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2010年12月31日 (金)

2010年9月~12月までのページ別アクセス数

ニフティのココログのサービスで、2010年9月~12月31日までのページ別アクセス数と検索(ワード・フレーズ)を見てみました。

特徴としては、司法修習給費制や「こんな日弁連に誰がした」がけっこう読まれているということで同業者が見ているようです。次は、労働法関係分野(派遣法、有期雇用法制、債権法改正)がやはり多いことです。

あと、時事ネタ 「暴力装置」や「尖閣諸島問題」も、結構、アクセス数が多いのがちょっとびっくりです。

戦後民主主義教育を素直に受け入れた最後の世代(1950年代~1960年代前半に生まれた世代がそうではないかと思っています)である「おじさん」的思考が物珍しいのでしょうか?(反発も含めて。。。)

2011年もよろしくお願いします。

【ページ別アクセス数】

1 裁判所と司法修習給費制 782
2 日本IBM会社分割事件最高裁判決H22年7月12日 718
3 尖閣問題のDVD流出 702
4 尖閣諸島 中国人船長釈放 557
5 民法(債権法)改正と労働契約-ちょっとびっくり 546
6 日本マクドナルド店長残業代請求事件判決 529
7 軍隊は暴力装置って、なぜ問題発言? 512
8 会社分割・労働契約承継法と「在籍出向」 452
9 労働者派遣法の改正 「常時雇用する労働者」の意味 409
10 新司法試験 既習者 合格率7割 405
11 有期労働契約研究会報告書の気になる点 解雇規制緩和 400
12 民事裁判の証人尋問 365
13 有期労働契約研究会 最終報告書案 312
14 日本の自殺率-驚愕の国際比較 302
15 労働者派遣法改正法案の成立を300
16成果主義賃金による降級・減額措置を違法とした東京高裁判決-マッキャンエリクソン事件 295
17 裁判所と司法修習生給費制(2) 290
18 民法(債権法)改正と労働法(その6) 281
19 読書日記「こんな日弁連に誰がした?」小林正啓著(平凡新書) 275
20 弁護士大増員時代-ドイツ弁護士事情 266


【検索 ワード/フレーズ】

1水口洋介 212
2夜明け前の独り言107
3法曹人口 97
4債権法改正 93
5満州建国大学 83
6有期労働契約研究会 68
7小林正啓 63
8民法改正 債権法 62
8丸子警報機事件 62
10自殺率 国際比較 56
10ドイツ 弁護士 56

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2010年12月26日 (日)

改めて思う「暴力装置」って言葉

日本でも、政治的に不適切な用語に関する辞典が必要になってきたようです。

あらためて、仙谷官房長官の例の「暴力装置」発言を考えると、単にそのような用語の問題以上に、「時代精神」というか、「知識ステージ」というか、舞台が転換したことの象徴的な出来事なのでしょう。(何を今更気がついたのかと言われそうですが)。

<もっとも、「お国を守る兵隊さんに失礼なことを言うな」という讒言には首肯したわけではありませんが。この手の人たちがまたもや日本の進路を誤らせるのでしょう。まあ、これも日本人の宿命なのでしょう。>

つまり、「暴力装置は価値中立的な概念である」と考えるのは、私のような旧い世代の認識でしかなく、現在においては、「暴力装置」とは特定の政治的価値(左翼的価値観)を示す用語に変化しているということが、この間の一連の報道で良くわかりました。

もはや、旧世代の左翼おじさんの日常用語は、社会に通用しないということなのです。また、これは、新たな日本でのポリティカル・コレクトネス(political correctness)の一適用例なのかもしれません。

「暴力装置はレーニンの専売特許だ」とか、「暴力装置はマルクス主義の考え方なんだ」とか、多くの若者と思われる人たちがネットで書いています。もっとも、保守派・右派でも、私と同様の旧い世代は左派はもちろん、右派も「暴力装置で当たり前」って言っています。

学術用語(専門用語)の理解としては、「暴力装置=マルクス・レーニン主義」これは間違っていますね。国家の本質が暴力装置(物理的強制力)であることは、マルクスやレーニンの専売特許ではありません。マックス・ウェーバーどころか、それ以前の哲学者らの多くが指摘しています。例えば、ホッブスが国家をコモンウェルス(共同体)としながら、同時にリヴァイアサン(怪物)だと述べていました。ホッブス(=リヴァイアサン国家論)もアダム・スミス(=夜警国家論)も、国家が秩序を維持するために物理的強制力(暴力)を専有していることを本質としていると考えていました。

国家が「ヤヌスの双面」(公共性と暴力)を持つという「国家論」の常識は、もはや世の中の一般の理解は得られなくなったということなのでしょう。

ちなみに、マルクス主義の国家論の特徴は「国家=軍隊=暴力装置」論ではなく、「階級国家」論です。つまり「国家は支配階級の階級支配の道具である」ということです。我々の年代では、その知識自体は常識でした。反マルクス派も、少なくとも過去の歴史において、階級国家論が妥当することは認めざるを得なかったと思います。例えば、江戸幕府が封建領主(武士階級)の支配の道具だということを否定する人はいないでしょう。(って考えるのが旧い世代だからなのかもしれませんが。)

しかし、もはや「階級」という用語も政治的に不適切な用語(PC)になっているのでしょう。総理大臣や官房長官が、「わが国には階級が存在する」って言ったら、「暴力装置」以上に物議をかもすことでしょう。「階級社会」って言わずに「格差社会」って言い換えるわけです。客観的用語と心情言語が分離できない、というのが日本的な特質なのでしょう。「階級」って言うとマルクス主義の立場にたっていること思われるから、わざわざ「階層」と言い換えるのが日本です。でも、英語では「階級」も「階層」もclassだそうです。

このあたり、社会科学の学術用語と日常生活用語が分離し、社会科学の学術用語が翻訳語として特化しているという日本的特質のあらわれなのでしょうね。

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2010年12月23日 (木)

久しぶりの呟き

年末の慌ただしさのなか、ブログの更新がなかなかできませんでした。

労働弁護団の幹事長になってから、労働ネタを書くのは、気をつかってしまって、なかなかか前のようにタイムリーに書けません(個人的ブログとは言っても、やはり・・・萎縮していまいます)。

■日航の整理解雇

いよいよ日航が労働者を整理解雇をはじめました。先日wowowで、映画の「沈まぬ太陽」を放送していました。日航の労働者のたたかいは、来年から本格化するでしょう。

労働弁護団も緊急声明を出しました。

企業再生支援機構によるJALの労働組合への支配介入に抗議する

http://roudou-bengodan.org/proposal/detail/post-9.php

日本航空の整理解雇に対する緊急声明

http://roudou-bengodan.org/proposal/detail/post-8.php

■韓国の非正規労働者保護法

先日、JILPTの呉先生から、韓国の非正規労働者保護法についての講義をお願いしました。韓国の非正規労働者保護法については、すでに様々なところで報告されています(最近は労働旬報での特集)。

呉先生のお話で驚いたのは、韓国では、非正規労働者の均等待遇違反は、労働委員会に是正申立ができ、労働委員会は60日以内に結論を出さなければならず、すでに1000件が申し立てられており、うち4割が是正命令が出されているということです。

韓国の労働委員会の活性化と労使関係への影響力は大きなものがあります。日本の労働委員会と大違いです。

■昔話

もう23年前になるでしょうか、労働弁護団(当時は、まだ総評弁護団だったと思います)で、韓国から、東大の菅野教授のもとに留学されていた研究者を招いて、韓国労働法のお話をお聞きしたことがあります。

当時は、韓国の労働法は労組弾圧立法の性格を有しているようで(私の勝手な思い込みかもしれませんが)、同じ甲企業のA工場とB工場があり、A工場の労働組合が、B工場の労組のストライキを支援するために、B工場に応援にいくと、労組法に反するとして刑罰の対象となり、逮捕されるというお話を聞きました。

しかし、その後、韓国は「学生、市民、労働者」諸氏(まあ、古くさい言葉で、日本では死語ですが)の奮闘(血と汗であがなった本当の意味での艱難辛苦の奮闘)で、民主化を実現したわけです。

2000年頃、日本で司法改革の中で、労働参審制や労働審判制を議論しているときに韓国の法制を再度調べたことがあります。当時、韓国は既に労基法で、正当な理由のない解雇を規制し、整理解雇要件を立法化して、労働委員会が個別的労働紛争についても審理をするという法律をつくっていたので驚いたものです(宗剛直著「韓国労働法」2001年悠々社)。東大の菅野先生から韓国の労働委員会を傍聴したお話をお聞きしたところ、「実効性ある制度として運用されている」ということでした。

これらの非正規労働者保護法や一連の労働立法が成立した要因は、やはり韓国の民主化闘争の力ということでしょう。その力が、金大中政権と盧武鉉政権が成立させて労働立法を実現したのですから。

自民党政権から民主党政権への政権交代は、韓国の民主化ほどでなくとも、社会的弱者との連帯を大切にする公正な日本型福祉国家への第一歩になるかと、昨年は期待したものですが・・・

■とはいえ

20年前に比べれば、規制改革一本槍から、労働に関するルールや公正な社会のあり方について、一般マスコミでも議論される時代になったことを思えば、大きな前進です。

私の福祉社会のイメージは、普通にまじめに働く人は家族とともに楽しく暮らせる社会というものです。これを実現するための方策は、それほど難しくないはずです。ある方法を試して失敗すれば、修正すればすむ話しのはずです。

ただし、社会の利害関係や権力闘争を抜きにすればです。利害関係や権力闘争から自由になれる人間社会はありませんから…話しは単純にはいきません。

なぜ、そう単純にいかないか。マルクス、ウェーバー、ロールズ、多くの社会学者や社会哲学者がさんざん議論してきたところです。まあ、これらの思想も、もはや「左翼」の旧い観念として軽んじられるのが日本の現状のようです。

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