« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »

2007年11月29日 (木)

労働契約法に関する「ねじれ」

■11月20日の参議院厚生労働委員会議録
何だか,参議院では,すごい質問が飛び交っています。

○小池晃議員 東武スポーツ事件というのがあるんですね。これ東武のゴルフ場のキャディさんが訴えているんですが,…給料下がらないんだというふうにだまして無理矢理に契約書を判こを押させて有期雇用に変えたんですね。
これが裁判に争われている。これは一審で労働者側の主張が認められて,被告は今控訴しているんですが,東京高裁。東武スポーツ側 … 労働契約の変更の合意は有効だと主張した上で,仮に合意がなかったとしても,就業規則変更法理に照らして経営上の合理性があり,有期雇用の契約社員の変更と賃金ダウンは有効だ,こういう主張をしているんですよ。
これが経営側の就業規則変更法理の理解なんですよ。これが実態なんです。こういうときに,これを正に明文で立法化すれば,私はこういう横暴がますますはびこることになるんじゃないか。

えーっと,だから東武スポーツ事件で,使用者裁判所は,最高裁の判例法理に基づいてがあるから,のが自らの就業規則による不利益変更の主張を否定法廷で撤回したのです(労働判例937号86頁)。その判例法理が明文化されれば,小池議員の言う経営側の就業規則変更法理の理解は誤っていることが法律で明確になるってことなんじゃないでしょうか?

○福島みずほ議員 … 就業規則の不利益変更の例がたくさん寄せられています。正社員が非正規になったり,労働条件が悪くなったり,賃金が下がったりが非常に多いんです。
 … 
○福島みずほ議員 この労働契約法がない方が裁判争いやすいですよ。こんなへんてこりんな四要件減らして,しかも変更した時点から有効だというんだったら,本当に就業規則の不利益変更をばんばんやられますよ。判例で積み上げてきた内容がむしろ後退をして,使用者側に有利に利用されてしまう。

う~ん。 何でこうなるの。

(・・・何だか自爆攻撃「改悪だから反対」でなく,「不十分だから反対」って言って欲しいのよ。)

共産党や社民党の立場からは,10条に7要素を明文化しろという修正要求になるはずですよね(それは筋が通っているし,賛成です。また,民主党の意見とも一致したでしょう。両党がその主張をすれば国会審議の局面が一つ違った展開になったかもしれません(「立場」が異なる相手と,どう連携をとれるかという政治家の本当の力量を見せて欲しいですね。そこが単細胞でウブな法律家との違いででしょう。)。

ところが,不思議なことに,なぜか両党は労働契約法の廃案を要求しているのです。

両党が要求しているように廃案(あるいは10条を削除)しても,就業規則の不利益変更を阻止することはできません(労基法90条参照)。両党が指摘する実態は何も変わりません。(このような実態が蔓延しているとの認識は私も共通です。・・・だから労働契約法での規制が必要というのが私の立場ですが・・)

ですから,本来は10条に対する修正要求が正しい対応だと思うのですが,なぜか両党は廃案(削除)にこだわるのです(論理が不明だし,私には理解できません。)。

考えられる根拠としては,民主党との違いを強調する「党派の論理」ですかね。要するに「総選挙対策」だわな。選挙戦術的には理解できますが(民主党が正しいってなっちゃうと,両党の存在価値を減殺しちゃうからね。でも,修正要求なら矛盾ないと思うんだけど。・・・廃案要求でなく,10条修正要求すべきだったよね。)「党派の利益よりも,労働者階級の利益が大事じゃないのかね,諸君!」(by マルクス?)

ひょっとして,両党は,就業規則による労働条件の決定そのものを認めないという労働法学者多数説の立場に依拠しているのでしょうかね。でも,そういう立場に固執すると,議論がすべて擦れ違い,噛み合わないものになっちゃいます。(突破する政治的力関係を構築できなかったのです。…イカンながら。労働法は一人一人の生身の労働者に関わる分野ですから最後までラッパを吹いていたという<玉砕戦法>はよくないかも。労組の力が弱い今は,半歩であっても前進しましょう)。

■「判例法理を変えない」が立法者意思
今回の労働契約法は,判例法理をそのまま立法化したものだと大臣も政府も修正提案者も説明しています。

○青木豊政府参考人  … 就業規則と労働契約との関係につきまして,判例法理に沿って,判例法理を変更することなくそのまま立法化するという考え方をとっておりました。

○小林正夫議員 … 判例法理で確立しているのであれば,あえてこれを法律にする必要はないのではないかという疑問…

○桝添要一大臣 この判例法理というのは広く一般の方々に知られているというわけではありません。… 確立している判例法理のうち重要な事項につきましてはきちんと法律にして,労働条件の決定や変更その他の労働契約上の基本的事項について法律で定め,広く国民の皆さんに周知を図り,無用な紛争の発生を防ぐことが重要

○小林正夫議員 … 衆議院の委員会では,最高裁判例で示された合理性に関する判断要素を変更し,合理性の判断要素を切り縮めているという趣旨の意見や批判がだされております…

○青木豊政府参考委員  … 第四銀行事件最高裁判決で示された7つの考慮要素等を総合考慮して判断すべきという考え方を,第10条において挙げた4つの考慮要素及び「その他の変更に係る事情に照らして」と規定するものでございます。したがって,第10条の規定は判例法理に沿ったルールであり,判例法理に変更を加えるものではありません。

○細川律夫衆議院議員 … 既に労働現場のルールとして機能してきた判例法理のうち,特に法律で明確化すべきものを条文化し,法律の文言とされなかったその判例法理は判例法理としてそのまま残すものでありまして,法律と判例の総体としましては現在の判例法理を足しも引きもしないものでございます。

ここまで明確に確認答弁をさせた民主党の小林正夫議員の質問は素晴らしかったです(民主党は良く頑張ったと思います)。それを引き出したという意味では,共産党と社民党の質問も極めて大きな意味があったと思います(と,急いで付け加えておきます。)。

■裁判所は共産・社民の法理解か,民主党の法理解のどっちをとるか
共産・社民の法理解が正しいのか,民主党の法理解が正しいのか,裁判所が最終的に判断することになります。

裁判所が共産党・社民党の法理解が正しいと判断すれば,「今回の労働契約法によって従来の判例が法律で緩和された。したがって,使用者の不利益変更を容易にするのが立法者意思だ」と緩やかに合理性を解釈をすることになります。

他方,裁判所が,修正案を提出した民主党の法理解が正しいと判断すれば,あくまで判例法理が立法化されたもので,使用者側が就業規則の周知性や合理性について立証責任を負うことが法律上も明確になったとして厳しく合理性を解釈することになります。

さて,裁判所はどっちに解釈するのでしょうか。答えは言うまでもないですね。立法者意思がどっちかということです。(立法者が「判例どおりの法律だ」と言ったのに,「判例の立法化ではない」なんて言う裁判官がいますかね?-裁判官としては憲法違反って言わないかぎり,法律に拘束されるのです。-憲法76条3項

「確かな野党」と「確かに野党」の違いとは何か,に思いをいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (1)
|

2007年11月25日 (日)

読書日記「格差社会にいどむユニオン-21世紀労働運動原論」 木下武男著

「格差社会にいどむユニオン-21世紀労働運動原論」
     木下武男著 花伝社
     2007年9月 初版第1刷
     2007年11月24日読了

■論争の書
短い「はじめに」に本書のポイントが凝縮されています。

日本の労働運動の衰退は,年功賃金と終身雇用制で象徴される日本特有の労働社会のあり方と,労働運動側の企業主義と政治主義という主体的要因の双方によるものである。このうちの前者における労働社会は,戦後半世紀以上をへて最大の激変を迎えている。

著者によれば,いわゆる日本的労使関係(=正社員中心)が,現在,不安定雇用を中心とした新しい「階層社会」に変化し,新しい労働者類型(例えば,プレカリアート)が生まれてきていると言うことです。この新しい労働者類型に対応した「新しい労働運動」が生まれなければならないとし,「新しい労働運動」は企業主義と政治主義を克服しなければならないと主張しています。

そして,「あとがき」に著者の次のような「決意」が書かれています。

本書は論争の書である。いくらでも議論をしたい。本書でも強調したように政党・政派の立場からものを言う人以外,すなわち日本のユニオニズムの発展にのみ忠実でありたいと願う人たちとの建設的な討論の場がつくられる。その契機になれば幸いである。

渡辺治,後藤道夫,そして,著者らの日本型企業社会論を踏まえた労働運動の再生に向けた「新ユニオズム宣言」とも言うべき本だと思います。しかも,激烈な論争の書になっていると思います。

私は,著者の問題意識に共感し,その主張の多くの点に大賛成です。

■格差社会と階層社会,そして階級社会

表題は流行の「格差社会」を打ち出していますが,著書の現状分析は他の格差本と一線を画しています。乱暴に要約すると次のようになるかと思います。

日本は従来から「格差社会」であった。企業規模に応じて賃金格差が厳然として存在したのであり,「企業依存の生活構造」からくる「格差社会」にほかならなかった。
現在の変化は,格差社会化ではなく,「階層社会」化なのである。

確かに,日本型正社員中心の労働社会であれば,企業規模の格差が存在しても,中小企業でも年功的賃金によって,将来の改善が(主観的には)期待できた。ところが,「雇用の流動化」,そして「非正規化」が急速に進んでいる現在は,もはや年功的賃金はなく,いくつになっても,非正規労働者の低賃金に固定化される。賃金上昇は期待できない労働者群,特に若手の労働者群が激増している。

これは格差の「固定化」,「二極化」をもたらす。それは「階層社会」にほかならない,というわけです。著者は,今後,新たな「階級意識」が形成されれば,名実ともに,日本も「階級社会」となると予想しています。

■トレード・ユニオズムの復活

トレード・ユニオズム(労働組合主義)という言葉は,戦後の政治主義的労働運動から「右翼的組合運動の蔑称」として使われていた。が,著者は,本来の労働組合運動の原点であることを強調し,新しいユニオズムを志向することが重要だと訴えています。

そして,企業別労働組合体制を脱却する方途は,現代日本においては,既存の企業別労働組合の外部に新たな個人加盟型のユニオンを組織することを優先させるべきと主張します。そして,中期的には,企業別労組を克服した新しい産別労働組合として統一していくという展望を語っているようです。

■個人加盟ユニオンの現段階と発展方向

従来型の合同労組と限界を鋭くえぐっています。また,中小企業労組の分会を組織してきた合同労組では,数多くの分会が解散・消滅していることをリアルに指摘しています。私が今まで労働組合と争議で付き合ってきた経験や知見と一致します。また,多くの団塊の世代の組合運動家が引退する「2007年問題」も深刻といいます(少数派労組でも,団塊の世代の定年が増えており,後継者問題は深刻です)。

合同労組は,組合員を組織化し,その職場に組合員を拡大して,職場で分会をつくって企業内労使の力関係をかえていく(その段階で不当労働行為攻撃があり,弁護士に労働委員会や裁判などの依頼が来ました)。そして,結成された分会は,地域の合同労組や,産別の合同労組に組織に入り,単組として安定していくという構想でした。しかし,これは,企業別労働組合からの脱皮にはつながらなかった。しかも,現在の企業社会と雇用社会の激動で,正社員自体が細り,企業の困難が強まり,このような「組織化」が大きな壁にぶつかっているのが現実でしょう。

他方,個人加盟ユニオンも個人紛争処理段階に止まり,解決したら組合を脱退するという「賽の河原の石積み」あるいは「回転ドア」の状況に苦労しています。

個人加盟ユニオンは,企業別労働組合を目指すのではなく,労働者の「個人紛争処理」を解決しつつ,彼・彼女らの「居場所」でもあり,個人をさらに集団にひろげる「ユニオン運動」を目指すものであるべきだと言います。首都圏青年ユニオンは,企業別の分会を作らないという方針だそうです。そして,将来は,「労働市場規制型」ユニオンを展望したいとのことです。

■政治主義の克服

著者は労働組合の「政治主義の弊害」を指摘します。例えば次のようにです。

「労働者の統一」が,不可欠になっている。例えば「勤労者の政治的見解」に関連すると,労働組合にとって今日重要なのは団結権・団体交渉権・争議権を明確に保障している憲法28条と,生存権を保障している25条である。あえて言えば憲法9条の改正問題ではない。9条改正問題が日本の将来にとっていかに大切であっても,それは労働組合一般の直接の課題ではなく,構成員一人ひとりが市民としてアプローチすべきテーマである。

■企業主義の克服

著者は,企業別労働組合の根本的欠陥を認識することが重要であると,左派労働組合の「一企業・一組合」主義の克服を強調します(これは同時に,「政治主義」の克服でもあるとの歴史も語られています)。

また,「年功賃金かパート賃金」か,「正規雇用か非正規雇用か」という二者択一は新自由主義のジレンマ,罠であると指摘します。同一価値労働同一賃金の原則に基づく「仕事給」を要求と位置づける「労働市場規制」型労働運動を提唱します。

■新しい階級社会,新しい階級闘争,そして,新しい労働運動

もっとも,著者は「新しい21世紀型労働運動は,まだ予兆が見えてきているだけだ」と言います。その「兆し」を育てるためには,労働運動の再生の見通しについて,研究者と運動家が共同を深めることが必要だ,と言います。

理論的にも実践的にも興味深い問題が提起されています。著者の意欲的な問題提起は,とても一回では,紹介しきれません。

建設的な論争が行われることを期待したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007年11月23日 (金)

仏の新採用契約(CNE)はILO158号条約違反

■ILO 仏 試用期間2年は条約違反

2007年11月22日の赤旗の記事です。

ILOは,十四日,二年間の試用期間中は自由に解雇ができることを認めたフランスの国内法が,ILO条約に違反するとの判断を示しました。…仏労組「労働者の力」(FO)の申立を受けてのものです。

仏政府が雇用対策として,従業員20人未満の企業を対象に2005年8月に導入した「新採用契約」(CNE)法は,契約から2年間は労使双方からの労働契約の破棄を自由に認めています。

ILO条約一五八号は「有効な理由がなければ労働者は解雇されてはならない」「試用期間は合理的な長さで,事前に定められていなければならない」と規定してます。

パリ控訴院(高裁)は今年七月,二年の試用期間中,雇用主が自由に解雇できるとするCNEは,労働者の重要な権利を奪うもので,ILO条約に違反するとの判断を示していました。

■ILO駐日事務所のHP

  ↓
http://www.ilo.org/public/japanese/region/asro/tokyo/standards/st_c158.htm

1982年の雇用終了条約(第158号)

正 式 名 : 使用者の発意による雇用の終了に関する条約
(第68回総会で1982年6月22日採択。条約発効日:1985年11月23日。分類について結論が出ていない条約)

日本の批准状況:未批准 ◆批准国一覧(英語)

条約の主題別分類:雇用の終了-解雇  条約のテーマ:雇用保障

[ 概 要 ]
 労働者を正当理由のない雇用の終了から保護することを目的とする。条約に掲げられた例外を除くすべての業務が保護の対象となっている。
 使用者は、労働者の能力や行為に関する妥当な理由、企業運営上の妥当な理由がなければ、労働者を解雇することができない。条約は特に、次のものは妥当な理由とならないことを定めている。組合員たること、組合活動への参加、人種、皮膚の色、性、婚姻関係、家族的責任、妊娠、宗教、政治的見解、国民的出身、社会的出身、出産休暇中の休業。
 解雇を不当と考える労働者は、公平な第三者機関に提訴することができる。不当解雇の挙証責任は労働者だけに負わされるのではなく、使用者または当事者の提出した証拠につき結論を出すよう権限を与えられた機関のいずれか、もしくは両者にも負わされることになる。
 また、雇用終了が合法的に行われる場合の手続きとして、予告期間、雇用証明書、退職手当その他の所得保障が規定されている。
 経済、技術、構造的またはそれに類する理由による雇用の終了に関して、使用者が労働者代表と協議することや、権限ある機関にできる限り早く通告することなどについてのさらに詳しい規定がおかれている。
 当条約は、1963年の雇用終了勧告(第119号)採択以降の各国での問題の発展、この問題の重要性に鑑み、当条約を補足する同名の勧告(第166号)とともに119号勧告に代わるものとして採択された。

■批准国一覧を見ると

批准国は,いわゆる先進国に属する国がフランス,スウェーデン,フィンランド,スペインなど少数ですね。もちろん,日本は批准していません。

CPE(初期雇用契約)反対運動が盛り上がったけど,CNEは反対運動は盛り上がらなかったそうでした。その後も,FOはILOに条約違反を申し立てて頑張っていたのですな。

■1年半前の議論

CPEのことは,2006年にブログにさかんに書きました。
  ↓
http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2006/04/post_b66f.html

CPEは,あの頃の「労働契約法」ネタでした・・・。

労働契約法の動向は,当時は、ほとんど注目されていませんでした。当時、私たちが議論していたのは「毒入りまんじゅうだけど、毒をいかに抜くのか。」ということでした。紆余曲折を経て,それなりに解毒されたと思いますけど・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007年11月18日 (日)

新「教育の自由」論争 堀尾輝久教授「世界」12月号論文

■堀尾輝久教授 「世界」12月号論文-「国民の教育権論と教育の自由」論再考

○西原博史教授「世界」5月号論文に対する堀尾教授の反論です。
教育の自由を,教師の教授の自由と同義として把握し,あろうことか,「教師集団の子どもに対する権力の行使にほかならない」と把握する立論に対して反論をされています。

私は,西原論文の難波判決批判は,法律家が守るべき判例評釈の基本ルールを逸脱したトンデモ部類に入ることを以前ブログで批判しました。http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2007/04/post_c33a.html

でも私は教育法学についてはまったくの素人です。その点からの批判は手に余ります。

今回,教育学・教育法学の泰斗の堀尾輝久教授が,「世界」12月号に,教育法学からの西原論文に対する徹底的に批判する論文を書かれています。西原論文を,抑えた筆致で丁寧に,かつ毅然と論破されています。

○「私事の組織化」と「教育の自由」
堀尾教授は,教育の自由を,公権力が内容に介入してはならないという意味で「私事」であると同時に,公教育は「私事の組織化」だと位置づけられています。

教育の自由とその自律性は,精神の自由を前提に,子どもの学習の自由,教師の研修と教育実践の自由,親の教育選択と参加の自由,教育行政の条件整備の責任,さらに国家権力の教育内容への不介入の原則を含んで成立する。

○広い意味での教育の自由

つまり,堀尾教授は「教育の自由」を狭い「教授の自由」の同義ではないことを強調されます。子どもの学習権・学習の自由を中心として,教師の自由,親の自由,それらの諸条件を整備する教育行政という全体の枠組(「自由な領域,空間」=freedom of education)を意味しているということです。「日の丸・君が代」訴訟原告団・弁護団の合宿でも強調されていました。

■樋口陽一教授の「教育の自由」論争のコメント
樋口陽一教授(憲法学)が,政教分離と公教育を論じる中で,日本における「教育権論争」について触れています(「国法学-人権原論」2004年有斐閣)。樋口教授は,公教育を「私事の組織化」としてとらえる堀尾教授とは,視点が違うようです。

○フランスにおける「政教分離」と「公教育」
フランスでは,大革命以後,強大なカソリック権力(宗教権力)に対して,共和派政権(世俗権力)が,宗教権力の教育権を奪取し,公教育の場から宗教色を排除し「市民」(自立する市民)を創出しようとしてきた(つまり,「共和派的価値感に基づく人民教育」ということ)。

だから,フランスでは「教育の自由」と言うと,「親の自由=信教の自由=自分の信仰に従って子を育てたい」という趣旨であったといいます。公教育は,この(私事としての)「教育の自由」との対決であったそうです。ですから,フランスでは「政教分離」を主張するのは国家権力の側であって,個人の側ではなかった。

○日本では
ところが,日本では宗教権力は常に世俗権力に従属してきた。国家(明治政府)によって作られた「国家神道」をイデオロギーとして利用してきた歴史だとします。靖国神社や護国神社は,「軍人の士気を高める」という目的のための宗教施設(イデオロギー装置)です。(だから西郷隆盛や会津藩士のように明治政府の敵(国賊)が合祀されていません)。

ですから,日本では「政教分離」を主張するのは個人の信仰の自由を主張する側であった。(フランスとは逆ですね。少数派である個人が政教分離を主張することになります-自衛官合祀事件,愛媛玉串料事件等々。)

以上のとおり,樋口教授は,「歴史的文脈」と「社会状況」に応じて,「政教分離」の法理も,まったく異なる様相を呈することを指摘しています。同じことが,「教育の自由」にもあてはまります。【※1】

【※1 堀尾教授の世界12月号論文の中で,田中耕太郎(当時の文部大臣)が次のように述べたことを紹介されています。

(田中は)教育の自由の原型を家庭教育への国家の不干渉に求め,「国家的立法を以て教育の目的に関する示す」のではなく,「教育に従事する者が良心と良識に従って教育の目的」を判断すべきである。この視点からすれば,「教基法1条の目的規定はその限界を超え,近代国家の常態からみれば,「変態的」なもので,教育が権力的に押しつけられてきたわが国の「固有の歴史的事情」に起因する「異例の」ものだ。

軍に都合の悪いことは教えないというわが国の「固有の歴史的事情」が現在も変わらないことは,未だに沖縄戦住民集団自決に日本軍が関与したとの教科書記述を削除した政府・文科省の措置を見れば明らかです。】

○日本における「教育の自由」と「教育権」論争
「国民の教育権」と「国家の教育権」の論争に関して,旭川学テ最高裁大法廷判決が,双方を「極端かつ一方的」としたことを樋口教授は評価しています。で,次のように記述しています。

もともと公教育は,家族の私事であった次世代の育成にかかわりをもつことであるから,その存在そのことがすでに,なんらかの「国家的介入」を意味するはずである。その意味で「自由かつ独立の人格の形成」をもって「介入」の目的と限度を画するものとするのは,日本国憲法下の公教育像として適切であろう。

「国民の教育権」論は,しばしば「教師の自由」として主張された【※2】。そこでは,自由の主張という形式がとられていても,公権力したがって公教育そのものからの自由が要求されたのではなく,あるべき教育内容を充填する権利が,問題であった。【※3】

その意味では,「国家の教育権」と「国民の教育権」の主張は,公教育のあるべき内容をめぐる対立にほかならなかった。

だからこそ現在の「沖縄戦における集団自決」を旧日本軍が強制したかどうかに関する教科書の記述に関する争いは,まさに,このような「公教育」の内容に関する意見の対立にほかならないということでしょうね。

【※2 この立論は,西原論文的理解と共通性がありますね。国民の教育権論=教師集団の教育の自由論が相当広く(誤解か正解かはともかく)浸透しているということです。これは「国民の教育権」の弱点なのでしょう。】

【※3 「但し,教師個人の例えば国旗・国家行事の拒否,などに対し,行政上の懲戒や
場合によっては刑事制裁が科されることに対する関係では,正真正銘の「からの自由」が問題なものもあった」ともされています。】

■「教育の自由化」(新「教育の自由」論争)
他方で,樋口教授は「教育の自由」には,「公教育」の存立そのものを争う立場があると指摘します(フランスの「親の自己の信ずる宗教教育をする自由」)。それは,日本では,「規制撤廃」,「開かれた学校」という「市場」の論理からの「公教育からの自由」が自己主張をすると指摘しています【※4】。

本当は,これこそが,今後の「教育の自由」論争の中心論点(新「教育の自由」論争)でしょうね。「日の丸・君が代」問題より重要だと思います。もちろん,「子ども中心」とか「教師中心」とか何とかは,コップの中の争いにしかすぎません。

【※4 堀尾教授も,新自由主義の「教育の自由化」は,受益者負担と親の選択の自由,市場原理の教育への導入が言われており,これは「公教育の否定」であると指摘されています(「教育は強制になじまない」2006年大月書店】

■堀尾論文の方向性
堀尾教授は,「国家の教育権論と国民の教育権論の対立としてとらえることに疑問を呈してきた」とされています。国民主権のもと,教育権が究極的には国民のあることは文科省にとっても,「自明のこと」であり,問題は国民の教育権の内容を,誰がどのように決めるかが問題だとされています。

そして,子ども中心主義とか教師中心主義とかという卑小な対立が論点ではなく,「国民の学習・教育権と教育の自由」論の再構築を目指すべきだとされています。

先述した原告団・弁護団合宿で,その視点での憲法の人権条項の読み直しを提唱されていました。例えば,「憲法23条の学問の自由は,学者と研究者の「学問の自由」と理解されてきたが,国民一人一人が「学問の自由」,自ら学び研究する自由を持っていると読み直すことができるのではないか」と提起されていました。

■古典的人権論の範疇
もっとも,現在,訴訟で争われている東京の「日の丸・君が代」起立斉唱の強制は,上記のような教育法学の難しい話しではなく,本来は伝統的な「国家からの自由」の問題だと思います。

「日の丸」「君が代」への起立斉唱を「指導」に対して,教師が,「皆さんには憲法19条に基づく思想・良心の自由があります」と学校で説明することを禁じ,これは「不適切な指導」であるとするのが東京都の主張です。(このことは何度も繰り返しブログで書いていますが,「内心の自由」を説明した教師は厳重注意や処分や研修命令を受けるのです)。

オイオイ,これが21世紀の日本かよ。 まるで戦前の軍国日本か,中華人民共和国か,朝鮮人民民主主義共和国じゃないか!(東アジア・家父長的=儒教的=全体主義的=権威主義国家という類型があるのかしらん?)

このような都教委の通達・命令が,「教師の教育の自由」に対する侵害になることは明白だと思うのです(儒教的・律令的・官僚裁判官奴はそうは思わないようですが)。

これに対して,教師個人の不起立・不斉唱自体は,「教師の教育の自由」の問題ではなく,教師個人の思想良心の自由の問題だと思います。ただし,堀尾教授は,広い意味での「教育の自由」に含まれるとされています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007年11月11日 (日)

日本労働弁護団50周年総会

■旧総評弁護団

日本労働弁護団(旧総評弁護団)の創立50周年のシンポ,レセプション,総会が11月9日,10日開催に東京の虎ノ門パストラルで開催されました。一日目は,東京,大阪,福岡の若手弁護士を加えたシンポジウムがありました。

びっくりしたのは,10年選手の弁護士のほとんどが,集団的労働紛争の経験がなく,もっぱら個別労働紛争中心の労働弁護士活動をしていることです。集団的労使紛争の「資本と労働の対決」構図(古いか?)の労働事件を,ほとんど経験していないことに驚きました。

■昔話し

私が,弁護士になったときは1986年です。この年は,国鉄分割民営化反対闘争の時期ですから,弁護士になったときには,毎週,人材活用センターに出かけて,労組の抗議行動の警備担当弁護士業務。事務所にもどってきては,毎晩,仮処分申立の準備や陳述書つくりや労働委員会申立書起案(ワープロがないから手書き)。ほんでもって,毎週1回,一日中,労働委員会の審問をやっていました。

また,倒産争議では,組合事務所に泊まり込んで仮差や地位保全仮処分の申立書を起案していました。整理解雇事件で敗訴して落ちこんだり,争議事件で横浜の本牧にいって貨物船接岸反対ピケ行動に参加したり。「バブル」前の時代で,「円高不況」「減量経営」の時代でした。

私は,司法修習でいうと38期ですが,こういう労働事件があった最後の世代くらいだと思います。それでも,その前の世代から見れば,おとなしい時代だったのだと思います。

■ホットライン活動

その後,労働弁護団は1993年にホットラインの活動を開始しました。

殺到する未組織労働者の労働相談に直面しました。突然の解雇,退職強要などの深刻な相談に弁護士として何とか対応しなければなりません。労働組合に相談しろといっても労組が頼れないから相談してきているのです。労働組合に結集できない圧倒的多数の労働者に,「階級意識が低い」といって突き放すわけにはいきません。

個別労働紛争に労働弁護士としてどう対応するかを議論しました。古い世代の労働弁護士たちからは,「個別労働紛争は階級的意義がない」,「賽の河原の石積みでしかない」などとの意見も多かったと思います。

■市民的労働裁判

労働弁護団は,旧来型の労組から依頼を受ける労働裁判だけでなく,未組織の労働者の相談も積極的に提訴しようと打ち出しました。【市民的労働裁判】とネーミング。その取り組みと熱意が,労働裁判改革につながっていきました。

また,1995年には,ドイツ労働裁判所の調査に出かけてカルチャーショックを受け,このような司法制度が日本でも必要と痛感しました。

このような取り組みが,労働審判手続法へつながったと思います。労弁のホットライン活動と個別労働紛争解決のための労働審判手続法の制定は確実に共鳴しています。

■若手弁護士のシンポジウム

労弁のシンポジウムでは,若手(といっても10年経験)の弁護士らが,非正規労働者の労働相談をうけて積極的に事件を提起して取り組んでいる活動が語られました。

大阪の派遣労働問題研究会の活動,福岡の連合ユニオンと協力しての労働相談の取り組み,東京の日雇派遣のデータ費用返還訴訟やマクドナルド店長の残業代請求の取り組みが報告されました。

正規労働組合が取り組んでこなかった非正規労働者の問題を,弁護士がネットワーク型の地域合同労組や地域ユニオンと一緒に取り組んでいる姿は,新しい労働弁護士の在り方だと思いました。

■夜のレセプション

労働法学者の菅野和夫教授もおいでになっていました。「労働法復権の時代」になっているとスピーチされていましたが,そうなって欲しいものです。

ということで,楽しい会合でした・・・が。参加人数は多いとはいえませんでしたね。往年の大人数の総会を知る古手の弁護士が「人数が少なくなったね」と言われていました。・・・きっと,これからは増えることでしょう。

■幹事長交代

労働弁護団の幹事長が旬報法律事務所の鴨田哲郎弁護士から,横浜法律事務所の小島周一弁護士に交代しました。鴨田先生5年間 お疲れ様でした。

【追記】

トンネルじん肺根絶訴訟弁護団は,この50回総会にて栄えある(?)日本労働弁護団賞を受賞しました。最初の日本労働弁護団賞は「丸子警報機事件」でした。私は,二度目ということで,うれしいです。

| | コメント (3) | トラックバック (0)
|

2007年11月 6日 (火)

労働契約法案は修正成立

■労働契約法案,最賃法改正案の修正

朝日新聞で,労働契約法案と,最低賃金改正案は修正がまとまり,労基法一部改正案は難航という記事が出ています。

    http://www.asahi.com/life/update/1105/TKY200711050328.html

11月7日に衆議院での厚生労働委員会の審議があり,修正が成立する見込みだそうです。労基法の割増賃金については修正合意にならず成立しないようです。

手続的には,民主党が民主党案を撤回して修正案を政府案と共同提出して可決することになる。

労働契約法案の修正点は,「均衡」取り扱いと「仕事と生活の調和」(ワークライフバランス)が労働契約の基本原則に入ると観測です。ただし,基本原則だけで各論の効力規定のところは,民主党案の良い部分は全く入れられないようです。その他若干の法案の文言の修正があるそうです。

■判例法理の確認答弁を

民主党は,11月7日衆議院厚生労働委員会では,「労働契約法は従来の判例法理を基本としたものであって,従来の判例法理を変更するものではない」ことを,しっかりと政府に確認答弁させてほしいと思います。

例えば,就業規則については,第四銀行事件やみちのく銀行事件の代償措置などの要件を否定したものではなく含まれることを確認することが必要です。配転法理についても,同様の確認をしてもらいたい。

■「ないよりもまし」か,「ないほうがまし」か?

労働契約法は,「ないよりも,まし」と考えるか,「ないほうがいい」と考えるかで評価が分かれるところでしょう。

実務家である私の経験では,就業規則でさえ,労働者は知らされていないし,使用者は就業規則すら守りもしないのが多くの中小企業の現実です。「就業規則の不利益変更の法理」など使用者でさえ知りません。(大企業は別でしょうが。)

したがって,今の労働法無視が蔓延している現実社会の中では,労働契約法は「ないよりも,まし」な法律だと思っています。

■民主党の成り行き

次の総選挙で,民主党の政権の可能性もあったので,今回,成立させる必要はないかとも思ったのですが,日曜日の「小沢の辞意表明」。しかも,今日になって,一転,「小沢 代表留任」という展開では,民主党はもはや「死に体」ですね。

「政権担当能力がない」と辞意を表明した小沢代表が,撤回してまた党首になるような政党を,誰が政権につかせると思うのでしょうか(民主党執行部は小沢派離党→自民党との合流が怖くて,慰留しただけとしか見えないですからね)。

このまま小沢党首のまま総選挙をたたかえば,衆議院で自民党が過半数を確実に掌握し,その上で,政界再編をしかけられ,民主党が分裂・瓦解するというのが今の一番ありそうなシナリオですね。

となると,成立させることができるときに,労働契約法を成立させておいたほうが良いということなのかもしれません。(労働契約法案修正しての成立は,小沢辞意表明前のシナリオどおりでしょうし。)

・・・もっとも,政治は一寸先は闇で何がおこるかわからないもののようですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2007年11月 4日 (日)

あっと 驚く為五郎!

小沢一郎よ おまえもか!

まあ,やはり,二世,三世政治家はダメだってわけだわな。

しかし,小沢さん  辞意表明ってどうですかね。

せっかく面白くなってきたのにねえ。
よほどの民主党内部で危機的な状況が進んでいるのでしょうか。
(前原? )
福田首相も,何か,そんな情報をもって勝負に出たのでしょうかね。

そうじゃなきゃ,考えられない。

普通考えるのは,小沢民主党からすれば,衆議院選挙を行った上で,その結果を見て,連立交渉じゃないでしょうかね。うまくすれば単独政権も可能!

一番ありうるのは,自民党が衆議院過半数維持。そこから連立交渉ならスジも立つというわけでしょう?
(今は,実に不思議なタイミングです)

(裏に何かあるのかしら。よほど凄い弱点を握られている,のが一番ありそう。)

普通に考えれば,連立拒否くらいで辞任はないっしょ。

少なくとも次の総選挙を戦うのは,小沢一郎 男の責任ですがな。
所詮は,安倍と同族だったということか?(おとこらしくねえ)

これで,全国会議員が選挙に走るよね。自民党としたら,今が衆議院選挙に勝利する大チャンスだがね。

 【迷走】

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2007年10月 | トップページ | 2007年12月 »