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2014年1月26日 (日)

フレッシュフィールズ岡田弁護士の解雇法制改革

昨年(2013年)11月6日の産業競争力会議「雇用・人材分科会」の有識者ヒアリングにて、フレッシュフィールズ法律事務所の岡田和樹弁護士が、外国企業から見た日本の解雇法制の問題点だとして、次のように指摘している。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou_hearing/dai2/siryou2.pdf

①試用期間が機能していないこと
②実質的に勤務成績や経営状態を理由とする解雇が禁止されているに等しいこと
③裁判官が企業活動の実態を知らないこと
④仲裁が認められていないこと

そして、②の解雇法制の改革として次のような労働契約法の改正を提案している。

・労働契約法第16条(解雇)の改正

「解雇(試用期間中のものを除く)は、労働契約成立の経緯、使用者の雇用管理の状況、解雇に至る経緯、解雇に伴って支払われた金銭の額などに照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用としたものとして、無効とする。」

「労働契約成立の経緯、使用者の雇用管理の状況」を考慮要素とすることで、欧米的な職務を主体とした能力主義雇用管理をしていれば、その職務能力がないことを理由とする解雇を容易にしたいのでしょう。

「解雇に伴って支払われた金銭」を考慮要素とするのは、一定の金額を提供すれば、解雇が有効となるようにしたいからです。

従来議論されてきた解雇金銭解決制度は、解雇が無効であっても、お金を払えば雇用契約を解消することができるという制度(事後型金銭解決)でした。

他方、上記提案は、解雇理由が根拠薄弱でも解雇無効であっても、それを金銭で埋め合わせて解雇を有効とすることができるという制度。事前型金銭解決制度です。外国企業にとっては確かに都合の良い制度でしょう。逆に、働く人にとっては不利になります。

あくまで有識者ヒアリングにすぎません。ただ、今後の展開次第では、産業競争力会議から労働契約法16条改正を発議する呼び水になるかもしれません。

このような法改正がなされたら、月給の2~3ヶ月分の金銭提供しての解雇通告が乱発されることに間違いなくなります。

経営側は、「ともかく2,3ヶ月支払って解雇してみて、裁判や労働審判で旗色が悪くなったら、裁判所の顔色見ながら、あと数ヶ月支払うと言ってやればいいや。」って考えるでしょう。

「安上がりの解雇が容易となり外国企業が参入しやすい日本になる。だから、外国企業がいっぱい日本に投資をするから、日本経済が成長し、雇用量が増加して、失業者が減少して、賃金も上昇して、少子化も解消するから万々歳。」

って、産業競争力会議は本当に思っているんでしょうかね。トクするのは経営側だけだけど、それを言ったら身も蓋もないから、「経済成長しなければ雇用も良くならない」などと言っているだけでしょう。

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「脱原発」の現実性

読書日記「原子力発電の政治経済学」伊東光晴著
(岩波書店)2013年10月第1刷、2014年1月25日読了

経済学者の伊東光晴京大名誉教授の脱原発論。伊東教授は、原子力発電所の継続は不可能であり、「脱原発」は経済的に見て可能だとされています。他の脱原発本より、伊東教授の見解は、事実に基づく立論で説得力があると思います。

■原子力発電は継続不可能

○核廃棄物処理の目処がたたない。
過去に1兆円をつぎ込んだ高速増殖炉「もんじゅ」は、1995年12月のナトリウム冷却漏れ事故、2010年10月炉内中継装置脱落事故、2012年11月と2013年2月の点検漏れ事件などが多発して運転再開の目処はたっていない。

もはや、日本も核燃料再処理事業から撤退するしかない。日本とロシア以外の米英仏伊独は全て撤退を決めている。高速増殖炉がなければ、日本の核燃料再処理事業、それを前提とした核廃棄物処理事業はすべて成り立たない。

○老朽化原発は廃炉しかない。
強い放射線に晒されて原子炉が脆弱化しており、緊急停止時に圧力容器が破壊される可能性がある(井上博満東大名誉教授の指摘。同教授によれば、最も危険なワースト7は、玄海1号、美浜1号、同2号、大飯2号、高浜1号)。

また、原発メーカーのウエスティングハウス社(WH社)は耐用期間30年で設計しており、同じくGE社は40年で設計しているという。日本では30年を超えて運転されている原発は20基、3基が40年をこえて10年の稼働を認められている。設計上の耐用期間を経過した原発の再稼動は認められまい。

■原子力発電がなくても電力はまかなえる

○短期的には節電をすれば乗り越えられる。
このことは既に2011年、2012年、2013年の夏場を乗り切って証明されている。

○問題は中長期的に経済的に可能かどうか。また、CO2を増加させないことは可能か。

伊東教授によれば、

同一発電量に対する電源別のCO2発生の比率をみると、石炭火力100に対し、石油が約75、天然ガスが約55である。他方、電力各社の発電量は、年度によって電源別比率が変わっているが、おおよそ石炭火力25%、天然ガス30%弱、原子力30%弱、石油等7~8%であり、その他水力8%となっている。(2011年11月「世界」掲載時点)

2012年度の電源別比率は、石炭27.6%、石油18.3%、天然ガス42.5%、原子力1.7%、その他水力10%

天然ガスはLNG発電新技術が導入されて発電効率が高くなっている。石炭火力の比率を落として、最新鋭の天然ガスのLNG発電に切り替えることで、CO2が大きく削減される

JR東海は、電力を大量消費するリニアモーターカーを作るよりも、その資金でLNGによる自家発電所を作るようにすべき。

○日本は天然ガスを割高に購入している問題点

日本の天然ガスの市価は15ドルと高い。アメリカは5ドル、ヨーロッパ各国は約10ドル強。これは価格が石油価格にリンクされた長期契約であるため。資源エネルギー庁による規制方法を改善すれば、これほどの大きな価格差は改善される。

○米国発の「シェールガス革命」による大変化

シェールガス革命は、世界エネルギー事情を大きく変える。世界一の埋蔵量は中国、次に米国、アルゼンチンが続く。世界的に見れば膨大なシェールガスが埋蔵されており、天然ガスの価格は下がる。このLNGガスが活用されれば、原子力に依存することなく電力供給は経済的に十分に成り立ち、CO2 抑制にも繋がる。

○有望な地熱発電

さらに将来的には、日本では地熱発電を活用することができる。この地熱発電所を作るメーカーは三菱重工、東芝、富士電機の三社で世界シェアの70%を占めている。国立公園法を改正する必要があるし、今から地熱発電所を建設してもあと10年はかかるから将来課題。

○夢のような新技術

もっと夢のような技術は、宇宙太陽光発電である。宇宙空間に太陽電池をつくり、マイクロ波で地上に送電する。JAXAは2030年代の宇宙太陽光発電を計画しているという。
日本での風力発電や地表での太陽光発電は効率が悪く、電力供給も不安定であり、これに期待する政策を遂行することは経済的に見て愚策。

■脱原発は夢物語ではない

伊東教授の指摘するように、脱原発は、経済的にも実行可能のようです。

政治、官僚、産業、科学者が利益共同体を形作り、利権構造が地域経済を含めて原子力発電システムを維持・活用してきました。しかし、「3.11」により、問題点が明らかになりました。

今度、原発事故が起これば、日本は大ダメージを被ります。日本のような地震大国では、しかも老朽原発が再稼動されれば事故の可能性が高いでしょう。

原発研究者や電力会社は安全だと強調するでしょう。しかし、あの「3.11」の際に醜態をさらし、いまだ事故原因も明らかにできず、事故処理の目処もたてられない原発研究者や電力会社が安全性を強調しても、それを信用する人っているでしょうか?

最終的な核廃棄物処理も目処がたちません。きっと核汚染された福島のどこかに核廃棄物最終貯蔵所をつくることを、官僚や電力会社、政治家は既に決めていることでしょう。あとは、ほとぼりが醒めるのを待って、数年後、タイミングを見て発表すると思います。ちょうど、沖縄の米軍基地問題のように。また、古くは足尾銅山の被害地の谷中村のように。
地域の切り捨てという「棄民」です。

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2014年1月 5日 (日)

政教分離と靖国神社参拝 再論

■外国の反発は本質的な問題ではない

昨年末の安倍首相の靖国神社参拝は、中国、韓国だけでなく、米国政府からも懸念が表明(失望)され、EU外交部門やロシアから批判、ドイツの首相報道官から日本への忠告などがありました。

外交問題は重要ですが、本質的な問題ではない。A級戦犯が靖国神社から分祀されても、政教分離と靖国神社参拝問題が解決するわけではありません。

■日本国憲法の政教分離原則

戦没者に政府が追悼すること自体は誰も反対していない。宗教的に中立の儀式で首相が追悼することには何ら問題はないのです。

問題は、その追悼が靖国神社という宗教法人に参拝する方法で行われる点です。

内閣総理大臣の靖国神社参拝は、憲法20条3項の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」に違反するという憲法問題が生じます。

外交問題は大きく取り上げるマスコミが、憲法問題をきちんと報道・解説していないと思います。

■政教分離なんか関係ないという俗説

アメリカ合衆国では、大統領が就任式で聖書に手をおいて宣誓したり、裁判でも証人は聖書に手を置いて宣誓したりするから、政教分離なんかは各国の事情で緩やかに解されて良いのだ、という見解があります。

確かに、オバマ大統領も就任に際して聖書を用いて宣誓しました。しかし、過去には政教分離を厳格に考えて聖書を用いないで宣誓した大統領もいたそうです。個人として宣誓する際には聖書を用いることも許容されるという解釈のようです。裁判の証人宣誓も、聖書でなく、コーランで宣誓したいと言えば、コーランを用いて宣誓することも許容されるそうですし、無宗教でも良いそうです。

政教分離といっても、完全な政教分離は現代社会では不可能です。例えば、宗教系の学校に公費で教育費助成をしないことは子どもの教育を受ける権利や平等原則から問題になりますからね。

ですから、アメリカも日本も他の国も、どこまで国家が宗教に関与できるか、見解の対立が続いてきました。裁判でも争われています。特に、グレーゾーンについて各国のお国柄の下、様々な深刻な対立があります。

アメリカでは、学校の教室で生徒が忠誠宣誓(神の下の一体不可分の共和国に忠誠を尽くす)を行うことが政教分離違反(米合衆国憲法修正1条違反)かどうかが争われてきました。米国連邦最高裁でも過去に違憲判決が出されましたが、最近、合憲判決も出たようです。今でも、ホットな議論が続いています。

フランスでは、学校でイスラムのスカーフを被ることを認めるか認めないか、政教分離との関係で深刻な社会問題になっています。

■日本では 日本の最高裁判決を前提に

憲法という法律問題として議論を整理したいと思います。そのためには、既に出された現在の最高裁大法廷判決の「目的・効果基準」を前提として議論しましょう。

国論を二分する憲法問題については、最高裁判決を理解した上で議論することが求められます。「法の支配」を旨とする近代国家である以上、当然です。最高裁判決は無視しては「法の支配」を否定することになりかねません。

中国では、この「法の支配」が確立していません。最高裁判決を無視することは、中国と一緒のレベルになってしまいます。

■政教分離に関する最高裁大法廷判決

最高裁大法廷判決には、津地鎮祭合憲判決(昭和52年7月13日)や愛媛玉串料違憲判決(平成9年4月2日)、砂川空知太神社違憲判決(平成22年1月20日)があります。

愛媛玉串料最高裁判決の骨子は次のようなものです。

① 政教分離原則(20条1項後段、同条3項、89条)は、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を求めている。

② 日本帝国憲法下では、国家神道に国教的な地位が与えられており、信教の自由の保障が不完全であり、宗教迫害などの弊害を生じたため、日本国憲法は、信教の自由の絶対的保障と政教分離規定を設けた。憲法は、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとした。

③ しかしながら、国家が社会的規制を及ぼしたり、教育・福祉・文化等への助成援助等をしたりするには、宗教との関わり合いを生ずることを免れることはできないから、現実の国家制度としては、完全な分離は実際上不可能である。

④ そこで、政教分離原則は、国家に宗教的中立性を求めるものであるが、完全に分離することはできず、国家の行為の目的及び効果にかんがみて、その関わり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと認められる場合には許されない

⑤ 憲法20条3項にいう宗教的活動とは、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいう。

 実際の適用では、市立体育館建設にあたって津市が主催して地鎮祭を執り行ったことは合憲、愛媛県の神社への玉串料支出は宗教的意義が深い支出であり違憲、砂川町が神社に土地等を提供したことは違憲、という結論になっています。

■靖国神社参拝はどうか

今までの最高裁判決事件は、公金の支出や土地等の物的提供という類型でした。靖国神社への内閣総理大臣の参拝は、単に公金の支出や便宜供与ではなく、まさに行政府の代表者の参拝という宗教的意義をもつ行為が問題になります。

上記最高裁の目的・効果基準で判断すると、内閣総理大臣の参拝の目的が仮に「戦没者の追悼」という世俗的かつ政治的目的であるといっても、靖国神社への参拝は神道の深い宗教的意義を有することは否定できません。仏教寺院やキリスト教会、あるいはイスラム教会に内閣総理大臣が戦没者の追悼のために参拝ないし礼拝したとしたら、それは宗教的活動のほかならないでしょう。靖国神社であっても同様です。

効果としても、国及び内閣が一宗教法人である靖国神社を特別視し、他の宗教団体にない優越的地位を与えることになります。戦没者を追悼する式典は他にも様々な方法がありえますが、それを敢えて靖国神社で行うことは、靖国神社を事実上、戦没者の追悼するための国家的な特別な宗教施設として扱うことです。参拝は伝統行事や世俗的行為とはいえず、靖国神社の宗教を援助、助長し促進する効果を有することになります。

■靖国神社への内閣総理大臣の参拝は違憲

以上のとおり、一連の最高裁大法廷判決の論理からすれば、内閣総理大臣の靖国神社参拝は違憲と判断されるでしょう。これを合憲とする論理は難しい。

一つありえるとしたら、「靖国神社への参拝は、宗教的行為ではない」という論理でしょう。しかし、260万柱もの英霊が奉られている靖国神社への参拝を宗教的行為ではないというのは、靖国神社の宗教性自体を否定することになり、それは背理でしょう。

■伊勢神宮参拝は?

内閣総理大臣ら閣僚の伊勢神宮参拝についても、政教分離違反の疑いが濃厚です。ただし、この伊勢神宮参拝が1月4日に行われており、一般の初詣と同様、世俗化しているという点は靖国神社への参拝とは異なった面があります。

■宗教的に中立な国立追悼施設の建設による解決

ということで、憲法が政教分離を定めている以上、戦没者の追悼は、宗教的に中立な国立追悼施設を建築する解決策しかないと思います。しかし、戦後70年近く経過しても、このシンプルな道理が通らないのは本当に不思議です。

なぜ、この正論が実現しないのでしょうか。

■靖国神社問題の背景にあるのは戦争責任論

それは、靖国神社問題は、第2次世界大戦が日本の侵略戦争なのか否か、その戦争責任は誰にあるのかという大問題と直結しているからです。

ある人々にとっては、先の戦争は「自存自衛の聖戦」にほかならず、今になっても日本が戦争責任を糾弾されることは納得できない、のでしょう。

他方、私のように戦後民主主義と憲法を肯定する者(今や少数派?)は、先の戦争は「侵略戦争」にほかならず、当時の政治指導者と軍部は諸外国と日本人に多大な被害を及ぼした戦争責任があると考えます。なお、この立場の人は、中道保守や自由主義者など、左翼でない人も含まれています。

この政治的・思想的な対立が靖国神社参拝問題の背景にあるので、未だに解決が難しいのです。

私は、昔は時がたち戦争に従軍した人々が少なくなれば、自ずと後者の見解が多数派になると思っていましたが、必ずしもそうでもないようです。

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