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2009年7月20日 (月)

制度改革訴訟について(2)-裁判官の視点から

法律時報のつづきですが、「制度改革訴訟と弁護士の役割-裁判官の視点から」を、梶村太市弁護士(元裁判官、元早大教授)が論述されています。

■裁判官の習性

一般に裁判官は、判例学説が固まっていない分野の訴訟類型に対しては、判決による解決には慎重である。いわゆる政策形成訴訟なる概念をそもそも認めたがらない傾向にある。

当然のことながら、裁判官はまず当該事案に当てはまる条文の有無を考え、条文があればその文理解釈を試みる。拡張解釈や類推解釈には慎重である。裁判官はとにかく条文にこだわる習性があることは強調しておく必要があろう。

憲法76条3項は、「裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」としていますから。裁判官は、拡大解釈や類推解釈を、よほどのことがないかぎり、しようとしないというのは実務ではいやというほど感じています。要するに頭が固いというわけです。

■佐藤元判事-「半歩前進説」

佐藤歳二元判事は、「勝つべき者が勝つ民事裁判-事実認定における法曹の心構え」という論文の中で、次のようなことを指摘されているそうです。

現代型の訴訟では、原告弁護団は、「画期的判断を求める」などと主張することが多いが、このように「従来の考え方から一歩も二歩も出てくれ」」と求められても、裁判所はそう簡単に応ずることができないしまた応じるべきではなく、「従来の考え方を前提にして、少し工夫をすればあなたは半歩だけ前に出て行けるはずだ、ぜひ半歩でも出てくれ」という説得をした方が効果的であると論ずる

■瀬木判事-「司法の謙抑」説

梶村弁護士は、「裁判官は一般的に制度改革訴訟を含む政策形成訴訟の対応は慎重であり、そこでは司法の限界を見る見解が根強く残っている」と指摘されてます。その典型例として瀬木比呂志裁判官裁判官の次の論文を引用します。

司法による社会社会的問題の救済は重要であるが、そこには一定の限界もあり、ことに、政治や行政の成熟、それによって実現されるべき広い視野からする社会的問題の規制、調整が伴わないままで司法による救済のみが突出すると、場合によっては社会にいびつな副作用をもたらす危険性もまた存在するということである(「民事訴訟実務と制度の焦点-実務家、研究者、法科大学院生と市民のために」

■弁護士の役割

裁判官が、一般には「司法の謙抑」説をもっており、せいぜい「半歩前進」説の立場にしかたたたないのが現実でしょう。

弁護士としては、そのような裁判官の習性を前提として、法律、判例に則した主張と、事実をあますところなく立証しつつ、制度改革訴訟や政策形成訴訟では、社会運動として判決によって行政や政治を変えるという運動を構築することが何よりも重要な役割になります。マスコミ・世論へのアピール、ロビイ活動を当事者と一緒に実行する力量が重要なのだと思います。

ところで、これらの政策形成訴訟において、もう一つの重大なハードル(障害)は、実は、中央官庁の官僚たちです。

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2009年7月 3日 (金)

制度改革訴訟について

■法律時報81巻8号(2009年7月号)

「制度改革訴訟と弁護士の役割」が特集されています。トンネルじん肺根絶訴訟も弁護団の須納瀬学弁護士が報告しています。

http://www.nippyo.co.jp/magazine/maga_houjiho.html

なお、制度改革訴訟については、以前、政策形成訴訟として取り上げたことがあります。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/12/post_f6ee.html

■制度改革訴訟

早稲田大学の淡路剛久教授が社会運動という視点から次の論文で整理されています。

「被害者救済から権利拡大へ」
 - 弁護士による社会運動としての「制度改革訴訟」」

弁護士は、基本的には訴訟活動を中核とし、一方で、世論の支持を背景に、立証活動を通じて勝訴判決を勝ち取る努力をするとともに、他方で、メディアを通じた世論形成、政治家へのロビーイング、立法提案などにより、被害者救済の普遍化、すなわり権利化をはかり、さらに被害の再発防止の仕組みをつくろうとする。これらは訴訟活動であるとともに、「法運動」ないし「社会運動」である。

■制度改革訴訟の歴史

淡路教授は、歴史的に3期に分けて振り返っています。

第1期は、「1960、70年代に展開された四大公害訴訟などの公害訴訟、あるいはスモン訴訟などの薬害訴訟は、被害者の被害を権利として救済することを目指した訴訟・運動」であったとします。(ちなみに、四大公害訴訟とは、熊本水俣病訴訟、新潟水俣病訴訟裁、イタイタイ病訴訟、四日市ぜんそく訴訟です。)

第2期は、「1970、80年代を中心に展開された「新しい権利」訴訟・運動は、環境権、嫌煙権、静穏権、入り浜権、納税者権、そして各種の人格権などの「新しい権利」の生成と確立を目指す訴訟と運動であった」とします。

そして、第3期として、現在があるという整理です。特に、第3期の特徴として、個別の被害から出発して、その権利を実現して制度改革につなげる指向が強くなっていると指摘されています。

第1期の公害訴訟や薬害訴訟のたたかいは、私が弁護士にあこがれた主要な理由でした。大学でも、これらを学ぶための自主的な勉強会が複数あり、弁護士や当事者の話しを聞きに行くという企画もけっこうありました。

■労働訴訟への活用

なお、この制度改革訴訟の取り組みを労働訴訟でも活用すべきです。労働訴訟は、集団的訴訟も、どうしても単産とか、ナショナルセンター別のものになってしまいます。

もっと、争点別の訴訟を幅広く取り組んで社会的にアピールするということに力を入れることも必要です。現在は、メーリングリストやインターネットで、全国的な情報交換が可能です。

同じ争点をもつ事件ごとの情報交換も、全国的な弁護団組織(労弁とか、自由法曹団)のメーリングリストで容易になっています。これらの情報交換や弁護団組織の討議によって、同一争点の訴訟を一斉提訴するなどで工夫すれば、大きな取り組みになると思います。

現に、違法派遣に関する訴訟や、名ばかり管理職などの訴訟で既に実践されつつあります。

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