「蟹工船」と、秋葉原通り魔事件
小林多喜二の「蟹工船」が、今、多くの若者に読まれているそうです。
私も高校生のとき(30年前です)、プロレタリアート文学の代表本である「蟹工船」を読みました。
今、覚えている読後の感想は「最後まで騎兵隊が出てこない西部劇」というものです。
また、具体的に覚えているのは、蟹工船に乗船していた少年たちが、船員労働者に「稚児」扱いされる苦痛を訴えた場面です。「へーっ、そういうことがあったのか」って驚いたことを覚えています。(あまり良い読者ではなかったようです。)
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秋葉原通り魔事件を聞いて、何故に平穏に休日を楽しんでいた人々が殺されるのかと暗澹とした気持ちになります。誰もが犠牲者になりかねないこの事件の衝撃は大きいです。この被疑者に、どのような背景があろうと、その罪を償わせなければならりません。
一方、マスコミは、犯行の社会的背景に「不安定雇用である派遣社員の不満がある」と報道しています。不安定雇用の不安・不満と犯罪実行の間に因果関係があるかは慎重に判断しなければならないと思います(犯罪者は、とかく誰かのせいにして、責任転嫁をはかるという性癖をもっていることが多い)。ただ、被疑者の刑事責任とは別に、その犯行の社会的な原因を分析することは、犯罪予防のために必要な作業であることも間違いないです。
この通り魔事件を聞いて、例の「希望は戦争」と喝破した不安定雇用労働者のエッセイを思い出します。「希望は戦争」と言った趣旨は、「現実には絶望している」ということでしょう。「絶望」から、「犯罪」までは、「戦争」に至るよりも、近い関係にあるのでしょうか。
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昭和初期、若い労働者は「社会主義の夢」に希望を託すことができたのかもしれません。
しかし、現代の正規雇用労働者たちは、「新自由主義」すなわち資本家・企業管理者に迎合して、「能力主義的管理」を受容する道を選ぶしかないのでしょうね。
他方で、不安定雇用労働者となった若者たちは、その不満を「団結」につなげることはなく、あらぬ方向で「暴発」させているのかもしれません。この点を橋本健二氏は、その著書「新しい階級社会 新しい階級闘争」で指摘していました。
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http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/10/post_5ad1.html
日本では、”社会の進歩”を担う「労働者階級」という文化的なグループは、既に20世紀に死滅したということなのでしょうか。
でも、「蟹工船」が、現代の多くの若者に読まれるということは、新自由主義の改革が進められた結果、「マルクス」的状況が一部で復活したのかもしれませんね。
マルクスは、資本主義の搾取が労働者階級を道徳的に頽廃させ、スト破りのゴロツキや犯罪者予備群の「ルンペン・プロレタリアート」を生み出すって確か書いていましたね。
まあ、いわゆる弁証法ってやつでしょうか。
「蟹工船」の次に売れるのは、「共産党宣言」ってか?
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コメント
秋葉原事件についてもっと直裁に考えるべきです。解雇される悔しさは人間として当然のことですが、問題は解雇する人間たちや資本にたいしてストライキで戦う方法が禁圧されている結果にほかなりません。
折りしも、大分の汚職腐敗事件が発覚しましたが、氷山の一角です。学校教育は治安が最優先であって、ストライキを起こさない従順な生徒学生を製造していればそれでいい、だから迎合的教員以外はいらないというのが政府と自民党と資本の本音だからです。
韓国の労働者や若者は解雇や牛肉問題で行動を起こしその中で友人が団結している。
日本では絶望的か、というと、そうではない。
今年だって、JR内部でも春闘ストライキが実践され、職場での不当解雇を撤回させる原則的な戦いは続いています。
「社会主義」というような言葉の議論はさておいて、現実問題を直裁に論じてほしい。
投稿: 曽根孝助 | 2008年7月11日 (金) 11時11分