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2014年8月16日 (土)

読書日記「ノモンハン1939」スチュアート・D・ゴールドマン著・山岡由美訳

みすず書房 2013年12月発行 2014年8月読了

■著者

ゴールドマンはアメリカ人研究者。米国議会図書館の専門調査委員。現在はジョージタウン大学の教授。

ノモンハン事件は1939年5月に日本とソ連の国境紛争が大規模戦闘に発展した武力衝突。ロシアが、旧ソ連時代の公開した外交軍事資料をもとにして著者がヨーロッパと極東との関係から光をあてたものです。

「世界史は横に見ろ」と高校時代の世界史の教師が言っていたことを思い出しました。

■ノモンハン事件

日本では、ノモンハン事件は、関東軍が陸軍大本営の意向を無視して戦闘を拡大し、これに対して、ソ連の名将ジューコフが率いる戦車主体の機甲化師団に粉砕・蹂躙されて1万人を超える死者を出した戦闘として記憶されてきました。戦闘期間は1939年5月から同
年8月末まで。

関東軍を指揮した辻正信陸軍参謀は、この敗戦に何ら学ばず、その後も日露戦争当時の「大和魂」の白兵戦法に固執して、結局、ガダルカナルなど太平洋諸島での日本軍の悲惨な敗北につながっていった。関東軍のノモンハン現地指揮官の多くは、辻参謀らから責任
をとらされて自決させられている。

しかし、世界的に見れば、極東辺境地帯での、日本とソ連の単なる国境紛争にすぎない、と思われていた。

■ノモンハンは世界情勢に影響を与えた

著者は、公開された新資料に基づいて、次のように言います。

ノモンハン事件があったことが一つの要因として、スターリンは、1939年8月23日、ドイツとの「不可侵条約」を締結した。少なくとも、不可侵条約を締結するのに重要な影響を与えた。

ソ連(スターリン)は、ドイツと日本の2国を敵に回して攻められることは絶対に回避しなければならなかった。

1939年当時、ソ連は、英仏と軍事協力関係をつくって、ドイツに備えることも検討をしていた。しかし、社会主義・ソ連の「宿敵」資本主義の総本山・英国は、ドイツをソ連にけしかけるつもりではないかとの疑心暗鬼であった。

スターリンには、ぎりぎりまで英仏との反ファシズム同盟を結ぶか、ドイツとの同盟を結ぶかを決めかねていた。

ソ連が英仏と反ファシズム同盟を結べば、当然、ソ連はドイツと戦争となる。ドイツと防共協定を結んでいた日本が極東でソ連を攻めることになれば、ソ連は二正面戦線で戦わなければならなくなり不利となる。そして、現実にノモンハン事件で現実に日本が大規模な戦闘に出てきた。

ということで、スターリンが1939年8月に独ソ不可侵条約を締結した一つの要因、考慮要素として、ノモンハン事件があった。

■英仏とソ連の同盟の可能性について

この著者は、独ソ不可侵条約ではなく、英仏とソ連の反ファシズム同盟の可能性はあったとしているようです。これはビックリ。スターリンは、同じ独裁者ヒトラーと相性がよかったと思っていましたから。

著者は、公開された新資料に基づいて、ソ連は本気で英仏との同盟の可能性も探っていたと言います。要するに英仏とソ連の集団的自衛権ですが。

ソ連は、ナチスの台頭を見て、1935年7月に「反ファシズム人民戦線路線」に切り替えて、反帝国主義スローガンをトーンダウンさせた(対英仏宥和)。また、フランスもナチス台頭に不安を感じ、1935年5月に仏ソ相互援助条約を締結した。

1936年5月にフランスに人民戦線ブルム内閣が成立した。スペインでも人民戦線内閣が成立していた。

ところが、1936年7月、右派のフランコがスペイン共和政府に対して反乱を起こし、スペイン市民戦争が勃発した。

ソ連は、スペイン共和政府に本格的な軍事援助をしたが、英国やフランスは中立政策をとった。

英国は、反社会主義の立場から、スペイン共和政府を援助しないのは当然。ところが、フランスは反ファシズムを理念とする人民戦線内閣であったが、中立政策をとった。

スペイン共和政府は、1938年末には軍事的に壊滅。

それでも、ソ連は、1939年になっても、英国との外交交渉をすすめていた。並行して、ドイツとも交渉をしていた。同年2月の悪名高い「ミュンヘン会談」、そして、ノモンハン事件を挟んで、最後の最後、ソ連はドイツを選択した。

■歴史の「イフ」

フランスやイギリスが、スペイン共和政府に積極的に軍事援助をして、ナチス・イタリアのファシズム同盟に対抗していたらどうなったでしょう。

英仏ソを援助した共和派が勝利したら、ナチス・ドイツとファシスト・イタリアの勢いはそがれた。

もし共和政府が負けても、スペインで英仏と協力したソ連は、もはやドイツと不可侵条約を締結できない状況になるのではないでしょうか。

それとも、これをきっかけに、英仏ソと独伊との全面戦争に発展したかもしれません。そうなれば、日本陸軍(関東軍)は、千載一遇の機会だとして、ソ連に攻め込むでしょう。

そうなると、いかに「大和魂」日本でも、ソ連とたたかいながら、アメリカに参戦することはできないから、1941年12月の真珠湾攻撃はなかったかもしれない。

ちなみに、イギリス労働党やフランスの左翼党派は、反戦主義(平和的反ファシズム)から、スペイン共和政府への軍事援助に反対した。ヨーロッパ左翼が、「平和主義」を「敗北主義」と同義とするのは、このような歴史経過があるから。

■ノモンハン事件の戦闘自体の評価

新しく公開された資料に基づいて、日本軍は惨敗したが、ソ連軍も大きな損害と犠牲者を出したことが明らかにされています。

ソ連軍の名将ジューコフは、ノモンハンで初めて本格的な戦闘で指揮をとり、機甲師団と機械化歩兵を一体として運用する戦術を編み出した。

そのジューコフは、ソ連軍の英雄となり、その成果を評価されて、独ソ戦開始後、ヨーロッパ戦線に投入されて、ナチス・ドイツ軍を打ち破った。それに比べて、日本軍の現場戦闘指揮官は敗戦の責めを負わされて自決させられた者が多数。

そのジューコフが「最も厳しかった戦闘は何か」と聞かれて、「ノモンハン」(ソ連ではハルハ河戦争)と答えた。それほど日本との戦闘は激戦だったようだ。

別の本で読んだが、ジューコフがアメリカ人にドイツ軍と日本軍の評価を尋ねられたところ、次のように答えたそうだ。

日本軍 兵士・下級士官は優秀。司令官・参謀は無能。

ドイツ軍 兵士・下級士官は優秀。司令官・参謀も優秀。

忘れられた「ノモンハン事件」だが、結構、大きな意味をもっていたようです。

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