■東京地裁 君が代起立斉唱拒否 嘱託教職員再雇用拒否事件
<概要>
2008年2月7日, 東京地裁民事第19部(中西茂裁判長)は,都立高校において,東京都が通達により校長に教職員に対する「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ」との職務命令を発令させたところ,教職員であった原告らが起立・斉唱しなかったことを理由として,嘱託教職員として再雇用を都教委が拒否した行為を裁量権逸脱・濫用の違法行為であるとして,東京都に原告13名に対して総額約2700万円の損害賠償を支払うよう命じた判決です。
判決文などは,NPJでアップされています。
・判決要旨
http://www.news-pj.net/pdf/2008/hanketsu-20080207_1.pdf
・判決全文
http://www.news-pj.net/pdf/2008/hanketsu-20080207_2.pdf
・原告団・弁護団声明声明
http://www.news-pj.net/pdf/2008/seimei-20080207.pdf
■合憲だが,裁量権濫用・逸脱で違法
原告らは,①原告らの思想・良心の自由を侵害するものであり憲法19条違反であること,また,②東京都の通達は教育の不当な支配にあたり旧教基法10条違反の違法行為であること,そして,③不起立・不斉唱を理由に嘱託員としての採用を拒否する行為は裁量権を逸脱・濫用するものであり違法であると主張しました。
本判決は,国歌起立斉唱命令は原告らの思想・良心の自由を侵害するものではない,東京都の通達は旧教基法10条の「不当な支配」に該当しないと判断しました(合憲判断)。しかし,採用拒否は,本件職務命令違反を極端に過大視したもので,客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くものとして,裁量を逸脱・濫用したものとしたのです。
■起立斉唱命令が思想・良心の自由を侵害しない-外部行為強制型
東京地裁19部(中西コート)は,本件職務命令(国歌起立斉唱命令)は思想・良心の自由を侵害しないとしました。ピアノ伴奏拒否事件最高裁判決をそのまま無批判に踏襲した結果です。その論理展開を整理します。
◆先ず,同判決は,次のように原告らの思想良心が憲法19条の保障の範囲内にあるとします。
原告らのこのような考えは,「日の丸」や「君が代」が過去に我が国において果たした役割に係る原告らの歴史観ないし世界観又は教職員等としての職業経験から生じた信条及びこれに由来する社会生活上の信念であるといえるものであり,このような考えを持つこと自体は,思想及び良心の自由として保障されることは明らかである。
◆その上で,次のように論理展開するのです。
一般に,自己の思想や良心に反するということを理由として,およそ外部行為を拒否する自由が保障されるとした場合には,社会が成り立ちがたいことは明らかであり,これを承認することはできない。
これは佐藤幸司教授の論述であり,最高裁調査官が引いている部分です。つまり,国歌斉唱起立命令については,【外部行為強制型】の類型であるとするのです(最高裁調査官森英明のジュリスト1344号で解説していることです。)。
この判断枠組は,上記の原告らの思想良心が19条の保障の範囲に入るとしても,これに反する外部行為を強制した場合,【どのような外部行為であれば,思想良心の核心部分を侵害したと言えるか】というものです【衝突審査基準】と言えます(佐々木弘道准教授)。なお,下記の①②の符号と【 】内は引用者が便宜で付した。
① 人の思想や良心は外部行為と密接な関係を有するものであり,思想や良心の核心部分を直接否定することにほかならないから,憲法19条が保障する思想及び良心の自由の侵害が問題になる【直接否定型】
そうでない場合でも,
② 思想や良心に対する事実上の影響を最小限にとどめるような配慮に欠き,必要性や合理性がないのに,思想や良心と抵触するような行為を強制するときは,憲法19条違反の問題が生じる余地がある【非直接緊張型】
これらに該当しない場合には,外部行為が強制されたとしても,憲法19条違反とならない。
この判断枠組に基づいて,本件職務命令(国歌斉唱起立命令)を分析します。
◆上記①【直接否定型】か否かについては
本件職務命令は,原告らに対して,例えば「日の丸」や「君が代」は国民主権,平等主義に反し天皇という特定個人又は国歌神道の象徴を賛美するものであるという考えは誤りである旨の発言を強制するなど,直接的に原告らの歴史観ないし世界観又は信条を否定する行為を命じるものではないし,また,卒業式等の儀式の場で行われる式典の進行上行われる出席者全員による起立及び斉唱であることから,前記のような歴史観ないし世界観又は信条と切り離して,不起立,不斉唱という行為には及ばないという選択をすることも可能であると考えられ,
一般的には,卒業式等の国歌斉唱時に不起立行為に出ることが原告らの歴史観ないし世界観又は信条と不可分に結び付くものということはできない。(原告らは,「国歌斉唱をしない」という信念を思想として有していると主張するようである。このような考えをもつこと自体が保障されることは明らかであるが,一般的には,このような考えが思想の核心部分とは解されない。)
加えて,
客観的にみて,卒業式等の国歌斉唱の際に,「日の丸」に向かって起立し,「君が代」を斉唱する行為は,卒業式等の出席者にとって通常想定され,かつ,期待されるものということができ,一般的には,これを行う教職員等が特定の思想を有するということを外部に表明するような行為であると評価することは困難である。校長の職務命令に従ってこのような行為が行われる場合には,これを特定の思想を有することの表明であると評価することは一層困難であるといわざるをえない。
これは全く,ピアノ伴奏拒否事件の最高裁判決の引き写しです。
しかし,ピアノ伴奏と国歌起立斉唱とは,当該外部行為の性質は違うと思います。原告らは一般論としての起立,斉唱を否定していない。「国旗に向かって起立して,国歌を斉唱する」行為は,国旗と国歌に賛意と敬意を表明する性質を有している(敬礼と同じ)と言っているのです。
◆上記②【非直接緊張型】か否かについて
本件職務命令が命じる国旗に向かって起立し国歌を斉唱することは,原告らの前記のような歴史観ないし世界観又は信条と緊張関係にあることは確かであり,一般的には,本件職務命令が原告らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定するものとはいえないにしても,原告ら自身は,本件職務命令が,原告らの歴史観ないし世界観又は信条自体を否定し,思想及び良心の核心部分を否定するものであると受け止め,国旗に向かって起立し国歌を斉唱することは,原告ら自身の思想及び良心に反するとして,不起立,不斉唱の行動をとったとも考えられる。そうだとすると,本件職務命令は,原告らの思想及び良心の自由との抵触が生じる余地がある。
ここまでは良いのだが,さらに次のように論じる。
憲法15条2項は「公務員は,全体の奉仕者」とし,「地方公務員の地位の特殊性や職務の公共性」,「高等学校学習指導要領」は国旗国歌指導を定めていること,「儀式においては,出席者に対して一律の行為を求めること自体には合理性がある」などを挙げて
以上のとおり,本件職務命令は,その内容において合理性,必要性が認められるのであるから,原告らの前記のような歴史観ないし世界観又は信条と緊張関係があるとしても,あるいは,原告らの自身としては思想及び良心の核心部分を直接否定するものであると受け止めたのだとしても,そのことによってただちに,本件職務命令が原告らの思想及び良心の自由を制約するものである,あるいはその制約を許されないものであるということはできない。
中西判決は,【非直接緊張型】であっても,合理性,必要性のない外部行為を命じる場合には,思想良心の自由を侵害するとします。ただし,上記②の判示では,「思想や良心に対する事実上の影響を最小限にとどめる配慮を欠き」と記載しているが,あてはめの際には,この配慮の有無を全く審査していない。この点,中西判決は自らの一般論の当てはめプロセスは不徹底と言うしかない。代替措置などの配慮を欠いていると言うべきです。
■不利益取扱い型
原告は,東京都の嘱託員採用拒否は,「君が代・日の丸」を学校教育の中で強制することに反対する世界観,歴史観及び教育観を有している原告らに対する不利益取扱いであることを強く主張しました。
つまり,東京都の本当の狙いは,上記のような思想良心を有する教職員に対する不利益取扱いが狙いです。原告らは「形だけ立てば良い」とは割り切らない純粋な信念を持っている教職員たちです。このような教師を「がん細胞」と呼んで,「徹底的にやる」と鳥海巌東京都教育委員が校長会という公の場で発言しています(公文書で残っている)。なお,この事実認定を中西判決は敢えて落としている(佐村判決も,難波判決も認定しているのに)
中西判決は次のようにこれを否定します。
一般的には,原告らが有している歴史観ないし世界観又は信条と,卒業式等において国歌を斉唱しないことが不可分に結びついているとはいえないのであるから,不起立,不斉唱行為を理由として不合格とすることが,実質的に原告らの思想,信条を理由とするものであると認めることも困難である。
■裁量の逸脱・濫用
ところが,中西判決は,採用拒否を裁量の逸脱・濫用として違法とします。
本件職務命令は,適法なものといえるから,これに違反したという事実が,原告らの退職前の勤務成績が良好であるか否かの判断において,消極的な要素として考慮されることはやむを得ないといえる。
しかしながら,
原告らの職務命令違反行為は,起立しなかったことと国歌を斉唱しなかったことだけであって,積極的に式典の進行を妨害する行動に出たり,国歌斉唱を妨げたりするものではなく,現に,原告らの職務違反行為によって,具体的に卒業式等の進行に支障が生じた事実は認められない。
本件職務命令が,他の職務命令と比して,とりわけ重大なものとはいえないし,これのみで教職員の勤務成績を決定的に左右するような内容のものとも解されない。
都教委が非違行為を判断するのも,起立をせず,国歌を斉唱しなかったという行為に尽きるものであって,原告らが日の丸を国旗として認めず,君が代を国歌として認めないというような考えを有していることが問題であるとして,これを勤務成績が良好でない理由として判断しているのではないはずである。現に過去においては卒業式等において起立をせず,国歌斉唱をしなかった教職員も嘱託員として採用されていたのであるから,不起立と国歌斉唱をしなかったという行為自体が,その性質上,直ちに嘱託員としての採用を否定すべき程度の非違行為というのは疑問がある。
過去においては,争議行為で2度の停職処分を受けた職員が嘱託員に採用された例もあったのに,本件の不起立行為により,原告Fを除く原告らは戒告を受けたにとどまり,原告Fについても減給処分であって,それでも再雇用職員の選考で不合格にされたのというのは,選考の公平さに疑問があるといわざるを得ない。
以上のとおり,都教委が本件職務命令の違反のみをもって,原告らの勤務成績が良好でないとした判断は,本件職務命令と卒業式等における不起立,国歌不斉唱という行為を,極端に過大視したものといわざるをえない。
本件不合格は,従前の再雇用制度における判断と大きく異なるものであり,本件職務命令違反をあまりに過大視する一方で,原告らの勤務成績に関する他の事情をおよそ考慮した形跡がないのであって,客観的合理性や社会的相当性を著しく欠くものと言わざるを得ず,都教委はその裁量を逸脱,濫用したものと認めるのが相当である。
都教委が,「何故に本件不起立不斉唱を極端に過大視した」かと言えば,中西コートもほのめかしているように,原告らが「日の丸・君が代」を学校教育で強制することは許されないという強固な思想良心を有しているからにほかなりません。
少なくとも,中西コートが,裁量権の逸脱・濫用を言うのであれば,エホバの証人剣道履修拒否事件平成8年3月8日最高裁第2小法廷判決(民集50巻3号469頁)を引用して,論ずるべきだったと思います。
■エホバの証人剣道履修拒否事件最高裁判決
国立二小ピースリボン事件東京高裁平成19年6月28日判決は次のように判示していました(ピアノ伴奏拒否事件最高裁判決の後に出された判決)。
教諭が自己の思想,良心又は信教を優先させて当該指示又は命令に従わなかった場合において,そのことを理由に不利益な処分がされたときにはじめて,上記の教諭個人の思想及び良心の自由との関係において当該処分が裁量権の範囲を超える違法なものかどうかを検討することになるが,これを検討するに当たっては,裁判所は,上記の教諭が自己の思想,良心又は信教を大切にするために真摯に当該指示又は命令を拒否したものであることを確認した上で,当該指示又は命令により達成されるべき公務の必要性の損害及びその程度,代替措置の有無,当該不利益処分により上記の教諭が受ける不利益の程度等を総合考慮して判断すべきである(エホバの証人剣道履修拒否事件最高裁判決)。
最終準備書面で,これらを全面展開したのですが,中西コートはとりいれませんでした。
中西コートが,裁量逸脱,濫用と判断しながら,敢えて,エホバの証人最判を引かなかったのは,やはり,ピアノ伴奏拒否最判が引用していないからでしょう。生徒と教職員は違うと考えているのでしょう。
■損害認容額-結構,多額
他方で,損害は,原告らの嘱託員の1年間の賃金相当額の範囲の約193万円。これに弁護士費用として19万円の損害を認めて,約212万円とした(嘱託員の任用期間は1年で4回まで更新する制度となっている)。この手の損害認容額としては,多額といって良い金額です。ちなみに,中西コートが判断した中野区非常勤保育士事件の損害賠償額は約45万円程度でした。(東京高裁で1年分に増額されました。)
■勝訴は貴重だが・・・嬉しさも中くらいかな。
とにもかくにも,主文で勝訴したことは貴重な成果です。これで敗訴していれば,流れが決まったことになりました。とはいえ,合憲とした判決にはまったく納得はいきません。
中西コートは,結局,最高裁判決には逆らわないという判断をしたということです。(自らの再発防止研修判決よりも後退した内容になっています。http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/07/post_c514.html)
結局,最高裁判決は最高裁判所で変えるしかないのでしょうか。
国立二小ピースリボン事件を判断した東京高等裁判所第21民事部(裁判長濱野惺,高世三郎裁判官)にあたれば,ピアノ伴奏拒否事件最判とは異なる判断は十分に期待できます。結局,裁判官の質の問題です。
■都教委の真の狙い-思想良心の内容による不利益取扱い
東京都の本件通達(10.23通達)と再雇用職員合格取消,採用拒否,懲戒処分の本当の狙いは,10.23通達で全教職員に国歌起立斉唱を命じて,これに反対する強固な教職員を一斉にあぶり出し,不起立不斉唱に追い込み,これを不利益処分することが本当の狙いです。つまり本質は,不利益処分型だと思います。(よくある不当労働行為意思の認定と同じ構造です。)
思想良心を理由とした不利益取扱いであれば,外部行為強制型のように,思想良心の核心部分に反するかどうか【衝突審査】を吟味する必要はなく,思想良心の自由を侵害したものとなります。(予防訴訟の難波判決は不利益処分型として把握しています。)
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