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2013年12月22日 (日)

日本人は格差社会を是正できるか?

内田樹氏の「街場の憂国論」(2013年10月発行 晶文社)を読んだ。

■「若者は格差社会を是正できるか?」とのエッセイがありました。

マルクスの「共産党宣言」の最後の言葉は「万国のプロレタリア、団結せよ」でした。

今の日本の若者たちが、格差の拡大、弱者の切り捨てに対して効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが「連帯の作法」というものを見失ってしまったからです。

では、なぜ若者が「連帯」や「団結」の作法を見失ったのか?

それは彼らの責任ではありません。それは私たちの社会がこの30年間にわたって彼らにすり込んできた「イデオロギー」の帰結だからです。

戦闘的な反格差論者が口にするのは「バカで強欲な老人たちが社会的資源を独占し、若者たちは能力があり、努力をしているにもかかわらず格付けが低い。これはフェアではない」というものです。

彼らは連帯を求めているわけでなく、「社会のより厳密に能力主義的な再編」を要求しているのです。

若者の一人がたまたま成功しても、それは自分の才能と努力のせいなのであり、負け組の若者たちと連帯して助け合おうということは考えもしないだろう。もちろん、これは若者だけでないし、若者の責任でもないと内田氏は強調しています。次のような教育を大人がしてきたんだからと。

「能力のあるもの、努力をして成果をあげた者には当然、報酬を得る権利がある。能力がない者や努力しない者には罰が与えられる。」

確かに、この私のようなブログにも、「解雇規制は無能な中高年正社員の既得権を守るだけだ。解雇の規制緩和をすべきだ」という意見を寄せる若者が結構多いです。

解雇を自由にしても、格差はなくならないし、格差は広がるのは目に見えていると思います。彼らは若者らしく「自分だけは大丈夫」という自信を持っているか、あるいは、「今最悪、これよりも悪くなりようがない」という捨て鉢の気持ちなのでしょうか。

■労働組合の今、昔

最近、私が労働組合から賃金査定(能力主義賃金制度)に関する法律相談を受けたとき、次のようなことがありました。

弁護士 組合員の給与明細を見て、どのような査定の分布なのか、査定の不適正なものではないのかを分析してみる必要があるね。

委員長 とてもそんなことはできない。給料明細は組合員のプライバシーだから、労働組合ともいえども見られないし、同僚同士でも給料明細は絶対に見せない。

能力主義賃金制度が入ってからは、給料明細書は、あたかも学校の通信簿なのですね。それだけ能力主義的文化が学校教育、企業制度によって内面化しているということです。

私が弁護士になった28年前には、労働組合結成の際に、労組からが呼ばれて労働法の学習会をしたことも結構ありました。そのとき、若い労働者たちは、みんな自分で給料明細を見せ合って、基本給や手当の不満を討議して、労働組合としての要求づくりをしていました。山田洋次の映画みたいでした。

ずいぶん時代は変わりました。でも、これは若者たちが悪いからではありません。そういう教育を受け入れ、子どもたちにもしてきたのは、われわれ大人ですから。

■じゃあ、どうする?

アメリカの若者は、アメリカの能力主義の下でも、アメリカの建国理念である「人間は等しく造物主から生命、自由、幸福追求の権利を付与されている」という「自明の真理」からウオール街でも運動を開始します。

フランスの若者であれば、バリケードを築いて自由のためにたたかってきた革命の歴史と理念を持っています。レ・ミゼラブルのDo you hear the people sing ? のように「わが隊列に加われ!」と。

しかし、日本人には、そのようなバックボーンさえないと、内田先生は言います。何しろ日本国憲法さえアメリカ製ですからね。

内田先生は、えっと驚く答えを書いています。ネタバレになるので、知りたい人は同書を読んでください。

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コメント

今の若い人々が昔のような労働争議をしない理由が能力主義の価値観にあるというお話、興味深かったです。
個人的にはこのほかに、労働争議をしていた高度経済成長時代は右肩上がりの希望が見えていた社会背景があったからこそ若者達は積極的に動く気になったのかもしれないなと思いました。
今は昔みたいに右肩上がりの景気じゃないし先の見えない状態だから企業側だってどう改善すればいいか分からない。改善してあげたくても無い袖は振れないという雰囲気を感じて組織的な運動したってムダに見えるのではないかと。

また、いわゆる「格差社会」というのは、イギリスの産業革命が母型になっている文明社会の宿命みたいなものだと思います。私達の文明の母型自体を変えないと改善できない気がします。
産業革命は奴隷と植民地なしには発生し得なかった現象なので、それを母型にした私達の文明もまた、「奴隷と植民地(搾取対象・生贄)」に相当するもの無しには維持できず、むしろ「合法的な植民地と奴隷の調達」に血眼になっている気がします。

以上、初コメで長々と失礼いたしました。お暇なときがありましたら当ブログにも遊びに来てください。

投稿: AYA | 2014年1月31日 (金) 01時27分

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