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2010年3月 7日 (日)

相次ぐ東京高裁判決-日の丸・君が代の起立斉唱命令の合憲性・合法性

■相次ぐ東京高裁判決
2003年10月23日、石原都知事の下、東京都教育委員会が、都立学校の卒業式等で国旗(日の丸)に向かって起立し、国歌(君が代)を斉唱するよう命じる通達を発令しました。これに従わなかった都立高校の教職員が懲戒処分を受け、それまでは希望者の99%が合格していた再雇用職員制度の採用・更新について、全員が合格取消あるいは不合格とされています。東京高裁は相次いで、合憲・合法という判決を言い渡しています。

①東京高裁第8民事部 平成21年10月15日 Sさん再雇用職員不合格事件
②東京高裁第4民事部 平成22年1月29日 再雇用職員不合格事件
③東京高裁第16民事部 平成22年2月23日 再雇用職員合格取消事件

上記三つの東京高裁の判決の特徴(②と③の事件は私も代理人として担当しています)は、「国旗国歌の起立斉唱を命じる行為は、外部的行為を命じるものである。だが、起立斉唱という外部行為を命じることは、そもそも教職員の思想良心の自由を制約するものではない」という構成をとっている点です。つまり、東京高裁は、最高裁がピアノ伴奏拒否事件で、音楽教師に君が代の伴奏をするよう命じても、音楽教師の思想良心を制約することにあたらないとした結論を、起立斉唱命令にそのまま当てはめています。

「起立斉唱というものは、教職員として高等学校学習指導要領に基づき行う儀式的行事における学校職員という社会的な立場における行動にすぎず、一般的に一審原告らの個人の内心における国旗及び国歌に対する特定の思想や信条と不可分的に結びつけられたものと認められる類型の外部的な行為ではない」(上記②高裁判決)

■起立斉唱の強制は、思想良心を制約するか否か
上記三つの高裁判決の一審(東京地裁)も結論を合憲としています。しかし、一審判決は、「起立斉唱を命じることは教職員の思想良心を直接否定するものではないが、その精神活動に影響を与えることになること否定できない」としていました。ただ、「その制約は、憲法上、許容される」と結論づけていたのです。ところが、東京高裁は、上記のとおり、そもそも起立斉唱の外部行為を強制しても当人らの思想良心を何ら制約するものではないとしたのです。

■東京高裁判決の論理の危険性
東京高裁のように、そもそも起立斉唱を命じることが「思想良心の自由を制約しない」という論理にたつと、「生徒」に起立斉唱を命じることも、生徒の思想良心の自由を制約するものではないという論理になる危険があります。現に、上記③高裁判決は次のように判示しています。

「前述のとおり、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することは、特定の思想及び良心を外部に表明する行為とは評価することができないのであるから、本件職務命令が生徒の思想及び良心の自由を侵害ないし制約する余地はないというべきであり、したがって、憲法19条に反するものとは解することができない」

しかし、常識的に見て、日の丸・君が代を起立して斉唱する行為は、それに否定的な思想や世界観を持っている人間に対しては、思想良心に反する外部行為を強制するもので、その精神活動に苦痛などの負担を与え、結果的には、思想良心の自由を制限するものにほかならないと思います。

■実質的・本質的な問題は何か
問題はその先であって、「教職員だから制約(苦痛等)を受忍すべき」、「その程度の制約は正当化できる」のか否かという点で意見が分かれるのではないでしょうか。東京高裁のように、「そもそも思想良心に制約を与えるものではない」と切り捨てるのは、あまりに形式的な処理であって、実質的で本質的な問題に正面から答えていないと思います。

起立斉唱を命じることが思想良心に対する制約があることを認めた上で、教職員に一律に起立斉唱を命じ、これに従わない者を懲戒処分等の不利益に課すことに、合理性や必要性が認められるかという問題を、広い視野から議論することが本来裁判所に求められていることではないでしょうか。

■教師とはいえ、自己の信念や信仰を制約されることはある
私も、教師だから、公務員だから、当人の思想良心の自由が一定制約されても憲法上正当化されることはあると思います。

例えば、ある教師が進化論は間違っているという信仰を持っていても、進化論を生徒に教えるという義務あり、信仰の自由を理由にして拒否すること許されないと思います。これを拒否する場合には、校長が職務命令を出すことも、最終的にはこれを拒否した者に懲戒処分を課すことも憲法上、許されると思います。

進化論を教えるようにとの職務命令は、この教師の信仰の自由を制約すると思います。しかし、その制約は「子どもの学習権」を保障する観点から正当化されます。進化論を教えないことは「子どもの学習権」を充足するものではないからです。

では、「日の丸・君が代」の起立斉唱命令は、進化論を教えろという命令と同様でしょうか。私は両者は異なると思います。日本国憲法の下では、国旗や国歌という国家的、政治的シンボルについては、何よりも多様性や多元的価値観が尊重されなければなりません。特に、教育の場においては、価値観の多様性が重んじられなければなりません。個人の尊重を基本とする日本国憲法と「子どもの学習権」が要請するところだと思います。

東京高裁の一連の判決は、「外部的行為の強制がどのような場合に思想良心を制約するか」という狭い「入り口」論での議論に終始していることが最大の誤りだと思います。実質的かつ本質的な問題を、憲法論としても、教育論としても慎重に議論されるべきでしょう。

■最高裁へ
今、上記②③の担当事件について上告理由書を作成しているところです。

最高裁には、福岡の北九州市の事件が係属しています(第一小法廷)。S氏の再雇用採用拒否事件は最高裁第二小法廷です。私たちが担当している二つの事件も上告します。その後にも、神奈川こころ訴訟も3月17日に東京高裁判決が予定されているそうです。

今年は、最高裁の各小法廷に、日の丸・君が代関連訴訟が4件を超えて係属することになります。大法廷でなくても、最高裁の15名の裁判官全員がこの問題に関与する可能性が高いと思います。最高裁には、思想良心の自由と教育の自由にかかわる重い問題として広い視野から検討することを求めていきたいと思います。

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