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2009年10月12日 (月)

読書日記「最高裁判所は変わったか」滝井繁雄著 岩波書店

2009年7月29日 初版
2009年10月10日読了

■最高裁調査官の役割りの重さを改めて確認しました
著者は大阪弁護士会の弁護士から最高裁判事(2002年~2006年)になった方です。大阪弁護士会の会長、日弁連の副会長経験者です。弁護士会の立場から、「司法改革」に関与した重鎮でしょう。

Takiisaikousai

この著作には、最高裁事件の「持ち回り審議事件」と「審議室事件」の違い、調査官の関わり方、裁判官の審議の仕方など、実務上、参考になる記述がたくさんありました。(刑事事件には余り経験がありませんので、民事事件や行政事件の記述を興味深く読みました。)

■最高判決 調査官の原案起案と修文方式
最高裁の判決起案は次のように行われるそうです。

最高裁判決について言えば、このような(判決の理由に説得力を欠くと思われるものが少なくない-引用者注)ことになる一因は、合議のあと、多数意見をもとに調査官が原案を作成し、それを合議のなかで修文していくという起案の仕方にもあるように思える。この手法では、合議の結果の最大公約数が判決理由のなかに述べられることになる。その際、各裁判官が原案に意見を言うのは自由であるが、もともと原案は各裁判官の意見の最大公約数を表現しているものである以上、それは妥協案とならざるをえないところがあって、曖昧さを残すことにもなる。

最高裁判決文を読んで、もっとはっきり書いてほしいと思うことは良くありますが、上のような事情があるのでしょうか。そうであれば、少数意見、補足意見を書くことで、多数意見の真意が読み取れるようにしてほしいものです。ピアノ伴奏命令拒否事件などは、曖昧さの極みでしょうね。

■最高裁判決調査官解説
実務家にとっては、最高裁判例に関して担当調査官が解説した解説集は必読の文献になっています。下級審裁判官にとっては、最高裁判例を知悉していることが当然であり、それを踏まえ得て仕事をするのが最低条件です。著者は、この調査官解説について、次のように指摘しています。

調査官調査委の裁判への影響という点では、最高裁判決が言い渡されたあと、それが判例集に載せられたものについて書かれる調査官解説の方が下級審判決への影響という点では余程大きいように思われる。

問題は、この解説が担当調査官個人の考えによるものであり、調査官室はもちろん、判決を下した裁判官の関与も全くないものであるにもかかわらず、その全てがその裁判体の判断内容であり、それを正しく解説したものであると受け取られることがあるのではないかということである。

下級審の判決のなかには、この判例解説の推測通りに判決の趣旨を理解するばかりか、その文言をそのまま引用しているものすらあるのをみると、この解説の下級審への影響の大きさを思わざるを得ない。このように肥大化した判例の解説の存在には、その効能とともに、行き過ぎにも懸念を抱かざるを得ない。

確かに最高裁調査官の判例解説は便利です。しかし、私が担当した事件で感じるいくつかの事件でも、労組法の労働者性を論じた中部放送局事件最高裁判決、国歌伴奏命令と思想良心の自由を論じたピアノ伴奏命令拒否事件最高裁判決などで、調査官の判例解説が一人歩きをしているように思います。最高裁裁判官には、判例解説を見るまでもなく、最高裁の判決文を読んで、その趣旨を理解できる判決文を書いて貰いたいものです。調査官の労力も、そちらに注ぐべきでしょう。

■大法廷回付への消極姿勢
また、最高裁は大法廷回付を回避する姿勢をとっていると言います。

いつも、時間が足りないという思いがあって、大法廷で審議した方がよいのではないかと考えた場合でも、そうすると、他の小法廷の裁判官の負担を加重にするという思いが頭をかすめる。小法廷で扱えるものはできるだけ小法廷で扱おうとする気持ちを大なり小なり各裁判官は経験しているのではないだろうか。その結果が、新しい憲法判断をすることを避け、先例に徴して小法廷限りで判断するようになっていることもあったのではないか。また判例との抵触をさけるように先例を解釈するということもあったのではないか。そのような批判が当たっていないと言い切れる自信は、私にはない。

確か中国人の戦後補償損害賠償請求事件で、三つの小法廷が同じ日に同じ内容の判決を言い渡した例がありましたね。これも事務負担が大きい大法廷審理の回避ということだったのでしょうか。最高裁判事も人の子で、記録読みに追われるプレッシャーに、ついつい安易な方向を選択せざるをえないということですかね。これが実情なら、「民事事件で経験則違反、釈明義務違反などで原審での審議に不満を訴えるもの、刑事事件では原審の事実誤認、量刑不当を訴える事件」などは「最高裁の仕事ではない」と割り切る法改正をするしかないように思います。

■最高裁判所は変わったのか
最高裁判所という裁判所組織も、「司法改革」という政治部門からの大きな風が吹いた中、この風を除けるために変わらざるを得なかったことは間違いないでしょう。そのような雰囲気の中、グレーゾーン金利を規制して、高利貸しの息の根をとめる思い切った判決が出たのだと思います。この司法改革の風が吹いているゆえに、最高裁判所も、ほんの少しですが、良い方向に変わったように思います。ただし、最高裁判所の保守性や権威主義的体質が大きく変わったわけではありません。次は、新藤宗幸教授の「司法官僚-裁判所の権力者たち」(岩波新書)の読書日記を書いてみたいと思います。

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