤退」という誤った報道をしてしまったのか。動機を考えてみます。

① 「東電」批判がジャーナリズムの使命と考えた。

② 吉田調書という非公開資料を入手したので、その成果を最大限アピールするには、従来指摘されていなかった新たな事実でアピールしたかった(特ダネ狙い)。

③ そのために、リードを「センセーショナル」なものにしたかった。

こんなところでしょうか。

なお、一部には、朝日新聞は「日本人を貶めるのが朝日新聞の狙いである」という非難をする人たちがいます。しかし、この非難は合理的な批判とは思えない。だって、そんなことをしても、朝日新聞は何も利益を得ない。そんな編集方針では、新聞購読者も減り広告も減って営業上マイナスであり、企業として合理的な行動とはいえない。一般通常人の見地から見れば、このよう「反日」という動機はあり得ないと考えるの通常でしょう。

■朝日新聞の「脇」の甘さ

上記動機の①は、ジャーナリズムの在り方として問題はないでしょう。もちろん、「読売」や「産経」のように「原発維持・推進」という立場があって良いが、①のような朝日新聞の立場があっても問題ない。多元的な言論の存在こそ、「表現の自由」の神髄なのですから。

問題は②と③です。

前に述べたとおり、人間は、自分の求める主張や意見に沿った「証拠」があると飛びつきたくなるものです。しかし、それが「危うい誘惑」であるということは経験あるジャーナリストであれば、「朝日」であろうと、「読売」であろうと、「産経」であろうと、記者や編集者は当然に知っていることでしょう。

それでも誤報をするのは、「自分の主張を正当化したい」、「特ダネをとりたい」という欲望に目を曇らされるからです。脇が甘いということです。

ひょっとしたら、朝日新聞の記者とデスクは、「どうせ吉田調書は公開されない」と考えて反論されないと甘く見たのでしょうか。

■「物事の単純化」ないし「受け狙い」の落とし穴

「吉田調書」を読むと、東京電力の大きな落ち度が多々明らかにされています。津波が13メートルを超える可能性があることを事前に社内で報告されていたこと、事故当時にICが稼働していると思い込んだこと、全電源喪失を全く想定していなかったことなどなど。朝日新聞は折角、入手した吉田調書を分析して、この点を判りやすく解説すれば良いのに、そういう報道をしなかった。何故でしょう。

想像するに、読者が判りやすく、受けが良く、ショッキングな「命令違反の撤退」というリードをつけるたのではないか。要するに、「物事の単純化」による「受け狙い」だったのではないか。

■朝日新聞「敗北」の持つ意味

今回の誤報問題で、朝日の「リベラル」の看板が傷ついたことは間違いない。もともと矜持を欠いた新聞社は少々の誤報を意に介さないでしょうが、リベラルを自称していた新聞社のほうが、この手の「曲解」「歪曲」の誤報によるダメージは大きい。

読者数百万の新聞社で、曲がりなりにも日本国憲法の立憲主義を擁護してきた朝日新聞の「誤報」は、日本国憲法の改正を目指す「読売」や「産経」が飛躍する契機になるのでしょうか。

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