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2009年2月21日 (土)

読書日記「日本を蘇らせる政治思想」現代コミュタニリアニズム入門 菊池理夫著

2007年1月20日第1刷 2009年1月25日読了 講談社現代新書

■コミュタニリアニズムって何?

同書によれば次のように解説されています。

コミュニタリアニズムは、個人が所属するコミュニティの伝統を重視し、治安対策の必要性を強調し、とりわけ福祉政策を重視する現代のアメリカのリベラリズムを批判する。

人間存在が何らかの与えられた共通性をもち、何らかの倫理的に共通の「善き生」をともに実現していくものと考えます。「正(義)=権利」よりも「(共通)善」を重視するものであるといえます。

コミュタニリアンが主張する「共通善」、コミュニティの政治的価値とは、まず連帯(友愛)、相互扶助、政治参加、自治などです。

現代のコミュニタリアニズムは、一方ではリベラリズムのように政治的価値に対して価値中立性を主張することが実際には、官僚主義や司法主義、国家のエリート支配になると批判します。

エチオーニによれば、コミュニタリアニズムとは、「自由市場」という「第一の道」と、「計画経済」という「第二の道」に対する「中道」であり、「第三の道」です。それは公的な国家でも私的な市場でもない、NPOのような第三セクターとしてのコミュニティを重視し、そこにできる限り権限を移譲し、政治参加を促進しようとするもの

というわけです。コミュニタリアニズムって、えらい ええもんのようでんなあ。

■共通善って、誰がどうやって決めるのか?

でも、「共通善」っていうのが何だかようわかりません。

どうやら結局、アリストテレス的な共和主義的な「善」(連帯、相互扶助、政治参加、自治)ということのようです。西欧コミュニティでは、それが伝統的なコミュニティの「共通善」なのかもしれませんが、日本のコミュニティでは、そんな共和主義的なものではなく、もっと「氏族・村落共同体的」なものが共通善ってされるかもしれませんよね。イスラム社会にとっては、共通善は、まさにイスラームの教えなのでしょう。

コミュニティがいろいろあって、共通善も、またそれぞれのコミュニティで違ってくるんじゃないのでしょうかねえ。そんでもって、当該コミュニティに共通善に参加しろって言われたら、やはりリベラリズムが心配するように、例えば、日本社会ではコミュニティのボス連中が個人の自由や権利を抑圧するようになるしかないと思います。

東京都立高校のコミュニティでは、「日の丸、君が代に敬意を表するのは当然である。郷土に誇りをもち、積極的に参加するコミュニティの構成員になることこそ善き生をまっとうできる」というのが知事や教育委員会、校長会全体の「共通善」となっています。そのほか、「お前は、日本人だから、和をもって尊しじゃ」とか。あるいは別の社会では「労働者階級の解放と救済のために生きることがプロレタリアのコミュニティの共通善だ」となりかねません。

コミュニティにおける「共通善」を、誰がどのように決めるのか。共和主義的な共通善のみが唯一の善というなら、単なる共和主義者です。この点が明快にならないと、リベラリズムのコミュニタリアニズムに対する心配はもっともだと思います。

■リベラリズムのもつ大人の距離感

ロールズ的「リベラリズム」って、現代民主主義社会において、各勢力(党派)がそれぞれ、<我こそが「善」>だとか、<我こそが「正義」だ>とかを主張して争うようになったため(「神々のたたかい」)、どっちが「正」か、あるいは「善」かなどという判断に立ち入らず、相互の自由と権利と民主的討議を経て調整する規範(ルール)を構築しようとしている思想だともいえます。コミュタニリアニズムって、このようなリベラリズムの大人の距離感を理解していないように思えます。

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