« 読書日記「ノモンハン1939」スチュアート・D・ゴールドマン著・山岡由美訳 | トップページ | 解雇の金銭解決の「日経」記事について »

2014年8月19日 (火)

「悪いのは僕だけじゃない」 終戦の日に思ったこと

■終戦の日に思ったこと-自分の国が美しかったらいいよね。

インターネット上では、日本の中国戦争や太平洋戦争(第2次世界大戦)に関する様々な事件について、日本の正当性を主張する風潮が強まっている。「侵略戦争」という認識自体を「東京裁判史観」として否定する人もいます(戦後レジームの否定)。

従軍慰安婦問題については、「日本軍が一般女性を強制的に連行して慰安婦にしたという事実はないし、証拠もない。」と言う否定派が勢いづいています。朝日新聞が「日本軍の強制連行があった」と述べた吉田清治証言について誤りを認めたためです。

誰しも自分の国が過去に悪行をしたことを認めるのには抵抗があります。また、それを外国から責められると不快になります。私も、できれば、「日本人は清廉潔白で真面目な民族。日本は美しい。」と思いたいし、他人からそう言われれば良い気落ちになります。

しかし、だからといって、過去の悪行を客観的に直視せず、都合の悪い事実を否定することは、かえって自国の名誉を貶めることになります。また、外から見ると、それは一種の幼児的行いであり、滑稽にすら見えるでしょう。

高木惣吉海軍少将(終戦時の内閣副書記次長。今で言えば官房副長官)が、戦後次のように書いているそうです。

われわれ日本民族の毀誉さまざまな過去も、目を閉じて甘い感傷に耽るよりも、勇敢にその真実を省み批判することが今後の再建、歴的価値創造に役立つものと考えられるものであります。

■従軍慰安婦問題

慰安婦問題を否定する人々は、「現代的価値観では慰安所や慰安婦はもちろん悪だが、当時は売春は当たり前で、単なる商取引であった。他国の軍隊も売春制度を利用していたのであるから日本だけが責められるのは不当だ。」と主張しています。

彼ら・彼女ら否定派は、「日本軍が売春業者に委託して、日本軍用の慰安所を作らせ、慰安婦を集めさせて日本兵に提供させていた措置」自体は認めるようですが、「当時は公認されていた売春(公娼制度)の利用であって何ら問題はない」ということのようです。

しかし、この日本軍の「措置」自体が問題とされているのです。日本軍が直接的に女性を強制連行して慰安婦にしたかどうかだけが問題ではありません。

娼婦となる女性の多くは経済的に困窮するなどして、やむを得ず娼婦になった人です。日本でも、戦前、東北農村の若い娘が「身売り」されたという悲劇が広くありました。当時でも、「苦界に沈む」という言葉があったように、公娼宿や娼婦宿が道徳的に悪いこととされていたのではないでしょうか。

朝鮮や中国の場合、日本軍支配下の貧困や差別を考えれば、より過酷な状況にあったことは明らかでしょう。業者が困窮や無知につけ込むなども含めて不当な手段で女性を集めたことは想像に難くありません。「娼婦として働く契約」が「自由意思による契約」であるわけがありません。社会的に弱い立場の女性が、やむなく受諾させられたのです。

このように集められた朝鮮や中国などの女性を、日本軍は軍用の慰安所に確保して軍人の性欲処理のために「活用」していたわけです。

しかも、彼女たちは戦地近くまで連れて行かれ、1日数十人の兵隊を相手にさせられた。性行為を拒否することはできないし、また慰安所から脱出することもできないことは明らかです。この事態は「奴隷的拘束」にほかならないでしょう。報酬を受けていたからと言って、奴隷的拘束であること自体はかわりません。

このあたりの事実は、慰安婦問題が政治問題化する以前の1950年代の戦争映画(従軍経験のある監督たちがつくった「人間の條件」「兵隊やくざ」「独立愚連隊」等々)、水木しげる氏の体験に基づく戦争漫画で描かれています。

否定派の人たちが、「慰安婦は売春婦であり当時においては適法だった、」「他の外国軍隊も売春制度を利用していた」と声高に主張しても他者に共感されることはなく、かえって日本の名誉を傷つけ、戦前のように日本の国際的孤立を深めるだけです。否定派は、細かな枝葉末節の事実に拘泥して、大局的な判断をしようとしていないように思います(木を見て森を見ず)。

ちなみに、スマラン事件というオランダ人女性を日本軍が慰安婦にした強制売春事件があります。バタビア軍事裁判所で日本軍将校が有罪判決を受けています。否定派はこの軍事裁判さえ、復讐裁判だとか判決資料が公開されていないからとか言って認めようとしません。

結局、否定派の言い分は、「僕だけが悪いんじゃない」という子どものいいわけにしか聞こえないのです。

来年は日本敗戦70周年です。

日本の名誉を回復するためには、河野談話を再確認し、従軍慰安婦への謝罪の意思は変わらないこと、今後世界で戦時の性暴力の惨事が繰り返されないよう最大の努力をすることを表明するしかないと思います。

【追記】

この立場を明らかにして、初めて、他国(米国であろうと、韓国でろうと、どの国であろうと)の「戦時性暴力」を批判する道徳的な「資格」を日本は持つことが出来るのです。同じように、日本の侵略戦争の責任を認めて、はじめて米国の無差別空襲や原発投下に対して非難する資格を持つのです。

|
|

« 読書日記「ノモンハン1939」スチュアート・D・ゴールドマン著・山岡由美訳 | トップページ | 解雇の金銭解決の「日経」記事について »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

水口様。
中国は日本軍支配下でしたが、朝鮮は日本軍支配下ではありません。戦場ではなく、平時の日本領土でした。

中国やジャワ島は日本軍支配下(占領地)ですから、軍人に拠る暴発的性暴行事件が起きていました。
しかし朝鮮は警察により治安が保たれている平時の日本国内です。軍人が占領している外国ではありません。

朝鮮と、中国・ジャワは全く違う場所であるという事を知って欲しいです。

投稿: 山本 | 2014年8月19日 (火) 06時03分

朝鮮総督は、昭和になってからは、現役陸海軍大将だったと思います。実質的には、日本軍が取り仕切っていた。満州帝国と同じだと思っています。

投稿: 水口 | 2014年8月19日 (火) 14時31分

それを言ったら日本は元首がずっと大元帥でしたよね。
軍部大臣現役武官制もあり総理も多く陸海軍出身。
実際、「日本軍が取り仕切っていた」という具体例を教えてもらえますか?

投稿: 山本 | 2014年8月20日 (水) 03時09分

最近この問題について、何が事実で何が嘘か、そして問題の本質は何かがわからなくなってきていたので、丁寧な整理により全体像がようやく整理できてきたことに感謝を申し上げます。

ところで、慰安婦の問題に関して疑問でならないのは、日韓基本条約をはじめとする国際条約により手打ちになっているという説明がある点です。それを是とすれば、一連の韓国側の行動は条約違反ではないかと考えられるのですが、どのような理解をなさっておいでですか。何分、そのような訓練を受けておらず、解釈をめぐる問題には不慣れであります。ご多忙を極める中の身勝手なお願いであり恐縮ですが、何卒よろしくお願いいたします。

投稿: 慰安婦問題への素朴な疑問 | 2014年8月21日 (木) 00時52分

「慰安婦問題への素朴な疑問」様
横から失礼します。
確かに日韓間の併合期におけるすべての問題は1965年の日韓基本条約で「完全かつ最終的に」解決済みです。韓国政府は2005年から、慰安婦問題はその条約で解決していない、対象外だと主張しています。
しかし、1965年の条約の交渉時、日本側は「後から問題になる可能性もあるし、個人個人に補償した方が良いのでは?」と提案したのに対し、韓国側が個人補償を拒否、国が一括して受け取ることを執拗に要求したのです。
そのことは2005年に公開された日韓基本条約交渉の文書によって明らかになっています。
つまり慰安婦に補償をすべきなのは韓国政府だと言うことなのです。

投稿: 山本 | 2014年8月22日 (金) 07時35分

素朴な疑問について

日韓条約で、韓国は国家間の損害賠償請求はしないということに合意をし、韓国は日本に対する戦争による損害賠償請求権を放棄しました。中国も日中平和条約で戦後賠償を放棄してくれています(かわりに多額の円借款やODAを供与した)。サンフランシスコ平和条約も同様です。

問題は、国家が戦争賠償請求権利を放棄しても、個人の損害賠償請求権を国家が勝手に放棄することはできないのではないかという論点です。

被害者である個人が、日本国に対して、損害賠償請求ができるかどうかが日本国内の裁判で争われてきたのです。

これは極めてハードルの高い法律論です。実際、日本の最高裁判決で、個人の損害賠償請請求は否定されています。

ただ、私が言いたい、「責任」とは、このような「法的責任(賠償責任)」ではなく、「道義的責任」のとりかたです。「道義的責任がある」からといって、「法律的に日本国が個人に賠償する責任がある」ということにはなりません。

今の国際法秩序では、裁判所で個人の損害賠償が認められるのは法律的にも政治的にも極めて困難でしょう。

これを認めたら、アメリカは、イラクやヴェトナムの国民から莫大な損害賠償請求を受けるし、広島や長崎の被爆者は、アメリカに損害賠償請求をすることができることになります。また、韓国もヴェトナムの国民から損害賠償請求をうける。

国際人権法が、将来この方向性に発展することを期待しますあ、遠い将来のことでしょう。

アジア女性基金は、貴重な取り組みでしたが、残念ながら、韓国などアジアでは、被害者側も、日本側にも不信感と不満によりうまくいかず残念でした。

オランダとは被害者と和解する方向でうまくいったようです。

法的責任と政治的責任。そして戦後国民の道義的責任を区別して考えたほうが良いと思います。

投稿: 水口 | 2014年8月23日 (土) 01時36分

道義的責任ならこれまでも日本は常に認め続けてきましたが、解決しませんでした。韓国側が要求しているのはあくまで法的責任です。だから現在のようなどうしようもない状況に陥っているのです。

投稿: 山本 | 2014年8月23日 (土) 22時01分

水口様,山本様

ご指南誠にありがとうございます.

ところで,薮をつついて蛇を出した格好になっている米軍慰安婦問題はどうなるのでしょうね.問題の構造は日韓従軍慰安婦問題と同じ, 当時のアメリカ軍のレポート原文を読む限り現場の実態は全く別物.

現在は韓国政府のみを訴えていますが,あれが国連に持ち込まれたらどうなるのか.

投稿: 慰安婦問題への素朴な疑問 | 2014年8月24日 (日) 12時49分

山本さま

道義的責任は認めるということですね。被害を受けた韓国やオランダの人たちに、繰り返し道義的責任を認めてお詫びを繰り返すしかありません。

一部の政治家やマスコミが道義的責任までも否定することで問題は和解から遠ざかり、日本の地位を悪くします。

素朴な疑問さな

日本が自らの道義的責任を認めて、はじめて米国や韓国の軍隊の「戦時の性暴力」「軍隊慰安所」を批判する資格を得ると思います。

投稿: 水口 | 2014年8月25日 (月) 00時12分

「慰安婦問題への素朴な疑問」様

日本政府は慰安婦問題への道義的責任を、すでに90年代から認め、公式謝罪をしております。
「オランダの人たち」は、オランダ政府として日本に「法的責任」を求めておらず、90年代の道義的責任によるお詫びで問題は収束しており、問題は「法的責任をあくまでも要求する」韓国だけとなっています。
私は「道義的責任まで否定する一部の政治家やマスコミ」というのが具体的にどの発言や記事を指しているのかわからないので、具体的に紹介して欲しいのですが、少なくとも「日本政府」としては安倍内閣を含め、90年代から全く変わらず「道義的責任」を認め続け維持し続けていますが、世界で韓国だけ、解決していません。

投稿: 山本 | 2014年8月25日 (月) 01時11分

水口様へのレスを、「 慰安婦問題への素朴な疑問」様宛にしてしまいましたが、ミスです。

いずれにしても、日本が道義的責任を認めている現状に韓国は全くそれを諒とするどころか、近年ますます慰安婦問題を拡大しています。

「日本が道義的責任を認めて初めて」と、あたかもこれまで日本が「道義的責任さえ否認してきた」ように書くのは誤りです。

道義的責任を認めることでは全く解決しないどころか、却って悪化してきたのが、この慰安婦問題30年史なのです。

投稿: 山本 | 2014年8月25日 (月) 01時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104432/60175557

この記事へのトラックバック一覧です: 「悪いのは僕だけじゃない」 終戦の日に思ったこと:

« 読書日記「ノモンハン1939」スチュアート・D・ゴールドマン著・山岡由美訳 | トップページ | 解雇の金銭解決の「日経」記事について »