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2010年2月27日 (土)

労働弁護団 3/5 派遣法の抜本的改正を求める集会

■集会案内

日本労働弁護団主催「労働者保護の派遣法改正を目指そう!」

日時 2010年3月5日(金) 18時30分~20時30分(18時会場)

場所 総評会館2階大会議室

このたび、日本労働弁護団では,派遣法改正案の内容を検証し、国会審議に向けた討議の場として、下記集会を企画しました。各界各層からの多数の御参加を得たく、御案内申し上げます。

詳細はこちらをご覧ください。
  ↓

http://homepage1.nifty.com/rouben/images/pdf/sympo100305.pdf

■法案要綱の内容

登録型派遣を原則禁止という方向性を出したことは、無制限に広がった派遣を再規制することで一歩前進ですが、まだまだ踏み込み不足です。

労政審の答申の問題点については、労働弁護団の意見書が指摘するとおりです。
    
http://homepage1.nifty.com/rouben/

この答申にそった法案要綱が発表されています。

改正法案要綱は要するに

(1)常用型派遣については業務制限をしていない。しかも、常時雇用される派遣労働者といっても、1年を超えて雇用される見込みがあれば、派遣会社との間の有期労働契約も許容される。

(2)登録型派遣は原則禁止といいながら、問題のある専門26業務を例外として広く認めている。

派遣労働の最大の問題は、派遣先がなくなれば、即、雇用が打ち切られる不安定性です。だから登録型派遣は原則禁止されました。

登録型派遣の例外とされる専門26業務は「事務機器操作」や「ファイリング」などで一般事務系が含まれることになり、多くの派遣労働者、特に女性派遣労働者が、不安定雇用・低い労働条件にとどめおかれることになります。

派遣会社に「期間の定めのない労働契約」で雇われていれば、次の派遣先が見つかるまで給料が支払われます。しかし、有期労働契約だと、派遣会社から雇い止めされてしまいます。これでは派遣労働の欠陥が是正されません。

また、常用型派遣で業務制限がないと、企業は、労働者を直接雇用しないで、管理コストの低い派遣労働者に置き換えてしまいます。

派遣労働という形態を認めるとしても、派遣会社に期間の定めのない労働契約を締結し、しかも、許される派遣業務は専門的業務に制限されるべきです。

企業が労働者を使用して事業を行う場合には、直接雇用を原則とする労働法ルールを徹底させるべきでしょう。

■派遣法を規制すると失業が増えるという俗説

これに対して、相変わらず、派遣労働を規制強化すると、「①派遣労働者に失業を増加させ、就労機会を減少させる。②国際競争力を低下させる。③派遣を禁止しても有期雇用にシフトしてしまい不安定雇用や賃金格差を解決しない」と反対意見が叫ばれています。

しかし、失業が増加するかどうかは、派遣禁止の結果ではなく、いうまでもなく経済的パフォーマンスの問題です。派遣労働が禁止されていた時代でも、景気がよければ失業率は低かったのです。派遣規制強化は、失業率増加に関係がありません。国際競争力云々は、まったく裏付けのない話です。国際競争力を高めたいのなら、もっと技術開発などほかにやるべきことがあるでしょうに。

③の「派遣を規制したら企業は有期雇用にシフトする」という点はそのとおりでしょう。でも、派遣労働よりも直接有期雇用のほうがまだましなのです。そして、不安定雇用と賃金格差を是正するためには、有期労働契約の規制で解決すべきです。

派遣の再規制の後は、有期雇用の再規制が課題です(有期を合理的な理由にある場合に限定する)。今後、有期雇用の再規制をはかるためにも、派遣という企業の逃げ道をふさいでおくのです。

これに対して、「この不景気の時代に、派遣を規制し、有期を規制して、経済がもたない。」という反論が出てくるでしょうね。しかし、公正な労働ルールのもとで経済活動を行う基本こそ確立すべきでしょう。そのための資金は、社会全体で公正に配分されるべきでしょう。この間の株主や企業が巨大な富を蓄積をしてきたのですから、これからはバランスをとり戻す時期でしょう。

■経済がよくない時代の労働法ルール

日本経済の退潮は今後も続くことでしょう。

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。

パイが小さくなればなるほど、まともな社会の維持していくためには、公正な労働法ルールこそ求められると思います。それができない場合には、悲惨な暗い社会がまちうけていることでしょう。新自由主義で突っ走ってきたこの国の20年がそれを証明していると思います。

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2010年2月21日 (日)

読書日記「こんな日弁連に誰がした?」小林正啓著(平凡新書)

2010年2月15日初版発行

大阪の弁護士の小林正啓さんから、「こんな日弁連に誰がした?」という新書をお送りいただきました。日弁連のこれまでの「司法改革」、「法曹人口問題」対する対応についての論考です。週末に一気に読ませてもらいました。小林弁護士は1992年登録ですから、1986年登録の私と6年世代が違います。

■著者の問題意識

「はじめに」に、著者の問題意識が書かれています。

(弁護士の大幅増員によって、最近の新人・若手弁護士の)「就職難や合格率の低下は、法曹界から人材離れを招き、新人弁護士の学力低下を表面化させている。」

「最大の謎は、弁護士増員を推し進めたのが、日弁連自身だということにある。それは、無理強いされた、苦渋の選択ではない。日弁連は理想に燃え熱狂して、勝ち目のない戦いに挑み、弁護士を大幅に増やして負けたのだ。」

■著者の謎解き

本文では、法曹人口についての弁護士会内部の議論、意見の対立、執行部の方針が詳細に検討されています。紆余曲折の末、1997年に、法曹三者協議会にて「当面1000人、修習期間1年半に短縮」の妥協案成立。その後、司法制度改革審議会の中で、中坊氏が法曹人口3000人の受け入れに至った経過が詳細に分析されています。

著書の言わんとするポイントは、日弁連執行部が「法曹一元を実現するため、3000人増員を積極的(熱狂的)に推進したが、政府・裁判所の術中にはまって敗北した」ということのようです。

中坊氏を中心に法曹一元に向けて日弁連が熱狂し、決戦に挑み、手痛い敗北。それを中坊氏の小渕内閣の下での内閣府特別顧問就任、小渕首相の急死を交えて劇的に描いています。なかなか読ませます。

なお、法曹一元とは、裁判官を弁護士出身者から選任をするというアメリカ型のシステムです。日本ではキャリア裁判官システム(官僚司法制度)を打破するために、弁護士会が推薦した弁護士を裁判官に任命すべきという主張です。

■法曹一元論がポイントって言うのは疑問です

確かに、弁護士会では伝統的に法曹一元論が強かったと思います。私は1984年頃に東弁で弁護修習を受けました。松井康浩弁護士の講話を聞いたことがあります。青法協に入っていた私が聞いても講話の内容は「古色蒼然」としており、法曹一元なんて「革命」でも起こらない限り実現不可能だと思ったことを覚えています。

司法制度改革審議会の中で、中坊氏が「判事補制度の廃止」を主張したことは知っていますが、法曹一元を実現するかわりに、あえて積極的に3000人増員を受け入れたという因果関係があるのか、私は少し疑問です。

中坊氏は、司法改革について、確かに理想論を高く掲げていましたが、司法制度審議会という場で具体的な成果を得ることは非常に困難であるというリアルな認識を強く持っていたと思います(「欲を出すと打ち落とされかねない」との話しを直接聞きました)。ですから、中坊氏が司法制度改革審議会にて判事補制度廃止、法曹一元が実現するという見通しを持っていたようには思えません(その「芽」を何とか入れようという努力はしていたと思いますが。)

「法曹一元」が実現可能であると考える弁護士は圧倒的少数だと思います。しかし、その建前をまだ葬ってはいません。ちょうど明治維新の際に「尊皇攘夷」といって倒幕運動をした勢力と同じだと思います。本音は「攘夷」など実現不可能とわかっていながら、倒幕のためにわかりやすい「旗」を掲げているだけです。そして、法曹一元が不可能な最大の理由は、著者が指摘するように、裁判官になろうと思う弁護士が極めて少数しかいないという現実があるからです。(なぜ、なりたいと思わないのかは、著者が説明するとおりです。)

■政府の規制改革勢力の法曹人口増員論が決定的

私は、日弁連が大量の法曹増員を受け入れざるを得なかったのは、政府・自民党内の規制改革論者のプレッシャーだったのではないかと思います。

著者の日弁連内の議論や法曹三者の協議は詳細に経過をたどっておられると思います(細かな事実経過が正しいかは私には判断できませんが、概ねの事実経過の流れは著者の描くとおりなのででしょう)。他方、自民党内にできた司法制度特別調査会(会長保岡興治議員)、そして、政府の規制改革委員会(後の規制改革委員会)の動きの分析が弱いのではないでしょうか。

規制改革の流れは、「法曹三者」の思惑を超えています。裁判所も(彼らの牙が裁判所にのびそうだと感じて)相当な危機感をもっていたと思います。規制改革会議は、弁護士の法律業務独占の規制撤廃、弁護士会という司法の「護送船団」方式の撤廃(弁護士自治の撤廃)、弁護士の大幅増員(論者の中には6千人や9千人の増員論者もいる)、裁判の遅延の解消、裁判の民営化(ADRの推進)等々を唱えていました。裁判所が司法制度審議会にのっていったのは、この政府の規制改革の流れに真っ向から反対しても無駄だと考えたからだと思います。当時、政府自民党、そして規制改革委員会(規制改革会議)は圧倒的な権力をもっていました。

私の印象では、日弁連が法曹人口3000人の大幅増員を受け入れたのは、「苦渋の選択」だったように思います。日弁連執行部の大勢は、これを受け入れて世論(特にマスコミ)を味方につけて、日弁連の提言を少しでも司法制度改革に反映させようとしたということだったのではないでしょうか。

この小林弁護士の本は大変に面白く、刺激的・論争的な本です。ただ、大川真郎弁護士の「司法改革ー日弁連の長く困難なたたかい」と読み比べてみることが必要だと感じました。

■弁護士会の意思決定プロセスについて

小林弁護士は、日弁連は意志決定があまりに遅く当事者能力がないと大いに批判されます。しかし、それが弁護士法に基づいて設立された強制加入団体である弁護士会の「宿命」です。

大川真郎弁護士の「司法改革」の中で平野龍一東大名誉教授の弁護士会の「ディシジョン・メイキング」のことが引用されています(同書88ページ)。下記の平野教授の指摘は今でもそのまま通用しますね。

「弁護士会内部でのディシジョン・メイキング・プロセスは、・・・ 大量の、自由な、組織されていない(しかも各人が議論に自信のある)個人の集団の内部におけるディシジョンであり、官僚的に、あるいは社会的に組織された集団の中での決定とは、性質的な違いがあると思われる・・・ 弁護士会における議論の持つ『論理』の特性について、… そこには、対極的というべき二つの特色がある・・・一方では議論に理想性が強く、実現可能性についての配慮が足りない・・。いま一つは逆に、個別的な事件性に現れた問題点、特に当事者の視覚から見た問題点について論じられる傾向が強い・・・

・・いわゆる五五年体制のもとでは、弁護士会は、多くの場合、『反対する団体』…であって、あまり政府と『交渉する団体』、具体案を積極的に『実現する団体』ではなかった。・・・これまでの政府の提案はそういう基本的な批判に値するようなものが多かったから、このような議論は同時に『現実論』でもあった。しかし、五五年体制の崩壊に対応して、法の世界でも対立の態様は複雑化し、生活に密着した問題を巡る意見の対立が多くなった。そうなると、政府と弁護士会が話し合って現実的な解決策を探ることが可能であり、必要でもあるようになってくる。そのためには、弁護士会内部での現実案作成能力、あるいは現実案受容能力が要求されることになる。

■蛇足
著者はエピローグで、「かつて日弁連を牛耳った弁護士たちは、『被支配者』である人民を助け、『支配者』である国家権力や大企業とたたかうことだけが正義と考えた」とあります。著者から見ると、私は労働弁護団や自由法曹団に加入していますから、立派な(?)左翼系弁護士だと思いますが、上記のような弁護士が日弁連を牛耳っていたというのは私の実感にはありません。まあ、若い人から見れば、1970年代の日弁連の議論や立論が理想主義にすぎて、サヨクッぽく見えるということなのかもしれませんが。実態は、別に日弁連や弁護士会が「労働者・人民の味方」であったことはないと思います。客観的に見れば弁護士会は本質的にプチ・ブル知識人(弁護士)の業界団体(しかも、強制加入団体)ですから、その限度でしっかり役割を果たせばよいと思いますけど。

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