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2010年2月21日 (日)

読書日記「こんな日弁連に誰がした?」小林正啓著(平凡新書)

2010年2月15日初版発行

大阪の弁護士の小林正啓さんから、「こんな日弁連に誰がした?」という新書をお送りいただきました。日弁連のこれまでの「司法改革」、「法曹人口問題」対する対応についての論考です。週末に一気に読ませてもらいました。小林弁護士は1992年登録ですから、1986年登録の私と6年世代が違います。

■著者の問題意識

「はじめに」に、著者の問題意識が書かれています。

(弁護士の大幅増員によって、最近の新人・若手弁護士の)「就職難や合格率の低下は、法曹界から人材離れを招き、新人弁護士の学力低下を表面化させている。」

「最大の謎は、弁護士増員を推し進めたのが、日弁連自身だということにある。それは、無理強いされた、苦渋の選択ではない。日弁連は理想に燃え熱狂して、勝ち目のない戦いに挑み、弁護士を大幅に増やして負けたのだ。」

■著者の謎解き

本文では、法曹人口についての弁護士会内部の議論、意見の対立、執行部の方針が詳細に検討されています。紆余曲折の末、1997年に、法曹三者協議会にて「当面1000人、修習期間1年半に短縮」の妥協案成立。その後、司法制度改革審議会の中で、中坊氏が法曹人口3000人の受け入れに至った経過が詳細に分析されています。

著書の言わんとするポイントは、日弁連執行部が「法曹一元を実現するため、3000人増員を積極的(熱狂的)に推進したが、政府・裁判所の術中にはまって敗北した」ということのようです。

中坊氏を中心に法曹一元に向けて日弁連が熱狂し、決戦に挑み、手痛い敗北。それを中坊氏の小渕内閣の下での内閣府特別顧問就任、小渕首相の急死を交えて劇的に描いています。なかなか読ませます。

なお、法曹一元とは、裁判官を弁護士出身者から選任をするというアメリカ型のシステムです。日本ではキャリア裁判官システム(官僚司法制度)を打破するために、弁護士会が推薦した弁護士を裁判官に任命すべきという主張です。

■法曹一元論がポイントって言うのは疑問です

確かに、弁護士会では伝統的に法曹一元論が強かったと思います。私は1984年頃に東弁で弁護修習を受けました。松井康浩弁護士の講話を聞いたことがあります。青法協に入っていた私が聞いても講話の内容は「古色蒼然」としており、法曹一元なんて「革命」でも起こらない限り実現不可能だと思ったことを覚えています。

司法制度改革審議会の中で、中坊氏が「判事補制度の廃止」を主張したことは知っていますが、法曹一元を実現するかわりに、あえて積極的に3000人増員を受け入れたという因果関係があるのか、私は少し疑問です。

中坊氏は、司法改革について、確かに理想論を高く掲げていましたが、司法制度審議会という場で具体的な成果を得ることは非常に困難であるというリアルな認識を強く持っていたと思います(「欲を出すと打ち落とされかねない」との話しを直接聞きました)。ですから、中坊氏が司法制度改革審議会にて判事補制度廃止、法曹一元が実現するという見通しを持っていたようには思えません(その「芽」を何とか入れようという努力はしていたと思いますが。)

「法曹一元」が実現可能であると考える弁護士は圧倒的少数だと思います。しかし、その建前をまだ葬ってはいません。ちょうど明治維新の際に「尊皇攘夷」といって倒幕運動をした勢力と同じだと思います。本音は「攘夷」など実現不可能とわかっていながら、倒幕のためにわかりやすい「旗」を掲げているだけです。そして、法曹一元が不可能な最大の理由は、著者が指摘するように、裁判官になろうと思う弁護士が極めて少数しかいないという現実があるからです。(なぜ、なりたいと思わないのかは、著者が説明するとおりです。)

■政府の規制改革勢力の法曹人口増員論が決定的

私は、日弁連が大量の法曹増員を受け入れざるを得なかったのは、政府・自民党内の規制改革論者のプレッシャーだったのではないかと思います。

著者の日弁連内の議論や法曹三者の協議は詳細に経過をたどっておられると思います(細かな事実経過が正しいかは私には判断できませんが、概ねの事実経過の流れは著者の描くとおりなのででしょう)。他方、自民党内にできた司法制度特別調査会(会長保岡興治議員)、そして、政府の規制改革委員会(後の規制改革委員会)の動きの分析が弱いのではないでしょうか。

規制改革の流れは、「法曹三者」の思惑を超えています。裁判所も(彼らの牙が裁判所にのびそうだと感じて)相当な危機感をもっていたと思います。規制改革会議は、弁護士の法律業務独占の規制撤廃、弁護士会という司法の「護送船団」方式の撤廃(弁護士自治の撤廃)、弁護士の大幅増員(論者の中には6千人や9千人の増員論者もいる)、裁判の遅延の解消、裁判の民営化(ADRの推進)等々を唱えていました。裁判所が司法制度審議会にのっていったのは、この政府の規制改革の流れに真っ向から反対しても無駄だと考えたからだと思います。当時、政府自民党、そして規制改革委員会(規制改革会議)は圧倒的な権力をもっていました。

私の印象では、日弁連が法曹人口3000人の大幅増員を受け入れたのは、「苦渋の選択」だったように思います。日弁連執行部の大勢は、これを受け入れて世論(特にマスコミ)を味方につけて、日弁連の提言を少しでも司法制度改革に反映させようとしたということだったのではないでしょうか。

この小林弁護士の本は大変に面白く、刺激的・論争的な本です。ただ、大川真郎弁護士の「司法改革ー日弁連の長く困難なたたかい」と読み比べてみることが必要だと感じました。

■弁護士会の意思決定プロセスについて

小林弁護士は、日弁連は意志決定があまりに遅く当事者能力がないと大いに批判されます。しかし、それが弁護士法に基づいて設立された強制加入団体である弁護士会の「宿命」です。

大川真郎弁護士の「司法改革」の中で平野龍一東大名誉教授の弁護士会の「ディシジョン・メイキング」のことが引用されています(同書88ページ)。下記の平野教授の指摘は今でもそのまま通用しますね。

「弁護士会内部でのディシジョン・メイキング・プロセスは、・・・ 大量の、自由な、組織されていない(しかも各人が議論に自信のある)個人の集団の内部におけるディシジョンであり、官僚的に、あるいは社会的に組織された集団の中での決定とは、性質的な違いがあると思われる・・・ 弁護士会における議論の持つ『論理』の特性について、… そこには、対極的というべき二つの特色がある・・・一方では議論に理想性が強く、実現可能性についての配慮が足りない・・。いま一つは逆に、個別的な事件性に現れた問題点、特に当事者の視覚から見た問題点について論じられる傾向が強い・・・

・・いわゆる五五年体制のもとでは、弁護士会は、多くの場合、『反対する団体』…であって、あまり政府と『交渉する団体』、具体案を積極的に『実現する団体』ではなかった。・・・これまでの政府の提案はそういう基本的な批判に値するようなものが多かったから、このような議論は同時に『現実論』でもあった。しかし、五五年体制の崩壊に対応して、法の世界でも対立の態様は複雑化し、生活に密着した問題を巡る意見の対立が多くなった。そうなると、政府と弁護士会が話し合って現実的な解決策を探ることが可能であり、必要でもあるようになってくる。そのためには、弁護士会内部での現実案作成能力、あるいは現実案受容能力が要求されることになる。

■蛇足
著者はエピローグで、「かつて日弁連を牛耳った弁護士たちは、『被支配者』である人民を助け、『支配者』である国家権力や大企業とたたかうことだけが正義と考えた」とあります。著者から見ると、私は労働弁護団や自由法曹団に加入していますから、立派な(?)左翼系弁護士だと思いますが、上記のような弁護士が日弁連を牛耳っていたというのは私の実感にはありません。まあ、若い人から見れば、1970年代の日弁連の議論や立論が理想主義にすぎて、サヨクッぽく見えるということなのかもしれませんが。実態は、別に日弁連や弁護士会が「労働者・人民の味方」であったことはないと思います。客観的に見れば弁護士会は本質的にプチ・ブル知識人(弁護士)の業界団体(しかも、強制加入団体)ですから、その限度でしっかり役割を果たせばよいと思いますけど。

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コメント

拙著「こんな日弁連に誰がした?」をご紹介いただき、また、ご批判をいただき、ありがとうございます。
ご質問をさせてください。
東京弁護士会は2009年1月13日に「法曹人口問題に関する意見書」(山本剛嗣会長)を公表しています。この意見書には、法曹一元実現のため、弁護士人口5万人が必要とあります。先生のご意見からすると、東弁は、法曹一元が実現不可能だと分かっていて、なおこの意見書を公表したことになるのですか?
また、二弁の山岸良太郎副会長(当時)は、1999年の「法科大学院(ロースクール)問題に関する提言」に関して、「法曹一元を真に目指す方向性…からも,弁護士側からの決意表明として,司法研修所廃止を提言せざるを得ない」と述べています。先生のご意見からすると、二弁は、法曹一元が実現不可能だと分かっていて、なお司法研修所廃止を提言したということになるのですか?

投稿: 小林正啓 | 2010年3月26日 (金) 03時09分

小林正啓先生 先生のご本をお送りいただききありがとうございました。遅ればせながらお礼を申し上げます。あらためて勉強させてもらいました。

東京弁護士会の意見書は、流し読みくらいはしていますが、当該記述は記憶に残っていません。もっと「法曹の質」の面が強調されていたような記憶です(私としては「質」の強調はいかがなものかと思った記憶があります)。

二弁については、1999年、当時、その意見書には全く関与していませんでしたが、そのような趣旨の意見が出ていたことは聞いて知っていました。まあ、当時の弁護士会全体の中でも司法研修所廃止論は突出した意見だったと思います(司法研修所廃止は実現は無理だと思っていましたが、新しもの好きの二弁ですから、問題提起すること自体に意味がある思っていました・・というとお叱りを受けますね。)

ただ、二弁の意見書については、先生が引用されている山岸副会長(当時)のコメントの「法曹一元を真に目指す方向性」とか、「弁護士側からの決意表明として、司法研修を廃止を提言せざるを得ない」などの表現からは、遠い将来の話をしているという雰囲気が醸し出されており腰が引けているようにも読めます。

しかし、当時の二弁執行部は、司法改革の中、本気で司法研修所を廃止できると考えていたのかもしれません。ただ、あくまで最大限要求(=楽観的希望)であって、最小限要求(=現実的獲得目標)ではなかったのだと思うのです。

こう言うと「実現しそうにもないと思いながら、執行部は、法曹一元実現のために法曹人口5万人を打ち出したのか。会員をだましたのではないか。」という批判にさらされることになるのでしょうね。

この法曹一元論は、私は、幕末の「尊皇攘夷論」の比喩を使って説明したとおりだと思っています。「攘夷」論が建前であり、倒幕の錦の御旗にしかすぎなかったと同様に、法曹一元論も建前論であり、真に実現を考えているとは到底思えません。しかし、建前論も、交渉においては重要な役割を果たすこともあります。ただ、法曹一元論は対外的にはまったく効果がなかったと思います(また、対弁護士会内的にも、あまり説得力はなく、過去の日弁連政策との平仄をあわせた程度のものだと思います。)

個人的には、法曹一元にこだわるのは、過去の惰性にすぎないと思っており、もはや根本的に見直すべきだと思います(実現不能としか思えませんから)。

2009年の東京弁護士会意見書は、建前論的に、法曹人口増加の根拠として、従来の法曹一元論を根拠の一つにひっぱてきただけのような印象があります。

2000年頃の実際の日弁連の方針決定の根拠は、市民ニーズを取り込む、すなわち「市民が弁護士に依頼しやすくする」、「市民の司法にアクセスすることを容易にしてほしい」という要望に応えることが、日弁連が司法改革における政策的イニシアティブを失わない方策だという判断だったのだと思っています。

当時の日弁連の政策決定の本心は、その人たちに聞かないとわかりませんが、私は、上記のように理解しています。

ですから、弁護士会執行部の法曹一元実現の幻想や熱狂であったという総括は、少し一面的すぎるのではないかと思っています。(そういう発言があったことは否定はしません。)

重要なのは、これから改めて法曹人口を議論することになった今(宇都宮新会長になって改めて議論することになろうかと思います)、弁護士は市民のニーズにどう応えるのか、それと弁護士側の実情とどう折り合いをつけるのか。

このことを、市民やマスコミの理解を得られるように、イデオロギー論争的な空中戦ではなく(規制緩和の流れ否か、新自由主義か否か、米国の圧力か否か等々ではなく)、弁護士内部事情だけではなく、事実に基づいて外の市民と対話していくべきなのだと思います。

法曹人口増加のためには、裁判官の増員、法律扶助予算の増額、利用しやすい民事司法制度改革が必要不可欠であることは争いがないところでしょう。ドイツのような弁護士代理強制も選択肢にあって良いと思います。これをどう市民の支持を得て、実現できるかが最大の課題だと思います。

そこで、この基盤整備と法曹人口増加のバランスをとるという主流派的なペースダウンがもっとも穏当なところだと私は思うのです。宇都宮新会長の意見も、そう変わらないと思っています。

以上、異常に長文になってしまい失礼しました。

投稿: 水口 | 2010年3月29日 (月) 15時22分

ご回答ありがとうございました。
再度申し上げたい点もありますが、コメントという枠の中での議論は不自由なので、自分のブログに記したいと思います。
取り急ぎ御礼を申し上げます。

投稿: 小林正啓 | 2010年3月30日 (火) 00時02分

では、小林先生のブログを楽しみにしています。

なお、本文で法曹一元は実現不可能で見直すべきと書きましたが補足します。

日本では弁護士が裁判官になったからといって良い裁判官になるとは思えない、というのが本音です。

弁護士会は任官推進を行っています。日弁連は、東京の大手事務所(100人人以上の弁護士を擁するローファーム)のパートナーを集めて、任官者を出すようにお願いする会議を開催したことがありました。

そこに出席した知り合いの弁護士から聞いたのですが、大手事務所のパートナーたちは、「行政官庁に入ることは、パイプ作りなど事務所にとってメリットがあるが、裁判官になっても何のメリットもない。」などと発言していたそうです。

私の知り合い弁護士は、私の所属するような事務所から大手企業法務の事務所にうつった人ですが、その場で、「国選事件もやったことがなく、いつも契約書ばかり見ている、ここにいるような弁護士にだけは裁かれたくはない」と発言したと言ってました。

もっとも、じゃあ今のキャリア裁判官が良いのか、と言われそうですが。

司法行政や司法研修所をリベラル化すればキャリアシステムでも良い裁判官が生まれると思います。また、裁判官に法テラスや公設事務所の弁護士を経験させるのも良い裁判官を育てる方法だと思います。このほうが法曹一元よりも、現実的だと思います。

投稿: 水口 | 2010年3月31日 (水) 12時57分

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