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2009年10月25日 (日)

読書日記「検察の正義」 郷原信郎著

筑摩新書

2009年9月10日初版
2009年10月19日読了

著者は、1977年東大理学部卒業、三井鉱山勤務の後、1981年4月司法修習生になり、いったんは弁護士としての就職が決まっていたにもかかわらず、1983年4月に検事として任官した方です。2006年検事を退職して、弁護士登録。法曹界でいうところの、いわゆるヤメ検です。

■検察の正義

日本の刑事司法の特徴を的確にまとめています。

日本では、刑事事件に関して、歴史上の事実としての「事案の真相」つまり、実体的真実を明らかにすることが目標とされる。・・・実体的真実の追求は、絶対的にたどりつけない抽象的な目標であって現実に実現可能のものではない。ところが、日本の刑事司法では、それを追求すること自体「正義」という、他のものには代えられない絶対的な価値の実現のように考えられてきた。体的真実に追求のために必要であれば、捜査機関側がコストをかけることも、被疑者・被告人が長期間身柄拘束されたりする中で、ある程度の心理的な強制を受けて自白させられることも、それ以外の重要な価値が犠牲にされることも、致し方がないこととされてきた。そして、密室での取り調べの結果得られた詳細な自白を基に、職業裁判官によって緻密な事実認定が行われる(同書59頁)。

精密司法に対する批判としては目新しくはありませんが、検事を20年以上勤務された元検事が指摘すると重みが違います。著者は次のような批判をされます。

私にとって、最も違和感があった第三の問題は、「東京地検特捜部」の看板によって、被疑者や参考人を屈服させて、供述調書をとってしまえば、何でもできるという考え方だった(37頁)。

同書には、検察官がいかに被疑者を自白に追い込むために、その関係者や家族に不当な圧力をかけるか赤裸々に描かれています(40頁以下)。また、長銀事件最高裁判決の逆転無罪が、「悪者退治」という単細胞的な「検察の正義」が社会の変化についていけず破綻したものと指摘されています(92頁以下)。

私が司法修習生(あるいは弁護士新人?)のころ、大野正男弁護士(後に最高裁判事)が弁護をされていた、ある大学教授の贈収賄事件での、東京地検特捜部の取調の酷さを聞いたことがあります。

東京地検特捜部の検事は、自白を拒む大学教授の眉間に、ボールペンをつきつけ動くなと何十分も自白を強制するというのです。また、自白を拒む罰として、取調室の壁に額をつけるほど間際に、直立不動でたたせて自白を強要したとおっしゃっていました。

大野正男弁護士は、接見して、その事実関係をすべて書面化して、公証人の確定日付をつけて記録したと言っていました。「あの東京地検特捜部でさえ、そんな取り調べをしているのですよ」と強く批判されていました。にもかかわらず、裁判所は、自白の任意性を認めると悔しそうに話されていたことを思い出します。

■実体的真実主義の悪弊

著者の言いたいことは、実体的真実主義を振りかざした「検察の正義」はもはや変わらなければならないということだと思います。

特定の人物に狙いを定めて、それを「悪者」というストーリーを設定して大規模捜査班を編成して、敵と対峙する「上命下服型・対決型」の捜査から脱却して、個々の検事の主体性を尊重し能力を最大限に引き出す柔軟で機動的な捜査班の編制に転換する必要がある。

上記の後半部分はともかく、前半はそのとおりだと思います。

ある人物を悪者として、ストーリーを構築し、強権的な捜査や取り調べにより自白を獲得して訴追するという「検察の正義」が、足利事件や、富山の強姦冤罪事件をおこしたことは明白です。そして、それを支える法イデオロギーが「実体的真実主義」です。

ちなみに、この「実体的真実主義」というのは、松川事件に関する自由法曹団の関連本を読むと、松川事件の刑事弁護の基本にもなっていたようです。そして、その左翼的な刑事弁護士の多くも実体的真実主義の信奉者という側面があります(裁判官を説得し、国民的な運動を組織するには実体的真実主義が最も有効であったようです)。

■試される「検察の正義」

小沢一郎の議員秘書政治資金法規制違反事件、鳩山由紀夫の虚偽献金事件について東京地検特捜部がどのような捜査を行うのか。政治資金規正法違反を客観的捜査によって訴追できるのか。

新しい「正しい検察」の捜査が行われるのでしょうか。それとも実体的真実主義に基づく悪者退治と自白強要捜査が繰り返されるのでしょうか。

正しい検察捜査が行われいるにもかかわらず、指揮権発動がなされれば民主党政権はふっとぶでしょうね。

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2009年10月15日 (木)

民法(債権法)改正と労働法(その4)

債権法改正の「事情変更の制度化」と民主党の労働契約法案、連合総研の試案の比較

■事情変更の要件と効果
民法(債権法)改正の事情変更の原則について以前、次のブログで触れました。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2009/06/3-e4e5.html

この民法(債権法)改正検討委員会の提案は、労働契約についても、例えば経済変動による事情変更が生じた場合には、当事者は、再交渉の申し入れ、再交渉義務、協議が調わない場合には、契約の解除、契約の変更、金銭的調整を裁判所に求めることができるという制度です。

■民主党の労働契約法案
民主党と連合の労働契約法案の労働契約変更請求権と比較してみましょう。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/10/post_fdca.html

第24条 当事者の一方が、労働契約の内容を維持することが困難な事情が生じたため相手方に労働契約の変更を申し込んだ場合において、当事者間の協議が調わないときは、当該変更を申し込んだ者は、別に法律で定めるところにより、当該労働契約の変更を裁判所に請求することができる。

■連合総研の労働契約法試案
他方、連合の労働契約法試案は次のとおりでした。

http://www.rengo-soken.or.jp/houkoku/itaku/sian_jobun.pdf

(労働契約変更請求権)
第41条1項 当事者の一方が契約内容を維持することが困難な事情が生じたために,相手方に契約の変更を申し入れた場合において,当事者間の協議が調わないときは,裁判所(労働審判委員会を含む。以下同じ)に契約内容の変更を請求することができる。

(統一的労働条件の変更と労働契約)
第42条 使用者が当該事業場における労働者の全員又は一部に適用を予定する就業規則その他の統一的労働条件を変更する場合には,労働者代表と協議しなければならない
2 使用者は,前項の協議を経て作成された統一的労働条件に基づき労働者の契約内容の申し入れを行う場合には,4週間を下回らない一定期間内に諾否の回答を求めることができる。右期間内に意思を表明しない者は承諾したものとみなす。承諾を拒否した労働者に対しては,前条に定めるところに従い,契約内容変更請求権を行使することができる。

■労働契約変更請求権
この二つの案と債権法改正試案の「事情変更の効果」と比較すると、契約の変更を申し出る当事者側が、裁判所に変更を訴え出るという点で共通をしています。他方、改正試案は、労働契約の解除、つまり解雇(と金銭調整)を命じることができるとする点で異なります。

民法で事情変更の原則を創設するのであれば、民主党案と連合試案を基本としつつ、労働契約法の抜本的改正を行うべきだと思います。

現状は、使用者の一方的な圧力のもと、労働契約の変更が労働者に押しつけられています。そうであれば、契約変更の明確な法定ルールを定めるほうが良いと思います。

■労働組合はどうするのか
労働契約変更請求権については、集団的労使関係との関係を考慮しない点が問題です。特に労働組合や労働者代表との誠実交渉を義務づけないという欠陥をもっていると思います(連合試案は検討されているが)。

つまり、難問は労働組合との関係をどうするかです。労働契約変更が全て裁判所の法的手続で行われるようになれば労働組合の存在意義がなくなってしまいかねません。

今後も、あくまで労働組合が少数派であり続けるとしたら、かえって一定規模以上の企業に法定の労働者代表委員会の設置を義務づけて、労働組合はその委員の選挙に立候補して活動するくらいの発想の転換があっても良いのかもしれません。

■債権法改正から、労働契約法の抜本的改正へ
事情変更の原則を導入するのであれば、労働契約法の抜本的改正も検討すべきだと思います。労働者代表の意見をどう組み入れるのか、公労使の三者協議で検討すべきでしょう。

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2009年10月13日 (火)

「東アジア共同体」に思う

鳩山首相が、中国で開催された日中韓の首脳会談で、東アジア共同体を提唱したとの報道がありました。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20091010AT3S1000U10102009.html

日経新聞  2009年10月10日
東アジア共同体「長期目標」 日中韓首脳合意、経済連携を強化
【北京=藤田哲哉】鳩山由紀夫首相、中国の温家宝首相、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は10日午前、北京市内の人民大会堂で日中韓首脳会談を開いた。3首脳は金融危機の打撃を受けた世界経済の回復に向け、3カ国が連携を強めていく方針を確認。北朝鮮の核問題では、北朝鮮に6カ国協議への早期復帰を促すことで一致した。鳩山首相は東アジア共同体構想を提起、3カ国は長期的な目標として検討することで合意した。

もう10年前でしょうか、森島通夫教授の東アジア共同体を提唱した本を読んだことを思い出しました。日本の没落は必至だ、しかし、抜け出せるとしたら東アジア共同体をつくる道しかないという内容だったと思います(うろ覚え)。

Morishimanihon

森嶋教授曰く、日本の経済成長は、成熟段階を迎えた以上、もはや一国での成長はむり。経済発展には大きなエンジンが必要である。そのエンジンとは経済のグランドデザインを描くことであり、政治的エンジンなければ経済発展はない。これは日本の政治家の使命であると書いてあった(うろ覚え)。

で、森嶋教授は、「漢字文化圏の日中韓の東北アジア共同体が核になる。EUが、当初はヨーロッパ石炭共同体から出発したように、政治体制が異なるアジアでは、経済協力からはじめるべきだ」として、その出発点を「アジア高速鉄道共同体」を創設するようにと提言していました。

東アジアの「高速鉄道共同体」を創設して、日本の新幹線技術を基盤にして中国内陸部と沿岸部を鉄道で結び、そこから日本、台湾、韓国というネットワークをつなげて、アジア規模で経済発展を行うというものでした。

しかも、国家の単位ではない経済単位をつくる必要があるとして、日本を東日本と西日本地域経済に分割、朝鮮半島は南の韓国と北の共和国を地域経済単位とする。そして、中国も、台湾を含めて4つの地域経済に分ける。そして、この東アジア経済共同体の中枢・首都を、「琉球」におく。沖縄を日本から独立させて「琉球国」とするというものでした。各経済単位に一票をもたせ、中国だけに決定権を持たせないというものです。

壮大で小気味よい構想です。

ちなみに、東京は、日本中央政府とする。そして、アメリカも一枚かませて安心させるという配慮をするという内容だったと思います。

日本の最大の貿易相手国は既に中国です。好もうと好まざるをと問わず、歴史の大きな流れは、東アジア共同体の方向に流れていくことでしょう。

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2009年10月12日 (月)

読書日記「最高裁判所は変わったか」滝井繁雄著 岩波書店

2009年7月29日 初版
2009年10月10日読了

■最高裁調査官の役割りの重さを改めて確認しました
著者は大阪弁護士会の弁護士から最高裁判事(2002年~2006年)になった方です。大阪弁護士会の会長、日弁連の副会長経験者です。弁護士会の立場から、「司法改革」に関与した重鎮でしょう。

Takiisaikousai

この著作には、最高裁事件の「持ち回り審議事件」と「審議室事件」の違い、調査官の関わり方、裁判官の審議の仕方など、実務上、参考になる記述がたくさんありました。(刑事事件には余り経験がありませんので、民事事件や行政事件の記述を興味深く読みました。)

■最高判決 調査官の原案起案と修文方式
最高裁の判決起案は次のように行われるそうです。

最高裁判決について言えば、このような(判決の理由に説得力を欠くと思われるものが少なくない-引用者注)ことになる一因は、合議のあと、多数意見をもとに調査官が原案を作成し、それを合議のなかで修文していくという起案の仕方にもあるように思える。この手法では、合議の結果の最大公約数が判決理由のなかに述べられることになる。その際、各裁判官が原案に意見を言うのは自由であるが、もともと原案は各裁判官の意見の最大公約数を表現しているものである以上、それは妥協案とならざるをえないところがあって、曖昧さを残すことにもなる。

最高裁判決文を読んで、もっとはっきり書いてほしいと思うことは良くありますが、上のような事情があるのでしょうか。そうであれば、少数意見、補足意見を書くことで、多数意見の真意が読み取れるようにしてほしいものです。ピアノ伴奏命令拒否事件などは、曖昧さの極みでしょうね。

■最高裁判決調査官解説
実務家にとっては、最高裁判例に関して担当調査官が解説した解説集は必読の文献になっています。下級審裁判官にとっては、最高裁判例を知悉していることが当然であり、それを踏まえ得て仕事をするのが最低条件です。著者は、この調査官解説について、次のように指摘しています。

調査官調査委の裁判への影響という点では、最高裁判決が言い渡されたあと、それが判例集に載せられたものについて書かれる調査官解説の方が下級審判決への影響という点では余程大きいように思われる。

問題は、この解説が担当調査官個人の考えによるものであり、調査官室はもちろん、判決を下した裁判官の関与も全くないものであるにもかかわらず、その全てがその裁判体の判断内容であり、それを正しく解説したものであると受け取られることがあるのではないかということである。

下級審の判決のなかには、この判例解説の推測通りに判決の趣旨を理解するばかりか、その文言をそのまま引用しているものすらあるのをみると、この解説の下級審への影響の大きさを思わざるを得ない。このように肥大化した判例の解説の存在には、その効能とともに、行き過ぎにも懸念を抱かざるを得ない。

確かに最高裁調査官の判例解説は便利です。しかし、私が担当した事件で感じるいくつかの事件でも、労組法の労働者性を論じた中部放送局事件最高裁判決、国歌伴奏命令と思想良心の自由を論じたピアノ伴奏命令拒否事件最高裁判決などで、調査官の判例解説が一人歩きをしているように思います。最高裁裁判官には、判例解説を見るまでもなく、最高裁の判決文を読んで、その趣旨を理解できる判決文を書いて貰いたいものです。調査官の労力も、そちらに注ぐべきでしょう。

■大法廷回付への消極姿勢
また、最高裁は大法廷回付を回避する姿勢をとっていると言います。

いつも、時間が足りないという思いがあって、大法廷で審議した方がよいのではないかと考えた場合でも、そうすると、他の小法廷の裁判官の負担を加重にするという思いが頭をかすめる。小法廷で扱えるものはできるだけ小法廷で扱おうとする気持ちを大なり小なり各裁判官は経験しているのではないだろうか。その結果が、新しい憲法判断をすることを避け、先例に徴して小法廷限りで判断するようになっていることもあったのではないか。また判例との抵触をさけるように先例を解釈するということもあったのではないか。そのような批判が当たっていないと言い切れる自信は、私にはない。

確か中国人の戦後補償損害賠償請求事件で、三つの小法廷が同じ日に同じ内容の判決を言い渡した例がありましたね。これも事務負担が大きい大法廷審理の回避ということだったのでしょうか。最高裁判事も人の子で、記録読みに追われるプレッシャーに、ついつい安易な方向を選択せざるをえないということですかね。これが実情なら、「民事事件で経験則違反、釈明義務違反などで原審での審議に不満を訴えるもの、刑事事件では原審の事実誤認、量刑不当を訴える事件」などは「最高裁の仕事ではない」と割り切る法改正をするしかないように思います。

■最高裁判所は変わったのか
最高裁判所という裁判所組織も、「司法改革」という政治部門からの大きな風が吹いた中、この風を除けるために変わらざるを得なかったことは間違いないでしょう。そのような雰囲気の中、グレーゾーン金利を規制して、高利貸しの息の根をとめる思い切った判決が出たのだと思います。この司法改革の風が吹いているゆえに、最高裁判所も、ほんの少しですが、良い方向に変わったように思います。ただし、最高裁判所の保守性や権威主義的体質が大きく変わったわけではありません。次は、新藤宗幸教授の「司法官僚-裁判所の権力者たち」(岩波新書)の読書日記を書いてみたいと思います。

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