「右翼」と「左翼」の区別に関する(私の)常識
■第1の分岐点<王制か、民主制か>
■第2の分岐点<誰の目線で考えるか>
左翼は、虐げられた庶民や民衆、つまり人民の視点で考えます。ですから祖国や民族の目線ではなく、金持ちや権力者などに支配される(警官に小突かれたり、横暴な上司に怒鳴られ扱き使われる)民衆の目線で考えます。そして、外国人であっても、外国の権力者・支配者に抵抗する民衆に共感し、応援します。
■第3の分岐点<政府が貧困・福祉対策を行うべきか、個人の自助努力か>
民衆の貧困・雇用・福祉を改善するため、政府が積極的な政策を行うべきか否か。例えば、労働者を保護するために労働基準法などの労働者保護法や社会保険・労働保険、年金制度の導入に賛成するかどうか。現代では、政府の財政出動はどのような分野に行うべきかなどです。
政府の雇用対策や福祉政策の実施を積極的に賛成するのが左翼。なお、19世紀末から20世紀初めにかけては、さらに社会主義計画経済を目指す社会主義運動(共産主義運動)が左翼の中心となった。ただ、ソ連が崩壊した後、この共産主義運動は解体しました。
このような施策を政府が行うことに反対するのが右翼。右翼も救貧対策などは否定しませんが、それは保守的な温情主義の発露です。要するに大金持ち(ビル・ゲイツとか)やキリスト教会の寄付などの善意に委ねる方向性です。右翼の立場の人の多くは、曰く、「格差はいつの時代にもある。」「貧乏人を甘やかすな。」「自助努力を促すべきだ。」「生活保護は怠け者をつくる。」等々
■第4の分岐点<国家による戦争に価値を認めるか否か>
右翼は現実主義者ですから、国際関係とは各国家が自国の国益を追求する「弱肉強食」関係にほかならないと考えます。何よりも、右翼は国家(祖国)や民族に至高の価値をおきますから、植民地や市場獲得のため、あるいは自国領土を奪還するための戦争を価値あるものと位置づけます。軍隊や軍事力行使を担うことは、崇高な国民の任務である考えます。
左翼にとっては、帝国主義戦争や植民地獲得戦争などの戦争は、政府や金持ちの支配層が自らの利益のために、労働者や農民を動員して他国の兵士と殺し合わせるものにほかなりません。したがって、国家による戦争に反対します。ただし、植民地解放のための武力闘争や民主主義国家の独立をまもるための自衛戦争には賛成します。そして、自国の正規軍が敗北したとしても、民衆が主体的に武器をとって戦うことを讃えます(スペイン市民戦争の国際義勇軍。レジスタンス闘争。パルチザン闘争。アジア、アフリカの植民地解放戦争)。
なお、日本国憲法9条を根拠として徹底的な非武装主義を標榜する日本の旧社会党的左翼は、世界的に見れば例外的な左翼党派です。フランスの左翼からすれば、それは平和主義などでなく、単なる敗北主義として批判するでしょう(戦争回避のためにナチスと融和路線をとった弱腰の政府のようなものであり、かえって戦争を招くことになったと。)
■右翼と左翼の相対化、右派と左派
今更、民主主義を否定して、王政復古を唱えて反米闘争を訴える右翼(これは極右)は、さすがに超少数派でしょう。また、プロレタリアート独裁を掲げて暴力革命で共産主義を目指す左翼(これは極左)も、超少数派です。
現代日本は、日本国憲法の法的有効性を認めて「象徴天皇制」を容認するという枠組みの中で、右翼や左翼の配置が決まります。
この枠内で、上記の分岐点ごとに濃淡がある各勢力(各党派)が存在しています。日本国憲法体制を容認し前提とする以上、右翼や左翼の分岐点の対立は薄まり、相対化しています。そこで、右翼でなく右派、左翼でなく左派と呼んだりします。でも本質的には、右翼と左翼の特徴と変わりありません。
■中道右派、中道左派、そして右翼
これに対して、社民党から分離して民主党に合流した勢力は「中道左派」です。国民の生活が第一は「中道右派」でしょう。
ちなみに、オバマ大統領は、この基準で言えば、「中道左派」でしょう。
そして、共産党や社民党は当然のことながら、左翼です。
また、石原慎太郎日本維新の会代表は、何しろ、「日本国憲法を法的に無効」と考え、「天皇主権の大日本帝国憲法が法的には有効だ」という奇矯な見解ですから、安倍自民党より、はるかに右です。上記基準から見れば、極右に近いでしょう。なお、石原氏が、本気で「憲法破棄」を言っているのであれば、立憲主義を破壊する主張です。憲法改正論者は、まだ立憲主義に立脚しています。石原氏の「憲法破棄」論は、憲法改正手続も不要との主張ですから、大日本帝国憲法がまだ生きているというとんでも議論です。自衛隊の統帥権は天皇が握っており、シビリアン・コントロールなどは「統帥権干犯」で違法ということになります。
| 固定リンク
| コメント (3)
| トラックバック (0)
最近のコメント