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2007年9月 9日 (日)

読書日記「裁判員制度の正体」西野喜一著

         2007年8月20日発行
          講談社現代新書
          2007年9月10日読了
         
■裁判員制度 廃止論

著者は元裁判官で、法科大学院の教授です。裁判員制度を徹底的に批判しています。著書の批判のスタンスは極めて判りやすい。要するに、「素人には裁判は無理で、専門家の裁判官を信頼してまかせろ」ということです。官僚裁判官の本音なんでしょうね。

裁判官は、専門的な訓練を受けているだけでなく、職業上膨大な数の事件、犯罪を見て、これを証拠にもとづいて判断し、その判断の過程を合理的に文章で表現するという仕事を何十年もやっています。また、ある判決が上級審で破棄されれば、その判決を見て、自分の判断の不備を確認することもでき、そうやって経験を重ねているのです。ですから、義務教育終了だけを条件として抽選で集められた素人の一回かぎりの判断とは信頼性がまったくちがうといえるでしょう。(まえがき9頁)

(裁判官以外の裁判員)6人は裁判官でも何でもなく、ただ抽選で選ばれた町なかのおじさん、おばさんで名前もわからない。判決に署名することもないし、その判決の責任を取る気もまったくない。(87頁)

(裁判員は)どんな誤判をやってしまっても、いかなる責任も負わないという前提ではじめた制度で所詮ロクなものはないし、そういうシステムがまともに機能するはずがないのです。(113頁)

著書は、素人関与の司法制度を徹底して否定し、陪審制は誤った制度と決めつけます。わが国の従前の刑事司法制度を根本的に是正する必要は全くないというわけです。上記の「どんな誤判をしてしまっても、いかなる責任を負わない」というのは、今までの日本の刑事司法制度も同じですけどね。死刑再審無罪となった事案で、裁判官・裁判所が責任を取ったことはありません。辞任した裁判官がいたなども聞いたことがありません。最高裁長官も責任をとって辞職するとか,せめて,冤罪事件の原因を徹底究明する研究チームを発足して発表するとか,司法研修所では無罪記録を使った起案をするとかくらいはできるんじゃないのかね。

■裁判員制度への不安

しかし、この著書が指摘する裁判員制度の問題点、短期の集中審理を実施せざるをえないためにラフ・ジャッジ(粗雑司法・拙速司法)に陥る危険、弁護人の対応力への不安などは、そのとおりですね。特に、弁護体制への不安は、私も同じ気持ちです。もっとも次の意見には与しませんが。

すぐにも、そして安く、弁護してくれる弁護士がみつかったけれども、それは法科大学院で粗製乱造された未熟な若手で、粗末な弁護活動しかできないということになる恐れもじゅうぶん考えられるのです(116頁)

現役の新潟大学のロースクール教授が、法科大学院が粗末な弁護士を粗製乱造している、と言うのは結構、思い切った発言ですね。私の今までの経験ではそんな感じはしませんでしたけど。もっとも、著書と違って、ごく少人数しか知りませんから、私の実感が間違っているのでしょうか。(著者は、「司法改革」の2本柱の裁判員制度とロースクール・システムに対して、絶望しているということなのでしょうね。)

著者は、ラフ・ジャッジに陥らないための対策、例えば、取調べの録音録画制度の導入、証拠開示制度の強化、人質司法の改善などの具体的な提案はされていません。現段階では消極的な姿勢をとられているのかもしれません。この点も私とは見解が違います。

■裁判員制度 違憲論

著書は裁判員制度違憲論を展開します。傾聴に値する意見ではあります。ただし,裁判官出身でありながら,粗雑さが目立ちます。

裁判員が加わった裁判所は、「公平な裁判所」でないから、憲法37条1項違反だ、というのはちょっと成り立たないでしょうね。裁判員と裁判官の構成した合議体が「公平な裁判所」と法律で定めるわけですから。

憲法76条3項が「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めているのに、裁判員全員が裁判官の結論に異論を唱えたら裁判官らの結論が通らないとするのは、「裁判官の独立」に反するともされています。そうなると陪審制も違憲ということになります(著書はその立場です)。裁判員制度は、評議の中で意見交換して多数決で決めるのですから、「裁判官の独立」に反するとはいえないのではないでしょうか。現在でも合議裁判では,少数派の裁判官の意見が通らない制度になっっています。著書の意見だと,これも裁判官の独立に反するということになっちゃいます。それはおかしいでしょう。

また、裁判員になるのは「意に反する苦役」にあたり、憲法18条違反だとも言います。苦役であるかどうかは、客観的・一般的に見て苦役だと言えなければならないでしょう。裁判員としての職務は、本人の意に反していたとしても、苦役とは言えないと思います。おそらく著者は,現役裁判官時代,裁判を「苦役」だとおもって職務を遂行していたからなのでしょうか。他方,ローススクールの授業は「苦役」ではないのでしょう(ロースクール生の粗製濫造の答案を採点するのも相当な「苦役」のようにも見えますがね)。

憲法19条の「思想・良心の自由」に反するという主張は成り立ちます。ただし、それは制度として裁判員手続が違憲となるわけではありません。憲法20条の宗教上の教義に従うというような(裁判を否定する宗教があるかどうかは知りませんが・・・)、その者の真摯な思想・良心の中核部分に反している場合にのみ、当該国民を裁判員を拒否したことで処罰する場合には違憲となりうるのでしょう(そういう思想・良心があるかどうか知りませんが・・・)。

ただし、単に仕事が忙しいのに面倒だと言うだけでは、憲法19条違反にはなりません。これは教師への「日の丸・君が代」起立斉唱強制と同じ問題でしょう。真摯な思想・良心、信仰に反しているかどうかが焦点です。その点、著者が授ける「裁判員逃れ」の手練手管は、思想・良心の自由、信仰の自由とは全く別な話しですね。

■裁判員制度の運命

もっとも、著者が指摘するように、具体的な事件で裁判員制度が実施されるのにいくつもの課題があることは否定しません。特に、著者が心配される超弩級「難」事件(連続複数殺人事件など)について、一般の国民が審理に十分に関与できるのかは大きな課題だと思います。そして、国民に歓迎されない刑事司法は、裁判員制であろうと、陪審制であろうと定着しないという指摘は、そのとおりでしょう。

これらの反対論が国民世論を説得するとなれば、陪審制も参審制も、日本人には向かないということですね。

結局、日本人の意識は「官僚支配が一番よい」ということですかね。「民主主義よりも、賢人統治を良しとする」の日本人の意識は、強固な儒教的伝統の帰結ということなのでしょうか。

本来取りくむべき改革は,裁判員制度導入反対運動ではなく,裁判員制度の導入を機に,犯罪報道の法規制(匿名報道原則の導入,有罪を前提とした報道の禁止等),取調の録画録音制度の導入,証拠開示制度の拡充・充実,人質司法の是正などの刑事司法制度の改革こそを要求していくことだと思います。

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コメント

別のことを調べていてこのブログを発見しました。内容、形式ともに凄いですね。たまには見てみます。頑張ってください。

投稿: 岡田和樹 | 2007年9月12日 (水) 03時27分

岡田和樹先生 お久しぶりです。
イタズラが見つかったような感じです。
ご笑覧下さい。

投稿: 水口 | 2007年9月23日 (日) 09時25分

「裁判員はいらない」と称して、現行の刑事手続や職業裁判官を信頼してまかせておけばいいとか、市民は刑事裁判にかかわるべきではないという主張が多い中で、このブログを見つけて少し安心しました。

投稿: felis_silvestris_catus | 2007年10月13日 (土) 16時09分

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