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2008年7月27日 (日)

裁判員裁判 模擬裁判での無罪

■裁判員裁判の模擬法廷

模擬法廷といっても、東京地裁刑事部の現役裁判官3名、裁判員も一般市民から選出された方々6名、東京地検公判部の現役検察官、そして、本職の弁護士。ただし、被告人や証人は弁護士会や検察庁などから選ばれた人です。

模擬法廷のスケジュールは7月22日から23日にかけて模擬法廷が行われ、24日に判決でした。

■裁判員裁判で無罪

傷害致死事件です。被告人と被害者は建設業の友人で、二人だけで長時間、呑んだあと、道ばたにて眠りこけた被害者を被告人が起こそうとしたが、起きなかったために腹部を踏みつけた結果、死亡したというのが起訴事実でした。

被告人は被害者と7時間以上、一緒に呑んでいたいのですが、店を出た後、15分だけ一緒にいなかった時間があった。そのときに被害者は公道で酔いつぶれて寝込んでしまった。

被害者が死亡した後、被告人が「酔っぱらってなかなか起きなかったので、蹴ったかもしれない」と漏らしたことから、逮捕されて起訴されたという事案です。

■二弁のホープ

弁護人は、第二東京弁護士会の刑事弁護のホープである神山啓史弁護士が一人で担当しました。被告人役は、二弁の裁判員対策チームの小川英郎弁護士です。

写真が報道されています。ネクタイ姿が被告人役の小川弁護士で、ノーネクタイが弁護人役の神山弁護士です。
  ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080722-00000012-maip-soci.view-000

初めて、裁判員裁判を傍聴しました。ただし、検察側と弁護側の冒頭陳述までですが。検察側は、パワーポイントを駆使した冒頭陳述でした。冒頭陳述する検察官は、女性の若い検察官で、ビジュアルも良い方でした。検察官の冒頭陳述の内容は、いかにも優等生模範回答でした。ただし、冒頭陳述というよりも、まだ取調もしていな供述証拠を引用しまくる内容で、まるで論告のような内容でした(刑事訴訟法的に見ても、極めて違和感を持ちました)。30分使っての丁寧な模範答案的な検察の冒頭陳述ですが、まったくインパクト不足です。聞いているうちに、印象がぼやけてきました。裁判員には、いきなり過剰な情報を提供して、消化不良を来したのだと思います。

これに対して、神山弁護士は、パワーポイントを使わず、自分でワープロで書いたホワイトボード一枚です。10分の冒頭陳述です。

最初のつかみから素晴らしかったです。印象にのこったフレーズを書きます(記憶は不確実ですが。)

皆さん、酔っぱらったあと、記憶があやふやで、周りから酔っぱらったときの行動を問いただされたときに、ひょっとしたら自分はそんなことをやったかもしれないと思ったことはないでしょうか。誰でも、そういうことはあります。被告人も酔ったときに、ひょっとしたら・・・と口走ったことで起訴されたのです。

6時間以上、被告人と被疑者は一緒にいて、その間に被害者が暴行を受けたことは間違いなく、その結果、死亡したことも間違いありません。しかし、居酒屋を先にでた被害者は道路で酔いつぶれて仰向けて眠りこけました。被告人は15分遅れて居酒屋に出て道路で仰向けに寝ている被害者を見つけました。この間、15分間の空白時間がある。盛り場の道路で被害者が道路で寝ている空白の15分がある。この空白の15分に被告人以外の者が暴行を加えたかどうか。その疑いが合理的な疑いであることを、審理を通じて明らかにします。注意深く証言と被告人の供述に耳を傾けてください。

というような冒頭陳述でした。傍聴しいて感じたのは、裁判員らは、この神山弁護士の冒頭陳述に聞き入ったということです。裁判官もそうです。

この模擬裁判は、東京地裁所長や裁判官、検察官、弁護士会関係者らが多数傍聴していました。傍聴していた東京地裁の裁判官は、「弁護人の冒頭陳述を聞いて、無罪になるかもしれないと思ったのは、この模擬法廷が初めてだ」と言っていたそうです。

神山弁護士の冒頭陳述は、まさに名人芸でした。あとで、神山弁護士から聞いた話では、冒頭陳述、証言などのリハーサルを行い、四宮啓弁護士らの他の弁護士の前でリハーサルを行い、練りになって準備をしたそうです。

法廷では、いつものひょうひょうとした神山弁護士で、緊張やプレッシャーも感じていない印象でしたが、ご本人は極めて緊張したと言うことでした。

■裁判員裁判で無罪が出る

模擬裁判では、裁判員と裁判官の評議もモニター中継で見られるのです。私は評議の様子を見る時間が残念ながらとれませんでした。

結論的には、3人の裁判官、6人の裁判員の全員一致で無罪という結論になったそうです。裁判員も、自白も決定的証拠(物証、目撃証言)もない中、無罪の推定の原則に基づいて無罪を言い渡しました。

裁判員裁判でも、無罪の推定の刑事裁判の原則に従った判断ができるということです。裁判員裁判反対の弁護士たちが、日本人には無罪の推定原則に従った裁判はできないと声高に非難していたのは、必ずしもそうではないことが証明されたことになります。

そう指摘したら、「あれは神山弁護士だから出来たのであって、普通の弁護士が弁護人なら無理だ」と反対派の弁護士に反論されました・・・。

う~ん、彼らは、それほど刑事弁護に自信がなく、それほど普通の人に不信感を抱いているんですね。。。

■裁判員裁判反対派の弁護士の動きを批判する

弁護士会の一部に裁判員裁判反対の動きがあります。例えば、新潟弁護士会は、裁判員裁判延期決議をあげました。また、自由法曹団の通信http://www.jlaf.jp/tsushin/tsushin.htmlを読むと、裁判員裁判を反対の意見が強くりつつあるようです。

でも、模擬法廷で証明されたとおり、裁判員裁判も下でも、刑事裁判の原則(無罪の推定)に基づく裁判が裁判員のもとで実現することもありえるのです。

今さら、裁判員裁判を延期とか反対と言っても、もはや阻止することはできません。情勢を冷静に分析すれば当然、そうなります。「それでも必ず阻止できる」と言い張る人らはデマゴーグと言って良いと思います(ミッドウェー海戦敗北後も、「大和魂があれば必らず勝てる。弱音を吐く奴は非国民!」と言った戦前の軍国主義者らと一緒の心性。)。「延期」や「阻止」が出来もしないことが分かっているのに、声高に反対を述べて(「爆弾三勇士じゃあ!」)、あたかも阻止できるかのように言いつのる。旧日本軍の「非合理」な行動パターンと同様です。皇軍的な「精神主義」を思い出します。まったく「無責任」な言説ではないでしょうか。

万一、彼ら・彼女らの言うことが実現して、裁判員裁判実施を阻止できたとしても、あとに残るのは官僚的刑事裁判制度だけです。取調の録画録音も実現することもありません。驚いたことに、裁判員裁判反対派は「取調べの全録画・録音」を提起する日弁連の署名運動にさえ反対しているのです。私には彼ら・彼女らの発想は全く理解できません。正に何でも反対派なんです。

裁判員裁判を反対する国民の多くは、「職業裁判官と警察にまかせておけば良い。」としか考えていないようです(そもそも犯罪者を弁護する弁護士は怪しからんとお考えのようですから)。裁判員裁判の反対運動をしている弁護士らは、そのような素朴な国民の意識をそのままにして、現状の刑事司法の改善を国民に訴えることもなく、「死刑判決に関わるなんて嫌でしょう」などと国民の不安をあおることしかしていません。

しかし、弁護士は、マスコミ評論家や反体制運動家ではありません。泣こうが笑おうが、現行法の下で起訴される被疑者・被告人が目の前にいるのです。地道な弁護活動から逃げることはできません。「裁判員裁判は悪法だから自分は刑事弁護はやらない」と言うわけにはいかないのではないでしょうか。被疑者・被告人の権利をまもるべき法律実務家として、少しでも裁判員裁判を良くするために、今、努力をすべきでしょう。

裁判員裁判反対派の弁護士さんたちは、「司法改革に騙された愚か者ども」とか、「だから昔から言っていただろ!」とか、「司法改革は、敗北必至のインパール作戦みたいなものだ!」などと声高に言っています。こういう人たちって、何か展望があるのでしょうか。彼らの言動を理解しようと努力しても、その口先の先にはまったく希望が見えません。要するにシニカルなニヒリズムしかないのです。言わば「大衆蔑視の特権意識の固まりの弁護士先生のわがまま」としか聞こえないのです。

彼ら・彼女らは、日本の「国民は刑事裁判なんかに関与する能力がない」と誹り、裁判と弁護士への不信を振りまき、従来の官僚裁判官による刑事裁判の方が良いと強調するだけです。そして、弁護士内部の分裂と混乱をもたらす非建設的な喧嘩をしているだけです(昔懐かし「サヨクショウニビョウ」を思い出します)。

裁判所や検察庁は、裁判員裁判を数年やってダメになったら、「やはり日本人には司法参加は無理だ」と言って裁判員裁判を廃止して、職業裁判官制度にもどすことになってもいっこうに困りません。これが司法官僚連中の本音であり、狙いだと考えるべきです。裁判員裁判を今、一生懸命推進するのは、将来、これを廃止するときに、「裁判所が非協力であったから上手く行かなかった」と非難されることを回避するための作戦です。(弁護士が協力しなかったからだという反論を手に入れつつあるわけです。

司法官僚の本質は国民に対する蔑視です(『左翼』弁護士も一緒か)。権力を握る連中(あるいは権力を指向する『左翼』弁護士)は、常に自由民主主義に対する嫌悪感を持つのです。要するに自分が一番賢くて偉い、バカな愚民の紛争はうまく効率的に処理しろという感覚なのです(度し難いエリート意識)。

そうなれば、日本では陪審制度は永遠に葬られるのです。主観的意図は何であれ、客観的に見れば、裁判員裁判反対派弁護士は、それに手を貸しているとしか私には思えません。

私の度量と了見が狭いのでしょうか・・・・。

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