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2012年11月27日 (火)

「右翼」と「左翼」の区別に関する(私の)常識

■右翼と左翼の常識
右翼左翼の区別って、私の世代では、左右の立場の違いがあっても、一定の共通の了解事項があったと思います(軍隊=「暴力装置」と同じように)。もっとも、この常識が成立していたのは、私の世代だけなのかもしれません。

ちなみに、「右翼」や「左翼」というのは「悪口」ではないのです。政治的な傾向や思想の特徴を示す便利な用語で、世界中で使われている政治用語です。そして、左翼は「左翼」と呼ばれても、別に怒らないでしょう。右翼も「右翼」と呼ばれても、怒らないと思います。どちらも胸をはって、「そのとおり。それが何か?」って言うと思います。


■第1の分岐点<王制か、民主制か>
周知のごとく、フランス革命(1789年)にあたって、議会での席の配置で、王党派が「右翼」、革命派(民主主義派)が「左翼」と呼ばれるようになりました。この18世紀の分岐点は、王制か民主制かです。

しかも、王党派の王制を正当化する根拠は、王権神授説ですからキリスト教です。つまり、右翼は、「王様と宗教」が大好き。貴族や僧侶、地主、官吏、軍人が右翼の本流でした。街宣車を走らせるのが右翼ってわけではないのです。もともと、右翼って上流階級の人々の考え方です。

もっとも、今は民主主義体制がヨーロッパや日本で確立しているので、この古い分岐点は相対化されています。日本では、「天皇制」と「国家神道」(靖国神社を含む)が「本当に大好きな人々」を普通「右翼」と呼べます。これは世界的な判断基準からして、何らおかしなことはありません。


■第2の分岐点<誰の目線で考えるか>
「誰の目線で考えるのか」が、左翼と右翼では大いに異なります。たぶん、ここが両者が最も相容れないところだと思います。

右翼は、自らと同じ民族や国民の目線で考えます。国家の独立と主権の維持が右翼の崇高な使命です。自らの祖国や民族、国民に至高の価値をおくのです。いわば「身内」中心主義です。外国人全般に対して警戒心が強い(欧米では移民排斥。日本では、在日韓国・朝鮮人排斥となります。)。日本人であっても、左翼や少数派に対して、「非国民」とか「日本人じゃない」などと排他的になります。


左翼
は、虐げられた庶民や民衆、つまり人民の視点で考えます。ですから祖国や民族の目線ではなく、金持ちや権力者などに支配される(警官に小突かれたり、横暴な上司に怒鳴られ扱き使われる)民衆の目線で考えます。そして、外国人であっても、外国の権力者・支配者に抵抗する民衆に共感し、応援します。


■第3の分岐点<政府が貧困・福祉対策を行うべきか、個人の自助努力か>
19世紀から現代にかけては、社会保障政策・労働政策が左翼と右翼の分岐点になります。

民衆の貧困・雇用・福祉を改善するため、政府が積極的な政策を行うべきか否か。例えば、労働者を保護するために労働基準法などの労働者保護法や社会保険・労働保険、年金制度の導入に賛成するかどうか。現代では、政府の財政出動はどのような分野に行うべきかなどです。

政府の雇用対策や福祉政策の実施を積極的に賛成するのが左翼。なお、19世紀末から20世紀初めにかけては、さらに社会主義計画経済を目指す社会主義運動(共産主義運動)が左翼の中心となった。ただ、ソ連が崩壊した後、この共産主義運動は解体しました。


このような施策を政府が行うことに反対するのが右翼。右翼も救貧対策などは否定しませんが、それは保守的な温情主義の発露です。要するに大金持ち(ビル・ゲイツとか)やキリスト教会の寄付などの善意に委ねる方向性です。右翼の立場の人の多くは、曰く、「格差はいつの時代にもある。」「貧乏人を甘やかすな。」「自助努力を促すべきだ。」「生活保護は怠け者をつくる。」等々


■第4の分岐点<国家による戦争に価値を認めるか否か>
戦争観も右翼と左翼では、大きな違いがあると思います。


右翼
は現実主義者ですから、国際関係とは各国家が自国の国益を追求する「弱肉強食」関係にほかならないと考えます。何よりも、右翼は国家(祖国)や民族に至高の価値をおきますから、植民地や市場獲得のため、あるいは自国領土を奪還するための戦争を価値あるものと位置づけます。軍隊や軍事力行使を担うことは、崇高な国民の任務である考えます。


左翼
にとっては、帝国主義戦争や植民地獲得戦争などの戦争は、政府や金持ちの支配層が自らの利益のために、労働者や農民を動員して他国の兵士と殺し合わせるものにほかなりません。したがって、国家による戦争に反対します。ただし、植民地解放のための武力闘争や民主主義国家の独立をまもるための自衛戦争には賛成します。そして、自国の正規軍が敗北したとしても、民衆が主体的に武器をとって戦うことを讃えます(スペイン市民戦争の国際義勇軍。レジスタンス闘争。パルチザン闘争。アジア、アフリカの植民地解放戦争)。



なお、日本国憲法9条を根拠として徹底的な非武装主義を標榜する日本の旧社会党的左翼は、世界的に見れば例外的な左翼党派です。フランスの左翼からすれば、それは平和主義などでなく、単なる敗北主義として批判するでしょう(戦争回避のためにナチスと融和路線をとった弱腰の政府のようなものであり、かえって戦争を招くことになったと。)
ちなみに、戦後日本では、敗戦により米国に従属させられたにもかかわらず、右翼は反米闘争ができませんでした(三島由紀夫はこれに反発して決起した唯一の右翼だと思います)。他方、左翼は、反米軍基地闘争、安保反対闘争やベトナム反戦運動を行いました。これは平和運動でしたが、ある意味では、米国への抵抗であり、「愛国的」運動という側面(代償行為)がありました(小熊英二著「民主と愛国」)。



■右翼と左翼の相対化、右派と左派
現代では、右翼と左翼の対立も相対化しています。

今更、民主主義を否定して、王政復古を唱えて反米闘争を訴える右翼(これは極右)は、さすがに超少数派でしょう。また、プロレタリアート独裁を掲げて暴力革命で共産主義を目指す左翼(これは極左)も、超少数派です。
今や、左翼も右翼も相対化しています。



現代日本は、日本国憲法の法的有効性を認めて「象徴天皇制」を容認するという枠組みの中で、右翼や左翼の配置が決まります。


この枠内で、上記の分岐点ごとに濃淡がある各勢力(各党派)が存在しています。日本国憲法体制を容認し前提とする以上、右翼や左翼の分岐点の対立は薄まり、相対化しています。そこで、右翼でなく右派、左翼でなく左派と呼んだりします。でも本質的には、右翼と左翼の特徴と変わりありません。

■中道右派、中道左派、そして右翼
自民党の保守本流は、「自主憲法」を事実上棚上げし、自衛隊の「専守防衛」路線をひき、集団的自衛権行使に慎重です。また、民主党主流派(野田、菅、仙谷、前原ら)は、日本国憲法を法的に容認し、親米路線をとり、自由主義的な経済政策と保守主義的な福祉政策をとります。これらは両方とも共通性があり、「中道右派」です。


これに対して、社民党から分離して民主党に合流した勢力は「中道左派」です。国民の生活が第一は「中道右派」でしょう。


ちなみに、オバマ大統領は、この基準で言えば、「中道左派」でしょう。


そして、共産党や社民党は当然のことながら、左翼です。

安倍晋三自民党総裁は、上記の4つの分岐点から見れば、どこから見ても立派な「右翼」だと思います。


また、石原慎太郎日本維新の会代表は、何しろ、「日本国憲法を法的に無効」と考え、「天皇主権の大日本帝国憲法が法的には有効だ」という奇矯な見解ですから、安倍自民党より、はるかに右です。上記基準から見れば、極右に近いでしょう。なお、石原氏が、本気で「憲法破棄」を言っているのであれば、立憲主義を破壊する主張です。憲法改正論者は、まだ立憲主義に立脚しています。石原氏の「憲法破棄」論は、憲法改正手続も不要との主張ですから、大日本帝国憲法がまだ生きているというとんでも議論です。自衛隊の統帥権は天皇が握っており、シビリアン・コントロールなどは「統帥権干犯」で違法ということになります。

以上が、私が考える「右翼と左翼」の区別に関する常識です。ネットの住人にはきっと理解されないのでしょうねえ。

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コメント

水口様
批判するつもりも避難するつもりもありません。
ただ、右翼左翼の分け方は メディアの作ったもので
それを政治哲学や政治思想に当てはめるのはいかがなものかと思います。

いまさら中世の王政や天皇制をどうのこうの言っても
王の為に働く従事者もいなければ、天皇の為に命を捧げる尊王者もいない。

まして、石原氏や安倍総裁が 右翼等と言うのは滑稽です。

社会主義者の中の右寄りの考えの方と言うのが私の感想です。(私だけですが)

仰っているようにアメリカでは共和党(共和主義)と
民主党(社会主義)の二大政党制です。

ただ、日本国内で共和主義の概念の報道の仕方がおかしい。教育の上でもその部分の事が抜けているように感じます。

リンカーンの「人民の人民による人民の為の政治」
個人の尊厳の中で人が集まり尊重しながら国を運営する。その精神が共和主義の根底である事も心置き下さい。

私の私見ですが、
社会のルールを先に決めてそれに従い社会を運営するのが社会主義(左翼)
個人の集まりが社会でその尊厳を尊重し合いながら社会を運営するのが個人主義(右翼)?
政治哲学・思想は国際的にそう捉える方が無難だと思うのです。

そう言う意味では民主も自民も左翼思想の様に感じられます。

私が右翼思想なのかどうかは解りませんが、
イギリスにいる知り合いは日本はPeople'sDemocracyだと思っているようです。

日本本来の哲学は儒教が根付いた共和主義の中で 優れた哲学の国だったように感じます。

非正規雇用等と言う身分制度を新たに作り、意味の無い国家運営をしている 今の政府行政を危惧しております。

今回の衆議院選挙 右や左や騒いでいますが、
今の行政の再構築へ向かう為の破壊!
になればいいと思っています。

余計な意見だったかもしれません。
水口先生のこれからのご活躍をお祈りいたします。

投稿: おっちゃん | 2012年11月27日 (火) 03時04分

ほぼ内容に同意です。このような常識的な内容の解説を、なぜかネット上ではあまり見掛けませんね。

投稿: hareno | 2012年12月 7日 (金) 04時38分

私は1999年ごろ中国辺境のアメリカ領事館職員のホームクリスマスパーティに当時のイギリス人夫と招待されたことがある。その時とても奇妙なショッキングな出来事が発生。夫は私が日本人女性と言うことを先方に伝えてなかったようで、それ故、アメリカ大使館領事館職員の人達の私のような一般日本人を戦後50年も60年もたった当時でも''敵!''としてまざまざ見ている!という現実だった。ショック。日本は戦後ものすごい大金を与え続け、自国民の家は''兎小屋''とまさに、日本から大金を当たり前の様に受け取って高級生活を続けているこのような人々から嘲笑されながらもお金を与えている。''感謝''する代わりにさらなる''敵意''には驚き呆れはてた。主催者のアメリカ領事館の女性が私に向かって''日本人!?どうやってここに入ってきた?!大声を上げ、''セキュリティー!セキュリティー!セキュリティーはおらんのか?!''と叫ぶ彼女。(彼女は血相を変えて。)
この状態に親米教育を学校の義務教育の中でずっと受けてきたイチ日本人女性の私には長い事理解ができなかった。(夫がしばらくして現れたので事なきを得たが)、それにしてもあの異常な米大使館職員の''日本人''に対する敵意反応は異常。私のアメリカという国について認識を改めさせられた瞬間だった。私が気がついたのは''彼女のあの大騒動する反応が米大使館職員達の大常識''で、親米教育を受けて大金を貢いでいる''日本人達が異常''だということ。彼女達の''日本人に対する敵意''は戦後もアメリカの左翼(国際官僚達)には中心的科目のように教え続けられていて、それを日本人達は知らされていない。官僚、国際官僚達は2重(多重)国籍保持者がほとんどで、上層部になるにつけ組織自体は左翼なのだが、中身は封建主義の領主制度に似ていてそのトップに領主組から選出(談合)された人物が着座する。一種の現代版封建主義左翼王政のように見える。私思うに、戦後は特に世界レベルで各国の左翼系組織や関連会社(官僚、公務員、国際官僚など)は国境を越えて繋がって活動しており、また、反対に右翼系の王統派や支持者団体や会社関係も国境を越えて繋がって活動している。日本の様に右翼系だから''集団的自衛権''を促進し、日本が攻撃されていなくてもアメリカが攻撃されたら日本から軍隊を派遣する、という項目は再考が必要。アメリカにある国際機関などは今だに''日本は敵国''と条項に記載したままで、南北朝鮮の悪行は知らぬ存ぜぬを決め込んで、このような組織の人達を養うのに日本は毎年莫大なお金を彼らに高給を出してあげているのに、くだらない国際高級官僚達のこうも敵視し続ける官僚左翼外国人達の命を日本人達が''命’’をはって守ってやる必要はない。もちろん、一般国民が危機に陥った時は援軍が必要だろうが、この一般国民達の上に他を見下した人間達が自己利益絶対最優先で''集団的自衛権''を商売道具の魔法の杖にしようとしているのには賛成出来ない。本当の''国際の実態''を知らない右翼系政治家達を騙して巧妙に内容が仕組まれた集団的自衛権は日本国の守護にはならない感じがする。日本に本当に必要なのは日本の国土守る防衛軍とまだまだ議論が必要な国際派遣主体の援軍(集団的自衛権とは言わない)の2つ。左翼自己ビジネス至上主義に騙されない、中道右派的視野が日本には似合ってる。

投稿: coco6jpfr | 2014年8月18日 (月) 20時16分

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