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2014年7月10日 (木)

読書日記「街場の共同体論」内田樹著

潮出版
2014年6月20日発行
2014年7月1日読了

おなじみの内田樹氏のご本。著者の評論は、現代の特徴を鮮やかに切りとって示してくれる。最初に私が読んだのは、内田氏の現代教育についての著作でした。そこで次のようなことが指摘されていました。

昔は、子供の初めての社会参加は、家の手伝いを含めて「働く」=「労働」であった。

しかし、現代は子供の初めての社会参加は、何かを「買う」=「消費」である。

現代の学校教育は、学校での子供の「学び」とは、教育というサービスの「消費」となり、親も子も教師が対価に応じたサービスを提供しているかどうかを値踏みしている。

確かに、そのとおり。目から鱗が落ちる思いです。
モンスターペアレント現象や最近の若者の言動を見ると、確かにそう思います。消費者としてサービス提供者にはどんな要求しても、その資格をもっていると思っているようです。

この「街場の共同体」でも、相変わらず見事な視点で現代社会を切りとっています。特に次の二つの評論に共感しました。

■格差社会と階級社会

格差社会と階級社会はどう違うのか。私なりに要約すると、、、

「階級社会」では、それぞれの階級ごとに価値観が違っている。例えば、貴族階級、ブルジョア階級、プロレタリア階級は、それぞれ価値観が異なっている。それぞれが別々の価値観をプライドをもって保持している。

他方、「格差社会」とは、社会の構成員が単一の物差しで格付けされる社会である。年収とか学力とか数値かされる一定の物差しで、格付けられており、その順位の入れ替えは、(実態がどうであろうかはともかく)原理的に可能だという社会である。

日本では、この「物差し」が「年収」であり、子供まで「年収」で人間を値踏みする社会である。その「年収」の差は、フェアな競争によってもたらされると思っている。個々人の能力や努力によって、フェアに「年収」という結果が決定される。

このフェアな競争による「年収」によって人の価値が決まるというルールが一応、社会的に合意された社会、それが現代日本社会。

日本の支配的な言説は、内田氏の言うとおりです。

普通に苦労して働いている人は、「カネで買えないものもある」、「カネだけで幸せになれない」とか内心はブツブツ言っているのですが、負け犬の遠吠えのようで、大きな声で胸をはって言えない(雰囲気がある)。

このような社会は、共同体そのものが壊れてしまう。その社会にとっての「社会的共通資本」を、「損得はともかく」、いちおう整備する人がいなければ、その社会は成り立たない。というのが内田氏の論説です。

今の雇用等についての政策の動きは、この社会的共通資を、自己責任論のもと壊しかねない。

■父親の没落と母親の呪縛

人類は、世界中に広がり、それぞれ色々な社会集団を構成しています。

中には、「父親が息子に尊敬される(とされている)社会」もあれば、「夫婦仲が良い(とされている)社会」もある。

父親が本当に尊敬に値するほど偉い人物かどうか。夫婦が本当に相思相愛で愛し合っているかどうかは別として、当該社会では、そういう規範(ルール)が支配している。

だから父親のことを、仮に軽蔑して憎んでいても、一応、外面的には敬意を払っていた。これが戦前の日本の家父長制だった。

現代日本では、このように父親を尊敬すべきという社会的規範はほとんどなくなったか、極めて薄まった。

団塊の世代以後の世代(戦後民主主義世代)は、この家父長制を批判してきた。そうなると、これが父親となれば、影が薄くなるのは当然であり、家父長制が壊れるのは正しい結末。

なにしろ、戦前の家父長制は、戸主が息子や娘の結婚相手の決定権を有しており、妻は財産的に「無能力」としていたのですから。もちろん女性に投票権もないわけですから。

そして、今や、家族の中で、親に代わり、家族(子供)を統御し支配するのは母親となった。しかも、母親は、子供のことは自分が一番熟知していると思っている。母親は「あなたのことは、私が一番、よく分かっているの」って自信満々に言う。

これが子供にとっては呪縛となる。いわゆる「グレート・マザー」って奴です。

現代日本の家族は、母親が強い支配力を行使し、娘はそれに必死に抗い、息子は未成熟なまま加齢してゆく。

「家父長制の打倒」が戦後の課題であったが、今後は、母親の呪縛からの子供の自立が最大のテーマになる。文学や社会研究、教育も、この新たなテーマ(いわば「結婚しない長女、働かない長男」)が課題となる。

これもなるほどと思います。家父長制の復権とか、男の役割を強化するという逆戻りでは解決できない。その課題を克服するのも、たぶん母親の呪縛から必死に自らを解放した女性たちなのだそうです。

古いタイプの親は、息子や娘たちに「良き伴侶を得て、幸せな家庭をつくって欲しい」との素朴な願いを持っていますが、もはやそれを望むべくもない時代になっているのです。

今や家庭は、子供がたたかうべき「家父長」もおらず、子供たちが「母性愛」という呪縛にのみ込まれるイメージなのですね。

父親としては、こういう家族・社会になったことを認識した上で、母親の呪縛から子どもたちがどう自立していくのか、が新たな課題となったことを理解して、見守るしかないのでしょうね。

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