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2008年7月31日 (木)

合唱団員の労組法上の労働者性を否定

 東京地裁民事19部(中西茂裁判長)は、新国立劇場のオペラ合唱団員の労働者性を否定しました。労働法の「常識」に反した判決です。契約解釈から労働者性を判断するという基本的な誤りをおかした「ぼんくら」判決というしかありません。労働者性に関して極めて悪い判決が出てしまいました。

判決全文をアップしておきます。

「shinkoku08731.pdf」をダウンロード

なお、地位確認の民事訴訟の判決については下記のブログで触れています。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/07/post_a66b.html

先日、季刊労働法にて「労働者性をめぐる裁判例の動向」という鎌田耕一先生らとの座談会に出席して話したばかりです。

1 事案の概要

 財団は、オペラの上演のために新国立劇場合唱団を設置し、同合唱団には年間を通して出演する契約メンバー(約40名)と、出演回数が少ない登録メンバー(約40名)とで構成されている。契約メンバーは1年間の基本出演契約を締結し、公演ごとに個別出演契約を締結することとなっていた。契約メンバーの更新は、毎年、試聴会を実施して、試聴会に合格すれば、次のシーズンも契約が更新された。  ユニオンの会員であり、新国立劇場ペラ合唱団員である八重樫さんは、平成15年2月20日付けで契約メンバーとして試聴会で不合格にされ、契約の更新を拒絶された。

 そこで、ユニオンは、①上記平成15年2月20日付けの不合格として契約の更新をしなかったこと、②同年3月4日、ユニオンが八重樫氏の契約について団体交渉を申し入れたにもかかわらず、財団が労働契約関係にないことを理由に団体交渉を拒んだこと、を不当労働行為として労働委員会に救済を申し立てた。

2 争点

(1) オペラ合唱団員の契約メンバーが労働組合法上の労働者といえるか。
(2) 財団がユニオンとの団体交渉を、雇用関係にないからとして拒否したことが不当労働行為となるか(労組法7条2号)。
(3) 財団の本件不合格措置が不当労働行為となるか(労組法7条1号)。

3 都労委・中労委の判断

 労組法上の労働者性を認めて、団交拒否を不当労働行為としたが、不合格措置は不当労働行為でないとした。

4 東京地裁判決

東京地裁(裁判長中西茂裁判官)は、驚くべきことに、労組法上の労働者性を否定しました。

判断枠組は、出演基本契約を締結した段階で、契約メンバーである八重樫氏が個別出演契約の締結(公演の出演)の諾否の自由があるか否か。次に、基本出演契約締結段階で、法的な指揮命令・支配監督関係があるか否か。労務対償性があるか否かを検討するというものです。

そして、東京地裁は、個別出演契約を締結しない限り、出演義務は生じないから諾否にの自由があるとするのです。判決曰く、実質的にほとんどの契約メンバーが年間を通じて出演していても、また、年間230日も稽古、練習、本番の公演に拘束されていても、それは事実上の問題にすぎず、法的義務と認めることはできない。

また、指揮命令・支配監督関係については、出演基本契約の締結段階では、指揮命令・支配監督関係は希薄であり、事実上のものにしかすぎない。法的な指揮命令・支配監督関係があるとは認められない。実際上の場所的・時間的拘束は、外部芸術家を招聘した場合と同じであり、これだけで指揮命令・支配監督関係があるとは言えないとします。

この東京地裁判決は、労働組合法上の労働者性について、今までの学説や判例の考え方に真っ向から反しています。中西裁判長は、労働組合法上の労働者性を肯定するには使用従属関係を必要とし、しかも、それは事実上の関係では足りず、「法的な指揮命令・支配監督関係がなければならない」と言い切ったのです。

何としても、この東京地裁判決は、東京高裁で覆さなければなりません。あまりに非常識な内容です。これが東京地裁労働部の判決だとは信じられない気持ちです。裁判官の発想が根本的に誤っているとしか言えません。全ての労働法学者にも応援を求めて、この東京地裁中西判決を徹底的に批判していかなければなりません。

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2008年7月27日 (日)

裁判員裁判 模擬裁判での無罪

■裁判員裁判の模擬法廷

模擬法廷といっても、東京地裁刑事部の現役裁判官3名、裁判員も一般市民から選出された方々6名、東京地検公判部の現役検察官、そして、本職の弁護士。ただし、被告人や証人は弁護士会や検察庁などから選ばれた人です。

模擬法廷のスケジュールは7月22日から23日にかけて模擬法廷が行われ、24日に判決でした。

■裁判員裁判で無罪

傷害致死事件です。被告人と被害者は建設業の友人で、二人だけで長時間、呑んだあと、道ばたにて眠りこけた被害者を被告人が起こそうとしたが、起きなかったために腹部を踏みつけた結果、死亡したというのが起訴事実でした。

被告人は被害者と7時間以上、一緒に呑んでいたいのですが、店を出た後、15分だけ一緒にいなかった時間があった。そのときに被害者は公道で酔いつぶれて寝込んでしまった。

被害者が死亡した後、被告人が「酔っぱらってなかなか起きなかったので、蹴ったかもしれない」と漏らしたことから、逮捕されて起訴されたという事案です。

■二弁のホープ

弁護人は、第二東京弁護士会の刑事弁護のホープである神山啓史弁護士が一人で担当しました。被告人役は、二弁の裁判員対策チームの小川英郎弁護士です。

写真が報道されています。ネクタイ姿が被告人役の小川弁護士で、ノーネクタイが弁護人役の神山弁護士です。
  ↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080722-00000012-maip-soci.view-000

初めて、裁判員裁判を傍聴しました。ただし、検察側と弁護側の冒頭陳述までですが。検察側は、パワーポイントを駆使した冒頭陳述でした。冒頭陳述する検察官は、女性の若い検察官で、ビジュアルも良い方でした。検察官の冒頭陳述の内容は、いかにも優等生模範回答でした。ただし、冒頭陳述というよりも、まだ取調もしていな供述証拠を引用しまくる内容で、まるで論告のような内容でした(刑事訴訟法的に見ても、極めて違和感を持ちました)。30分使っての丁寧な模範答案的な検察の冒頭陳述ですが、まったくインパクト不足です。聞いているうちに、印象がぼやけてきました。裁判員には、いきなり過剰な情報を提供して、消化不良を来したのだと思います。

これに対して、神山弁護士は、パワーポイントを使わず、自分でワープロで書いたホワイトボード一枚です。10分の冒頭陳述です。

最初のつかみから素晴らしかったです。印象にのこったフレーズを書きます(記憶は不確実ですが。)

皆さん、酔っぱらったあと、記憶があやふやで、周りから酔っぱらったときの行動を問いただされたときに、ひょっとしたら自分はそんなことをやったかもしれないと思ったことはないでしょうか。誰でも、そういうことはあります。被告人も酔ったときに、ひょっとしたら・・・と口走ったことで起訴されたのです。

6時間以上、被告人と被疑者は一緒にいて、その間に被害者が暴行を受けたことは間違いなく、その結果、死亡したことも間違いありません。しかし、居酒屋を先にでた被害者は道路で酔いつぶれて仰向けて眠りこけました。被告人は15分遅れて居酒屋に出て道路で仰向けに寝ている被害者を見つけました。この間、15分間の空白時間がある。盛り場の道路で被害者が道路で寝ている空白の15分がある。この空白の15分に被告人以外の者が暴行を加えたかどうか。その疑いが合理的な疑いであることを、審理を通じて明らかにします。注意深く証言と被告人の供述に耳を傾けてください。

というような冒頭陳述でした。傍聴しいて感じたのは、裁判員らは、この神山弁護士の冒頭陳述に聞き入ったということです。裁判官もそうです。

この模擬裁判は、東京地裁所長や裁判官、検察官、弁護士会関係者らが多数傍聴していました。傍聴していた東京地裁の裁判官は、「弁護人の冒頭陳述を聞いて、無罪になるかもしれないと思ったのは、この模擬法廷が初めてだ」と言っていたそうです。

神山弁護士の冒頭陳述は、まさに名人芸でした。あとで、神山弁護士から聞いた話では、冒頭陳述、証言などのリハーサルを行い、四宮啓弁護士らの他の弁護士の前でリハーサルを行い、練りになって準備をしたそうです。

法廷では、いつものひょうひょうとした神山弁護士で、緊張やプレッシャーも感じていない印象でしたが、ご本人は極めて緊張したと言うことでした。

■裁判員裁判で無罪が出る

模擬裁判では、裁判員と裁判官の評議もモニター中継で見られるのです。私は評議の様子を見る時間が残念ながらとれませんでした。

結論的には、3人の裁判官、6人の裁判員の全員一致で無罪という結論になったそうです。裁判員も、自白も決定的証拠(物証、目撃証言)もない中、無罪の推定の原則に基づいて無罪を言い渡しました。

裁判員裁判でも、無罪の推定の刑事裁判の原則に従った判断ができるということです。裁判員裁判反対の弁護士たちが、日本人には無罪の推定原則に従った裁判はできないと声高に非難していたのは、必ずしもそうではないことが証明されたことになります。

そう指摘したら、「あれは神山弁護士だから出来たのであって、普通の弁護士が弁護人なら無理だ」と反対派の弁護士に反論されました・・・。

う~ん、彼らは、それほど刑事弁護に自信がなく、それほど普通の人に不信感を抱いているんですね。。。

■裁判員裁判反対派の弁護士の動きを批判する

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2008年7月19日 (土)

梅雨明けとクールビズ

 7月19日に関東地方も梅雨明けです。いよいよ関東も夏本番です。

 6月下旬からネクタイをはずして執務をしています。裁判所の中は、28度に設定してあるようで少し暑い。私は、法廷でもノー・ネクタイです。

 裁判官らも多くはクールビズです。部によって、法廷でもノーネクタイとする部と、法廷ではネクタイを着用する部と別れています。でも、部の中では裁判官は同じ行動パターンをとっているのが、いかにも裁判官らしい。

 弁護士は、真夏でもあくまでスーツとネクタイを着用する弁護士と、私のように、これ幸いとクールビズにする弁護士に別れます。これは、暑い中、重い記録を持って法廷と事務所・依頼者方などを何度も往復する町弁と、法廷にあまり来ず、冷房の効いた法律事務所にいることの多いビジネス・ロイヤーの違いかもしれません。

(もっとも、スーツとネクタイ派も、午後5時をすぎると、ネクタイをはずす人も多いです。これ、はたから見ると、「もう呑む態勢かいっ」て思えます。)

 クールビズと言ってもノーネクタイで上着を着用する派と、上着を着ないシャツ派に別れます。要は趣味の問題ですが、どうせクールビズなら上着はいらないでしょう。

 クールビズが導入されて良かったと思う日々がこれから続きます。

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2008年7月18日 (金)

「匿名と顕名(実名)」考

匿名と、顕名(実名)に関しては様々な議論があります。

犯罪報道で、被疑者・被告人は匿名でよいか。顕名(実名)とすべきか?

政府の審議会での発言は匿名でよいか。顕名(実名)にすべきか?

インターネットでの発言は匿名でよいか。顕名(実名)にすべきか?

2002年、司法制度改革審議会の労働検討会を毎回、傍聴していたころ、第1回目の労働検討会で次のような議論がありました。当時の東京地裁労働部の裁判長であった某判事が、労働検討会の場の公表について、「発言者は匿名にすべきだ」と主張しました。

これに対して、高木剛・連合副会長(当時)は、「審議会で匿名にする理由はない」と強く反論をされました。某判事は、「審議会での私の発言が公になると、実際の裁判で当事者からクレームを受けるなど影響を受けるかもしれないので発言しにくい。」などと述べていました。

高木剛氏は、「審議会で発言したから、裁判がやりにくくなるという程度の裁判官では困る。そういう裁判官は審議会に出る資格はない。交代することも検討してもらうしかないのでは」という趣旨の発言をされました。

というわけで、労働検討会では顕名が実現しました。(高木剛氏・現連合会長の「毅然」とした態度に感銘を受けました。)

実は、当時の司法制度改革審議会の下、多数設けられた各検討会で、判事らは一斉に匿名主義を主張していました。おそらく、これは最高裁事務方の意向でしょう。この労働検討会の高木氏の反論を突破口にして、ほとんどの検討会で顕名主義が採用されました。
(なお、この某判事は、実際の労働裁判で何度もお会いしたことがありますが、この程度のことで発言がぶれるような方ではありません。「名前が出るのが怖くて、裁判官なんかつとまるか!」という心意気の方だと思います。そういう人でも最高裁の指示には従うしかなかったのでしょうね。)

犯罪報道については、私は被疑者・被告人については、(本人が顕名を希望しない限り)匿名報道が適切だと考えています。裁判員裁判が実施される現時点ではなおさらです。

インターネットでは、顕名か匿名かは、所詮、任意の世界なので、どっちでも良いということでしょう。ただし、匿名での発言は、「空っぽの洞窟の中での叫び声」(品悪く言えば「トイレの落書き」)と同じ程度の扱いをうけるものと思います。もっとも、日本では、落書(らくしょ)や落とし文は後世になって、二条河原落書のように歴史教科書にも載るような傑作になるという伝統があります。子どもの落書きということで捨て置けばよいようにも思ってしまいます。

しかし、小倉秀夫弁護士の「落書」や「落とし文」の連中と果敢に正面対決する熱意と正義感には本当に敬服するばかりです。

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2008年7月12日 (土)

「左翼小児病」

1ヶ月ぶりの更新です。このところ、弁護士会の仕事が多忙で、なかなかブログの更新もできません。他方、労働法分野では、「労働者派遣法」見直しの動きが激しく、その検討状況や労働運動の動きを追う時間も持ちたいのですが、なかなかそれもできない日々が続いています。

ところで、「左翼小児病」という言葉が昔ありました。現在は死語でしょうね。

でも、このところ、たびたび「左翼小児病」という嘗ての「左翼用語」を思い浮かべます。

広辞苑によれば、「左翼小児病」とは「幼稚で極端な性向」と説明されています。知っている人は知っていると思いますが、これはレーニンが「共産主義における『左翼』小児病」という著作で論じている性向のことです。

なお、「小児病」は、「子どもに多いジフテリア・麻疹・水痘・百日咳・猩紅熱の類」だそうです。ですから、「小児病」に苦しんでいる子供とその親御さんの心情を思えば、左翼「小児病」という用語は、不適切な表現なのでしょうね。だから、「死語」となったのでしょう。左翼の「机上の空論」病とでも言い換えるのでしょうか。

レーニンは、一切の妥協を排して、声高に威勢の良い革命的言質を弄する「左翼主義者(極左主義者)」を、「なんという子供じみた素朴さだろう」と嘆き、「非常に若い、経験のあさい革命家には、また小ブルジョア的な革命家にあっては非常に老齢で経験ゆたかなものでさえも、『妥協をゆるすこと』はとくに『危険なもの』であり、理解できない、ただしくないものに見えるだろう」と書いています。そして、次のように記述しています。

政治では、ときには、階級間、政党間のきわめて複雑な――国家的な、また国際的な――相互関係が問題となるので、あるストライキの妥協が、ただしい妥協か、それともストライキ破り、裏切指導者の背信的な妥協か、等々といった問題よりもはるかにむずかしいばあいが非常に多い。あらゆるばあいにあてはまるような処方箋ないし一般的な基準(「妥協は絶対にいけない!」)をつくりだすことは、ばかげたことである。一つ一つのばあいをそれぞれただしく判断できるためには、自分自身の判断力をそなえていなければならぬ。

もっとも、トロッツキーは、このレーニンの著作のポーランド版に寄せて、次のような序文を書いたそうです。

レーニンは、形式的な「左翼主義」、見せかけの急進主義と美辞麗句を断罪し、そうすることで、階級的政策の真の革命的非妥協性をいっそう鋭く擁護した。しかし、彼は――残念ながら!――、さまざまな類の日和見主義者がこの著作を悪用するのを防ぐ十分な予防策を講じなかった。日和見主義者たちは、無原則的な妥協を擁護する目的で、12年前に刊行されたこの著作を何百回、何千回となく引用した。

トロツキーの指摘も言い得て妙です(と、一応、逃げを打っておきます)。

結局、レーニンの言うとおり、一つ一つの具体的な問題について、個々の局面で正しい判断をするしかないわけですね。

原則論を振り回し具体的な歴史的・政治的条件を無視して、「一切の妥協は、けしからん」と述べる人々に、私は最近、法曹人口増員問題や裁判員裁判をテーマにした弁護士会や自由法曹団の内の論争の場で、目に触れ、耳にする機会が多くなりました。

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