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2008年2月27日 (水)

亡国のイージス

事故当日、防衛大臣がイージス艦「あたご」の航海長をヘリコプターで防衛省に呼び出し、大臣自ら事情聴取していたといいます。このニュースには本当に驚かされます。

しかも、今日まで、防衛大臣は直接、航海長から事情聴取していたことは一切、公表していません。「2分前か、12分前か、断片的な未確認情報が入ってきていただけだ」などと弁明していながら、航海長を海保の許可も立ち会いもなしで事故当日に事情聴取していた事実を隠していたわけです。

これは、防衛省という組織を守るための、事情聴取であり、情報把握、情報管理(情報隠蔽と紙一重)にほかなりません。組織防衛の論理です。

大臣自ら、これを行うなんて・・・(阿呆かいな)。

どうせやるなら、他の人間にやらせるものです。また、その知恵さえ出ない。大臣は同席すべきでないと進言する「参謀」さえもいない。

海上保安庁と海上自衛隊とは犬猿の仲と聞きますが、そんなコップの中の争いで、大局の判断を誤ったのでしょうか。

石破防衛大臣は軍隊のトップとしての器ではなかったということですね。

こんな防衛省では、戦争したら必ず負けます。自己保身にうつつを抜かす体質はまったく変わっていない。軍隊どころか、組織の体をなしていないと言わざるをえません。

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2008年2月22日 (金)

読書日記 「占領と改革」 岩波新書 雨宮昭一著

2008年1月22日第1刷発行
2008年2月18日読了

岩波新書の「シリーズ日本近現代史⑦」です。

■極めて強い違和感

占領改革は,今までサクセスストーリーとして語られてきたというトーンで書かれています。そして,そのサクセスストーリーを語ったのはジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」が典型だと言います。(同書前書きⅣ頁)

この著書に違和感を感じた部分を挙げると次のとおりです。

総力戦体制の中で女性の地位は,非常に向上していた。…だから占領軍に指摘されようとされまいと,女性の社会的な地位の向上と発言権の拡大がすでにあって,遅かれ早かれ婦人参政権の付与はありえたのである。(同書本文40頁)

1920年代に労働組合法をつくった内務省社会局と労働運動や農民運動…さらに総力戦体制の中で具体的な生産をおこなう労働者の地位向上ということを考え合わせると,占領がなくても遅かれ早かれ労働組合の結成ということはありえただろう。(41頁)

オイオイ,「遅かれ早かれ」って,どのくらいだよ? 

「歴史にイフはない。歴史家はイフを語ってはいけない」のではなかったっけ。歴史学は歴史現象の因果関係を語る学問である。歴史上の結果について,どのような事情や要素がどれほどの影響を与えたかを検討するのが歴史学である。イフを語るのは歴史学ではないっていう本を読んだことがあります(E.H.カーだっけ?)。この著者は全くそんな考えはないようです。

敗戦によって,神道の権威の凋落は明らかであった。したがって,これも国家と神道の分離の仕方が,GHQの指令したようになるかならないかはともかくとして,少なくとも戦時中のような形での癒着そのものは,GHQが神道指令を出そうと出すまいと,もう少し時間はかかったかもしれないけれども,分離がありえたと考えるべきではないか。(44頁)

オイオイ,どんな根拠でそう言うのでしょうかね? もう少し時間がかかったて,一体,何十年かかったのかね。

天皇の戦争責任について言うと,少なくとも占領期にはその意思があったにもかかわらず,アメリカによって阻止され,政治体としての自立性を奪われたといえる。

オイオイ,昭和天皇は,戦犯訴追を逃れるために退位を言ったのであって,訴追を逃れた後は,退位をするつもりは全く無くなったということではないのでしょうかね。

総動員体制の時代に社会国民主義派と国防国家派がかなりの程度その方向を追求していたものである。したがって,非常に奇妙なことに思えるかもしれないが,占領軍のニューディール派を中心とした占領改革と総力戦体制は実は同じ方向を向いた政策だったことがわかる(63頁)。

えー?私が大学時代に教わった教授(シュミットとHケルゼンの研究者でした)は,ナチズム・ファシズム国家体制,アメリカのニューディール体制,軍国日本の総動員体制,ヨーロッパ福祉国家体制,ソビエト社会主義体制をすべて<全体国家>という概念でくくっていましたっけ。(全体「主義」国家じゃないっすよ。)

現代国家論ってやつですかね。でも,それは政府と国家機能の肥大化を著すものであり,「戦争をめざす方向」(ナチズム,ファシズム,日本の国家総動員体制)と,「ニューディール体制」「福祉国家体制」が同じ方向を向いているなんてことはあり得ないのではないでしょうかね。

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2008年2月17日 (日)

2/17朝日新聞社説:弁護士増員 抵抗するのは身勝手だ

朝日新聞の2/17社説http://www.asahi.com/paper/editorial.html

弁護士が就職難というのも、額面通りには受け取れない。弁護士白書によると、弁護士の年間所得は平均1600万円らしい。弁護士が増えれば、割のいい仕事にあぶれる人が出る。だから、競争相手を増やしたくないというのだろうが、それは身勝手というほかない。

第一、弁護士過疎の問題は解消したのか。(・・・略・・・・)

弁護士をあまり増やすな、というのなら、こうした問題を解決してからにしてもらいたい。並はずれた高収入は望めなくとも、弁護士のやるべき仕事は全国津々浦々にたくさんあるのだ。

 しかし,そろいもそろって,日経,毎日,東京,朝日まで,法曹人口3千人見直しに対して,激しい弁護士(会)批判を行っています。以前,規制改革派と,市民派の増員論と分析しました。

http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/02/post_f3b3.html

 日経は規制改革派/毎日,東京,朝日の各紙は市民派なのでしょう。

 結局,弁護士(会)がマスコミに反感を持たれているということなのでしょうね。マスコミがなぜ,これほどまでに反感を持っているのでしょうか。

 一般の人(普通の人)が持っている弁護士に対する反感や不信の反映なのではないでしょうか。記者の取材を通じての普通の市民の意識の反映なのだと思います。例えば,市民(普通の人)は,解雇事件を「仮処分や労働審判手続をするのに大サービスで着手金10万円です。」と聞くと,「そんなに高いのです。」かという感覚です。朝日新聞の記者も「高いですねえ」とおっしゃていました。(まあ,解雇された労働者にとっては,高いって言えば高いよなあ,でもね・・・。愚痴になるからヤメときます)。弁護士が増えれば,せいぜい2,3万円でやってくれると考えているのだと思います(小倉先生のように時給換算すると時給1000円くらいか?)。経営側の弁護士なら着手金100万円は下らないでしょうになあ。)。お金を用意できない労働者が労働事件を弁護士に依頼できるようになるためには,法律扶助を増額してもらうしかないでしょうね。(労組に頼めば即解決してもらえるというのが理想ですが,現状では困難でしょう。)

 あるいは,逆に,社説氏の多くは,弁護士に対する「麗しき誤解」があるのかもしれませんね。社会的弱者のためには,金もとらずに持ち出しで,一生懸命弁護するというイメージがあるのではないでしょうか。(医師ならアカヒゲ幻想,教師ならキンパチ幻想)。

 私の事務所に「社会的弱者のためなら,俺は年収400万円で良い。だからノルマを下げて欲しい。稼げって言うな。」と言っていた元気の良い若手弁護士(青年のユニオンとともに闘う純粋な青年弁護士です!)がいます。でも,その話を聞いて,うちの事務局は真っ青になりました。「私らの給料とボーナスはどうなるのかしら・・・・」って。(で,彼は心を入れ替えて今は人一倍,稼いでいます)

 司法改革反対派の弁護士ブログでは,一斉に新聞社説には反発しています。

 私も,弁護士の数を増やしたらからといって,市民派の「希望」(国選弁護に質の高い弁護士が就任する。貧困層の相談を親身に引き受ける弁護士が多くなる等々)は実現しないことは火を見るよりも明らかだと思っています。

 同じ質の仕事をしても,依頼者がお金持ちならしっかり弁護士費用を払って貰えますけど,依頼者が貧乏なら,勝利しない限り,元もとれないというのが弁護士業の宿命なのです(ここがサラリーマンとの決定的な差ですな)。

 ですから,「経済合理性」を無視した弁護士でないかぎり,苦労だけ多く見返りが少ない事件などはやろうとしないのです。弁護士の数を増やせば増やすほど,市場原理で行動する「合理的」弁護士が増えます。したがって,そのような経済的合理主義を追求する弁護士は「過疎地」には絶対行きませんし,よほどの変わり者(旧司法試験時代は,卒業してまで司法試験を受験する奴自体が変わり者だったのです)でない限り人権活動はしません。

 市民派が求める弁護士は,法律家としての理想や生き甲斐を求める中にしか,いないのです。そのような法律家は,若手の中にこそ多くいるのだと思います。また,そのような若手を育てる必要があるのでしょう。

 ところが,ロースクールの最大の欠点はお金がかかるということです。司法修習の給与制も廃止(今の時代であれば貧乏人出身の私は弁護士にはなれなかったでしょうね)。これからは,弁護士になったとき1000万円以上の借金を抱えることになります。(お金持ちのお坊ちゃん,お嬢ちゃんは別)。普通の労働者階級出身の子弟が弁護士になれても,借金を返すために「背に腹は代えられない」という選択をするしかありません

 これからの若い弁護士は金にならない事件はできなくなります。法律家としての理想よりも,自分の借金を返すことを優先せざるをえない(まあ貧乏人出身は弁護士なんかなるのではなく,任官した方が良いぞな。)。ですから,若手弁護士の就職難を放置したら,そのツケは市民にかかってくるのです。

  弁護士の数を抑制しないのであれば,国選報酬を増額したり,法律扶助予算を抜本的に増額し,また,法テラスの給料を増額し任期を延長するという方策が必要となります。

 どっちもなしという政策はないですよ。マスコミの皆さん。そこを考えて欲しい。

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2008年2月13日 (水)

予想された反応/弁護士増員問題

朝日新聞が,2/3に「冤罪を防ぐ」ためには,弁護士増員が必要であるとの社説を掲載し,法曹人口3000人見直しをする日弁連会長候補者らの発言に批判的なスタンスを表明していました。「制改革派」と「市民派」の弁護士過少批判があるのです。
    ↓
http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2008/02/post_f3b3.html

これに続いて,日経新聞も,毎日新聞,なんと東京新聞でさえ(私も「東京新聞 お前もかっ?!」て気分ですが)社説で,市民の需要や国選弁護制度の充実には弁護士人口の増員が必要であるとの社説を掲載しています。当然に予想された反応です。

○日経新聞 <2/9社説 「弁護士は多すぎ」は本当か)>

この司法過疎の解消などを目指し一昨年秋に業務を始めた「法テラス」も弁護士の人手が足りない。来年までに300人必要と見込む常勤弁護士はまだ90人しかいないし、お金に余裕がない人の訴訟を手助けする民事法律扶助業務を担当するのは全弁護士の4割未満だ。

また、刑事事件で資力に欠ける人などに付ける国選弁護を担当するのは、全弁護士の半分強にすぎない。

手間がかかる割に報酬が低いところが共通する。「仕事にあぶれる」は有り体に言えば「もうかる仕事にあぶれる」なのか。

 「大幅増員すれば弁護士間の生存競争がひどくなり、人権の擁護・社会正義の実現を目指す仕事には手が回らなくなる」。増員反対派の、こんな言い分にうなずき、法曹は増やさないほうがよいと判断する国民はどれほどいるだろう。

○毎日新聞 <2/9社説:「弁護士会 司法改革を後退させぬように」>

 裁判員制度、被疑者弁護、刑事裁判での被害者の代理人、少年審判の国選付添人など新しい制度の導入によって、弁護士の出番が増えているのに、増員を抑制するのでは筋が通らない。既得権のパイを小さくしたくないとの発想に根差しているのなら、世論の納得は得られまい。

○東京新聞<2/13社説:「日弁連新会長 司法改革後退は許されない」>

 過剰論は、要するに都会で恵まれた生活ができる仕事が減った、ということではないだろうか。

 司法書士などの試験と同じく司法試験も法曹資格を得る試験にすぎず“生活保障試験”なぞではない。

 保持する資格を職業に生かせない例はいくらでもある。「弁護士資格を得たら、必ず弁護士として暮らしていけるよう参入規制すべきだ」とも聞こえる増員反対論に共感する一般国民は少ないだろう。

 「生存競争が激化し、人権擁護に目が届かなくなる」-こんな声も聞こえるが、余裕があるからするのでは人権活動と呼ぶには値しない。

市民派からの弁護士(会)批判です。マスコミは,「弁護士の数が少ないから,国選事件や法律扶助事件を担当する弁護士が増えない」と批判しています。

■不毛な論争でなく事実に基づく建設的な議論を

これに対して,「自由競争を弁護士業界に持ち込むものだ」,「新聞協会は再販制度反対・規制緩和反対と言っているのに二枚舌だ」とかと感情的な反論だけでは不毛な論争となってしまいます。著名な司法改革反対派の弁護士ブログでは一斉に反発しています。(でもでも,多勢に無勢。敵/味方を間違い得ないようにね。周りから見れば,所詮,弁護士なんか,ただのプチブルなんだから・・・)。

弁護士過疎の地域があり,国選弁護体制が全国的に見て十分な対応が出来ていないことは,疑いようのない事実でしょう。

問題は,弁護士を3000人に増員しないと解決できないことなのか,また,3000人に増員すれば解決するのか,を事実に基づいて検討するしかないと思います。

■市民のニーズに応えるための積極策が必要

多くの弁護士が指摘するように,3000人増員しても,上記問題点は解決しないでしょう。競争原理を持ち込んでも公共的課題(弁護士偏在や国選弁護の充実)が解決することはありえないのですから。(医療や教育,労働分野で既に証明済み。)

多くの弁護士が指摘するとおり,国選弁護料及び民事扶助予算等を増額することが必要不可欠です。「もうかる事件にしろ」ということはありません。その「事件に労力と時間を投入できるような報酬で仕事をする」というのは当然のことです。そのバランスが成り立たないとその仕事をする人がいなくなります。弁護士が何千人に増えようと,そのような事件を多くの弁護士が継続的に担当することは不可能です(理想に燃えた弁護士は圧倒的に少数派ですし,若い頃そうでも,年取ればそうはいかないのですがな。生活もあるし。弁護士だからって,理想に生きろっと言うのも無理ですね。所詮,「東京新聞」の社説の言うとおりただの職業資格であって,聖職でないのですから!)。

地方の弁護士過疎問題は,各地の弁護士が,新人弁護士を受け入れるように一層の努力することも必要でしょう。しかし,それには限界があることも事実です。

法テラスが若い弁護士のやる気を受け入れるものに充実していくことが必要です。また,任期の延長や法テラスのキャリアを生かして各地で独立できるような事件受任システムをつくること等の工夫も必要でしょう。

弁護士会の公設事務所の展開を充実することが必要なのでしょう。このような対策があって,こそ新聞各紙が批判する状況が改善されると思います。

弁護士側としては,このような具体的な提言をしてマスコミの理解を得るように努力すべきだと思います。増員反対を決議した一部の弁護士会や弁護士連合会に,「市民のニーズにどう応えるのか」という観点が薄いことが気にかかります。

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2008年2月 9日 (土)

東京都「君が代」嘱託教職員再雇用拒否事件 東京地裁判決 勝訴

■東京地裁 君が代起立斉唱拒否 嘱託教職員再雇用拒否事件

<概要>
2008年2月7日, 東京地裁民事第19部(中西茂裁判長)は,都立高校において,東京都が通達により校長に教職員に対する「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ」との職務命令を発令させたところ,教職員であった原告らが起立・斉唱しなかったことを理由として,嘱託教職員として再雇用を都教委が拒否した行為を裁量権逸脱・濫用の違法行為であるとして,東京都に原告13名に対して総額約2700万円の損害賠償を支払うよう命じた判決です。

判決文などは,NPJでアップされています。

・判決要旨
http://www.news-pj.net/pdf/2008/hanketsu-20080207_1.pdf
・判決全文
http://www.news-pj.net/pdf/2008/hanketsu-20080207_2.pdf
・原告団・弁護団声明声明
http://www.news-pj.net/pdf/2008/seimei-20080207.pdf

 
■合憲だが,裁量権濫用・逸脱で違法

原告らは原告らの思想・良心の自由を侵害するものであり憲法19条違反であること,また,東京都の通達は教育の不当な支配にあたり旧教基法10条違反の違法行為であること,そして,不起立・不斉唱を理由に嘱託員としての採用を拒否する行為は裁量権を逸脱・濫用するものであり違法であると主張しました。

本判決は,国歌起立斉唱命令は原告らの思想・良心の自由を侵害するものではない,東京都の通達は旧教基法10条の「不当な支配」に該当しないと判断しました(合憲判断)。しかし,採用拒否は,本件職務命令違反を極端に過大視したもので,客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くものとして,裁量を逸脱・濫用したものとしたのです。

■起立斉唱命令が思想・良心の自由を侵害しない-外部行為強制型

 東京地裁19部(中西コート)は,本件職務命令(国歌起立斉唱命令)は思想・良心の自由を侵害しないとしました。ピアノ伴奏拒否事件最高裁判決をそのまま無批判に踏襲した結果です。その論理展開を整理します。

◆先ず,同判決は,次のように原告らの思想良心が憲法19条の保障の範囲内にあるとします。

 原告らのこのような考えは,「日の丸」や「君が代」が過去に我が国において果たした役割に係る原告らの歴史観ないし世界観又は教職員等としての職業経験から生じた信条及びこれに由来する社会生活上の信念であるといえるものであり,このような考えを持つこと自体は,思想及び良心の自由として保障されることは明らかである。

◆その上で,次のように論理展開するのです。

 一般に,自己の思想や良心に反するということを理由として,およそ外部行為を拒否する自由が保障されるとした場合には,社会が成り立ちがたいことは明らかであり,これを承認することはできない。

 これは佐藤幸司教授の論述であり,最高裁調査官が引いている部分です。つまり,国歌斉唱起立命令については,【外部行為強制型】の類型であるとするのです(最高裁調査官森英明のジュリスト1344号で解説していることです。)。
 この判断枠組は,上記の原告らの思想良心が19条の保障の範囲に入るとしても,これに反する外部行為を強制した場合,【どのような外部行為であれば,思想良心の核心部分を侵害したと言えるか】というものです【衝突審査基準】と言えます(佐々木弘道准教授)。なお,下記の①②の符号と【 】内は引用者が便宜で付した。

① 人の思想や良心は外部行為と密接な関係を有するものであり,思想や良心の核心部分を直接否定することにほかならないから,憲法19条が保障する思想及び良心の自由の侵害が問題になる【直接否定型】

そうでない場合でも,

②  思想や良心に対する事実上の影響を最小限にとどめるような配慮に欠き,必要性や合理性がないのに,思想や良心と抵触するような行為を強制するときは,憲法19条違反の問題が生じる余地がある【非直接緊張型】

これらに該当しない場合には,外部行為が強制されたとしても,憲法19条違反とならない。

この判断枠組に基づいて,本件職務命令(国歌斉唱起立命令)を分析します。

◆上記①【直接否定型】か否かについては

本件職務命令は,原告らに対して,例えば「日の丸」や「君が代」は国民主権,平等主義に反し天皇という特定個人又は国歌神道の象徴を賛美するものであるという考えは誤りである旨の発言を強制するなど,直接的に原告らの歴史観ないし世界観又は信条を否定する行為を命じるものではないし,また,卒業式等の儀式の場で行われる式典の進行上行われる出席者全員による起立及び斉唱であることから,前記のような歴史観ないし世界観又は信条と切り離して,不起立,不斉唱という行為には及ばないという選択をすることも可能であると考えられ,

一般的には,卒業式等の国歌斉唱時に不起立行為に出ることが原告らの歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結び付くものということはできない。(原告らは,「国歌斉唱をしない」という信念を思想として有していると主張するようである。このような考えをもつこと自体が保障されることは明らかであるが,一般的には,このような考えが思想の核心部分とは解されない。)

加えて,

客観的にみて,卒業式等の国歌斉唱の際に,「日の丸」に向かって起立し,「君が代」を斉唱する行為は,卒業式等の出席者にとって通常想定され,かつ,期待されるものということができ,一般的には,これを行う教職員等が特定の思想を有するということを外部に表明するような行為であると評価することは困難である。校長の職務命令に従ってこのような行為が行われる場合には,これを特定の思想を有することの表明であると評価することは一層困難であるといわざるをえない。

これは全く,ピアノ伴奏拒否事件の最高裁判決の引き写しです。
しかし,ピアノ伴奏と国歌起立斉唱とは,当該外部行為の性質は違うと思います。原告らは一般論としての起立,斉唱を否定していない。「国旗に向かって起立して,国歌を斉唱する」行為は,国旗と国歌に賛意と敬意を表明する性質を有している(敬礼と同じ)と言っているのです。

◆上記②【非直接緊張型】か否かについて

 本件職務命令が命じる国旗に向かって起立し国歌を斉唱することは,原告らの前記のような歴史観ないし世界観又は信条と緊張関係にあることは確かであり,一般的には,本件職務命令が原告らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定するものとはいえないにしても,原告ら自身は,本件職務命令が,原告らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定し,思想及び良心の核心部分を否定するものであると受け止め,国旗に向かって起立し国歌を斉唱することは,原告ら自身の思想及び良心に反するとして,不起立,不斉唱の行動をとったとも考えられる。そうだとすると,本件職務命令は,原告らの思想及び良心の自由との抵触が生じる余地がある

 ここまでは良いのだが,さらに次のように論じる。

 憲法15条2項は「公務員は,全体の奉仕者」とし,「地方公務員の地位の特殊性や職務の公共性」,「高等学校学習指導要領」は国旗国歌指導を定めていること,「儀式においては,出席者に対して一律の行為を求めること自体には合理性がある」などを挙げて

 以上のとおり,本件職務命令は,その内容において合理性,必要性が認められるのであるから,原告らの前記のような歴史観ないし世界観又は信条と緊張関係があるとしても,あるいは,原告らの自身としては思想及び良心の核心部分を直接否定するものであると受け止めたのだとしても,そのことによってただちに,本件職務命令が原告らの思想及び良心の自由を制約するものである,あるいはその制約を許されないものであるということはできない

 中西判決は,【非直接緊張型】であっても,合理性,必要性のない外部行為を命じる場合には,思想良心の自由を侵害するとします。ただし,上記②の判示では,「思想や良心に対する事実上の影響を最小限にとどめる配慮を欠き」と記載しているが,あてはめの際には,この配慮の有無を全く審査していない。この点,中西判決は自らの一般論の当てはめプロセスは不徹底と言うしかない。代替措置などの配慮を欠いていると言うべきです。

■不利益取扱い型

 原告は,東京都の嘱託員採用拒否は,「君が代・日の丸」を学校教育の中で強制することに反対する世界観,歴史観及び教育観を有している原告らに対する不利益取扱いであることを強く主張しました。
 つまり,東京都の本当の狙いは,上記のような思想良心を有する教職員に対する不利益取扱いが狙いです。原告らは「形だけ立てば良い」とは割り切らない純粋な信念を持っている教職員たちです。このような教師を「がん細胞」と呼んで,「徹底的にやる」と鳥海巌東京都教育委員が校長会という公の場で発言しています(公文書で残っている)。なお,この事実認定を中西判決は敢えて落としている(佐村判決も,難波判決も認定しているのに)

 中西判決は次のようにこれを否定します。

一般的には,原告らが有している歴史観ないし世界観又は信条と,卒業式等において国歌を斉唱しないことが不可分に結びついているとはいえないのであるから,不起立,不斉唱行為を理由として不合格とすることが,実質的に原告らの思想,信条を理由とするものであると認めることも困難である。

■裁量の逸脱・濫用

ところが,中西判決は,採用拒否を裁量の逸脱・濫用として違法とします。

本件職務命令は,適法なものといえるから,これに違反したという事実が,原告らの退職前の勤務成績が良好であるか否かの判断において,消極的な要素として考慮されることはやむを得ないといえる。

しかしながら,

原告らの職務命令違反行為は,起立しなかったことと国歌を斉唱しなかったことだけであって,積極的に式典の進行を妨害する行動に出たり,国歌斉唱を妨げたりするものではなく,現に,原告らの職務違反行為によって,具体的に卒業式等の進行に支障が生じた事実は認められない

本件職務命令が,他の職務命令と比して,とりわけ重大なものとはいえないし,これのみで教職員の勤務成績を決定的に左右するような内容のものとも解されない。

都教委が非違行為を判断するのも,起立をせず,国歌を斉唱しなかったという行為に尽きるものであって,原告らが日の丸を国旗として認めず,君が代を国歌として認めないというような考えを有していることが問題であるとして,これを勤務成績が良好でない理由として判断しているのではないはずである。現に過去においては卒業式等において起立をせず,国歌斉唱をしなかった教職員も嘱託員として採用されていたのであるから,不起立と国歌斉唱をしなかったという行為自体が,その性質上,直ちに嘱託員としての採用を否定すべき程度の非違行為というのは疑問がある。

過去においては,争議行為で2度の停職処分を受けた職員が嘱託員に採用された例もあったのに,本件の不起立行為により,原告Fを除く原告らは戒告を受けたにとどまり,原告Fについても減給処分であって,それでも再雇用職員の選考で不合格にされたのというのは,選考の公平さに疑問があるといわざるを得ない。

以上のとおり,都教委が本件職務命令の違反のみをもって,原告らの勤務成績が良好でないとした判断は,本件職務命令と卒業式等における不起立,国歌不斉唱という行為を,極端に過大視したものといわざるをえない

本件不合格は,従前の再雇用制度における判断と大きく異なるものであり,本件職務命令違反をあまりに過大視する一方で,原告らの勤務成績に関する他の事情をおよそ考慮した形跡がないのであって,客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くものと言わざるを得ず,都教委はその裁量を逸脱,濫用したものと認めるのが相当である。

都教委が,「何故に本件不起立不斉唱を極端に過大視した」かと言えば,中西コートもほのめかしているように,原告らが「日の丸・君が代」を学校教育で強制することは許されないという強固な思想良心を有しているからにほかなりません。

少なくとも,中西コートが,裁量権の逸脱・濫用を言うのであれば,エホバの証人剣道履修拒否事件平成8年3月8日最高裁第2小法廷判決(民集50巻3号469頁)を引用して,論ずるべきだったと思います。

■エホバの証人剣道履修拒否事件最高裁判決

国立二小ピースリボン事件東京高裁平成19年6月28日判決は次のように判示していました(ピアノ伴奏拒否事件最高裁判決の後に出された判決)。

教諭が自己の思想,良心又は信教を優先させて当該指示又は命令に従わなかった場合において,そのことを理由に不利益な処分がされたときにはじめて,上記の教諭個人の思想及び良心の自由との関係において当該処分が裁量権の範囲を超える違法なものかどうかを検討することになるが,これを検討するに当たっては,裁判所は,上記の教諭が自己の思想,良心又は信教を大切にするために真摯に当該指示又は命令を拒否したものであることを確認した上で,当該指示又は命令により達成されるべき公務の必要性の損害及びその程度,代替措置の有無,当該不利益処分により上記の教諭が受ける不利益の程度等を総合考慮して判断すべきである(エホバの証人剣道履修拒否事件最高裁判決)。

最終準備書面で,これらを全面展開したのですが,中西コートはとりいれませんでした。
中西コートが,裁量逸脱,濫用と判断しながら,敢えて,エホバの証人最判を引かなかったのは,やはり,ピアノ伴奏拒否最判が引用していないからでしょう。生徒と教職員は違うと考えているのでしょう。

■損害認容額-結構,多額

他方で,損害は,原告らの嘱託員の1年間の賃金相当額の範囲の約193万円。これに弁護士費用として19万円の損害を認めて,約212万円とした(嘱託員の任用期間は1年で4回まで更新する制度となっている)。この手の損害認容額としては,多額といって良い金額です。ちなみに,中西コートが判断した中野区非常勤保育士事件の損害賠償額は約45万円程度でした。(東京高裁で1年分に増額されました。)

■勝訴は貴重だが・・・嬉しさも中くらいかな。

とにもかくにも,主文で勝訴したことは貴重な成果です。これで敗訴していれば,流れが決まったことになりました。とはいえ,合憲とした判決にはまったく納得はいきません。

中西コートは,結局,最高裁判決には逆らわないという判断をしたということです。(自らの再発防止研修判決よりも後退した内容になっています。http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/07/post_c514.html

結局,最高裁判決は最高裁判所で変えるしかないのでしょうか。

国立二小ピースリボン事件を判断した東京高等裁判所第21民事部(裁判長濱野惺,高世三郎裁判官)にあたれば,ピアノ伴奏拒否事件最判とは異なる判断は十分に期待できます。結局,裁判官の質の問題です。

■都教委の真の狙い-思想良心の内容による不利益取扱い

東京都の本件通達(10.23通達)と再雇用職員合格取消,採用拒否,懲戒処分の本当の狙いは,10.23通達で全教職員に国歌起立斉唱を命じて,これに反対する強固な教職員を一斉にあぶり出し,不起立不斉唱に追い込み,これを不利益処分することが本当の狙いです。つまり本質は,不利益処分型だと思います。(よくある不当労働行為意思の認定と同じ構造です。)

思想良心を理由とした不利益取扱いであれば,外部行為強制型のように,思想良心の核心部分に反するかどうか【衝突審査】を吟味する必要はなく,思想良心の自由を侵害したものとなります。(予防訴訟の難波判決は不利益処分型として把握しています。)

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2008年2月 3日 (日)

法曹人口3千人増員の見直し

■2008年2月3日の朝日新聞(朝刊)の報道と社説

 朝日新聞は,日弁連選挙の公聴会で,増員反対を訴えてきた反主流派候補だけでなく,主流派候補も,3千人増員見直しを表明したと報道しています。
 他方,朝日新聞の社説は「冤罪を防ぐ」という富山強姦冤罪事件を取り上げて,日弁連の報告書を批判し,「背景には,欧米に比べて極端に少ない弁護士の数がある。」として「質量ともに十分な弁護士を早く備えなければならない」と書いています。

 冤罪を防ぐためには「質量とも十分な弁護士を早く備えなければならない」ことはそのとおりです。しかし,「欧米と比較して日本の弁護士が少ない」ことが原因だとするのが,多くのマスコミの定番の意見ですが,因果関係があるかどうかを,事実に立脚して検討してもらいたいものです
 それはともかく,朝日新聞としては,日弁連選挙での3千人見直しの報道と,この「冤罪を防ぐ」との社説はリンクしていると思います。3千人見直しに対する朝日新聞の批判表明なのでしょう。

■多くの法曹の本音

 現在の法曹三者(弁護士,検察官,裁判官)の多数は,「3千人なんて無理」と思っているのが本音です。そもそも,基礎的法律知識を有し,法的思考に基づく文章が書けて,法的なコミュニケーションもできる人間が毎年3千人もいるのか,と疑問を持っていると思います。それが旧司法試験を受験していた者の実感でしょう(500人合格時代の自分たちだって怪しいのに。もっとも,だからこそ法科大学院が期待されているのですが)。

 2006年頃,規制改革・民間開放推進会議の例の福井秀夫氏が中心となり,3千人増員の前倒しと,さらに,6000人ないし9000人の法曹増員をぶちあげていました。これに対して法務省担当者(判事出身)が「質の維持」を訴えて反論をしたところ,福井秀夫氏は,「成績が悪い者が弁護士になると社会にとって被害を及ぼすというなら立証してみろ。司法研修所の成績記録があるからできるだろう。」と迫っていました。

 多くの弁護士も,質の維持と法律事務所の経営の観点から,3千人増員は見直すべきであるというのが本音でしょう。では,その適正規模が何人なのかという点ではおそらく意見が分かれるでしょう。500人で十分という人から,せいぜい1500人程度までと人さまざまでしょう。山勘では1000人程度が多数派じゃないでしょうか。

 私も個人的には,1000~1500人程度に抑えて,司法過疎や社会的弱者向けの弁護士サービスは弁護士会が運営する公設事務所(基金事務所)を各地に設置することで対応する。できれば地方自治体が一定の補助金を支出する仕組みになれば良いと思います。司法支援センターもありますし。(このような意見が弁護士の平均的意見ではないか,と私は思っています。)

■法曹人口を決めるのは誰か

 しかし,法曹人口を決めるのは法曹三者ではなく,ユーザーである市民ないし企業,そして政府だという厳然たる事実があります。法曹三者の意見も是非聞いてくださいね,とお願いする立場でしかないのでしょう。法曹人口増員反対ないし慎重論は,弁護士があまり声高に言うものではないのでしょう。

■規制改革派の増員論

 市場原理主義に立脚した「規制改革派」(福井秀夫氏のような改革派)は,市場原理の導入により,弁護士の質とサービスの向上を図ろうとします。大企業の本音は,質の高い企業弁護士を大量に安く使いたいということでしょう。これはこれで経営合理的なのでしょう。彼らは庶民の法律紛争を扱う私らのような「町弁」なんかには何の関心もないことでしょう。競争に負けて,失業する弁護士や廃業する弁護士がいて当然,というのが彼らの発想ですからね。

■市民派の増員論

 他方,マスコミは,一般の人たちが簡単に弁護士のサービスを受けられない現状を厳しく批判しています。消費者団体や労働組合も,弁護士に依頼するには敷居が高いとして批判的です。これらの人々はいわば「市民派」と言えます。この「市民派」も,庶民の法的ニーズに対応する弁護士の数が少ないことに不満を持っているのです。朝日新聞の冒頭の社説がその典型です。

■規制改革派と市民派の合力と弁護士会の孤立
 
 この「規制改革派」と「市民派」が一致して,法曹人口の大幅増員を唱えたのです。
 司法制度審議会が設置されて,政府は法曹人口増員を打ち出しました。日弁連は,1000人に増員し,1500人に増員するかどうかを検討するという方針を1997年に一旦は決めました。しかし,司法制度改革審議会では,規制改革派はもちろん,市民派にも,日弁連の方針は受け入れられなかったのでした。
 つまり,弁護士会は孤立したのです。結局,2000年,日弁連は臨時大会を開いて3千人増員を採決にて決めました。(これを受け入れなければ,福井秀夫氏が主張するような超大量増員が決定され弁護士会は司法改革の蚊帳の外に置かれるという危機感があったのです。これが当時の情勢判断だったのでしょう。)

 この当たりの経過を踏まえずに,日弁連執行部の従来の取り組みを罵倒,あるいは厳しく批判する若手弁護士も多いですね。気持ちはわからないわけではないけど・・・。

■これから

 規制改革派の増員論に対しては誰もが大きな危惧を持っています。しかし,その規制改革派の乱暴な増員論に対抗するためには,「市民派」の理解を得なければなりません。それには,弁護士の既得権維持ととられないことが重要です。
 朝日新聞の冒頭の社説のような「市民派」からの法曹人口増員要求に応える方針と体制を弁護士会がもっている必要があります。

 新人弁護士の大量の就職難は弁護士としては何とか避けたいところです。でも,その事態を,一般市民はどう受け止めるのでしょうか。 市民の皆さんが「司法試験合格者の人数を減らせ」と言ってくれるのでしょうか? (そう期待したいところです・・・)

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2008年2月 2日 (土)

再論:改正パートタイム労働法と丸子警報器事件

 1月24日 日弁連の特別研修にて,非正規労働者に関する労働法上の実務問題という研修を実施しました。日弁連労働法制委員会主催の弁護士向けの研修です。改正パートタイム労働法について解説された和田一郎弁護士(労働法制委員会副委員長)も丸子警報器との関係を指摘されました。ちなみに,私もパネルディスカッションに参加しました。

■改正パートタイム労働法8条
 改正パートタイム労働法は,①職務内容が同一,②人材活用の仕組みや運用が同一,③期間の定めのない契約(反復更新して期間の定めのない契約と同視できる場合も含む)であるパート労働者(短時間労働者)については,通常の労働者(正社員)との差別的取り扱いを禁止しました(8条1項)。

この点は以前にもブログでとりあげました。
   ↓
http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/07/post_7e0f.html

■丸子警報器事件判決
 有名な丸子警報器パート差別事件で,長野地裁上田支部(平成8年3月15日・労判690号)は,職務内容が同一で,勤続期間も長期である臨時社員の賃金格差について次のように判決しました。

「同一(価値)労働同一賃金の原則の根底にある均等待遇の理念に違反する格差であり,妥当性を欠くというにとどまらず公序良俗違反として違法となる。」
「原告らの賃金が,同じ勤務年数の女性正社員の8割以下になるときは,許容される賃金格差の範囲を明らかに超え,その限度において被告の裁量が公序良俗違反として違法となる。」

■丸子警報器事件に改正パート労働法8条を適用したら
 実は,この丸子警報器の臨時社員(女性パート)の所定労働時間は,正社員より15分短かったのです。しかし,毎日常に15分残業をして,正社員と同じ製造ラインで同じ労働時間で従事していました。

  ですから,改正パート労働法の8条1項がまさに直接適用されるケースだったのです。改正パート労働法8条が適用されれば,丸子警報器のパート労働者は,正社員とほぼ100%同一の賃金が支払われなければならないことになります。

■12年経過して丸子警報器判決が法律になった
 丸子警報器事件の長野地裁上田支部の判決は,当時は実定法上の根拠がないと批判されていました。東京高裁では,労働者の差別是正をする和解が成立しましたが,高裁判決になれば一審判決が見直された可能性は高いと思います。
 しかし,上田支部判決から12年たって,パート労働法が改正されて,丸子警報器事件判決が指摘した均等待遇の理念による差別禁止が,実定法になったのです。画期的なことだと思います。

■パートだけでなく契約社員等も差別禁止
 パートタイム労働者(短時間労働者)の場合でさえ,差別取扱いが禁止されるわけですから,正社員と同じ所定労働時間である契約社員などの労働者の場合には,この改正パートタイム労働法8条の差別禁止が類推適用されるか,あるいは差別禁止が公序良俗だと解釈されることでしょう。また,労働契約法3条2項が,「労働契約は,労働者及び使用者が,就業の実態に応じて,均衡を考慮しつつ締結し,又は変更すべきものとする」と定めていることも,このような解釈を後押しすることになります。

 正社員や,パートタイムあるいは契約社員などと契約形態が異なっていても,職務の同一性,人事運用の同一性,実質的に期間のない契約と同視できる場合には,広く差別的取扱いは禁止されることになると思います。この点,和田先生は使用者サイドの弁護士さんですが,改正パートタイム労働法8条がもたらす影響に関しては意見がほぼ一致しました。

 これからは,パートだけでなく,契約社員らの労働条件改善の取り組みが強まると思います。また,その中から丸子警報器に続く訴訟も提起されることになるでしょう。私も是非,挑戦したいものです。 

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2008年2月 1日 (金)

愛妻の日だって? 転載です【温暖化と寒冷化】

う~ん・・・。わが家のことのようです!

   ↓

http://blog.goo.ne.jp/gootest32/e/5c80502f3cf40f1354aad53b592a38f1

1月31日が愛妻の日であることを生まれて初めて知りました。

http://www.aisaika.org/index2.html

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