読書日記 「街場の教育論」 内田樹 著
ミシマ社2008年11月28日 初版 2009年3月19日読了
■内田樹氏の視点とうまい言い回し。
この著者は、なるほどという視点を提示し、かつ、その視点をうまい文章で表現をされており、感心します。教育を良くするために何が必要かという点について、うまく説得的に書かれています。
教育改革の成否は、教育改革を担うべき現場の教員たちをどうやってオーバーアチーブに導くか、彼らのポテンシャルをどうやって最大化するかにかかっています。
ではどうやってか。教員たちを上意下達組織の中の「イエスマン」に仕立てることによってでしょうか。教育技術をマニュアル化することによってでしょうか。厳格な勤務考課を行って、能力主義的「格付け」を行うことによってでしょうか。
経験豊かなビジネスマンであれば、そのような人事管理政策は「コスト削減」や「不確定要素の排除」はもたらしても、「パフォーマンスの向上」には結び付かないことを知っているはずです。
現場の教員たちの教育的パフォーマンスを向上させ、オーバーアチーブを可能にすることです。それに必要なのは、現場の教師たちのために「つねに創意に開かれた、働きやすい環境」を整備することに尽くされる、というのが私の意見です。
教師はもとより、通常のホワイトカラーの職場でも、上意下達組織、イエスマン、マニュアル化、能力主義管理によって労働者のパフォーマンスがあがるとは思いません。
「斬り捨てる」人事管理か、「育てる」人事管理か、根本的思想の違いがあるのでしょうね。教育と同じく、「斬り捨てる」人事管理が昨今の流行です。
■教育はビジネスではない
これもうまく、なるほどという文章で表現しています。
「私たちがやりたい教育をするためには、財務内容をどうやって健全化すべきか」と考えるのと、「収支を黒字にするためには、どういう教育をすれば良いのか」と考えるのは、似ているようですけれど、方向が違います。
■合理的なスマートな教師か、それとも「ヘンな」教師か
日の丸・君が代の強制に対して起立しなかった都立高校の教師の陳述書を読んで共通している彼ら・彼女らの高校教育観は、「高校生は、教師の全人格をぶつけなければ、納得しない。」ということです。
大学生に対しては「クールで合理的」に接しても教育効果は期待できるが、15~18歳に高校生は、それでは満足しない。常に、人間として、人格のぶつかり合いを高校生は本音では求めているというのです。
「正しいことを行え。自分の意見を主張せよ」と教えたとき、「じゃあ先生はどうなの?」と必ず問うてくる。それから逃げた教師は相手にされないといいます。「大学生は大人で本音と建て前の使い分けを理解しているが、高校生はそうじゃない。」んだそうです。
確かに、私が今でも覚えている我が母校の高校教師たちは、「右」や「左」に関係なく、合理的でスマートな教師ではありませんでした。ちょっとヘンで変わった教師たちを強烈に覚えています。
■就職面接突破の秘訣
就職活動が最終的に何を基準に採否を決めるかについて、次のようなエピソードが紹介して、学生らに秘訣をさずけています。
以前ある大手出版社の編集者4人とご飯を食べているときに、ちょうど就活シーズンでしたので、編集者たちに「みなさんはどういう基準で、面接のときの合否を決めているのか」と訊いたことがあります。… その編集者の方はどなたも、これまでに数百人の面接をしてきた経験者たちです。彼らが異口同音に言ったのは「会って5秒」で合格者は決まるということでした。
それはわかるんです。この人といっしょに仕事をしたときに楽しく仕事をできるかどうか、それを判定基準にしているから。
これもなるほどと思いました。これは、けっして恣意的な判断ではありません。働くとためには極めて重要な要素です。つまり、協同して働く能力をもっているかどうかが決め手になるということです。法律事務所が新人弁護士を採用するときも一緒です!! 昨今は、これができない若い人が多いと思うのは、私が年をとったせいでしょうか。
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