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2011年1月30日 (日)

サッカー・アジアカップ優勝 ドーハの悲劇から、ドーハの歓喜へ

■カタール戦3-2

吉田が退場になってから10人でよく逆転をしました。最後まであきらめずに、冷静にファイトできる。技術以上の可能性を感じた日本でした。

■韓国戦0-0 PK3-0

日本が最初にとられたPKで試合がわからなくなりました。最初にPKをとったから岡崎へもPKを与えたという感じです。試合途中のPKがなければもっと良い試合になったでしょうね。

延長後半14分での失点はドーハの悲劇を思い起こしました。しかし、川島はよくPKを止めた。やはり韓国は強い。今回は、日本に運があったということです。

■キ・ソンヨン選手の猿パフォーマンス

後味が悪かったのが、キ選手の猿まねパフォーマンス。テレビで観ていて変わったパフォーマンスだなあと思いましたが、日本人への蔑視パフォーマンスだとは知りませんでした。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=136977&servcode=600%C2%A7code=610

あとで聞くと、韓国人は日本を蔑視するときに、猿と表現するのだそうです。朝鮮半島には猿がいないから、猿が日本の蔑称になったそうです。韓国人の日本人蔑称は、チョッパリというのを聞いたことがありますが、「猿」も蔑称だとは知りませんでした。ちょうど、アメリカ人やイギリス人がジャップやイエロー・モンキーと言うのと同じですね。白人は、東洋人(彼らは日本人も韓国人も、北朝鮮人も、中国人も区別がつかない)を「モンキー」と蔑称します。キ・ソンヨン選手はスコットランドのセルティックに所属していて、試合中に観客から「モンキー」と人種差別攻撃を受けたそうです。そういう選手が同じアジア人に猿と蔑視するとはねえ。どういう頭の構造をしているのでしょうか。

キ選手のツイッターによると、日本人応援団が旭日旗を掲げていることに腹を立てたから、頭にきて日本人を猿と馬鹿にしたのだそうです。

韓国を代表してたたかうサッカー選手としては自らの品格を貶めるだけの行為で、極めて後味が悪い試合でしたね。旭日旗(=日本軍旗)を振る日本人も無神経だとは思いますが、所詮サッカーはスポーツ・ゲームですから、観客の心ない振る舞いを過剰規制もできません。それに反応して代表選手とあろうものが差別を助長する行為をしてはいけませんね。

「選手も自由にして良い」という意見もありますでしょうが、サッカー選手にはFIFAのルールが適用されます。人種差別行為を禁止するFIFAルールに反する行為です。

日韓ワールドカップ共催をして、少なくともサッカーに関しては両国の垣根はなくなったかに思えましたが、まだまだ無理なのですね。でも、パク・チソン選手が猿パフォーマンスを諫めているように見えたのが救いです。

■オーストラリア戦 0-1

日本の守備への不安が的中したゲームでした。岩政選手が途中から出て、なんとかもちましたが、後半30分くらいで、確かキーウェルに裏をとられたのは岩政選手だったのではないでしょうか? GK川島選手のスーパーセーブがなければ3点はとられてた。運も日本の味方だったように思います。

センターバックの守備は今ひとつ不安定でしたが、攻撃は素晴らしかった。遠藤、長谷川が封じられて自由に動けなかったが、本田、長友、前田、岡崎の連携でビッグチャンスをつくっていました。とにかく、長友が中盤にあがってからの活躍がすごかった。

最後の最後に、李忠成選手が素晴らしいボレーを決めてくれました。

在日韓国人で日本国籍を取得して日本代表に選ばれた李選手の決勝ゴールを、多くの日本人が賞賛していることは、キ・ソンヨン選手の猿パフォーマンスに対する極上の返答となりました。

■ザッケローニ監督

ザッケローニ監督の選手交代の采配がすべて効果的でした。たった就任後5ヶ月で、監督と選手との信頼関係、チームとしての団結力をつくりだした素晴らしい監督だと思います。ザッケローニ監督の戦術眼、安定感と人間性が、チームを成長させているように思います。

これからはアジアでなく、さらに世界で活躍できるように成長していくことでしょう。


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2011年1月25日 (火)

読書日記「サンデルの政治哲学」 小林正弥著

平凡社新書
2010年12月10日 初版第1刷
2010年1月10日 読了

■サンデル教授曰く、「共和主義」だぜ

トニー・ジャット著の「荒廃する世界の中で」を読んでいて、社会民主主義の話しは分かりやすいのですが、さかんに道徳の話しやアリストテレスの話しが出てきて不思議。で、この本に書いてあったことを思い出しました。

本書は、あの有名なNHKの「白熱講義」のハーバード大学教授の政治哲学者のサンデル教授の著書の解説本です。その中で、サンデル教授の「民主政の不満」の中で次のようなことが書かれているそうです。

アメリカ建国のころ、ジェファソンは自由農民が公民として共和主義的な美徳と自立をそなえた公民として共和主義政治を行える。19世紀初頭では、職人、熟練工、機械工のような小生産者にはそれが可能だと信じられた。自由労働は、賃労働と矛盾しないと思われていた。本当の奴隷労働があったので、賃労働は自由意思に基づいて行うというイメージだったのです。

ところが、職人らが、一生、賃金労働者として生きることなり、もはや自由労働ではなくなった。そこで、1830年代には、急進的な職人的共和主義が現れて抵抗した。しかし、南北戦争後の産業資本主義が発展し、共和主義的概念は捨てられ、労働運動の方も、ついに賃労働の永続性を認めて、賃金上昇、労働時間削減、労働条件改善などの要求へと転じた。これは「公民性の政治経済から分配的正義の政治経済」への大変化を表す。

■労働者騎士団「労働者共和主義」

中窪裕也教授の「アメリカ労働法」で、アメリカの労働運動の黎明期に労働騎士団(Knights ob Labor)という団体があり「理想主義的な社会改革を目標に掲げた」と触れられていました。サンデル教授が、民主政の不満のなかで労働者騎士団について次のように書いているそうです。

19世紀末、金メッキ時代と言われていた頃で、サンデルが「労働者共和主義」と呼ぶ運動が生まれた。ちょうど労働組合運動の始まりの頃で、この頃、労働騎士団(1869~90年頃)という組織が誕生した。この労働騎士団は資本家の独占的権力に反対し、賃労働が自己統治に不可欠な人格的資質ないし公民的美徳を破壊することを批判して、その廃止を目的とした。そして、生産者と労働者が協同で工場、鉱山、銀行、農業や商店を組織して倫理的で協同的な共和体(coopereative commonwealth)を形成しようという主張もあらわれた。・・・労働運動は公民的な人格形成を可能にするために一日8時間労働を主張した。

しかし、19世紀末から20世紀初頭にかけて、(ロックナー・コート期の)裁判所は、労働と賃金を交換する権利を認めて、(州が労働者を保護する目的で作った)様々な労働立法を違憲と判断するようになる。これは「資本家と労働者がそれぞれの自由意思によって結んだ契約は尊重すべきである」という考え方えで

労働騎士団は、共和主義的な自己統治に適した経済への改革を企て、賃金労働制度の廃止と協同の産業システムを作ろうとした。これは1880年代には急成長したが、協同組合制度の試みは成功せず、1890年代には急速に衰退した。

労働騎士団に代わって台頭したのがアメリカ労働総同盟だが、賃労働という考え方を受け入れている点で、通常の労働組合主義である。

サンデル教授は共通善を強調して価値相対主義のリベラルを批判するのですが、(だからこそ)共和主義的な労働者運動を評価するという側面があるのですね。

■社会主義ないし社会民主主義の思想がない米国でも

社会契約論、自由主義、そして、ロールズ的リベラル、リバタリアン、サンデルのコミュニタリアンなどなどの理念が語られています。人間社会というものは、権力と自由と平等の三次元の中で、共振や鳴動をしているということですね(「生産諸関係のアンサンブル」ってね)。理念(イデオロギー)の語られ方は違いますが、問題の実質は共通しているように思えます。

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2011年1月23日 (日)

まねきTV事件最高裁判決 H23.1.18

■まねきTV事件

新聞報道でご承知のとおり、テレビ局の放送を、被上告人が顧客からソニーのベースステーションの親機を預かって設置し、海外などに在住する顧客が持っているベースステーションのモニターに、インターネットを通じて送信した行為について、最高裁はテレビ局の著作権を侵害するとして違法としました。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110118164443.pdf

東京地裁の知財部、知財高裁では、顧客が所有する親機と子機の間で1対1で放送を送信する行為は、著作権侵害をしないとしました。ところが、最高裁は、送信が1対1の関係でも、被上告人が顧客を多数集めて、ベースステーションを設置管理し、放送をアンテナから入力する行為は、公衆送信権の侵害となるとしました。

■知財高裁と最高裁の判決の分かれ目は

ベースステーションという機器の理解や法解釈の違いというよりも、新しい技術革新が行われ新しいサービスが出現したとき、新しい技術によるサービスを拡大する方向を重視するのか、古典的解釈を重視するのかという価値観の違いが判断の分かれ目のようです。

最高裁は、インターネットやベースステーションという新技術を使って、既存のテレビ放送の転送サービスから、お金を稼ぐことは許されないという発想なのでしょう(古典的なフリーライダー解釈)。それで、1対1の機器を使っても、自動公衆送信装置を拡大解釈した。他方で、知財高裁や東京地裁知財部は、技術革新の利用によるサービスを発展させるという観点から、自動公衆送信装置を厳格に解釈したという違いのようです。

■利害調整と政策方向

問われる点は、新技術による新サービスによる利用者の利益や新技術によるビジネスモデルの発展という利益と、古典的な権利者との利害調整ということになるわけです。結局、最高裁がこういう判断をした以上、政策的な判断を踏まえた立法的な解決を目指すしかないでしょう。

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2011年1月22日 (土)

読書日記「労働契約と法」 西谷敏・根本到編 旬報社

■労働契約と法

西谷敏先生、根本到先生編の「労働契約と法」をご送付いただきました。ありがとうございました。

http://www.junposha.com/catalog/product_info.php/products_id/646


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早速、西谷先生の巻頭論文の「労働契約法の性格と課題」をざっと読ませていただきました。実定法の労契法と、実質的な労働契約法を区別し、後者の労働契約法を、判例法理や政治的情勢と切り離して議論が展開されるべきことを強調されています。

■実質的な合意原則

労働契約における合意とは何かという論点を、原理的に掘り下げられている点が印象に残りました。実質的な対等な合意でなければならない。そのためにの法規制が必要ということです。シンガー・ソーイング・メシーン事件最高裁判決の退職金債権放棄の有効性について、「労働者の自由な意思に基づいてなされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき」という法理を重視されます。

■債権法改正との関係の指摘

西谷論文では随所に現在、債権法改正で審議されている改正点、現代的暴利行為や約款規制、民法の雇用規定と労契法との関係が議論されている点も注目されます。

その中で、民法と雇用規定と労契法との関係について次のように指摘されています。

「民法上の雇用にあたるかどうかも、単なる契約形式によってではなく、その実態から判断することを前提とすれば、契約類型として雇用契約と労働契約は基本的に重なり合うと考えるので、現行民法の雇用に関する規定は労働契約法に吸収して一元的に規制すれば良いと考える。」
これから各論文を読んでいきたいと思います。


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2011年1月16日 (日)

読書日記「荒廃する世界の中で-これからの『社会民主主義』を語ろう」トニー・ジャット著(みすず書房)

2010年10月20日発行
2011年1月10日読了

■著者経歴

著者は、ロンドン生まれのユダヤ人で、1967年にイスラエルの第三次中東戦争に参加した経験もある。ケンブリッジで研究生活を営み、1998年にニューヨーク大学の教授に就任。2010年8月死去。アメリカ在住ながら、ヨーロッパの社会主義を研究していた歴史家だそうです。

■不平等

著者は、アダムスミスの「成員の圧倒的多数が貧しく惨めであるような社会が、反映し幸福であるなどと言えない」との語句を引いて、次のように記しています。

裕福な少数者と貧しい多数者との隔たりが拡大すればするほど、社会問題は悪化する。

不平等は社会を浸食し、内側から蝕んでいきます。物質的な格差が及ぼす影響は、現れるのに時間がかかりますが、やがて時が来ると、地位や財貨をめぐる競争が激化し、人びとは財産の多寡にもとづいて優越感(ないし劣等感)を抱くことが多くなり、社会的階層の低い位置にいる人びとに対する偏見が増し、犯罪は激増し、社会的悪条件に起因する病理現象がますます顕著になります。野放図の富の創造がもたらす遺産は、まことに心痛ませるものです。

著者は、戦後、ケインズ主義のコンセンサスが、西ヨーロッパでは社会民主主義を通して、また、アメリカ合衆国では、「ニューディラー」や「偉大な社会」を推進した「リベラル」が福祉国家を築き、19世紀や20世紀初頭の水準から見て大きな成果を獲得したことを強調します。

しかし、1970年代後、若い世代が、もはやその成果を実感しなくなったときから逆転がはじまり、この30年間は、自己利益の追求をよしとしてきた。アメリカ人と言えば、医療保険や社会福祉の充実を主張すれば、相変わらず「社会主義じゃないか!我々は自分たちの問題に国家が干渉してほしくない。そして何よりも、これ以上の税金を払いたくない。」と反応するだけだと指摘します。

■社会主義と社会民主主義

公共の問題を討議しているときに、「社会主義と言えば、レンガが落ちてくる」という話しが語られています。ヨーロッパではそうではないが、アメリカではそうだと述べています。日本でも、アメリカと同様でしょう。

著者は、二つのやり方があるとします。

一番目は単純で、「社会主義」には触れずに済ますことです。私たちは20世紀独裁政治との結びつきによって、この言葉と思想がどれほど汚されたかわかりますし、私たちの討論からそれを除外することはできるでしょう。この方法には簡単さとメリットがありますが、偽善という非難を招きます。

マルクス主義も、その遺産(ソ連等の独裁政治のこと)によって取り返しのつかないほど泥を塗られていますーマルクスを読むことで、どれほどの恩恵を与ろうとも。急進的な提言にことごとく「社会主義」という形容詞をつけることは、端的に言って、不毛な論争を招くだけです。

しかし、「社会主義」と「社会民主主義」とのあいだには重要な違いがあります。社会主義は、資本主義を廃絶して、完全に異なる生産と所有のシステムに立脚した後継政治体制を実現することでした。社会民主主義は、これと違って、一つの妥協でした。その意味は、資本主義ーおよび議会制民主主義ーを枠組みとして受け入れ、その中で、これまでなおざりにされてきた国民大衆という大規模社会階層の利益をまもっていこう、というのです。

こうして西ヨーロッパやカナダや、ニュージーランドでの会話では、「社会主義」でなく、「社会民主主義」が言及されるなら、レンガは落ちません。その代わりに、議論は猛烈に実際的・技術論的な傾向を帯びてゆく可能性があります。

日本では、「社会民主主義」と言っても、会話にレンガが落ちるような気がします。著者の言うとおり、「この特別にヨーロッパ的な妥協は、うまく輸出できなかった」ということですかね。

■コミュニタリアン?

この著者のもう一つの特徴が「道徳」や「共同体への正義」を強調している点です。

社会民主主義者とその仲間のリベラル派や民主党員は、30年間防戦一方となり、自分たちの政策の弁解に終始していましたが、相手方の政策を批判する際も、この間ずっとあやふやでした。彼らの計画が好評の場合でも、予算の垂れ流しとかの非難に対して防戦に苦慮しているのです。では、どうすれば良いのでしょうか。

著者は、なぜかギリシア哲学を持ち出します。

私たちは、ギリシア人の子どもです。私たちは、直感的に、道徳的方向感覚の必要性を理解しているのです。…生まれながらのアリストテレスとして、わたしたちは、正義が慣習として実践されているのが正しい社会であり、人びとが行儀良く振る舞うのが良い社会であると考えているのです。

わたしたちは、他を捨てて一つの政策あるは一組の政策を選び取るのに理由が必要なのです。わたしたちに欠けているのは道徳の物語です。

著者は、この道徳の内容について明言しているわけではありませんが、「平等」を基本とした道徳のようです。これは例のサンデル教授の共和主義的正義を思い起こします。

共通の目的と相互依存の意識を教え込むことは、これまでずっと、すべての共同体にとって要であると考えれてきました。…不平等は道徳的に問題含みというだけでなく、非効率的だということなのです。

著者は、ユダヤ人として、イスラエルのキブツにも参加した経歴を持っているそうですので、その経験が、反映されているのかもしれませんね。

社会民主主義が、議論が実際的・技術論的になったときに、その議論に魅力を感じる人(特に若者)は余りいないでしょうね。実際にも、よく分からないので、専門家や官僚にまかせておこうということになりかねません。

人びとをその議論に参加させるエネルギーとしては道徳的な情熱が必要ということなのでしょう。

■アメリカの若者も

最後に、著者は、アメリカの若者へのメッセージを記しています。

80年代後半までは、有望な学生でビジネススクール入学に興味を示す人に出会うことはめったにありませんでした。今日では、その入学希望者も、その教育機関もありふれたものとなっています。

1971年には、ほとんど誰もが何らかの種類の「マルキスト」だったか、あるいはそう思われたいと願っていました。2000年になると、学部学生でその意味さえ分かる者はおらず、ましてや、それがなぜそれほど魅力的だったか、知る者などいないのです。

今わたしたちは新しい時代の門口にたっている、利己的な数十年間から離れようとしている、という考えを結論にするのが喜ばしいでしょう

アメリカも日本も、同じような状況なのですね。

本書の最後を、著者はある有名な言葉を引いて終えています。

哲学者たちはこれまで、さまざまに世界を解釈してきただけなので、肝心なのは、それを変えることなのです。

これはご承知のとおり、マルクスの言葉です。

著者もやはり、「ご本尊」への忠誠は最後まで払拭できなかったのでしょうね。(これは揶揄でなく共感ですが。)

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2011年1月10日 (月)

基礎データのチェックの重要性  JALの人件費は高いのか?

■マスコミや世論の「空気」に抗する

同調傾向の強い私たち日本人は、「みんながそう言っている」、「マスコミがそう言っている」からと「長いものに巻かれる」ことになりかねません。そんなとき基本的データを確認すると「空気」で物事を判断する傾向にブレーキをかけてくれます。

■日本では少年凶悪犯罪は増えているのか?

その手の有名な話しはマスコミや保守派が大騒ぎする「少年犯罪の増加と凶悪化」という「常識」です。少年犯罪の増加や凶悪化という「常識」は、統計的にはまったく事実に反しています。実際には日本の凶悪犯罪は減少しており、世界的に見て最も安全な国というデータあります。

少年人口1万人当たりの殺人は1960年に0.4人でピークを迎え、近年では0.1を切る年も珍しありません。強姦に至っては、4.1人/万人(1958年)から、0.2人/万人(2004年)とまさに激減しているのです。(飯田泰之著「ダメな議論ー論理思考で見抜く」ちくま新書)。

「いかがわしい漫画やアニメが横行するから少年犯罪が増加する」という東京都の立論は、データには根拠づけられていません。

■日航が「倒産」したのは人件費が高いからか?

これと同じ「常識」は、日航が倒産したのはパイロットや客室乗務員の人件費が高いからというものがあります。東京大学の醍醐聡教授によれば、次のように、1998年の時点でも海外他社との比較で見れば高くなく、アメリカ大手3社と比較すればはるかに低い水準にあったそうです。

JALの人件費(社外委託費を含む)が営業費用総額に占める割合は1991年度から98年度までの間に29.2%から25.3%へと、3.9%低下

同時期にアメリカの大手航空会社3社では営業費用に占める人件費の割合は、ユナイテッド航空は31~36%の間で漸減していましたが、アメリカン航空は33.3%(92年度)から37.7%へ、ノースウェスト航空は31.1%(94年度から)35.3%に増加し、…英国航空は30.9%から27.8%に、ドイツのルフトハンザ航空は28.8%から25.0%に減少していましたが、絶対額ではそれぞれ1.56倍、1.07倍と増加していました。

また、醍醐教授は、2008年度の航空会社の運航営業費の国際比較をされています。これによれば営業費用における人件費の比率は次のとおりだそうです。(2010年4月号「経済」)

日本航空 15.6%(社外委託費を除く)

アメリカン 25.9%

ユナイテッド 19.6%

デルタ 21.3%

英国航空 27.5%

私も、これは意外でした。

じゃあなぜ、JALが会社更生にまで至ったのか。醍醐教授は、ドル買い為替予約で2200億円もの損失を出した経営陣の失態(監査役の意見を無視した)。ホテルリゾートの事業の失敗。航空券販売システムの代理店コストなどが原因だと指摘されています。

どちらにしても、人件費が高いからJALが債務超過になった、会社更生に至ったという「常識」は誤りということになります。

マスコミの「空気」や「常識」を疑い、チェックすることは重要ですね。

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サッカー・アジア杯 ヨルダン戦 1-1

■ヨルダン戦 ドロー

最後に良く1点を入れました。

このまま負けてもおかしくない展開でした、日本代表はいつむ中東のチームに苦戦していますからね。でも、若い日本代表が全力でがむしゃらになって、最後に、こじ開けたゴールでした。

守備的(でも、アグレッシブに寄せてくる)ヨルダンにあわせる形で、スピードが遅くなった感があります。でも若い日本代表が最後に1点を返した点は、楽勝するより、チームの成長にとっては良かったのでしょうね。

また、サウジアラビアがシリアに1-2で負けるとはね。

これからのテレビ観戦が、またまた楽しみになりました。

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