読書日記 「街場のマンガ論」内田樹著
2010年10月発行(小学館)
2011年4月読了
■内田樹氏のマンガ論です。
内田樹氏のエッセイや評論には何度も目からウロコを落としてもらっています。着眼点というか、切り口が極めてユニーク。
確か「下流志向」という著書で、<昔は子どもが初めて社会に関与するのは、家事や家の仕事を手伝うという「労働」であった。ところが、現代は、初めて社会に関わるのは、「消費」である>と喝破していましたね。
街場のマンガ論の中の「アメコミに見るアメリカのセルフイメージ」というエッセイにもなるほどと思いました。
アメコミは、アメリカン・コミックであり、スーパーマンや、バットマン、スパイダーマンが、そのヒーローです。
「アメリカは人類の理想を体現しているのだろうか?」という、ふつうの国民国家の人たちが自分に決して向けることのない問いに取り憑かれているということである。これはきわめてストレスフルな課題である。そのストレスが、「アメコミ・ヒーロー」という非常に興味深い造形をつくりだしている、と私は思う。
『スーパーマン』も『バットマン』も『スパイダーマン』も、高い理想を掲げ、日々こつこつと世界の平和に寄与しているのだが、周囲の人間たちはその努力を知らず、彼に少しも感謝しようとしない。それどころか「おまえがそのスーパーパワーを発揮することで、世界の秩序がかえって乱されているのだ。世界はおもえなんか必要としてない」と罵倒を投げつけられるのである。… これはアメリカの自画像以外の何ものでもない
なるほど、最近では、ハリウッド映画で、ヒーローの心理的葛藤を描いた映画が量産されてきましたね。
■日本は
日本のマンガにもまた日本人のセルフイメージが濃厚に反映されているとして、次のように述べます。
日本の戦後マンガのヒーローものの説話的定型は「生来ひよわな少年」が、もののはずみで「恐るべき破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」の「操縦」を委ねられ、「無垢な魂をもった少年」だけが操作できる破壊装置の「着用によって、とりあえず極東の一部に地域限定な平和をもたらしている … これは『鉄人28号』から『魔神ガロン』、『機動戦士ガンダム』『マジンガーZ』を経て『新世紀エヴァンゲリオン』に至る「ヒーローマンガの王道」
このロボットやモビルスーツを体現しているのは、日米安保条約による在日米軍であり、無垢な少年とは憲法9条をもつ平和国家にほかならないとします。
1950年代の日本人のメンタリティをもっともみごとに映し出している『鉄人28号』において。「鉄人」は米軍(および創設されたばかりの自衛隊)を表している。だとすれば、その操縦を委ねられている「戦後生まれで、侵略戦争に加担した経験をもたない無垢な正太郎少年」は、論理の経済からして、「憲法9条」の表彰以外にありえない。
■在日米軍との拮抗?
内田樹氏は、在日米軍を憲法9条をもった日本がコントロールできっこないことは分かった上で、米国の軍事的属国である日本で、何とかマンガの中だけは無垢(イノセンス)な憲法9条で対抗しようとした日本人の集合的無意識のあらわれだとしています。
延々とつながる日本のロボットアニメをそう読むか、という感がします。
■代償行動?
ただ、ロボットが在日米軍でないとも読むこともできましょう。鉄人28号は、実は旧日本軍の対米決戦兵器だったという設定だったと思います。その操縦機を正と邪が奪い合うという物語でした。
第二次世界大戦前に軍隊(暴力装置)の暴走をコントロールできなかった過去の教訓から、「無垢な少年の心」が強ければ暴力装置を利用して活躍できる(米国に対しても)という「願望」を表しているとも読めるでしょう。去勢された「少年」の代償行動とも言えます。
この本には、手塚治虫のアトム論も論じられていますが、これも戦後論になっていて興味深かったです。
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