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2014年9月25日 (木)

「リベラル側の一致点はどこか」-ヘイトスピーチ禁止法についての補足

■ヘイトスピーチ禁止法の補足

ヘイトスピーチについての私のブログに対する批判的コメントの多くが、私の意図した趣旨を誤解しているように感じました。

私がいつものように「あーだ、こーだ」と書いて、何を言いたいのか判りにくい文章のせいなのでしょう。でも、この問題は、単純な二元論で結論を出すべきではないという気持ちもあります。

ヘイトスピーチに関しての私の意見(ブログ)の骨子は以下のとおり。

①「ヘイトスピーチ」とは、人種・民族差別による暴力・差別・蔑視を扇動する表現を意味する。人種差別的ではない批判・非難などは、これに含まれない。(* 「国連自由権規約20条2項」や「人種差別撤廃国際条約1条1項、4条」)

②日本は、人種差別的ヘイトスピーチの規制を求める「国連自由権規約」や「人種差別撤廃国際条約」を批准しているから、政府は、これへの対策をすべき条約上の義務を負っている。(*日本政府は「表現の自由を尊重する」という留保条件をつけているが、対策をせず放置することは許されない)。

③人種差別的ヘイトスピーチを禁止・処罰する法律は、適切な立法であれば、理論的には合憲となる。

④しかし、安倍政権の下では、適切な立法がなされない危険性が高く、広く「表現の自由」を侵害する弾圧立法となる公算が強い。

⑤したがって、現時点でのヘイトスピーチ処罰法には消極・反対する。

⑥刑罰規制ではなく、ヘイトスピーチに対する行政救済制度を設けることを提案する。具体的には、法務省の部局に、差別者に対して警告を行う措置や、裁判所に対して差別行為の差止め等を訴訟を提起する権限を認める。

⑦また、捜査当局は、現行法の威力業務妨害罪などを活用して人種差別的ヘイトスピーチを厳格に取り締まるべき。

多くの「右の方」のコメントは、①や⑤をほぼ無視して、主に②、③、⑥について批判する。

もっと判りやすく乱暴に要約すると私の趣旨は次のとおり。

(1)ヘイトスピーチ処罰立法には反対する。

(2)ただし、ヘイトスピーチを規制する必要はあるので、人種差別的ヘイトスピーチ是正の新たな行政救済制度を設ける。この行政救済機関(人権擁護局とか、人種差別撤廃委員会とか)は、差罰者に対して差別行為であることを警告・差止めを求めることができる。これに従わない場合には、この機関に差別者に対する差し止め訴訟を提訴する権限を付与する。最終的には、裁判所が、司法の場で差別行為の有無や差し止めの可否を判断する。

(2)を書いたのは、ヘイトスピーチに対するリベラル派の意見が分裂しているように感じたからです。

■リベラル側の一致点はどこか

リベラルな陣営が、ヘイトスピーチ禁止・処罰法について賛否が分裂していることが気になります。

○反対派:ヘイトスピーチとはいえ、表現の内容的規制は一切反対すべきだ。

○賛成派:ヘイトスピーチを禁止し、処罰する法律を整備すべきだ。

反対派については、ヘイトスピーチ規制そのものに反対するというだけでは現情勢では国民の共感を得ないのではないか。それでは、これを機会に表現の自由規制立法をつくろうとする安倍内閣や治安機関の思惑には対抗できないように思います。しかも、在特会など人種差別主義者グループは、これに反対するでしょうから、「反対」という結論が同じになってしまい政治的な対立構図として判りにくくなる。

賛成派については、この規制が新たな治安立法や弾圧立法になる危険性に、余りに無頓着ではないか。

そこで、リベラル陣営が広く一致する「政策」をつくることが求められているように思います。私のような「行政救済機関(人種差別撤廃委員会)の設置」とか、「ヘイトスピーチ禁止基本法」の制定とか、いろいろ検討して、一致した政策を模索すべきだと思います。

誰か、そのような政策をつくって欲しいと思います。こういうのをつくれるのは、センスある学者でしょうね。

弁護士会とか弁護士団体とかは、なかなか意見がまとまらず、無理でしょう。私のような(2)の意見を言うような弁護士は、仲間からも多くの批判を受けることになりがちです。

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2014年9月23日 (火)

ヘイトスピーチ禁止法について

■人種差別的ヘイトスピーチ

国立市議会が、ヘイトスピーチを禁止する法整備を求める意見書を採択しました。
http://www.asahi.com/articles/ASG9Q5K82G9QUTIL02J.html

ヘイトスピーチは、「憎悪言論」とか「憎悪表現」と翻訳されるが、これは必ずしも適切な訳語ではない。

正確には、「人種差別的ヘイトスピーチ」とか、「人種・民族差別的な憎悪・暴力扇動行為」という用語のほうが適切であると思います。

国連自由権規約では、次のように定義されています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2c_004.html

第20条2項
 差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する。

人種差別撤廃国際条約では、もっと詳細に次のように定められています。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/conv_j.html

第1条1項
 この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。

第4条

(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

つまり単なる「憎悪」表現は「ヘイトスピーチ」にはなりません。あくまで「人種差別的ヘイトスピーチ」が規制対象なのです。

ですから、「安倍首相はファシストだ。安部政権を打倒せよ」という表現は、あくまで政府や為政者への政治的批判ですから、「ヘイトスピーチ」にはなりません


「アメリカ帝国主義は出て行け!」とか「大国主義・覇権主義の中国を打倒せよ!」とか、「軍国日本の復活を断固阻止!」と叫んでも、自国や外国の政府批判ですから、人種差別的ではなく「ヘイトスピーチ」にはあたりません。

しかし、「日本人はファシストだ。たたきのめせ」というのは、日本人に対する差別や敵意の扇動になり、国民的・人種的な憎悪の唱道になるでしょう。したがって、「韓国人はゴキブリだ。日本からたたき出せ」などと述べることは、当然、典型的な人種差別的ヘイトスピーチに該当します。

在特会が韓国・朝鮮人に対して「虐殺を実行する」とか「殺せ」とか、「ガス室に送り込め」などと公然と叫ぶことは、国連自由権規約や人種差別撤廃条約が禁止を求める「人種差別的ヘイトスピーチ」にほかなりません。

■「人種差別的ヘイトスピーチ」禁止・処罰法は理論的には合憲

人種差別的ヘイトスピーチを禁止するのは、日本政府の国際的な義務となっています。日本国憲法が「表現の自由」を保障していますが、「名誉毀損」が一定の要件の下で犯罪として処罰されるように、上記の「人種差別的ヘイトスピーチ」を処罰することは、適切な立法を
行うのであれば、合憲となると私は思います。

「人種差別的ヘイトスピーチ」が禁止が合憲となる根拠は、「公益ないし公の秩序」に反するからではなく、「他者の人権を侵害するもの」だから、表現の自由の「内在的制約」を根拠(公共の福祉)に、その規制も合憲とされるのです。

■安倍内閣にヘイトスピーチ禁止の法整備をまかせる怖さ

理論的には、「人種差別的ヘイトスピーチ」を法律で禁止をして、適切な要件のもとで処罰することは合憲です。しかし、問題は、濫用されない適切な「人種差別的ヘイトスピーチ禁止法」を、今の安倍内閣で立法することが可能かどうかです。

安倍首相や自民党が、日本国憲法の立憲主義や人権尊重の原則を軽視していることは、彼らのつくった「自民党日本国憲法改正草案」を読めばわかります。この自民党改正案では、「公益ないし公の秩序」によって基本的人権を制約しようとしており、この一点を見ても、安倍自民党内閣の危険性は明らかです。

この自民党・安倍内閣が「ヘイトスピーチ禁止法」をつくると、「人種差別的ヘイトスピーチ」ではなく、日本政府や外国政府に対する正当な批判言論に対する規制法を制定する危険が極めて高い。現に、自民党の高市早苗衆議院議員らは、国会前の反原発デモやパレードを禁止することを検討しようとしました。批判を受けて撤回したようですが、これが自民党の本音なのでしょう。


安倍内閣に、ヘイトスピーチ規制法をつくらせるのは、いわば「盗人に自宅の警報装置を設計させる」ような不安を覚えます。

ヘイトスピーチ禁止法は、理論的には賛成だが、現政権の下では、「表現抑圧・弾圧法」になる危険性が高く、今、ヘイトスピーチ規制立法推進に積極的になれないというのが正直な私の危惧です。

では何もしないくて良いのか。そうではありません。

■人種差別是正の行政救済制度

そこで、刑罰規制ではなく、法務省の人権擁護局の権限を強化して、人種差別行為に対して、人権擁護局が摘発・警告できるようにし、差別者が是正しない場合には、これを差し止
める行政救済措置を立法化するのはどうであろうか。

実効性確保のため、人権擁護局が被差別者に代わって、裁判所に差し止め訴訟を提起できるようにしたら良い。こうすれば、弾圧立法となる危険性は低くなる。

■今ある法律で規制を強化できないのか

朝鮮人学校や大久保などの韓国の商店街の密集地点で、「韓国人を殺せ」「ガス室に入れろ」などと多人数で大音量で叫びながら集団行動で練り歩くことは、威力業務妨害に該当し、捜査当局が立件することが可能だと思います。

現時点では捜査当局は、特定の具体的な被害者に向けた行為ではないとして、刑事事件として立件できないと言っているようですが、少なくとも朝鮮学校に対する行為は、威力業務妨害に十分に該当すると思います。既に、京都の場合には立件されて有罪となっていると思います。

そうであれば大久保などの周辺の行動も、威力業務妨害になると思うのです。もっと積極的に摘発、処罰すべき事案でしょう。人種差別撤廃条約は日本国は批准しているのですから。

今の捜査当局は、高校の卒業式の開始直前に「君が代」斉唱の際に起立しないように呼びかけた元高校教師を威力業務妨害罪で起訴し、有罪にしました。また、マンションや集合住宅の中での反原発や政府批判のチラシをまくと住居侵入罪を適用して逮捕・起訴しています。

■捜査当局への不信

このような行為を摘発し起訴しておきながら、上記のような人種差別的かつ暴力煽動的な脅迫行為を、威力営業妨害で摘発に消極的な捜査当局の判断は理解に苦しみます。

捜査当局は、結局、政府・自民党に近い立場にある「ヘイトスピーチをする側」を支持し、彼ら・彼女らに甘い、と思われても仕方がないでしょうね。

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2014年9月15日 (月)

2014年司法試験と予備試験の結果。そして、ロースクール制度改革案

■最終合格点と合格者人数

2014年の司法試験合格者が、1810人(合格最低点770点)

2013年の司法試験合格者は、2049人(合格最低点780点)

合格点を昨年よりも下げているのに合格者が減少している。司法試験委員会が意図的に合格者を減らしたわけではないようにも思えます。もし、意図的に減らすのであれば、去年と同じ合格点(780点)にすれば、成績が悪いという理由でもっと減らせたのですから。試験の出来が去年に比べても全体的に良くなかったということなのでしょう。

もっとも、合格点を760点や765点にすれば合格者はもっと増えたのに、そうしなかったという点で意図的でもあります。去年が780点で、今年が760点台ってちょっとおかしい。なお、合格点は各科目ごとに偏差値とされて総合点が作成されるので、去年と比較してもおかくしはない。

■予備試験の合格者

●2014年司法試験
 予備試験組の最終合格者は、163人。(合格者全体の9%)
 予備試験組の最終合格者のうちわけ
  法科大学院在学生・修了者・中退者の合計は、83人(50.9%)
  大学在学生は、47人(28.8%)
  両方あわせると8割になる。


●2013年司法試験
 予備試験組の最終合格者は、120人。(合格者全体の5.8%)
 予備試験組の最終合格者のうちわけ
 法科大学院在学生・修了者・中退者の合計は、46人(33.3%)
 大学在学生は、41人(34.1%)
 両方併せると7割弱となる。

■予備試験組の合格者の特徴

合格した大学生のほとんどは、法学部在学生でしょう。法科大学院在学中の合格者が33人から72人と倍増しています。

つまり、予備試験は、導入当時、危惧されたとおり、法学部在学中の優秀な学生と法科大学院の優秀な院生が早期合格する道となっています。

予備試験の問題は、旧司法試験のようなものです。予備試験は1万1000人~1万2000人が受験をして、予備試験の合格率は2~3%くらい。

これを合格する人たちなので、試験強者で優秀なのでしょう。だから、最終合格する合格率が60%を超えるわけです。2014年には予備試験組最終合格者の5割が法科大学院生、3割が大学在学生(法学部)です。

■予備試験の趣旨からみると

予備試験の趣旨は、「法科大学院に進学する資力のない学生・社会人を法曹にむかえるルート」とするのが共通認識だったと思います。法科大学院生が予備試験を受験するのは、この趣旨と合致しません。

とにもかくにも法科大学院に入学できた者が、法科大学院に進学できない学生や社会人の法曹になる道を狭めてしまっています。

そうなると予備試験の受験資格を制限する(法科大学院生は受験資格なし)こともあり得る。

しかしながら、今の法科大学院は、多額の学費を学生に負担させ、かつ奨学金制度も不十分であり、また、司法修習も貸与制という多額の負担を予定していることから考えると、法科大学院生が経済的な理由から予備試験を目指すのはやむを得ない面がある。

したがって、経済的負担の軽減策を実現しないまま、予備試験の受験資格を制限することは、法科大学院生に二重の不利益(学費負担と予備試験受験資格なし)を与えることになり、適切ではないように思う。

なかなか難しい問題だ。私も結論がでない。

なお、予備試験が隆盛だからといって、法科大学院廃止・旧司法試験に戻せとの意見には賛成できません。その理由を昨年、書きました。法曹増員(激増)問題とロースクールは確かに関連はするが、両者はわけて議論したほうが良い。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2013/09/2013-97cd.html

■法科大学院制度の改革案?

もう4、5年ほど前ですが、庭山正一郎弁護士(二弁元会長・日弁連元副会長)から、彼の「ロースクール改革」案を聞いたことがあります。

・ロースクールを、大学4年修了後に入学するものではなく、大学の教養課程(2年)を終えてからロースクールに入学できるような制度にする。
・つまり、大学に法学部と並列して、ロースクール(3年課程)を設ける。
・そして、このロースクールを修了すれば、司法試験が受験できる。
・法曹養成は、大学教養課程(2年)とロースクール課程(3年)の5年と、司法研修所1年の6年となる。
・大学を卒業してから、ロースクールに入学しても良い。

法学部生は2年生のとき、ロースクールに進学するか、法学部の専門課程に進学するのかを決めることになる。法学部を選択すれば、会社員や公務員の就職が主な進路となります。

ロースクール入学には、厳格な試験があり、自校の法学部学生を優遇してはならない。
もちろん、他の大学からもロースクール入学試験を認めるようにする。

こうすれば、ロースクール進学しても、4年制大学より1年長くなるだけで、学生の経済的負担もそれほど大きくはない。

また、ロースクール終了後、不幸にも司法試験を合格できなくとも、まだ若いので再就職の道は拡がる。

それでも、力試しに予備試験を受けるロースクール生もいるだろうが、人数は減るのではないでしょうか。減らなければ、そのときは受験資格制限も課題となろう。

なかなか良いアイデアはないかと思います。実現可能性は ほとんどないでしょうが。

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2014年9月14日 (日)

朝日新聞の「吉田調書」の誤報について

■はじめに

Blogosという色々な人のブログを集めたHPあります。私がブログで書いたものも時々、転載されます。私のブログでも、いわゆる左右対立ものテーマ(「左翼と右翼の違い」、「日の丸強制」、「従軍慰安婦問題」とか)が転載されると、たくさんの反論(批判・非難)意見がつきます。

前回、朝日新聞の「吉田調書問題」に触れたら「朝日新聞を擁護する輩」と見られたようで、100くらい反論がありました。そこに、朝日の吉田調書誤報問題は「別途感想を書く」と書いたのでブログに書くことにします。

なお、寄せられた意見を読むと、あらためて一部のいわゆる「ネトウヨ」と呼ばれる人々にとって「朝日新聞」って特別な存在なんだ、と判りました。「叩ける朝日新聞」があって、「うれしさ百倍」という「多幸感」を示したり、「舌なめずり」しているという感じの高揚したコメントが多く、微笑ましく感じました。

■朝日新聞の「吉田調書」

朝日新聞が自ら検証しているように、「吉田所長の命令に違反して、福島第2原発に撤退した」という見出しは、完全にミスリーディングです。自分の都合の良いように事実をゆがめて伝えており、誤報として非難されるのは当然ですし、社長の謝罪も当然でしょう。池上氏のコラム掲載拒否のように不適切な報道姿勢です。

もっと微妙な評価の問題が絡むのかと思っていましたが、命令違反というのはムリなリードだと思います。

■報道と裁判との類似

報道は民事訴訟とにている面があります。民事訴訟では、「主張」と「立証」(証拠)は区別されますが、「主張」もできるだけ「証拠」を踏まえたものにするのが適切です。でも、えてして、当事者は、自分の求める主張を証明する「証拠」があると安易に飛びつきたくなります。弁護士も人の子。自分の要求(主張)に沿った証拠があるとチェックが甘くなりがちです。

その証拠を証拠構造全体の中での重要性を位置づけて、その信用性を慎重に吟味しなければならない。でも、自己に有利だと飛びつきたくなる誘惑は確かにあります。このあたりが人間の弱さです。どんな弁護士も、一つや二つは身に覚えがあると思います。

「ムリスジ」(無理スジ)の主張に固執してしまうんですね。

この誘惑は、原告か被告か、左翼か右翼か、リベラルか保守か、にかかわらず陥りがちな傾向です。しかし、甘い主張立証をすれば、法廷では結局、敗訴という痛い目にあいます。

だから、それを自らチェックするのが「プロ」です。当事者的な要求とは別に、それを客観的に見るもう一人の自分を保持しなければなりません。これがプロフェッションです。重要な事件では複数の弁護士の目で検討するのが必要不可欠です。

何故「朝日新聞」は判断を誤ったのでしょう?

■朝日新聞の「誤報」の動機?

朝日新聞が「吉田調書」を読んで「命令違反で撤退」という誤った報道をしてしまったのか。動機を考えてみます。

① 「東電」批判がジャーナリズムの使命と考えた。

② 吉田調書という非公開資料を入手したので、その成果を最大限アピールするには、従来指摘されていなかった新たな事実でアピールしたかった(特ダネ狙い)。

③ そのために、リードを「センセーショナル」なものにしたかった。

こんなところでしょうか。

なお、一部には、朝日新聞は「日本人を貶めるのが朝日新聞の狙いである」という非難をする人たちがいます。しかし、この非難は合理的な批判とは思えない。だって、そんなことをしても、朝日新聞は何も利益を得ない。そんな編集方針では、新聞購読者も減り広告も減って営業上マイナスであり、企業として合理的な行動とはいえない。一般通常人の見地から見れば、このよう「反日」という動機はあり得ないと考えるの通常でしょう。

■朝日新聞の「脇」の甘さ

上記動機の①は、ジャーナリズムの在り方として問題はないでしょう。もちろん、「読売」や「産経」のように「原発維持・推進」という立場があって良いが、①のような朝日新聞の立場があっても問題ない。多元的な言論の存在こそ、「表現の自由」の神髄なのですから。

問題は②と③です。

前に述べたとおり、人間は、自分の求める主張や意見に沿った「証拠」があると飛びつきたくなるものです。しかし、それが「危うい誘惑」であるということは経験あるジャーナリストであれば、「朝日」であろうと、「読売」であろうと、「産経」であろうと、記者や編集者は当然に知っていることでしょう。

それでも誤報をするのは、「自分の主張を正当化したい」、「特ダネをとりたい」という欲望に目を曇らされるからです。脇が甘いということです。

ひょっとしたら、朝日新聞の記者とデスクは、「どうせ吉田調書は公開されない」と考えて反論されないと甘く見たのでしょうか。

■「物事の単純化」ないし「受け狙い」の落とし穴

「吉田調書」を読むと、東京電力の大きな落ち度が多々明らかにされています。津波が13メートルを超える可能性があることを事前に社内で報告されていたこと、事故当時にICが稼働していると思い込んだこと、全電源喪失を全く想定していなかったことなどなど。朝日新聞は折角、入手した吉田調書を分析して、この点を判りやすく解説すれば良いのに、そういう報道をしなかった。何故でしょう。

想像するに、読者が判りやすく、受けが良く、ショッキングな「命令違反の撤退」というリードをつけるたのではないか。要するに、「物事の単純化」による「受け狙い」だったのではないか。

■朝日新聞「敗北」の持つ意味

今回の誤報問題で、朝日の「リベラル」の看板が傷ついたことは間違いない。もともと矜持を欠いた新聞社は少々の誤報を意に介さないでしょうが、リベラルを自称していた新聞社のほうが、この手の「曲解」「歪曲」の誤報によるダメージは大きい。

読者数百万の新聞社で、曲がりなりにも日本国憲法の立憲主義を擁護してきた朝日新聞の「誤報」は、日本国憲法の改正を目指す「読売」や「産経」が飛躍する契機になるのでしょうか。

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2014年9月12日 (金)

「吉田調書」要旨を読んで感じたこと

今朝の東京新聞で福島第一原子力発電所前所長の亡き吉田氏の調書の要旨版を読みました。

朝日新聞の撤退報道の誤報・謝罪が注目されているが、吉田調書の重大な点は、撤退のことではないと思う。朝日新聞の「誤報」にフォーカスするのは「木を見て森をみない」ことになると感じる。朝日の「誤報」は誤報として問題なのだが、これについては、別途感想を書きたい。

吉田調書の要旨をざっと読んで気になった点(電車の中で読んだだけなので、誤解があるかもしれないが)

・緊急冷却装置ICが作動していないのに作動したと誤認したこと
・その訓練やベントの訓練もしていなかったこと。
・ディーゼル緊急発電機が動かないことを想定していなかったこと
・格納容器の爆発を心配しながら原子炉建屋に水素がたまり水素爆発をすることは全く気がついていなかったこと。
・13メートル級の津波の危険性があることを社内報告を受けて社長にも報告していたのにあり得ないと考え、費用も高額になることから対策をとらなかったこと・
・これを後から批判するのは単なる結果論と反発していること。

もちろん吉田所長が個人で全て対応できることではない。東電の組織的・構造的な重大な過失がもたらした結果だ。

ただ、亡き吉田所長らが現場で必死に頑張ったことや同人が亡くなったということで、吉田所長や現場で働いた人たちを「英雄視」をしてしまってはマズイのではないか。朝日の誤報問題でも、そのような感情が非難する人たちの心情がひそんでいるような気がする。


現場担当者を含めて東電の組織的かつ構造的な落ち度に対する批判を忘れてしまっては、本末転倒だと思う。


先の大戦で「神風特攻隊」の若者の献身と勇気を讃えて、この「外道」な戦術を立案し実行した海軍・陸軍の中枢への批判を控えることと同じ過ちをおかしているように思う。

客観的な事実や結果を尊重せず、行為者の誠意とか熱意とかの「心情」を重視する「日本人的心性」が問題のように思う。


発表された吉田調書全体を良く読み、また国会などの事故調査委員会の報告書と対比してみたい。

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