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2013年6月26日 (水)

読書日記 「私の最高裁判所論」泉徳治著

読書日記 「私の最高裁判所論」泉徳治著
日本評論社 2013年6月10日第1版第1刷発行

■エリート司法官僚

泉徳治氏は、最高裁判所判事です(任期2002年11月~2009年1月)。
同氏の経歴は、京大卒、1961年司法研修所入所、1963年東京地裁判事補、その後、最高裁調査官、最高裁民事局長兼行政局長、最高裁人事局長、最高裁判所事務総長、東京高裁長官、そして最高裁判事。司法官僚のエリート中のエリートです。

その泉徳治氏の「最高裁判所論」です。その経歴から予想していたものとは全く異なり、そのリベラルな考え方に大変に驚きました。

「司法の重要性を多くの人に理解してもらうためには、何よりも裁判官が憲法によって課せられた司法の役割を十分に認識して、国民の権利自由を擁護するため、立法・行政の裁量権の行使について適切に審査し、企業の行動規範の形成などにも積極的に関与していくことが大切だと考えるようになりました。」

「国民全般の公益と個々の国民の私益とは、しばしば衝突します。国民主権に基づく代表民主主義は、元来、国民が全て平等に人間として尊重されるという基本的人権の尊重の確立を目的とするものです。全体の利益増進を図るためといっても、個々の国民の人間の尊厳に関わるような権利自由をむやみに制約してよいものではなく、制約は必要最小限にとどめる必要があります。個人の権利自由を擁護するのは、裁判所の重要な役割であります。立法・行政の裁量に全てを委ねていては、国民の権利自由を庇護するために設計された司法の職務放棄になりかねません。
 さらに、多数決原理の民主制の下では、社会的少数者の声が立法・行政に反映されるということはあまり期待することができません。社会的少数者の憲法によって保障された基本的人権を擁護するのみ裁判所の役割です。」

以上は、きわめて教科書的で、当たり前な「人権尊重論」、「司法の役割論」です。しかし、この当たり前のことを最高裁事務総長まで務めた最高裁判事が書くことが、実は驚きなのです。

■君が代・日の丸憲法訴訟をめぐって

具体的な事件について、泉徳治氏は、上記の論を展開します。例えば、「日の丸・君が代憲法訴訟」です。

泉氏は、最高裁の違憲審査基準について次のように整理すべきとします。

「①精神的自由(思想・良心・信教・表現等の自由)は「厳格審査基準」という高い防護壁をたてて容易に侵害されないようにすべきである。②民主的政治過程(知る権利、集会・結社・言論・出版の自由、公平平等な選挙)及び③社会的に分離した少数者の権利は「厳格な合理性基準)という比較的高い防護壁をたてる。④金銭的・経済的な権利については、「合理性の基準」という比較的低い防護壁をたてる」

そして、最高裁各小法廷が、君が代斉唱事件について、2011年にかけて一斉に言い渡した最高裁判決について、思想良心の対する制約の面にあるが、「合理性の基準」を用いて、職務命令の合憲性を肯定したと評しています。

しかし、上述の泉徳治氏の違憲審査基準を用いれば、「厳格審査基準」でなければならないはずである。そして、泉氏は、宮川光治最高裁判事の反対意見を、「厳格審査基準」を適用したとして肯定的に紹介されています。

また、上記君が代斉唱最高裁判決に先行して言い渡された「君が代ピアノ伴奏命令拒否事件」の最高裁判決について、「この事件は大法廷で判断するにふさわしかったのではないかと考えられる」と述べられます。

これらの記述から見ると、君が代・日の丸事件について、「合理性の基準」を用いて職務命令を合憲とした多数意見については批判的な見解をもたれているのでしょう。

■民事裁判について

この本には、このほか、最高裁の「一般法令違反審査機能の強化策」、要するに一般の民事事件・刑事事件の法令違反を強化する必要性が語られています。

その際に、今の新民訴法のもとでの、「この訴訟運営には欠陥がある」とし、「要するに事実認定の緻密さが欠けてきている」と警鐘をならしているのです。

■法曹養成制度について

そのほか法曹養成制度では、法律家のグローバル人材の育成を急ぐべきとして、次のように提案をされている。

法科大学院を三年過程として、この三年の過程の中で各大学院と司法研修所が共同で教育に当たるものとし、一年度の入学定員を三〇〇〇人に絞り込んだ上、司法試験を大学院修了者の九〇%以上は合格することができるものとして、司法試験の合格により直ちに法曹資格を付与し、早く実務に就けるのが良い。…(中略)…平成二四年の法科大学院の入学者は三一五〇人であるから、入学定員を三〇〇〇人とすることはそれほど困難ではない。

泉氏は、「現実の厳しさを知らないわけではないが、三〇〇〇人目標を簡単に放棄すべきではない」と言われる。法科大学院の改革により、訴訟弁護士ではなく、多様な弁護士を育成すべきとされている。これについては弁護士(会)からの反発があるでしょうね。

法律家であれば、一読に値する本だと思います。

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