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2010年3月28日 (日)

厚労省「有期労働契約研究会」の「中間とりまとめ」を読んで

■中間とりまとめの位置づけ

2010年3月17日、有期労働契約研究会(座長・鎌田耕一教授)の「中間とりまとめ」が発表されました。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000004psb.html

厚労省労働基準局長の委嘱をうけて検討を行ってきたもので、【有期労働契約に係る施策の方向性】についての「論点を中間的に整理した」ものだそうです。「今後、労使関係者等の意見を聞いて、さらに検討を深める」としています。聞くところによると、予定では8月ころに最終報告をまとめると言われています。

対象となる有期雇用契約者は、フルタイム有期契約労働者(いわゆる契約社員。研究会は4タイプに実態が分かれていると分析しています)であり、有期パートタイム労働者ではないようです。

■労働契約の無期原則について

我が国の現行法制について、研究会は次のように整理します。

労働契約についての期間の定めのない契約(以下、「無期労働契約」という。)を原則とする旨を定めている規定はなく、有期労働契約の締結事由や更新回数・利用可能期間の上限を限定をしている規定もない。また、労働契約の終了の局面では、無期労働契約における解雇については、解雇権濫用法理が判例上、定着し、一定の保護がなされている一方で、有期労働契約における雇い止め一般は、契約期間の満了の当然の帰結であるとして、解雇と同等の規制には服してない。

他方で、有期労働契約のうち無期労働契約と実質的に異ならない状態に至っていると認められれる等一定のものの雇い止めについては、解雇権濫用法理が類推適用されるという判例が形成されている。

このような法制だからこそ、我が国では、「雇用の不安定さ、待遇の低さ等に不安、不満を有し、これらの点について正社員との格差が顕著な有期契約労働者の課題に対して政策的に対応することが今、求められている」としています。

なお、正社員の解雇からの保護を緩和して、解雇しやすくすべきとの一部の主張を意識して、研究会は、次のようにこの主張を否定しています。

解雇権濫用法理をはじめとする正社員について形成されてきたルールを立法により見直すことは、有期契約労働者について生じている問題の解決に直結しないものと考えられる。

当たり前のことです。正社員を解雇しやすくしても、経営者としては、もっと切り捨てやすい(つまり、雇い止めしやすい)有期契約労働者を正社員にするなんて考えないと思います。そう考える人は大変にお人好しです。

■入口規制と出口規制

入口規制とは、有期労働契約締結の事由を制限すること。つまり、有期労働契約の締結を、一時的な事業活動の増加や季節的・一時的な業務等の場合に限定するということです。

研究会は、我が国の前記の法制を根拠にして、入口規制をするには、法制の根底にある原則的な考え方の転換の是非について議論する必要があるとしてます。

しかし、法制面は確かに研究会が指摘するとおりですが、国民の意識やコンセンサスとすれば、無期原則が根付いているのではないでしょうか。厚生労働省の実態調査でも、約7割が雇い止めを行ったことはないとし、勤続年数が10年超える有期契約労働者を雇う企業も少なくないのですから。

また、研究会は、「入口規制をすれば、現下の雇用・失業情勢において、新規の雇用が抑制される、企業の海外移転が加速する等の影響が生じないか」などの問題点を強調しています。しかし、現行法の下でも、整理解雇は認められており、一定の場合では無期契約労働者でも整理解雇されてしまうのですから。この点をいたずらに強調する必要はないと思います。

これに対して、日本の裁判所は労働者の味方、解雇を厳格に規制しているという声が聞こえます。ただ、これは神話ですね。

整理解雇訴訟の実際を見れば、本当に経営が厳しい事案では、裁判所は人員整理の必要性については、経営側の判断を尊重して必要性を肯定してしまいます。ただ、売り上げ低下した程度で「人員整理の必要性がある」などという、安易な「名ばかり整理解雇」が横行しているので、このような事案では、裁判所は必要性を認めていないということです。しかし、実際に経営が厳しい場合には、労働者側は手続きの相当性を争うしか手がないのが実情です。

ですから、入口規制も整理解雇を認める我が国の法制上も、十分に選択できると思います。

ただ、入口規制は、現在の厳しい経済情勢では、なかなかすぐに実現しそうにありません。であれば、少なくとも当面は、出口規制(雇い止めに対する解雇権濫用法理の適用)を法制度化すべきだと思います。

有期契約労働者にとって、今、一番必要なのは雇用の安定ですから。

■均等待遇の法制化に向けて

有期契約労働者と正社員との均等待遇について、EU諸国のような「有期契約労働者であることを理由とした合理的な理由のない差別の禁止」のような一般的な規定を導入することについては次のように消極的です。

我が国においては、諸外国のように職務ごとに賃金が決定される職務給体系とはなっておらず、職務遂行能力という要素を中間に据え、職務のほか人材活用の仕組みや運用などを含めて待遇が決定され、正社員は長期間を見据えて賃金決定システムが設計されていることが一般的であることから、単に職務の内容が同じというだけでは正社員との比較は困難であり、民事裁判においても何が合理的理由がない差別に当たるかの判断を行うことが難しいことが懸念され、十分な検討が必要である。

しかし、パートタイム労働者法の枠組みを参考にした是正方策については積極的です。

職務の内容や人材活用の仕組みや運用などの面から正社員と同視し得る場合には厳格な均等待遇(差別的取り扱いの禁止)を導入しつつ、その他の有期契約労働者については、正社員との均衡を考慮しつつ、その職務の内容・成果、意欲、能力及び経験等を勘案して待遇を決定することを促す

という方向性を打ち出しています。

■均等待遇実現の具体的手法は

一般的な差別禁止の導入する際には、丸子警報器事件判決のように、8割の格差があれば、合理的でない差別であることを推定して、合理的な理由があることを使用者に立証責任を課すという案も考えられるでしょう。

また、パートタイム労働者の均等待遇調停会議による調停制度を一歩前進させて、有期労働契約均等待遇委員会をつくって、調停だけでなく、是正勧告ないし審判までできるようにする。これに不服のある当事者は、異議を申し立てて民事裁判で争うこととするという方法もあって良いのではないでしょうか。

この均等待遇委員会は、委員長としては法曹や行政官が座り、地域の労使から推薦された代表も委員として参加し、経営的観点からのアドバイスをする経営専門家も参与するようにしたらどうでしょうか。韓国にこのような制度があるようですが、韓国の実情は是非、調査をしてみたいところです。

■立法化への期待

最終報告では、立法化に向けた提言が出されるよう期待したいです。せめて、パートタイム労働者法の均等待遇程度は実現すべきでしょう。この場合には、労働契約法の改正ということになるはずです。

民主党のマニフェストに非正規労働者の格差是正と出ていましたし、また連立政権の政策合意書に、正規・非正規の格差是正と明記してありますから。

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2010年3月25日 (木)

労働者派遣法の改正 「常時雇用する労働者」の意味

■「常時雇用する労働者」とは

労働者派遣法改正は、「常時雇用する労働者でない者について労働者派遣を行ってはならない」と定めます。つまり、常用雇用労働者のみ労働者派遣をすることができる(大きな例外は専門26業務ですが)。

この常用雇用者については、業務要領には、有期雇用であっても、「過去1年を超える期間について引き続き雇用されている者又は採用の時から1年を超えて引き続き雇用されると見込まれる者」で良いとされています。その結果、有期雇用派遣労働者が広く認められるものとなり、抜け穴として批判されるべき点です。

ところで、この点について、hamachanは次のような興味深い指摘をされています。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-81ee.html

重要なことはこうです。

法律上の文言には、上記現行業務取扱要領の3つのどれかであれば「常時雇用」に当たるなどという規定はありません。「常時雇用」といえば、上記要領のいうように「雇用契約の形式の如何を問わず、事実上期間の定めなく雇用されている」ということであり、それをこれから派遣事業を始めるという入口ではなく、雇止めされてしまったという出口において、どのように解釈すべきか、という問題は、答は出ていないということです。

少なくとも、入口で許可が必要か届出でかまわないかという判断のためだけに用いられてきた基準を、雇止めされたという出口でそのまま使えるかどうかについては、裁判所の判断はまだされているわけではありません。

■出口段階(雇い止め段階)での「常時雇用する労働者」の意義

hamachanによれば、派遣事業の出口時点、つまり、有期雇用派遣労働者が派遣元会社から労働契約を雇い止めをされて,単純に打ち切られた場合には、「事実上期間の定めなく雇用されている者」ではなかったということになり、違法派遣として派遣先に対して労働契約申し込みの見なし制度が適用されるということになると言うのです。なるほど。

確かに「事実上期間の定めのなく雇用されている者」である以上、派遣労働者は、雇い止めに対して解雇権濫用の法理(労契法16条)を類推適用されることになります。事実上期間の定めのなく雇用されているという事実関係は、解雇権濫用法理が類推適用されるという効果を生じさせます。

もし、裁判所ないし労働審判委員会が、「事実上期間の定めなく雇用された者」ではないという判断をすると、違法派遣として派遣先に労働契約申し込みみなしが適用されることになるということです。

では、「事実上期間の定めなく雇用されている者」ではないが、「雇用継続に合理的な期待を有している者」であると判断をした場合には、どうなるのでしょうかね。

前者は東芝柳町工場事件最高裁判決の類型、後者は日立メディコ事件最高裁判決の類型として異なる契約類型と解釈されてきました。そうすると、後者だと、事実上期間の定めなく雇用された労働者でないと言えそうですね。(ただ、裁判所は実質的には同一趣旨だとするでしょうが、・・・法文上ははっきししてません。)

また、いわゆる専門26業務の登録型派遣については、雇用継続の期待を肯定するという影響を与えることになるのでしょうか。法改正があったとしても、登録型派遣だと、最高裁いよぎんスタッフ事件判決のようにおよそ雇用継続の期待はないという考えは変わらないのかもしれません。

どちらにしても、裁判所あるいは労働審判委員会が、解雇権濫用法理を類推適用(事実上期間の定めのない契約だとした)上で、雇い止めが有効であるとした場合には、労働契約申し込み見なしの適用はされないということになるのでしょうね。

■国会審議

このあたり、裁判所の判断の前に、国会で、上記最高裁判決を念頭に置いた上で、「常時雇用する労働者」とは「事実上期間の定めなく雇用されている者」であるといことの確認、また、その具体的内容を確認しておくことが大変に重要な問題になりそうです。

このあたり、民主党など与党でなく(与党質問しそうになさそうだから)、野党の質問に期待したいところです。野党は、「常時雇用労働者を期間の定めのない労働者に限定すべきである」という要求だけの質問に終始しないように期待したいものです。

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2010年3月21日 (日)

「詭弁」と「陰謀史観」について

■陰謀史観

陰謀史観とは、歴史的な出来事の背景には何らかの陰謀があるという考え方です。典型的な例は、「太平洋戦争はルーズベルトの謀略である。アメリカ国民を第二次世界大戦への参戦に賛成させるため、あえて日本軍に真珠湾攻撃をさせた。」という手の考えです。このほか、ユダヤ陰謀論とかフリーメーソン陰謀論とかが有名な「陰謀史観」です。

■詭弁

詭弁って、広辞苑によれば「道理にあわぬ弁論。理非を言い曲げ、こじつけの弁論」ということだそうです。陰謀史観は、この詭弁の典型のように思います。

■陰謀ではなく、あやなすベクトルの合力では?

物事は一部の者の陰謀で進むほど単純なものではないのではないかと思います。

どちらかというと、様々な思惑をもったグループが各々がばらばらに動き、それが様々な方向のベクトルとなる。右へ向かうベクトルもあれば、左へ向かうものもある。中には、上や下に向かうベクトルもある。また逆方向の力もあらわれる。そのベクトルの合力が結果が、物事の進む方向になるということなんだと思います。もちろん、その背景には個々のグループの利害にからむ大状況(経済情勢、政治情勢)がある。(この大状況が、個々のグループを動かすんですって言うと、やっぱ唯物史観じゃと言われますかね。)

陰謀史観で何でもかんでも割り切ってしまうと、視野狭窄になり、変化する物事に対して新しい対応ができなくなるように思います。特に、「左翼小児病」と「陰謀史観」が結びつくと重症になります。

■左翼小児病

左翼小児病とは、広辞苑によれば「労働運動や革命運動で、極端な公式論に基づいて過激な言動をなす傾向」とされています。(以前、私のブログで触れました。http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/07/post_9f30.html)。

最近、左翼は流行りませんが、この傾向は左翼に限りません。ですから「原則論と理想論を振り回して机上の空論を好む傾向」(机上の空論病)と言えばよいように思います(もちろん私にもこの傾向が大いにありますが・・・)。

上記の<労働運動や革命運動>というところを、さまざまな「○○運動」と読み替えることが可能です。例えば、反・司法改革運動とか、環境保護運動とか、平和運動とか・・。

司法改革賛成論者の中にも、この傾向をもった人がいたことも否定しません。(仮に、法曹一元が獲得できると本当に思っていた人たちがいたとしたら、まさにこの「机上の空論病」にかかっていたというべきでしょう)。

■妥協と現実主義はいつの世も不人気

以前のブログで、ル・モンド・ディプロマティークの記事に掲載されたスペイン内戦で敗れた共和派の言葉を紹介しました。

 我々はすべての闘いで負けたが、いちばん美しい歌を歌ったのは我々だった

でも、すべての闘いで負けたくない凡人は、「詭弁」と言われようと、「妥協」と言われようと、物事が少しでも良くなる方向に希望をつなげるくらいしか考えつきません。

もっとも、原則論を強く唱えるグループが強力(内弁慶でなく、外に向けてという趣旨ですが。。。)でないと、良い妥協も獲得できないのも事実ですが(戦術的ベクトル論)。・・・ご都合主義で、すみません。

●追記

以上、何のことかわからない方で、もし知りたいと思う方がいたら、次のブログをご覧ください(長文です)。

http://inotoru.dtiblog.com/blog-entry-87.html

http://inotoru.dtiblog.com/blog-entry-86.html

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2010年3月14日 (日)

民法(債権法)改正と労働法(その6) 受領拒絶と賃金請求権の問題

■受領拒絶は「危険」を移転する

基本方針は、受領遅滞・受領拒絶につてい次のように提案しています。

【3.1.1.87】(受領遅滞・受領拒絶)
<1> 債務者が債務の履行を提供したにもかかわらず、債権者がこれを受領しない場合、または債権者の受領拒絶の意思が明確な場合には、債務者は、債権者が受領のために必要な準備を整えた上でこの旨を債務者に対し通知するまでの間、自己の債務の履行を停止することができる。
 (略)
<5> 双務契約にあっては、<1>の場合において、債権者は、債務者らの反対債務の履行請求を拒むことはできない。

そして、民法(債権法)改正検討委員会編の「詳解 債権法改正の基本方針Ⅱ」では、適用事例5として、「工場が労使紛争がこじれて使用者が工場を不当に封鎖した場合、労働者は使用者に対して給料を請求できる」としています(369頁)。

この適用事例は、労働法では、いわゆるロックアウトと賃金請求権の問題として扱われてきたものです。

基本方針の<5>を読む限り、使用者のロックアウト(受領・拒絶)が認められば、それだけで労働者の賃金請求権が認められるようになります。

■使用者の労務受領拒絶と賃金請求権の問題

しかし、最高裁は、丸島水門事件(昭和50年4月25日)において、ロックアウトが正当なものであれば使用者は賃金請求権を免れるとしています(労働側弁護士としては最高裁判決に賛成しがたいですが)。したがって、最高裁は、受領遅滞・受領拒絶という枠組みでは判断していないというべきでしょう。

受領拒絶と危険負担の関係については、大阪の坂口祐康先生が、月刊大阪弁護士会2009年12月号「危険負担と労働契約」という論文で指摘されていました。

ところが、他方で基本方針は、労働者の就労を拒絶した場合の賃金請求権については、民法536条2項を役務提供契約の中で存続させるとしています。

民法526条2項 
 債権者の責めに帰すべき事由によって債務を履行することができなくなったときは、債務者は、反対給付を受ける権利を失わない。この場合において、自己の債務を免れたことによって利益を得たときは、これを債権者に償還しなければならない。

【3.2.8.09】(役務提供契約が不可能な場合における具体的報酬請求権)
<2> 役務受領者の義務違反によって役務を提供することが不可能になったときは、役務提供者は、約定の報酬から自己の債務を免れることによって得た利益を控除した額を請求することができる。

上記の適用事例5のケースは、民法536条2項に基づき、「使用者の責めに帰すべき事由」によって債務を履行(労務を提供)することができなくなったかどうかで判断されています。これと前記の受領拒絶の場合に賃金請求を認めることとは、整合性がとれていないのではないでしょうか。

最高裁は、ノースウエスト航空事件(昭和62年7月17日)でも、民法536条2項の問題として扱っており、受領遅滞(民法413条)の問題としては扱っていません。

■労働契約の場合、受領拒絶で危険が移転するとはいえない

とすると、基本方針が提案する受領遅滞・受領拒絶の5項を、少なくとも労働契約に適用することは、実務を大きく変更する結果となります。

法制審部会では、法務省の検討事項には、受領遅滞の場合についての危険の移転は争いがないと記載がありました。しかし、労働契約の労務拒絶の場合の危険の移転については議論がされていないようです(危険負担の関係で536条2項の問題との指摘はありますが)。私も、上記「詳解」を先週購入して、週末に読んではじめて気がつきました。本来は、法制審部会での審議に反映すべき内容だったと思います。

やはり、民法は広く適用があり改正には注意深く影響を吟味する必要がありますな。

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「英国弁護士制度の急激な変容とその背景」吉川精一弁護士の論考を読んで

財団法人日本法律家協会の「法の支配」156号に、吉川精一先生の「1980年代以降における英国弁護士制度の急激な変容とその背景」という興味深い論考が掲載されています。英国の弁護士自治は崩壊したのですが、その経過を乱暴に要約すると次のとおりです。

1980年、サッチャー政権時代に弁護士制度改革が着手された。これに対して、バリスターや裁判官は猛反対し、裁判所を代表する四名の裁判官らが「政府の発出した文書の中で史上もっとも邪悪なものの一つだ」という声明を発表したほどであった。

しかし、政府は「1990年裁判所及び法的サービス法」(CLSA) を制定した。①上位裁判所におけるバリスターの弁論独占及びソリシターの訴訟遂行権独占が廃止され、ソリシターの不動産譲渡手続の業務独占を廃止して金融機関に解放され、ソリシターや交渉人の遺言検認業務独占を廃止というものであった。そのほか、弁護士に対する苦情処理機関(リーガル・サービシーズ・オンブズマン)が設置された。

さらに、1999年には「司法アクセス法」が制定され、世界で最も充実していた法律扶助制度が合理化された。サッチャー政権の後のブレア政権も、法律扶助制度の合理化を推進した。

2007年法的サービス法は、バーカウンシル及びローソサエティの利益代表機能と規律機能を分離し、利益代表機能は法的サービス局(LSB)の規制なしに自由だが、規律機能については法的サービス(LSB)の監督に服するとされた。

この法的サービス局(LSB)の過半数は非法律家である。ここにおいて、英国における弁護士自治は終焉を迎えた。

■弁護士制度の変容の背景

上記のような弁護士自治の崩壊などの急激な変容が生じた背景を吉川先生は次のように整理しています。

(1)バリスターとソリシターの弁護士制度の不合理性
  バリスターとソリシターの二分化の不合理性

(2)弁護士に対する批判の高まり
 弁護士報酬が高すぎ、っしょうには時間がかかりすぎるという批判やバリスターは法律扶助から高額の支払いを受ける「太った猫」だという批判。ソリシターに対しては多くの苦情処理が申し立てられ、ローソサエティの苦情処理のやり方に批判が向けられた。

(3)弁護士批判勢力の登場
  英国では、ソリシターは大学で法学を学んだものは殆どおらず、先輩弁護士の徒弟として修行して資格を得るのが通常であった。1960年以降、大学で法律学を学んだソリシターが増えた。また大学の法学者が増加した。彼らと官僚が、既存の弁護士制度に対して批判勢力となった。

(4)サッチャー政権による伝統の破壊
 サッチャーは伝統的秩序を破壊する政策をとっていた。そして、不人気な弁護士を標的にするのは人気回復につながると考えられた。弁護士は格好の敵役とされ、サッチャーの弁護士攻撃にマスコミは拍手喝采した。ちなみに、ブレアとその夫人もバリスターであったが、もともと労働党は弁護士の特権に敵対的であったし、ブレアはサッチャー流の効率重視の政策をとっていたから、弁護士制度改革に躊躇することはなかった。

(5)弁護士の職業の変容
  ソリシターは1960年に19,069人、1980年に37,832人、2006年には104,543人に大幅に増加し、大企業の顧客とし、金融、企業買収や国際取引等の企業法務を扱う「シティファーム」が出現した。これに対して、不動産譲渡手続、家事、刑事、遺言、人身事故などの伝統的業務を扱うソリシターは、「ハイ・ストリート・ソリシター」と呼ばれる(いわゆる「町弁」)。シティファームは2000人を超える巨大事務所もあり、町弁とは職業意識と行動原理が大きく異なる。

(6)巨額の公費を投じた法律扶助制度の存在
 2005年度では約20億ポンド(約3000億円)が法律扶助予算である。巨額な公費が投入され、扶助事件を専門とする弁護士も多数存在し、彼らはその収入を扶助予算に全面的に依存している(1983年には、、バリスターの全収入の40%、ソリシターの場合には6%が扶助資金であった)。政府は、この法律扶助予算の削減と合理化を目指した。

弁護士の反対運動はことどとく失敗したそうです。吉川先生は次のように指摘されています。

政府は、このようなソリシター内部の分裂と、ソリシターとバリスターの利害対立を巧みに利用してほぼ計画どおり改革に成功した。

マスコミは、政府側のキャンペーンに乗り、扶助事件で過大な報酬を得た弁護士を厳しく批判した。弁護士、特に地方の町弁護士は法律扶助制度の合理化に猛烈に反対した(ストライキも敢行した)が、いつも政府に敗北した。

改革はシティファームには殆ど影響を与えない一方、伝統的な弁護士業務に携わるバリスターや小規模の町弁護士を直撃した。特に、コンベイヤンシング業務(不動産登記譲渡手続)の自由化や法律扶助のコスト削減・効率化は多くの小規模町弁護士を存亡の危機に立たせている。

■日本では・・・

以上の英国の状況を見ると、やはり日本の弁護士制度の現状を考えてしまいます。

ある人は「だから司法改革は政府の弁護士攻撃なのだ」と強調することでしょう。しかし、私は、市民(ユーザー)側の要求を無視した弁護士の運動は成功しないことの例証として読みました。

弁護士が、利益代表者的な当事者要求ではなく、ユーザー(市民)側を説得できる制度的提言をすることがいかに重要なのかということを改めて考えさせられました。また、弁護士内部の分裂対立が弁護士グループの発言力を削ぐものだとも感じました。

日本でも、ビッグ・ロー・ファームと町弁との対立、若手と古手の対立があるように思います。もっとも、前者は、現在のビッグ・ロー・ファームのリーダーには見識のある人々が多いので問題化していません。他方、後者の若手と古手の対立は深刻だと思います。若手が、「会費が高すぎる」とか「左翼系弁護士が牛耳っている」とかいうネガティブ(キャンペーン?)に乗るのを見ると心配になってきます。

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2010年3月11日 (木)

債権法改正と労働法(その5) 約款と就業規則法理

■約款についての基本方針

基本方針では約款について次のように改正案を提案しています。

【3.1.1.26】(約款の組み入れ要件)
<1> 約款は、約款使用者が契約締結時までに相手方にその約款を提示して(以下、開示という)、両当事者がその約款を当該契約に用いることに合意したときは、当該契約の内容となる。ただし、契約の性質上、契約締結時に約款を開示することが著しく困難な場合において、約款使用者が相手方に対し契約締結時に約款を用いる旨の表示をし、かつ、契約締結時までに、約款を相手方が知りうる状態においたときには、約款は契約締結時に開示されたものとみなす。
<2> <1>の規定にもかかわらず、約款使用者の相手方は、その内容を契約締結時に知っていた条項につき、約款が開示されなかったことを理由として、当該条項がその契約の内容とならないことを主張できない。

 つまり、約款を契約内容にするためには、①約款の開示、②約款を契約に組み入れることの合意(組入れ合意)を2要件が必要としています。

■労働契約法の就業規則と約款法理との関係

これに対して、労働契約法7条は次のように定めています。

労働契約法7条
 労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。

 つまり、労契法は、就業規則が労働契約の内容になるためには、①就業規則の周知、②合理的な労働条件の定めの二つの要件でよいということです。
 となると、就業規則を約款の一種としてとらえると、労契法7条は民法の約款理論に反することになります。

就業規則の定型契約説と約款法理の矛盾

 使用者が一方的に作成する就業規則が、労働契約の内容になり、労働者を拘束することには強い批判があるところです。これに対して、就業規則が労働契約の内容になるという事実たる慣習があるとか、労働者が黙示の承諾をしているとして、約款類似の考え方の定型契約であるというのが菅野説など有力説です。

 しかし、事実たる慣習や黙示の承諾というのは、フィクションです。入社(労働契約締結)する前には、就業規則を見るということは事実上、不可能です。にもかかわらず、これを合意があったとするのは無理があると思います。
 民法でさえ、約款を契約の内容にするには、約款を契約内容にする合意あることが必要ですから、労契法7条は約款に反することになります。

■東京弁護士会の意見書

 東京弁護士会の「民法(債権法)改正に関する意見書」(平成22年3月9日)では、この問題について、「約款を用いた取引に対する規制を行う場合には、就業規則がこれに含まれないこと、または労働契約が適用外であることを明確にすべきである」としています。実務をかえないという点では、このとおりでしょう。

■就業規則法理の再検討の浮上

 約款について基本方針のような改正がされた場合には、労契法7条が民法の特別法として優先的に適用されると解さざるをえないと思います。現状の実務を前提とするかぎり。

 しかし、このことは、就業規則法理の根本的欠陥を白日の下にさらすことになります。

 なぜ、就業規則が労働者を拘束できるのか。これを定型契約で説明した学説は、民法の約款法理にも反するものであり、合意原則では説明がつきません。もはや、就業規則kの契約内容効力を当事者の合意で説明することはできなくなるのではないでしょうか。

 となると就業規則は労契法7条によって特別な効力を付与されているという解釈がもっとも自然だと思います。しかし、この法規範説も本来はおかしな話です。(法律がなんで、労働者を拘束するような効力をもっているのか。まるで身分契約ではないか。)

 就業規則は使用者が一方的に定めるものです。ですから、就業規則は本来は、使用者自身を拘束するにすぎない。労働者に対して拘束力は生じないはずです。労働者が承諾した場合のみ労働契約の内容になるにすぎないはずです。

合意原則を尊重するかぎり、使用者が、労働者に就業規則を周知し、承諾をとらなければ、労働契約の内容にはならないということになります。入社前でも当然に労働者に就業規則を示すべきという結論になります。契約内容にる以上は、使用者が一方的に就業規則を変更して労働条件を不利益に変更することも、(労働者の承諾がない限り)できないのがスジです。そして、労契法12条のような緩やかな基準では変更はできないはずです。

参照 事情変更の原則と雇用継続型契約変更制度

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2009/10/post-fe60.html

■将来の労働契約法へのインパクト

 このようなスジをとおすためには、就業規則変更法理を使わなくても、労働契約の内容を変更する制度がなくてはなりません(継続的契約であれば、契約の変更は不可避です)。ですから、基本方針が提案する「事情変更の効果」の労働契約版(雇用継続型契約変更制度)が適切に制度化されれば、就業規則法理・変更法理(労契法7条、10条)をを廃止することができるのでしょう。

 もし基本方針のような民法(債権関係)改正が実現すれば、労働契約法を包括的な法律にする大きなインパクトになることは間違いないのでしょう。

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2010年3月 7日 (日)

相次ぐ東京高裁判決-日の丸・君が代の起立斉唱命令の合憲性・合法性

■相次ぐ東京高裁判決
2003年10月23日、石原都知事の下、東京都教育委員会が、都立学校の卒業式等で国旗(日の丸)に向かって起立し、国歌(君が代)を斉唱するよう命じる通達を発令しました。これに従わなかった都立高校の教職員が懲戒処分を受け、それまでは希望者の99%が合格していた再雇用職員制度の採用・更新について、全員が合格取消あるいは不合格とされています。東京高裁は相次いで、合憲・合法という判決を言い渡しています。

①東京高裁第8民事部 平成21年10月15日 Sさん再雇用職員不合格事件
②東京高裁第4民事部 平成22年1月29日 再雇用職員不合格事件
③東京高裁第16民事部 平成22年2月23日 再雇用職員合格取消事件

上記三つの東京高裁の判決の特徴(②と③の事件は私も代理人として担当しています)は、「国旗国歌の起立斉唱を命じる行為は、外部的行為を命じるものである。だが、起立斉唱という外部行為を命じることは、そもそも教職員の思想良心の自由を制約するものではない」という構成をとっている点です。つまり、東京高裁は、最高裁がピアノ伴奏拒否事件で、音楽教師に君が代の伴奏をするよう命じても、音楽教師の思想良心を制約することにあたらないとした結論を、起立斉唱命令にそのまま当てはめています。

「起立斉唱というものは、教職員として高等学校学習指導要領に基づき行う儀式的行事における学校職員という社会的な立場における行動にすぎず、一般的に一審原告らの個人の内心における国旗及び国歌に対する特定の思想や信条と不可分的に結びつけられたものと認められる類型の外部的な行為ではない」(上記②高裁判決)

■起立斉唱の強制は、思想良心を制約するか否か
上記三つの高裁判決の一審(東京地裁)も結論を合憲としています。しかし、一審判決は、「起立斉唱を命じることは教職員の思想良心を直接否定するものではないが、その精神活動に影響を与えることになること否定できない」としていました。ただ、「その制約は、憲法上、許容される」と結論づけていたのです。ところが、東京高裁は、上記のとおり、そもそも起立斉唱の外部行為を強制しても当人らの思想良心を何ら制約するものではないとしたのです。

■東京高裁判決の論理の危険性
東京高裁のように、そもそも起立斉唱を命じることが「思想良心の自由を制約しない」という論理にたつと、「生徒」に起立斉唱を命じることも、生徒の思想良心の自由を制約するものではないという論理になる危険があります。現に、上記③高裁判決は次のように判示しています。

「前述のとおり、国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することは、特定の思想及び良心を外部に表明する行為とは評価することができないのであるから、本件職務命令が生徒の思想及び良心の自由を侵害ないし制約する余地はないというべきであり、したがって、憲法19条に反するものとは解することができない」

しかし、常識的に見て、日の丸・君が代を起立して斉唱する行為は、それに否定的な思想や世界観を持っている人間に対しては、思想良心に反する外部行為を強制するもので、その精神活動に苦痛などの負担を与え、結果的には、思想良心の自由を制限するものにほかならないと思います。

■実質的・本質的な問題は何か
問題はその先であって、「教職員だから制約(苦痛等)を受忍すべき」、「その程度の制約は正当化できる」のか否かという点で意見が分かれるのではないでしょうか。東京高裁のように、「そもそも思想良心に制約を与えるものではない」と切り捨てるのは、あまりに形式的な処理であって、実質的で本質的な問題に正面から答えていないと思います。

起立斉唱を命じることが思想良心に対する制約があることを認めた上で、教職員に一律に起立斉唱を命じ、これに従わない者を懲戒処分等の不利益に課すことに、合理性や必要性が認められるかという問題を、広い視野から議論することが本来裁判所に求められていることではないでしょうか。

■教師とはいえ、自己の信念や信仰を制約されることはある
私も、教師だから、公務員だから、当人の思想良心の自由が一定制約されても憲法上正当化されることはあると思います。

例えば、ある教師が進化論は間違っているという信仰を持っていても、進化論を生徒に教えるという義務あり、信仰の自由を理由にして拒否すること許されないと思います。これを拒否する場合には、校長が職務命令を出すことも、最終的にはこれを拒否した者に懲戒処分を課すことも憲法上、許されると思います。

進化論を教えるようにとの職務命令は、この教師の信仰の自由を制約すると思います。しかし、その制約は「子どもの学習権」を保障する観点から正当化されます。進化論を教えないことは「子どもの学習権」を充足するものではないからです。

では、「日の丸・君が代」の起立斉唱命令は、進化論を教えろという命令と同様でしょうか。私は両者は異なると思います。日本国憲法の下では、国旗や国歌という国家的、政治的シンボルについては、何よりも多様性や多元的価値観が尊重されなければなりません。特に、教育の場においては、価値観の多様性が重んじられなければなりません。個人の尊重を基本とする日本国憲法と「子どもの学習権」が要請するところだと思います。

東京高裁の一連の判決は、「外部的行為の強制がどのような場合に思想良心を制約するか」という狭い「入り口」論での議論に終始していることが最大の誤りだと思います。実質的かつ本質的な問題を、憲法論としても、教育論としても慎重に議論されるべきでしょう。

■最高裁へ
今、上記②③の担当事件について上告理由書を作成しているところです。

最高裁には、福岡の北九州市の事件が係属しています(第一小法廷)。S氏の再雇用採用拒否事件は最高裁第二小法廷です。私たちが担当している二つの事件も上告します。その後にも、神奈川こころ訴訟も3月17日に東京高裁判決が予定されているそうです。

今年は、最高裁の各小法廷に、日の丸・君が代関連訴訟が4件を超えて係属することになります。大法廷でなくても、最高裁の15名の裁判官全員がこの問題に関与する可能性が高いと思います。最高裁には、思想良心の自由と教育の自由にかかわる重い問題として広い視野から検討することを求めていきたいと思います。

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