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2009年3月27日 (金)

新国立劇場合唱団員事件の東京高裁判決-労組法上の労働者性を否定

新国立劇場合唱団員(不当労働行為)事件について、極めて残念なことに、東京高裁は、東京地裁と同じく、合唱団員の労組法上の労働者性を否定しました。

判決全文

「shikoukritukousai090325.pdf」をダウンロード

声明

「seimei09325.doc」をダウンロード

■東京高裁判決の特徴

東京高裁の理由付けは、原審東京地裁判決とも異なります。抜粋を紹介します。以下のⅠ、Ⅱ…、①、②…の数字は引用者が付けました。

Ⅰ「①契約メンバーの歌唱技能という債務の提供はオペラ公演における各メ ンバーの持ち場(合唱団におけるパート等)が自ずと決まっており、被控訴人が契約メンバーの労働力を事業目的の下に配置利用する裁量の余地があるとは考えられないところである。そして、…、②契約メンバーが個別公演出演契約を締結してひとたび当該オペラ公演に参加することとした場合においては、オペラ公演のもつ集団的舞台芸術性に由来する諸制約が課せられるということ以外には、法的な指揮命令ないし支配監督関係の成立を差し挟む余地はない

Ⅱ 「個別公演出演契約を締結した結果契約メンバーが受けることとなる種々の拘束はいずれも先述したオペラ公演の本質に由来する性質のものであること、②契約メンバーの被控訴人からの報酬等に対する収入の依存度といった経済的な側面についてみても、上述のとおり各契約メンバーがその自由な意思で個別公演出演契約の締結を判断する一要素にすぎないということができることなどを総体的に考慮すれば、③基本契約のみならこれを踏まえて締結される個別公演出演契約によって規律される法律関係を前提とし、労働組合法の制定目的等に照らして被控訴人と契約メンバーとの間の諸々の関係を広く考察してみても控訴人国が主張するような結論に至るものではない。」

Ⅲ「契約メンバーが被控訴人との間で基本契約を締結したからといって個々の公演について出演を法的に義務づけられるわけではない

■原審東京地裁判決との比較

原審である東京地裁判決は、「個別出演契約を締結しない限り、出演義務生じないから諾否の自由がある」としました。また、「出演基本契約の締結段階では、指揮命令・支配監督関係は希薄であり、事実上のもににしかすぎない。法的な指揮命令・支配監督関係があるとは認められれない。実際上の場所的・時間的拘束は外部芸術家を招聘した場合と同じであり、これだけで指揮命令・支配監督関係があるとは言えない」としています。

つまり、あくまで出演基本契約と、個別出演契約の二段階となっており、基本契約だけの段階では法的な拘束力がないというのが基本でした。(集団的舞台芸術性も触れていましたが。)

ところが、上記の東京高裁判決は、出演基本契約と個別出演契約を総体として見ても、オペラ合唱団員は、オペラ公演という出演契約を締結することで、集団的舞台芸術性(オペラ公演の本質)によって諸制約(時間を決めた練習等への参加や本番公演の役割の指定)を受けることになるが、これは指揮命令、支配監督関係が成立する余地はないとしたのです

これでは、オペラ合唱団員については、およそ労働者性を否定することになりかねません。この高裁判決の論理で言えば、オーケストラの楽団員についても、その集団的舞台芸術性によって、練習への参加や担当楽器などが自ずと決まっていることとなり、労組法上の労働者性を否定されることになります。また、プロ野球選手も同様ということになってしまいそうです。

東京地裁と比較しても、一段と悪い内容となってしまいました。
なお、東京地裁判決については下記の私のブログで判決全文とコメントをアップしています。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/07/post_05bf.html

■新宿労基署(映画撮影カメラマン)事件との比較

新宿労基署(映画撮影カメラマン)事件(東京高裁平成14年7月11日労判832号)では、労基法上の労働者性が東京高裁で認められましたが、その第1審東京地裁判決は、新国立劇場事件東京高裁判決と同様の論理を使っていました。

監督のイメージを把握して映像に具象化する立場にあったのだから具体的な個々の仕事を拒否する自由は制約されていた。しかしこうした制約は,主として映画製作の性質ないしは特殊性を理由とするもので「使用者」の指揮命令を理由とするものとは言い難い。

この「映画製作の性質ないし特殊性」による「制約」と上記高裁判決の「オペラ公演の本質」「集団的舞台芸術性に由来する諸制約」という論理は、共通しています。両者の契約によって決定されているから、指揮命令関係にはないというわけです。

この事件(瀬川労災事件)のWEBで高裁判決、地裁判決、最終準備書面などが読むことができます。

http://www15.ocn.ne.jp/~rousai/segawa1.htm

実は、このような「オペラ公演の本質」などという論点は、訴訟当事者間では主要な争点にはなっていませんでした。それよりも、二段階契約及び基本契約をどうみるか、という論点に集中していました。特に、放送局と自由出演契約を締結していたオーケストラ楽団員の労組法上の労働者性を認めた最高裁判決(CBC管弦楽団労組事件・最高裁昭和51年5月6日判決)を踏まえれば、まさかオペラ公演の本質から、合唱団員を事業目的の下に配置する裁量の余地はないとか、指揮命令関係の成立を差し挟む余地はないなどと判断されるとは予想していませでした。

当然のことながら、最高裁に上告することになります。

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2009年3月24日 (火)

読書日記 「福祉政治」 宮本太郎 著

Transparentpixel 有斐閣 2008年9月初版 2009年3月24日読了

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■生活保障=雇用レジーム+福祉レジーム

生活保障のためには、雇用にかかわる制度【雇用レジーム】と社会保障の福祉制度【福祉レジーム】があるといいます。

一国の生活保障の在り方は、この雇用レジームと福祉レジームの組み合わせとして分析できるとします。

■福祉レジーム

社会保障の体系を福祉レジームとしますが、欧米のそれは三つの類型に別れるそうです。

①自由主義レジーム(英米など)
 市場原理を中心とした公的扶助でなく民間中心の体制

②社会民主主義レジーム(北欧)
 労働組合、社会民主主義政党の下で公的な福祉を中心にした体制

③保守主義レジーム((独仏)
 キリスト教民主主義政党の下で、職域や家族を基軸にした体制

■雇用レジーム

雇用や労働市場にかかわる制度と体制(解雇規制や賃金制度など)を意味しています。著者は、スウェーデンと日本を次のように比較します。

○スウェーデン

スウェーデンの賃金水準は、各企業の生産性や利潤率の如何を問わず同じ内容の労働であれば賃金も同じ(同一労働同一賃金)になる連帯賃金政策にもとづく(本書25頁)。

低生産性部門に属する中小零細の経営では、労働コストが収益を上回ってしまい、倒産においやられる。小国であるスウェーデンが国際経済で生き残るためには、こうした部門を抱えてはいられないという判断から、政府はこうした企業に対して保護措置はとらない。他方で、整理された部門から流出した労働力については、これが労働市場庁が展開する積極的労働市場政策、すなわち公的な職業訓練や職業紹介サービスを通して、高生産性部門に異動することを奨励する(本書27頁)

●日本

日本の雇用レジームは、業界毎に異なった制度と政策を展開し、男性稼ぎ主をそれぞれの企業や業界に囲い込みつつ、雇用保障を行うものであった。

高生産部門の民間大企業においては、企業集団内部での株式の相互持ち合いや、護送船団方式の行政指導によって、長期的視点にたつ安定経営が可能となった。こうした条件の下で大企業は、長期的雇用慣行を定着させ、企業内福利厚生を整備した。賃金は男性稼ぎ主の家族の生活費もカバーする家族賃金の性格を強めた。

他方で、第一次産業、地方の建設業、自営業などの低生産性部門については、日本の自由民主党は、スウェーデンの社会民主党と異なり、ここに重要な支持基盤を見出していた。したがって、公共事業によって地方の建設業に仕事を提供し、中小企業金融や保護・規制政策によって零細な流通業や自営業の経営を安定させるなどの方法で、低生産性部門の収益をいわばかさ上げして、そこでの雇用を守ったのである。(本書27~28頁)

■日本の福祉レジームと雇用レジーム

福祉レジームは保守主義です。また、雇用レジームは、「土建国家」的雇用保障と、福祉レジームの一部を担う企業主義的雇用保障で組織されているというわけです。そして、現在は、この雇用レジームが大きく崩れ、福祉レジームは自由主義レジームに転換したのです。

規範的根拠を求めるとすると、福祉レジームは憲法25条、雇用レジームは、憲法27条・28条ということですね。

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2009年3月20日 (金)

法曹増員問題 - ムラの外から見ると

■外から見ると

先日のブログで、平成22年に3000人増員(司法試験合格者数)を決めた閣議決定を巡っての、日弁連の3月18日提言と弁護士会内の反対意見を紹介しました。

でも、客観的に見ると、つまり「弁護士ムラの外」から見たら、結局、両者の違いは、次のとおり、「数の問題」ということになります。

○日弁連執行部は、条件未整備を理由として、2100~2200人程度に増員をペースダウンする。

○弁護士会内反対派は、増員ペースを500~1000人程度にもっと減らすべきとする。

これを「ムラの外」から見ると、「弁護士は大幅増員をすれば弁護士の質の低下をまねき、また弁護士の経営基盤を危うくするので大幅増員に反対している」ということになります。ムラ内部の対立は増員をどこまで抑えるべきかというだけの量に関する対立であって、外から見ると、両者に本質的な違いはないということになります。

ということで、弁護士ムラの中での対立は、弁護士会内反対論者が唱えるほど、大きな対立でなく、コップの中の争いでしかないといえましょう。

■外からの批判に対して

ところで、市民やマスコミからは、このような増員ペースダウン方針に対して、「弁護士エゴ」「業界エゴ」とする批判があります。

これに対しては、次のように反論することが考えられます。

①弁護士を無制限増員すれば、弁護士の質の低下をもたらし、依頼者となる市民に対するサービス低下になる。

②弁護士の無制限な増員は、弁護士同士の競争を激しくして、虚偽や誇大な広告をするような弁護士があらわれる。日本がアメリカのように何でも訴訟に持ち込むような訴訟社会になってしまう。

③弁護士の経済的基盤が低下すると、ボランティア的な人権擁護や冤罪救援活動などに弁護士が労力を割く余裕がなくなる。

①は、一般論としては説得力があると思います。なぜなら、医師不足であったとしても、基本的な医療技術を持たない医師を大量に生み出せとは市民は誰も思わないでしょう。特に、弁護士は実務についてからのOJTにより鍛えられますから、法律事務所に採用されない弁護士が多数に増えることは「質」の問題につながります。ただし、2000人程度増員になって本当に質が低下したのかどうかが実証的に明らかにされているとは言い難い。また、本当に全国の法律事務所に2000人程度を吸収する力がないのでしょうか。特に、地方にはまだまだ吸収力があるように思えます。

②は、アピール力はあると思います。もっとも、いきなり日本がアメリカ的な訴訟社会になるとは思いませんが、生活に困った弁護士が大量に生まれれば問題を起こす弁護士が増加することになるでしょう。このようなことは、人間である以上、弁護士にかぎらず、どの職業(警察官、公務員、銀行員等)でも同様でしょう。「貧すれば鈍する」「悪貨は良貨を駆逐する」

③は、俗耳に入りやすいかもしれない。お金の余裕がないと人権擁護活動や冤罪救援活動もやりにくくなりそうです。でも、市民からの共感を得ることはとてもできないでしょう。また、事実としても間違っています。 昭和30~50年代の古い弁護士の話しを聞くと、冤罪に取り組んだ弁護士、公害裁判をたたかった弁護士、労働争議に関わった労働弁護士は、皆おしなべて貧しかったようです。お金に余裕があるから人権擁護などをやるという弁護士に、今まで会ったことがありません。お金に余裕があるから人権擁護活動でもやろうなんて人は、絶対、長続きしません。小金持ちのブル弁は人権擁護活動に興味ありません。企業側や権力側に立つ弁護士も、そもそも人権擁護活動なんかに興味をもちません。したがって、③は事実としてまったく間違っています(弁護士を自ら貶めることになります)。カネがあろうと、なかろうと、やる弁護士はやるし、やらない弁護士はやらない。カネがあるなしは無関係です。

■検討

客観的に考えれば、弁護士を何人まで増員すれば、市民にとって、「弁護士の適正な競争を通じて、より良い法律サービスを受けることができる」というメリットが最大になり、「弁護士の質の低下や競争による弊害」というデメリットが最少になるか、という問題でしょう。弁護士のデメリットなんかをあまり声高にいうのは得策ではないのです。

さらに、司法の力を強くし、「法の支配」を確立するためには、司法制度をどう強化すべきなのかを検討し、それを支える法曹人口をどの規模まで増やすべきなのか。このような司法政策を策定することこそが本当は重要なのでしょう。

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2009年3月18日 (水)

法曹増員問題 - 三つの視点

■日弁連の法曹人口に対する意見

日弁連執行部が法曹人口についての意見をとりまとめ、理事者会で可決されたようです。同意見のポイントは次の3点かと思います。

①将来の法曹人口を5万人とする目標を維持。
②閣議決定された法曹人口増加速度をペース・ダウンして、厳格に司法試験を審査して合格水準に達した者のみ合格させる(合格者水準は現状2100~2200人程度を目安)。
③増員のために法曹養成制度と司法基盤の充実をはかる

これに対して、有力な反対意見があります。その主張は論者により様々ですが、おそらく次のような意見ではないかと思います

①法曹人口5万人自体を撤回すべき
②司法試験合格者をもっと減少させるべき(人数は明示していないが、おそらく1000人程度を想定しているらしい)
③ロースクールは失敗だから旧司法研修所の法曹養成システムにもどす

裁判官は、上記反対意見と同様に考えている人が結構、多数じゃないかと感じます。検察官も「閣議決定が出たモノに何も言えません」という感じです。

■三つの視点

法曹人口、特に、弁護士人口増員を考えるときには、少なくとも、次の三つの視点からの検討が必要だと思います。

1 他士業との関係
   司法書士、社会保険労務士、行政書士は、それぞれの権限を、法律相談業務、代理業務等に進出しようと法律改正に熱心です。司法書士さんや行政書士さんの会合に出席したことがありますが、与党、野党の多数の国会議員が演壇に登壇し、「業界発展のために頑張ります」と誓約していました。
   他士業の皆さんは、弁護士増員には強く反対しています。市民の需要はこれらの隣接士業が吸収できるとして、自らの権限拡大を熱心にすすめています。政治家に対する影響力は弁護士会の比ではありません。弁護士会が、議員を業界として応援することなんて考えられないでしょう・・・。
 でも、他士業はそうじゃないんです。この動きは軽視できません。弁護士会として、どう対処すべきか。業界をバックにした国会議員の皆さんの動きにどう対抗できるか、とても楽観できる情勢ではないように思います。
 
2 いわゆる法曹の「質」の問題
   法曹の「質」の問題を言うと若手の弁護士には失礼ですが、ペーパーテストの成績に限れば、昔は500番くらいまでしか合格しなかったのが、今は2000番でも合格するわけです。私の時代には、択一試験はだいたい2500~3000人が合格したと聞いていますので、「知識の量」だけでいえば、昔の択一試験に合格したレベルで、論文試験で合格するということになります。ということで、上位の人は同じレベルでしょうが、ペーパーテストが下位の人は昔に比べれば受験技術レベルで低くなるのは否定しようがないでしょう。
   しかし、法曹の「質」がペーパーテストの点数で決まるものではないことは、実務家なら誰でも知っているとおりです。したがって、このペーパーテストだけで「法曹の質」とやらを判断するのは間違っています。だからこそ、ロースクールでの充実した実践的教育が期待されています。
 ところが、そのロースクールの授業が、法学部程度であったり、受験予備校レベルではないかという疑問を未だ払拭できてはいません。

 
3 弁護士の経済的基盤の問題
   法曹人口が増え、弁護士が増加すれば、弁護士の経済的基盤は危うくなる。弁護士の市場規模が変わらないのに、数が増えれば一人当たりの収入が減少するのは当たり前です。現状で、毎年2000人~3000人の弁護士を吸収するだけの需要が今の法律事務所にはないことは争いがありません。
   弁護士の市場規模が法曹増員の結果、増加するのであれば問題ない。つまり、本当の問題は、わが国では弁護士の市場規模が増大しないという点なのです。弁護士が増えたからといって、市場規模が自動的に増大しません。では、どうしたら弁護士の市場規模や需要が増加するのでしょうか。
 政策としては、法律扶助予算の増加、利用しやすい司法制度(民事訴訟制度、行政訴訟制度)に改革するしかないでしょう。

■現実論/未来はどっちか

 「弁護士需要なんか増えるわけがない。他士業もたくさんいるのだから、弁護士の数は少なくて良い。弁護士の増員数を毎年500~1000人程度に減らす。」 これを現実論とします。

 このような現実論では、「弁護士会の業界エゴ」で増員数を抑制したと非難されて、「他士業の権限拡大を促進する」ことになります。何しろ弁護士自ら「サルでもできる弁護士稼業」なんていうくらいですから。
 何も小難しい司法試験を合格しなくても、司法書士その他の他士業でもできるはず。そうなれば他士業の浸食を受けて、弁護士の経済的基盤は脆弱になるでしょう。

 で、法曹の「質」の方はといえば、ペーパーテストの競争試験上位の者しか合格しなくなり、受験生的な「質」は維持されることになります(真に求められる法曹の「質」が維持されるかどうかは怪しい。)。

 これは、まさに「縮小均衡」です。この路線では「明日はどっちだ?」という感じです。

■理想論/地獄への道は善意で舗装されている?

 理想論と言われても、利用しやすい司法制度(民事、家事、行政、労働、刑事弁護)に改革し、法律扶助予算を10倍~20倍くらい増額すれば、市民に使いやすい司法が実現するし、市民社会としても成熟(法の支配の確立)するし、弁護士にとってもうれしい結果になる。このように司法政策を抜本的に変更するためには、市民のニーズに応える弁護士を増員することを「旗印」にしなければ、上記の訴訟制度改革、法律予算の大幅拡大という政策も、市民に対する説得力がないと思います。

「そんなことが実現するわけがない。何をお人好しなことを抜かすか。このド阿呆!」と言われるのは覚悟の上です。また、政策実現の現実的な諸条件がないまま、弁護士増員路線をとれば、「地獄への道は善意で舗装されている」ということになる危険性があることも、否定しません。

でも、「どっちか選べ」と言われれば、どうせダメなら、理想論に近いほうに乗りたいのです。

日弁連は、将来の5万人を目標を維持しつつ、法曹養成制度の充実、司法基盤の拡充とのバランスを考えて、増員のペースダウンというボールを、コーナー低めに投げたというわけです。

法曹増員がらみの過去に書いたブログです。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/02/post_f3b3.html

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/03/post_842c.html

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2009年3月15日 (日)

不正競争防止法の改正案は「内部告発」を抑圧する

■不正競争防止法の一部改正案

先週土曜日大阪で開催された労働弁護団の全国幹事会に久しぶりに参加しました。そこで、2009年2月27日、「不正競争防止法の一部を改正する法律案」が今の通常国会に提出されていることを聞きました。同改正案の内容の要点は次の二点です。

①現行法の「不正競争の目的」(2条7号、21条1号等)から「図利・加害目的」(「不正の利益を得る目的」又は「保有者に損害を与える目的」)に改める

②現行法が営業秘密の「開示」・「使用」行為の時点で処罰するとした原則(法21条1号)を改め、その前段階での「不正取得」ないし「不法領得」の時点で処罰する

■労働者の権利行使に萎縮効果を与える

「営業秘密」(秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないものをいう)を取得して、権利行使として使用する場合は、けっこうあります。

労働者が、残業代請求をする場合、タイムカードが手元にない場合には、自己が使っていた営業報告書とか、営業日誌、電子メールのログ記録などを使って残業時間を証明しようとします。

解雇事件で、解雇の理由がないことを証明するために、営業報告書や顧客に提出した稟議書などを証拠として提出することもあります。

これらも営業秘密にあたります。これを裁判などに証拠として提出したり、弁護士に相談したさいに提供した場合に、不正競争防止法違反だということになりかねません。

今までなら、「不正競争の目的」とはいえないということになります。ところが、「保有者に損害を与える目的」という要件に変われば、残業代請求も、保有者(使用者)に残業代支払い義務を負わせる=損害を与える目的ということになり、目的要件は充足してしまいます。

営業報告書などが手続的に秘密として指定されており、そのコピーを会社のコピー機でコピーして持ち出していたなら、領得行為として、罰則が適用されかねません。裁判の証拠で使用する以上、そんなことはないという人は多いでしょう。それは確かにそうです。

でも、実際には、会社内では、「持ち出し行為は不正競争防止法で刑罰を課す」と徹底すれば、労働者を萎縮させるのに十分です。弊害が大きい。

■公益通報も、不正競争防止法違反になりかねない

労働者は、公益通報をしようとする場合には、一定の情報(営業秘密)を取得(領得)した上で行うのが普通です。

改正案のように不正競争防止法の目的要件を「不正競争の目的」を「保有者の損害を与える目的」と変更をし、さらに「領得行為」も処罰対象とすると、公益通報した労働者が不正競争防止法違反として処罰対象となりかねません、。

つまり、公益通報者も、内部告発によって、事業者(保有者)に損害を与えるという認識はあるため「目的要件」である「加害目的」を充足することになります。

そこで、営業秘密の領得が詐欺等行為又は管理侵害行為によってなされたか否かによって決せられることになります。

これは、公益通報者が刑罰規定違反の被疑者になり得るということです。内部通報を敵視する事業者が、不正競争防止法違反として、刑事告訴したらどうなるでしょうか。

これでは、公益通報者は、罰則適用される危険をおかして公益通報をしなければならなくなります。

■不正競争防止法改正は大問題

こんな大きな改正について、マスコミも報道していません。こんな改正案が国会に上程されているなんて消費者団体も知らないのでは? 

こんな改正案は反対です。これほど刑罰規定を拡大する必要性はありません。現行法の刑罰規定で十分対応できるはずです。

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2009年3月 9日 (月)

政治資金規正法の虚偽記載の故意とは?

■政治資金規正法の虚偽記載って?

民主党の小沢一郎議員の公設秘書の逮捕について新聞では次のように被疑事実が記載されています。

調べによると、大久保秘書は、実際は西松建設の政治献金であることを知りながら、03~06年分の陸山会の政治資金収支報告書に、西松建設のOBが代表を務めていた政治団体「新政治問題研究会」(95年設立、06年解散)と「未来産業研究会」(98年設立、06年解散)から計2100万円の寄付を受けたとする虚偽の記載をしたという。(朝日新聞3月4日)

罰則は政治資金規正法25条1項3号の12条違反ということなのでしょうか?

第25条 次の各号の一に該当する者は、5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金に処する。
(1号、2号 略)
3号 第12条第1項若しくは第17条第1項の報告書又はこれに併せて提出すべき書面に虚偽の記入をした者
(第12条第1項には、政治団体の会計責任者の報告書提出義務が記載されている。)
■形式犯
政治資金規正法は複雑でわかりにくいですが、これはいわゆる形式犯ですから、虚偽であるか否かは形式的な事実認識が問われるはずです。つまり「新政治問題研究会」などという政治団体が存在しないことを知りながら、あえて存在すると記載することが虚偽記載になるのであって、もし「新政治問題研究会」が実在するのであれば、そう書いたからといって虚偽記載ではないということになるのが普通の形式犯の虚偽という故意についての解釈でしょう。お金には色はついていませんから。

でも、西松建設名義の預金口座から直接にお金が出され、新政治問題研究会の銀行口座に直接に振り込まれ、それがそのまま小沢氏の政治資金団体である陸山会に振り込みにより寄付されていた場合には、新政治問題研究会は実在していたとしても、ダミーということになります。それを会計責任者が知っていた場合にはどうなるでしょうか。

検察は、これも虚偽記載として立件するつもりのようです。しかし、実在する新政治問題
研究会の預金口座から直接に振り込まれている場合に、それをそのとおり記載することが「虚偽記載」ということになるのでしょうかねえ。

もし、正しく記載するとしたら、西松建設が寄付者ということになります。だが、お金は間違いなく、新政治問題研究会の名義の銀行口座から振り込まれているのですから、西松建設が寄付したとして報告書に記載すると、それが虚偽ということになりかねません。
その意味で、このような形式犯の虚偽記載について、実質的な認識を問うということになるのは通常の形式犯の故意の考え方とずいぶん違う解釈をするように思います。裁判になれば、けっこう大きな法律問題になるのではないでしょうか。

■本件か、別件か?

通常は、こういう形式犯としての逮捕は別件で、本件があるというのが、今までの特捜のやり口だったのではないでしょうか。小沢一郎氏の公設秘書逮捕については、まだまだ、今後の動きが注目されます。
■しかし、漆間官房副長官(元警察庁長官)って・・・

警察庁長官と言えば、法務省や検察庁と強いパイプを持っているとしか考えられないポジションです。しかも、オフレコでの発言をしたということになれば、何らかの情報を得たうえで話していると考えるのが普通です。

漆間発言の結果、検察としては自民党関係者も事情聴取をせざるを得なくなります。検察としては、中立公正を行動で示す必要がでてきますからねえ。漆間官房副長官の、まあ、なんていう愚かな発言なのでしょうか。

でも、こんなトンマな発言をする漆間元警察庁長官って、周囲からは一切信用されておらず、重要な機密情報なんかは集まらないような人なのかもしれません。

ひょっとしたら、本当に単なる軽口だったのでしょうかね? もし、そうだとしたら、そんな人物がわが国の官房副長官だというのも、なんか寂しいものがあります・・・。

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2009年3月 8日 (日)

労働審判の成果の公表を

■労働審判三年の統計結果

* 平成18年は4月~12月
 地裁 平成18年 平成19年 平成20年
 全国   877   1494  2052
 東京   258    485    711
 横浜    77     96    155
 さいたま    25     64     92
 千葉    26     70     69
 大阪    84    105   139
 京都    24     31    44
 神戸    33     72     80
 名古屋    54    111    124
 広島    15     18     35
 福岡    29     66    121
 仙台    16     35     32
 札幌    34     49     69
 高松     3      2      3

全国的には、平成20年は、前年に比較して1.3倍強の増加です。東京地裁では1.5倍弱の増加となっています。とはいえ、全国的にはムラがあり年間申立10件未満の地裁は珍しくありません。3年たっても新受件数10件未満の地裁は福井、佐賀、釧路、高松、高知の4地裁です。その原因は、申立側にあるのだと思います。当該地域に労働審判を活用しようとする意欲と体制が不足しているということなのでしょう。

既済事件の平均審理期間(全国)は75.2日で、既済事件の終局事由ごとの比率は下記のとおりだそうです。

  総計 審判

異議
申立

調停成立 24条終了 取下 却下・移送等
全国 3967件 19.2% (62.1%) 69.3% 3.2% 7.9% 0.5%
東京 1289件 17.1% (63.6%) 73.9% 2.7% 6.4% 0.3%

■労働審判の解決結果は社会的公共物

労働審判の内容が報告されているのは、労働判例での労働審判ダイジェストのコーナーと、Jurist2008年12月増刊号の「労働審判 事例と運用実務」(菅野和夫教授監修、日本弁護士連合会編)が参考になります。この増刊号には、実際に労働審判として係属して終結した事例が34ケースが掲載されています。

一部には、労働審判法16条が、「労働審判手続は、公開しない」と定めていることから、労働審判の解決内容なども非公開であると主張する方がいます。しかし、16条はあくまで審判手続が公開されないというものであって、その労働審判の結果について公表を禁じる趣旨ではありません。個別労働民事紛争事件が、労働審判でどのように解決されているのかは、もっと公表されてしかるべきです。

法律で定められ、国民の税金で労働審判が運用されている以上は、その成果、つまり個別労働紛争の解決ルールは社会的公共物にほかなりません。もっと積極的に労働審判の解決内容はオープンにされるべきです。もちろん、当事者のプライバシーを配慮するのは当然です。

■労働審判の解決結果の情報公開を

具体的には、裁判所は、労働審判の統計を各地裁ごとに公表すべきでしょう。そのような広報の努力を裁判所が行うべきです。また、労働審判の審判書、調停条項を、当事者名を伏せた上で、公表されるべきです。裁判所は、判例については、HPで当事者名を匿名にして公表しているのですから。

裁判所は、裁判の公開が定められた判決手続と手続を非公開とされた労働審判とで異なる取扱いをしているようです。しかし、労働審判は、実質的には訴訟事件であり、形式的に非訟事件として取り扱われているだけです。

何よりも、労働審判の解決結果は個別労働紛争解決の貴重なルールを形成していくものです。その意味で、解決という成果は、当事者だけの果実ではなく、社会公共物であるはずです。もっと情報公開がされてしかるべきです。

「労働審判は、司法改革の中で唯一の成功事例」と言われています。であれば、もっと、裁判所も情報公開に努力してほしいものです。

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2009年3月 3日 (火)

アクセス数 トップ20  

■アクセス数の推移

気がつくとアクセス数が20万件を超えていました。お立ち寄りありがとうございました。2008年11月1日から2009年2月末までのアクセス数が多い順で20位までの記事は次のとおりです。標題末尾の数字はアクセス数です。

① 日本マクドナルド店長残業代請求事件判決 659
② スウェーデンが「解雇自由」だって? 561
③ ちょっと意外な、大竹文雄先生の「非正規雇用問題」 534
④ 民法(債権法)改正と労働契約-ちょっとびっくり 507
⑤ 誰が「痛みを分かつべき」なのか  487
⑥ 有期契約労働者と整理解雇法理  405
⑦ 年越し派遣村  368
⑧ 会社分割・労働契約承継法と「在籍出向」  342
⑨ 普通に、おかしいって思うのですけど  338
⑩ 「派遣村」閉村 見事な撤収!  329
⑪ 「風月堂」セクハラ事件判決と裁判官の「セクハラ感覚」  267
⑫ 成果主義賃金による降級・減額措置を違法とした東京高裁判決-MC事件 248
⑬ 松下PDP事件-大阪高裁判決全文  220
⑭ 日本の自殺率-驚愕の国際比較  193
⑮ 読書日記「裁判員制度の正体」西野喜一著  179
⑯ 加藤周一氏 去る  179
⑰ 非正規労働者たちの「逆襲」   169
⑱ 中労委労働者委員 全労連系から任命  165
⑲ 労働審判制度施行1年  160
⑳ 韓国 国民参与裁判について  148

■特徴

マスコミ報道された労働事件判決についての記事にアクセスが多いです(①⑧⑪⑫⑬)。

hamachanのブログで触れてもらった記事は、アクセス数が多くなります(②③⑥)。hamachanの影響力がすごいということですね。小倉先生のブログで触れてもらった記事も、アクセスが多くなります(⑤⑨)。

裁判員関係の記事も比較的にアクセスが多いです(⑮⑳)。裁判員裁判に肯定的なブログは少ないからでしょうか。

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2009年3月 1日 (日)

読書日記 「経済学と現代の諸問題」-置塩信雄のメッセージ 置塩信雄著

2004年8月初版、大月書店

■景気循環は不可避

置塩信雄教授の「経済学と現代の諸問題」(大月書店 2004年8月)を読んでいます。世界的な不況の中、「誰が痛みを分かつべきか」、「政府はどのような措置をとるべきなのか」を素人ながら考えてしまいます。なお、置塩教授は、当初、近代経済学を研究してからマルクス経済学も研究し、両分野で業績を残された学者だそうです(1927年~2003年)。

ケインズの有効需要政策について次のように述べています。

ケインズは資本主義のもとでは個々の私企業を自由放任すれば、景気循環は不可避であると考えていた。また、ケインズは個々の私企業を自由放任すれば、景気循環において、いくら景気がよくても(労働は完全雇用され、生産能力はフル稼働)、いずれは反転して悪くなるだろうと考える。また、いくら景気が悪くてもいずれは必ず反転すると考えていた。(置塩教授「経済学と現代の諸問題」94~95頁)

ケインズは、生産能力(それは生産設備、原料などの生産手段、労働力によって構成されている)が大量に遊休し失業があるとき、こらから抜け出すためには、政府が自ら需要を喚起すべきであると考えた。(置塩同書110頁)

置塩教授は、同書でケインズの有効需要政策を次のように批判されています。

ケインズは不況局面において、政府は需要注入を行うべきであるとするが、私的企業に対して、その私的利潤を制限するような規制を行うということは全く念頭になかった。

ケインズの「一般」理論の論理からしても、企業の生産・雇用の決定態度(利潤最大)に干渉して規制を加えれば、需要注入政策を取らなくても、雇用・生産水準を上昇させることができる。ところがケインズはこのような政策を一切検討しようともしていない。(置塩同書98頁)

この「企業の生産・雇用の決定態度」を規制を加えるとは、どのような規制や政策なのでしょうか。具体的には何も書かれていません。ちなみに、置塩・鶴田・米田教授共著「経済学」(1988年 大月書店)では次のことが書かれています。(なお、私が大学で経済原論(もちろん、「マル経」)を受講したときの教授は、この本の共著者の鶴田満彦教授だったと思います。)

労働者の消費需要増大→雇用増大→失業解消を実現するためには、資本家の生産決定態度に規制を加え、これを変化させることが絶対に必要なのである。ケインズが推奨する政策の中に、労働者の消費需要増大というメニューが含まれていない(「経済学」114頁)

この労働者の消費需要増大とは、私には、株主に対する配当を制限したり、企業の内部蓄積を吐き出させたり、役員の報酬を制限したりして、大量解雇や賃金切り下げを規制する方策なども含まれるように思えます。

■ケインズの「資本主義崩壊の恐れ」

置塩教授は、ケインズが有効需要政策として、「企業や資本家の利潤を制限する」規制を行うことを提言しない理由を次のように述べています。

ケインズが最も重視した不況局面のコストは資本主義が危うくなるというコストであった。このことについてケインズは他の経済学者に比べて比類のない感受性をもっていた。

彼は19世紀を回顧し、「当時は、労働組合は弱体であったし、経済のジャガーノートは別に妨害も受けず、むしろ喝采を浴びながら、進歩の大道をつきすすむことを許されたのである」(邦訳ケインズ全集第9巻、東洋経済新報社、367ページ)と言っている。(置塩同書96頁)

しかし、20世紀になると状況が変化したことをケインズは強い危機感をもって感じ取っていたと置塩教授は指摘されています。

・・・「それは労働者に貨幣賃金率引き下げのための失業を強要することであり、労働者は激しくそれに抵抗するであろう」と彼は激しく反対した。そして「労働組合は、供給と需要の力の自由な発揮を妨げることができるほどの十分に強力になっている」(全集第9巻、367ページ)と、労働者の力の過小評価を警告している。

ケインズは資本主義の維持に大変な決意をもっており、「生活面で優れた素質をもち、全人類の進歩の種子をたしかの携えているブルジョアジーやインテリゲンチアよりも、上位に粗野なプロレタリアートの地位を高めるような信条を、どうして私が採用できるだろうか(同書、306ページ)と彼の信条を吐露している。(置塩同書97頁)

ただ、ソ連型社会主義の崩壊後の今の世界では、もはや「労働者が強くなったために資本主義が崩壊する」などと恐れるひとは存在しないでしょうがね。

■置塩教授のケインズ批判の2点

置塩教授は、ケインズが資本主義では景気循環が不可避であること、総需要の大きさに新投資需要が主要な影響を与えること、新投資の決定が私企業に握られてることの重要性を指摘したことを評価しながら、次のようにケインズを批判しています。

ケインズは、私企業に委ねている結果生じる総需要の不足による遊休生産能力・労働者の失業(それは景気循環の下降局面の出来事である)を放置すれば、労働者をはじめとする人々の憤激をかい、資本性はその基礎を揺るがせられると考え、国家による需要注入によってこの危機をのりきろうとした。(置塩同書113頁)

私的企業、なかんずく大企業の生産・雇用の決定の仕方に介入し規制を行うならば、ケインズがいう総需要政策を行うことなしにでも、生産・雇用の総水準を引き上げることができる。このことはケインズが『一般理論』で展開している雇用理論からも導出される。(置塩同書115頁)。…(にもかかわらず、)この部分については、ケインズは一切政策的介入を拒んでいるのである。

どうやら、政府が、企業の雇用や生産決定に対して利潤や配当を規制して、労働者の消費を増大させる政策をとることは、ケインズの一般理論から見ても成り立つということかなと読みました。企業の株主への配当や内部留保を規制して、雇用維持のために使うべきか否かという論争にもかかわる論点のように思えます。

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