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2011年8月 7日 (日)

「第三の敗戦」 フクシマ原発事故と日本人のエートス

■こりゃ駄目だ

東北大震災による3月11日からの福島原発事故後、日本のテクノクラート(科学者、中央官僚たち)の対応を見てきて、『ホント、こりゃ駄目だ』と気分が滅入っています。

原発事故が起こったこと自体よりも、その後の科学者や中央官僚の右往左往ぶりにです。政治家の迷走は想定内ですから、今更、驚きません。

■原子力専門家の無責任と官僚の無策

科学者、官僚たちの無責任さと無能ぶりには愕然とします。原子炉の冷温停止さえも目処がたっていません。その後、廃炉(そもそも可能なのか?)や広大な土壌の汚染除去を考えると20~30年がかかるでしょう。本当に深刻な事故が起こることを想定していなかったのですね。いざとなれば、経産省あたりが秘密で対策を用意しており、少しは何とかすると思っていたのに・・・。観測ロボットさえないんだから(悲しい!)

■自分で作った「安全神話」を自ら信ずる愚かさ

住民をだまくらかすために編み出した「原発安全神話」を、官僚も科学者も、本当に自分で信じてしまったのだ?何という愚かさよ!

しかし、一番気が滅入ることは、原発事故の復旧に目処が立たないということでも、ありません。

■メルトダウンを否定した東大原子力専門家教授連中は何だったんだ

原発全冷却機能喪失直後、3月12日にメルトダウンが指摘されたときに、東大の原子力専門家の教授や准教授たちが入れ替わり立ち替わりにテレビに出演して、「燃料棒は損傷しているだけだ」と述べていました。ところが、5月初めに原子力・保安院が「3月12日いは原子炉の燃料棒はメルトダウンしていた」と発表しました。新聞ではわりと小さい記事でしたが。

あの「メルトダウンしたとは言えない」と大合唱した東大の原子力専門家とは、いったい何んだったのでしょう。

しかも、そのことについて反省や弁明さえない。「でたらめ」じゃなかった、「まだらめ」とかいう原子力安全委員会委員長並みの無責任さです。おまえらの言うことは、今後は絶対信用しないからね。

彼らも専門家だから、メルトダウンしている可能性が高いことを認識していたはずです。住民のパニックを恐れて口をつぐんだのでしょう。しかし、原子炉がメルトダウンを起こしたのであれば、水素爆発や水蒸気爆発が発生して、より深刻な事態(放射性物質の大量放出・広域汚染)が予測されたはずです。より広範囲な避難が必要となります。また、現に3月13日から14日には首都圏まで放射性物質を含んだ雲(プルーム)流れてきていた。その危険性への指摘も行うべきだったのでしょう。それを怠った。紙一重で水蒸気爆発を免れた(危機一髪)というのが真相だったのでしょう。不幸中の幸いでした。

■意図的な隠蔽でなく、無為無策の結果?

当初は、私は、その危険性が十分あることを念頭におきながら政府や経産省は、国民のパニックを回避するために、あえて秘匿していたのだと思っていたのです。ところが、実際には科学者も官僚も、そこまで検討しなかったのが真相ではないかと思うようになりました。

おそらく経産省や政府部内でも、最悪の事態について議論さえされずにタブーになった。「それを言っちゃおしまい」という感覚が蔓延していた。実際には、実務担当の専門家は事態が深刻さを深めていくのを見ながら、茫然自失していたのではないか。個々人では最悪の事態に発展する危険を感じながら、それを指摘して対策を検討し提言することもできず、周りに合わせて、楽観的なことを述べていたのだと思うのです。

これが私の気分を絶望的にさせるのです。

■空気に抗せない 組織人・日本人

ちょうど、第二次世界大戦、多くの日本人が『空気』に支配され、軍人でさえ「空気」には抗えなかったのと同じと感じます。山本七平は、「空気の研究」で戦艦大和を沖縄戦に出撃させる特攻作戦に対して大和の艦長らが、その軍事的愚かな作戦に反対したが、参謀本部が「申し訳ないが、もはや作戦の軍事的な成功不成功は問題ではない。それが皆の意見だと」と言われて、大和艦長以下、男らしく受け入れたと書いてありました。「空気」には抵抗できない、「水をさす」ようなことを言うのを躊躇する。そうして戦争に突入し、とうとう自分で泥沼から抜け出せなかった日本人。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2006/09/post_6ffb.html

これと同じことが、フクシマ原発事故に際して発生したように思います。これは、政権党が民主党であろうと、自民党であろうと同じだったでしょう。まさに三度目の「敗戦」です。

■日本人のエートスとは

このような行動パターンは日本人の「エートス」、日本人の「原型」なのでしょう。

丸山真男が、例の「日本の思想」で、<個人としての信念や良心を持ち、主体的に判断して行動できる近代的市民のエートスは日本では生まれていない>と論じました。残念ながら21世紀になっても当たっているようです。

日本の民衆は震災や原発事故への対応が冷静で落ち着いていると言われています。しかし、見方を変えれば「お上」に単に「恭順」なお人好しでしかないとも思えます。(だから、脱原発の動きも燃え上がらないし、被災者の損害賠償も適当なところでごまかされる)。

チェルノブイリ事故が起こった後、数年してソヴィエト帝国が崩壊した。日本も、そうなるのではないかと暗い気持ちです。

日本に希望があるとすれば、原発事故を克服し、段階的な脱原発の道に踏み出し、再生エネルギーの新産業と新社会を創出するという目標をかかげるくらいことでしょう。ところが、退陣表明してしまった菅首相が言うと全く説得力がないのが哀しい。その点、孫正義の主張は凄いと思います。(日経連会長は酷すぎる!)

久しぶりのブログ更新は愚痴になりました。

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コメント

サリンをまいた人たち、刑務所です。
交通事故で人をきずづけけた人は
場合によっては刑務所です。
交通刑務所の受刑者はそんな
つもりはまったくなかった、
と全員ゆうでしょう。

絶対儲かりますといって損をさせた人
刑務所です。

放射能を出した幹部たち
不思議です。多額の退職金をいただいて
悠々自適です。
まったくのおとがめなし。

法律家の人はどう考えているのか
非常に不思議です。

東電の幹部について裁判官、
検察、弁護士の人々はどう考えて
いるのか
理解不能なのでおしていただければ
幸いです。

投稿: Horie Atsushi | 2012年3月22日 (木) 11時01分

言葉の世界と自然界のルールとは
別物です。

電力業界トップと法曹界はこの単純で
明解な事実を全く理解していません。

人間どうしのルールは人間の都合で
作れますが、自然のルール(物理の法則)
は人間の都合とは別に宇宙が誕生した
時にすでに決まっていることで、
人間はだれもこのルールをまげられません。

ガリレオの時代はそんなことは
ほとんどどうでもいいことでしたが、
現代は違います。

物理の法則は法律で正しい、だだしくないを
判断できないし、原発の運用も電力会社の
役員会議で正しいとかまちがっているとか
決定できません。
人間の都合で運用を決めても自然の法則を
無視しては自然の法則は牙をむきます。

なぜならそんな人間の都合とは別次元の自然界の
法則ですでに厳格に決まっている事だからです。
そしてこまったことに電力会社の役員会議は
ガリレオの時代のお偉方の会議と大差ありません。

伊方原発訴訟も裁判所で議論し決定するには
無理がありました。

法律と自然の法則とは別次元の問題だからです。

法曹界はこの現実を直視してどこまでが
法律の分野でどこからは自然界の分野か
明確に位置づけるべきと思うのです。

原発事故はそれを示唆しています。

投稿: Horie Atsushi | 2012年3月24日 (土) 01時30分

たしかに法は法で厳守すべきものです。
それがなければ、安全でよい社会は
実現できません。

だからこそ今回の原発事故での東電幹部
のおとがめなしは、私(たち)の
順法精神をうち砕きました。

そしてさらにほとんどの法律は
官僚の官僚による官僚のための法律で
(通達とゆうかたちで作られています。)
国会での議論すらおこなわれずにだされて
います。
そのために私(たち)は不公正を
しいられています。
その代表が東電幹部です。

東電幹部のおとがめなしは
通産省がガードしているとしか
みえないですし、
検察も東大つながりで、
かばっているとしかみえない
のです。

なんのための法律か日本全体の
ための法律であるべきです。

そこで、私の妄想要求です。

東電幹部の裁判と個人資産での賠償、
発送電の分離と電力事業の新規参入の促進。
通達とゆう手法でだされた法律の再評価。
特別会計の見直し。

投稿: Horie Atsushi | 2012年3月29日 (木) 10時35分

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