【21世紀の左派に告ぐ】 ジャン・ブリクモン(Jean Bricmont)(訳・土田修)
ジャン・ブリクモン(Jean Bricmont)は、ルーヴァン大学(ベルギー)理論物理学教授だそうです。 2007年8月28日に、ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子メール版で送信されていました。大統領選で敗北したフランス左派を鼓舞するためのような論文です。
http://www.diplo.jp/articles07/0708-2.html
理系の方が、直球勝負の人が多いですよね。こんなことを書いたら、日本では、生きた化石、あるいは、成仏できない幽霊のように扱われるでしょうな。
政治的運動体が成功を収めることができるのは、自己の主張を信じている場合に限られる。右派の場合に勝利したのは、サッチャー言うところの「ぬるい」保守派、つまり多かれ少なかれケインズ主義的な立場の保守派ではなく、がちがちの強硬右派路線を取る勢力だった。左派の場合、穏健右派の政策を主張するにとどまる限り、勝利のチャンスはない。事態を変えるためには、左右の対立の根本に立ち戻らなければならない。対立の根本は「価値観」の問題、とりわけフェミニズムや反人種差別のように、現代の右派が完全に受け入れる準備ができている問題にはない。左右を分かつのは、経済の統制という基本問題である。
日本の場合には、左右を分かつ根本問題は、「格差問題」でしょうね。(「格差問題」って、左派からすれば「階級問題」ですからね)。雨宮処凛さんらの出番です。
次を読むと、フランスの「自由主義者」も、日本とまったく同じ考えののようです。
もし生産手段に加え、20世紀に起きたように情報伝達手段も少数の人々の手に握られれば、彼らは他の人々に対し、封建体制の権力と大差ない巨大な権力を持つことになる。現代において、古典派自由主義思想を真に継承しているのは、社会主義の立場を取る者たちである。今日、フランスで「自由主義者」を名乗る人々が信奉しているのは、ある種の専制政治や企業経営者でしかない。その上、彼らのほとんどは、ある種の暴力的な国家主義、すなわち世界に対するアメリカの軍事支配の信奉者でもある。
「人間の自律や自由」こそ、社会主義の問題だと言っています。フランス左翼の好きな「人間の尊厳」ってやつですかね。
社会主義の問題は、資本主義の危機や、自然の破壊(現実上か想定上かは問わない)、労働者階級の小市民化(現実上か想定上かは問わない)といった問題とは無関係である。自己の生を管理することが人間の基本的な願いである以上、社会主義の問題は生活水準が向上しても消滅することはない。社会主義の問題が提起されるために、(2度の世界大戦のような)破滅的な出来事が起こる必要もない。生物学的な欲求、すなわち生命を存続させるという欲求が充足されればされるほど、自律や自由という人間に固有の欲求の充足が、いっそう強く求められるようになるのである。
社会主義がもはや、だれの興味も引かないと考えるのは間違いである。今なお左派が支持される分野があるとすれば、公共サービスの擁護や労働者の権利の擁護にほかならない。それこそが、資本所有者の権力に対する今日最大の闘争手段であるからだ。ヨーロッパ建設に暗黙のうちに含まれている政策プログラムは、民主主義的な見かけだけは残しながら、社会保障や普通教育、公的医療からなる「社会民主主義の楽園」の破壊をもたらすに至ったが、これらの制度は社会主義の萌芽的形態であり、現在も人々に大きく支持されているものだ。
もっとも、日本でこれを社会主義として主張するのは政治的には下策なんでしょうね。(おっと、「政治的運動体が成功を収めることができるのは、自己の主張を信じている場合に限られる」でした!)。このブリクモン先生、マルクスをも、しっかり擁護しています。
「自由主義的」思想家たちは、社会主義への移行が先進資本主義国家で予定通りには起きなかった、と指摘することで、カール・マルクスを批判してやまない。彼らへの反論は、われわれのシステムが単に資本主義であるばかりでなく、帝国主義でもあるということだ。ヨーロッパの発展は、広大なヒンターランド(後背地)の存在なくしてはありえなかった。このことの意味を理解するには、ヨーロッパが地球上に出現した唯一の陸地であり、アフリカ、アジア、アメリカなど残りすべてが大海だったと想定してみればよい。そうなれば黒人奴隷貿易も、ラテンアメリカの金鉱も、北米への移民もなかったことになる。われわれの社会が、労賃の安い国からの輸入や移民という形で原料や安価な労働力の恒常的な流入を得ることも、南の頭脳が北へと流出し、崩れゆく教育システムの穴埋めをすることもない。 その場合、われわれの社会はどうなっていただろうか。
社会主義の実現が20世紀中に達成しなかった最大の理由は次の通りである。資本主義の下で一定の文化的、経済的発展を遂げ、民主主義的な要素が生まれ、したがって資本主義の超克が可能であり必要でもあった国々は、同時に帝国主義システムにおける支配的諸国であった。
この帝国主義は二重の帰結をもたらした。ひとつは経済的な帰結である。支配的な国々は、もし存在しないとしても今後出現する可能性のある問題の一部を「周縁国」に移転することができた。もうひとつは、世界規模での労働者の分断という帰結である。西欧の労働者たちは、南の労働者よりも常に良い生活条件を得ることで優越感を持つようになり、それがシステムの安定化に寄与してきた。
このように帝国主義論をぶちかまして周縁からの反撃を期待しています。周縁革命って古いけど。
しかし、変化はしばしば周縁からもたらされるものである。1917年のロシア革命と、第二次世界大戦の枢軸国に対する勝利へのソ連の加担は、植民地独立の動きに向け、また「社会民主主義の楽園」づくりの可能性に向けて、きわめて大きな影響を与えた。そして植民地の人々の勝利は、1960年代のヨーロッパで数多くの進歩主義的な変化を促した。現在ラテンアメリカや中東で起きている反乱もまた、その意味を理解し、よくよく考慮するならば、支配者たちに厳しい軌道修正を迫るものとなるかもしれない。それは他の人々には、少しばかり明るい未来をもたらすものになりうるだろう。
何だか二十年か前にタイムスリップしたかのような、胸がすくような論考ですが、これは素朴マルクス主義から抜け出せない私の、単なるノスタルジイなんでしょう。
ちなみに、このジャン・ブリクモン記事に関して、hamachan先生とinaba先生が少しやりとりしています。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070903/p1
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_d06d.html
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コメント
先日もコメントした現行61期修習生です。
私はマルクス主義者でも何でもありませんが、マルクス・レーニン関連の書籍は学生時代はいくつか読みました(「資本論」は文庫1巻で挫折しましたが、「共産党宣言」「空想より科学へ」「国家と革命」など)。
もっとも、これは私が世代的に40歳代(長年仕事してから昨年旧試験に合格しました)だということもあると思います。
最近の若い人は、マルクス主義というと、単なる破綻した経済統制主義か、ひどいのになると理解不能なカルトとしか認識していないようです。
マルクス主義を支持する必要はないにせよ、どういう問題意識を持つ世界観だったのかくらいは多少文献を読んで知っておいて欲しいものですね。
投稿: 修習生 | 2007年9月 9日 (日) 15時00分