スウェーデン K・G・ミュルダールやパルメ首相のこと
■スウェーデンの雇用保障法の制定時期
スウェーデンの雇用保障法(Lag om amstallningssdd)ですが、昔読んだ、丸尾直美教授の著作(スウェーデンの経済と福祉」中央経済社 58~60頁)では、1974年制定とされています。
一方、濱口桂一郎教授の「EU労働法政策」のブログで紹介されたスウェーデン政府の英訳(Employment Protection Act (1982:80)では、1982年制定とされています。また、「スウェーデンの今」の佐藤氏の紹介でも、『雇用保護法』(Lagen om anställningsskydd)(通称、LAS):1982年制定となっていました。
で、丸尾直美教授の著作を調べてみると、同著作193頁の「スウェーデンにおける経営参加の発展の経過ー付表」で次のような年表がありました(抜粋)。
1920年 産業民主主義委員会設立
1938年 労使の基本協約 サルチオバーデン協定成立
1971年 雇用保障法(オーメン法)の法制化。客観的な正当な理由なしの解雇禁止
1973年 取締役会への労働代表参加法制化 3年間暫定措置
1976年 労働者代表参加法の拡大・恒久化 従業員25人以上の企業
1977年 労働生活の共同決定法施行
1982年 雇用保護法改正 試験的雇用と仕事のピーク時の臨時雇用が認められるようになった。
1984年 労働者基金導入。株主としての労働者参加
1990年 労働者基金への拠出中止
このように丸尾教授の著作にも、1971年制定と1974年制定との異なる年が記載されています。どれが本当なのでしょうかね。と思って、また前に読んだ本を自宅で探しました。
■スウェーデン社会民主労働党の歴史
ファシズム研究で著名だった大阪市大の山口定教授の「現代ヨーロッパ史の視点・第2版」(大阪書籍1988年初版)を昔、興味深く読んだことがあります。
ドイツやフランスのほか、スウェーデンについて詳細に解説した本です。副題には、「今日の日本を考えるために」とあります。1932年にスウェーデン社会民主労働党が初めて政権をとり、その後、1976年に選挙に敗れるまで44年間政権についてきた歴史を簡単に紹介しています。
スウェーデン・ニューディールの成功
経済構造をいじらず、ケインズ主義的な手法を労働者の利益になるような形で使う。財政政策、経済政策、金融政策、そういうところで労働者の立場からケインズ主義を適用する。そういう立場として「民主社会主義」が大きな発言権をもつ、という状況が続いたのです。
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要するにスウェーデン社会民主労働党は有能な経済学者のスタッフをもっていたということですが、その代表がK・G・ミュルダール(1898年~1987年)で、彼は、ある意味でケインズ以上に世界史に大きな役割を果たしたのではないかと思います。------
今日への教訓
ヨーロッパの大きな社会民主主義政党で感心するのは、たとえば私が一番よく知っているドイツの場合いうと、労働運動の体質として、いかにうまく単なる圧力団体行動様式を脱却しているかということです。・・・・日本では、労働運動の側に立ち、労働運動の利益に役立つような政策体系を考えてくれる研究所や、それを支える巨大な財団は存在しておりません。
これは日本の労働運動の決定的な弱点であり、組織労働者の組織力を使って自前の巨大な財団と研究組織をつくるというのは、本来、戦後の出発点のところでやるべきでことではなかったのか。それを背景にした自前の政策面での力量がないと、わが国の、世界に冠たる官僚制の有能さにはまず対抗できない。その問題が解決されない以上、長期的にみて日本の革新派がじり貧にならざるをえないという状況は、まだまだ続くのではないかと思うのです。
1988年に出版されたこの山口定教授の指摘どおり、革新派がじり貧どころか、ドカ貧になりました。その問題点は、いっこうに克服されていないように思います。
■パルメについて
また、この本を読んでパルメの労働者基金にびっくりさせられたことを思い出しました。ソ連型でない現実的で民主的な社会主義があるものだという印象を強くもったものです。このパルメの「労働者基金」については、次のように書かれていました(要約)。
パルメは、1969~1976年、スウェーデンの首相(社会民主労働党の党首)です。パルメ首相は従業員基金構想を提案したのですが、企業と中産階級の反発から、1976年の総選挙で敗北しました。しかし、1982年9月、パルメ党首は、新たに労働者基金を創設を訴えて、総選挙に勝利し、政権に復帰しました。この労働者基金構想は、企業の過剰利潤の一部を労働者基金に拠出させ、その地域の労働者基金により企業の株を購入するのです。そして、その基金の運営委員会は、将来的には労働者の選挙で選出しようとするものです。
これが実現すれば6~7年後には、企業の最大株主は労働者基金になるという野心的な構想でした。実現すれば、資本所有形態が大きく変化し、民主的な社会主義と言える体制につながると言えるでしょう。しかし、このパルメ首相は1986年2月に暗殺されます。犯人は未だ逮捕されず、事件の真相は未解明のようです。
その後、1990年には、労働者基金は、その後、政権についた右派連合政権により中絶に追い込まれました。
このように雇用保障法が制定された1982年という年は、パルメの社会民主労働党が復帰した年にです。パルメ政権の下で、雇用保障法が制定されたということでしょうか。しかし、雇用保障法自身は、1976年までの社会民主労働党の長期政権中にできていたと考えたほうが自然のような気がします。そして、1982年当時の状況では、試行的雇用契約や有期雇用契約について一定の緩和するために改正したというのが普通のように思えます。
山口定教授のこの著作は、ちょうど東欧共産圏崩壊、ソ連崩壊の直前に書かれた本です。私にとっては、スウェーデンという社会民主主義国に注目するきっかけになった本です。「スウェーデンが解雇自由の国になった」という話を聞いて、「ホンマ カイナ」と調べるうちに、久しぶりに読みかえしました。結論的には、このような歴史の国が、そうやすやすとネオ・リベラリズムの政策にかわるとは考えられません。
スウェーデンの自動車会社であるサーブが経営破綻(会社更生)となったというニュースがとびこんできました。ただ、このスウェーデンであれば、日本とちがって、労働者が路頭に迷うということだけはないのでしょうね。
王制の下での「武装・中立・非同盟」路線、そして、産業民主主義。このようなスウェーデン型社会システムが一つの有力なモデルであることは間違いありません。
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コメント
労働者基金、自前のシンクタンクの話。たいへん刺激的で、勉強になりました。
投稿: スガ | 2009年2月24日 (火) 13時56分