読書日記「荒廃する世界の中で-これからの『社会民主主義』を語ろう」トニー・ジャット著(みすず書房)
2010年10月20日発行
2011年1月10日読了
■著者経歴
著者は、ロンドン生まれのユダヤ人で、1967年にイスラエルの第三次中東戦争に参加した経験もある。ケンブリッジで研究生活を営み、1998年にニューヨーク大学の教授に就任。2010年8月死去。アメリカ在住ながら、ヨーロッパの社会主義を研究していた歴史家だそうです。
■不平等
著者は、アダムスミスの「成員の圧倒的多数が貧しく惨めであるような社会が、反映し幸福であるなどと言えない」との語句を引いて、次のように記しています。
裕福な少数者と貧しい多数者との隔たりが拡大すればするほど、社会問題は悪化する。
不平等は社会を浸食し、内側から蝕んでいきます。物質的な格差が及ぼす影響は、現れるのに時間がかかりますが、やがて時が来ると、地位や財貨をめぐる競争が激化し、人びとは財産の多寡にもとづいて優越感(ないし劣等感)を抱くことが多くなり、社会的階層の低い位置にいる人びとに対する偏見が増し、犯罪は激増し、社会的悪条件に起因する病理現象がますます顕著になります。野放図の富の創造がもたらす遺産は、まことに心痛ませるものです。
著者は、戦後、ケインズ主義のコンセンサスが、西ヨーロッパでは社会民主主義を通して、また、アメリカ合衆国では、「ニューディラー」や「偉大な社会」を推進した「リベラル」が福祉国家を築き、19世紀や20世紀初頭の水準から見て大きな成果を獲得したことを強調します。
しかし、1970年代後、若い世代が、もはやその成果を実感しなくなったときから逆転がはじまり、この30年間は、自己利益の追求をよしとしてきた。アメリカ人と言えば、医療保険や社会福祉の充実を主張すれば、相変わらず「社会主義じゃないか!我々は自分たちの問題に国家が干渉してほしくない。そして何よりも、これ以上の税金を払いたくない。」と反応するだけだと指摘します。
■社会主義と社会民主主義
公共の問題を討議しているときに、「社会主義と言えば、レンガが落ちてくる」という話しが語られています。ヨーロッパではそうではないが、アメリカではそうだと述べています。日本でも、アメリカと同様でしょう。
著者は、二つのやり方があるとします。
一番目は単純で、「社会主義」には触れずに済ますことです。私たちは20世紀独裁政治との結びつきによって、この言葉と思想がどれほど汚されたかわかりますし、私たちの討論からそれを除外することはできるでしょう。この方法には簡単さとメリットがありますが、偽善という非難を招きます。
マルクス主義も、その遺産(ソ連等の独裁政治のこと)によって取り返しのつかないほど泥を塗られていますーマルクスを読むことで、どれほどの恩恵を与ろうとも。急進的な提言にことごとく「社会主義」という形容詞をつけることは、端的に言って、不毛な論争を招くだけです。
しかし、「社会主義」と「社会民主主義」とのあいだには重要な違いがあります。社会主義は、資本主義を廃絶して、完全に異なる生産と所有のシステムに立脚した後継政治体制を実現することでした。社会民主主義は、これと違って、一つの妥協でした。その意味は、資本主義ーおよび議会制民主主義ーを枠組みとして受け入れ、その中で、これまでなおざりにされてきた国民大衆という大規模社会階層の利益をまもっていこう、というのです。
こうして西ヨーロッパやカナダや、ニュージーランドでの会話では、「社会主義」でなく、「社会民主主義」が言及されるなら、レンガは落ちません。その代わりに、議論は猛烈に実際的・技術論的な傾向を帯びてゆく可能性があります。
日本では、「社会民主主義」と言っても、会話にレンガが落ちるような気がします。著者の言うとおり、「この特別にヨーロッパ的な妥協は、うまく輸出できなかった」ということですかね。
■コミュニタリアン?
この著者のもう一つの特徴が「道徳」や「共同体への正義」を強調している点です。
社会民主主義者とその仲間のリベラル派や民主党員は、30年間防戦一方となり、自分たちの政策の弁解に終始していましたが、相手方の政策を批判する際も、この間ずっとあやふやでした。彼らの計画が好評の場合でも、予算の垂れ流しとかの非難に対して防戦に苦慮しているのです。では、どうすれば良いのでしょうか。
著者は、なぜかギリシア哲学を持ち出します。
私たちは、ギリシア人の子どもです。私たちは、直感的に、道徳的方向感覚の必要性を理解しているのです。…生まれながらのアリストテレスとして、わたしたちは、正義が慣習として実践されているのが正しい社会であり、人びとが行儀良く振る舞うのが良い社会であると考えているのです。
わたしたちは、他を捨てて一つの政策あるは一組の政策を選び取るのに理由が必要なのです。わたしたちに欠けているのは道徳の物語です。
著者は、この道徳の内容について明言しているわけではありませんが、「平等」を基本とした道徳のようです。これは例のサンデル教授の共和主義的正義を思い起こします。
共通の目的と相互依存の意識を教え込むことは、これまでずっと、すべての共同体にとって要であると考えれてきました。…不平等は道徳的に問題含みというだけでなく、非効率的だということなのです。
著者は、ユダヤ人として、イスラエルのキブツにも参加した経歴を持っているそうですので、その経験が、反映されているのかもしれませんね。
社会民主主義が、議論が実際的・技術論的になったときに、その議論に魅力を感じる人(特に若者)は余りいないでしょうね。実際にも、よく分からないので、専門家や官僚にまかせておこうということになりかねません。
人びとをその議論に参加させるエネルギーとしては道徳的な情熱が必要ということなのでしょう。
■アメリカの若者も
最後に、著者は、アメリカの若者へのメッセージを記しています。
80年代後半までは、有望な学生でビジネススクール入学に興味を示す人に出会うことはめったにありませんでした。今日では、その入学希望者も、その教育機関もありふれたものとなっています。
1971年には、ほとんど誰もが何らかの種類の「マルキスト」だったか、あるいはそう思われたいと願っていました。2000年になると、学部学生でその意味さえ分かる者はおらず、ましてや、それがなぜそれほど魅力的だったか、知る者などいないのです。
今わたしたちは新しい時代の門口にたっている、利己的な数十年間から離れようとしている、という考えを結論にするのが喜ばしいでしょう
アメリカも日本も、同じような状況なのですね。
本書の最後を、著者はある有名な言葉を引いて終えています。
哲学者たちはこれまで、さまざまに世界を解釈してきただけなので、肝心なのは、それを変えることなのです。
これはご承知のとおり、マルクスの言葉です。
著者もやはり、「ご本尊」への忠誠は最後まで払拭できなかったのでしょうね。(これは揶揄でなく共感ですが。)
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コメント
はじめまして。
僕も本書を読み終えたところです。大変勉強になりました。格差社会~貧困社会という流れの中で発生した震災と原発問題は、日本の志向する「政府の大きさ」をかなり変えることになりそうだなと思っています。
投稿: くにたち蟄居日記 | 2011年6月 2日 (木) 05時01分