日の丸・君が代 再発防止研修判決-注目判決
■再発防止研修7.19判決(中西判決)
卒業式、入学式で国歌斉唱時に起立せず、斉唱しなかった教師らが、再発防止研修を受けるように命令されました。その再発防止研修命令が思想良心の自由、信教の自由を侵害するとして訴えた事件で、東京地裁民事第19部(中西茂裁判長)は、原告らの請求を棄却する判決を言い渡しました。
朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200707190515.html
弁護団声明
「seimei.doc」をダウンロード
判決要旨
「saihatuboushinakanisihanketu.pdf」をダウンロード
しかし、この事件では、10.23通達及びこれに基づく職務命令の違憲違法性の主張をせずに、再発防止研修命令についての違憲違法性のみを争点とした事件ですので、請求棄却という結論は重要ではありません(再発防止研修の歯止めを狙った訴訟ですから)。
この中西判決の内容は、極めて注目すべき判断をしています。
【1】中西判決は 不起立・不斉唱の信念を思想良心の自由、信教の自由の保障の範囲内に含めたこと。
「原告らがどのような考えから学校行事等における国歌斉唱時に起立せず、国歌を斉唱しなかったのかをみることにする」(判決文31頁)
[①宗教上の理由、②民族的な理由、③平和主義思想、④一律に強制することに反対する理由]といった「思想、信条から」
又は
[①軍国主義教育の過去の歴史を繰り返す危険、②人権尊重等の教育実践と矛盾する、③教師全員が起立することは生徒に対する強制となるという理由]といった「教師としての思い、良心から」
↓
「国旗に向かって起立し、国歌斉唱できないという信念(*1)を有するものであると認められる。このような考えは、国歌や国旗が過去の我が国の歴史上や宗教上果たしてきた役割に関わる原告らの歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念(*2)又は信教そのもの、あるいは国歌の教育に対する関与のあり方に係わる原告の教育観及びこれに由来する職業上の信念であると解され、このような考え(*3)をもつこと自体は、思想及び良心の自由あるいは信教の自由として保障されることは明らかである。」(判決文31~32頁)
*1)「不起立、不斉唱の信念」を意味する。
*2)ピアノ最高裁判決と同じ文言。
*3) 「このような考え」とは*1の「不起立、不斉唱の信念」を思想及び良心の自由あ るいは信教の自由としての保障範囲に含めている。これに対して、君が代強制解雇事件の佐村判決は、不起立の動機としての精神活動を思想良心の自由の保障範囲に含めたが、「不起立」の考えを思想良心の自由に含ませてはいない。なお、ピアノ最高裁多数意見は、不伴奏の考えを、思想良心の自由の範囲に含めたと言うべきである。
【2】中西判決は、不起立行為について、原告らの信条(上記【1】の信念)と「密接に関連する行為」であると認めたこと。
裁量権逸脱の争点について、争議行為を行い懲戒処分を受けた教職員に対して本件実施要綱が適用されず、再発防止研修が行われなかったこととの比較で平等原則違反であるかどうかにつき次のように判示している。
「本件で非行とされた行為(*4)が、原告らの信条(*5)と密接に関連がある行為(*6)(*7)であることからすれば、同様に、原告らに対しても本件実施要綱を適用することが差し控えられるべきであったとの原告らの主張にも理解し得る点はある」(判決文43頁)
*4) 「非行とされた行為」は、不起立行為にほかならない
*5) 「原告らの信条」とは上記【1】のとおり、「不起立、不斉唱の信念」である
*6) ピアノ最高裁判決の多数意見は、「ピアノ伴奏を拒否することは、上告人にとっては、上記の歴史観ないし世界観に基づく一つの選択肢であろうが、一般的には、これと不可分に結び付くものということはできない」とした。この多数意見を評して、藤田反対意見は、「その中核に、君が代に対する否定的評価という歴史観ないし世界観自体を据えるとともに、入学式における君が代のピアノ伴奏の拒否は、その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ、しかも、両者の間には(例えば、キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められないという考え方にたつ」としている。
*7) 「エホバの証人」最高裁判決は、「被上告人が剣道実技への参加を拒否する理由は、被上告人の信仰の核心部分と密接に関連する真摯なものであった」(平成8年3月8日最(二小)判・判例時報1564号3頁)と判示している。このエホバの証人最高裁判決は、「本件各処分は、その内容それ自体において被上告人の信教の自由を直接的に侵害するものとはいえないが、しかし、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるために剣道実技の履修という自己の信仰上の狭義に反する行動を採ることを余儀なくされるという性質を有するものであったことは明白である。…上告人は、前記裁量権の行使に当たり、当然、そのことに相応の考慮を払う必要があったというべきである。」として、裁量権の範囲を超える違法としている。
【3】評価
① 中西判決は、ピアノ最高裁のピアノ伴奏命令と思想・良心とが「一般的には、不可分に結び付かない」とした判断に対して、「不起立行為」については真っ向から逆らった。「原告らの信条」と「不起立行為」は密接な関連があるとする。しかも、原告らの信条は不起立の信念として憲法19条、20条の保障の範囲内にあると言い切った。
② この中西判決の判断枠組みであれば、10.23通達及び本件職務命令については、原告らの思想良心、信教又は職業生活上からの「不起立・不斉唱の信念」を制約するものとなる。
③ もちろん、その上で職務の公共性から考えて、原告らの不起立・不斉唱の信念が合理的な制約として正当化されるかどうがが論点となり、この点についは中西判決は何も語っていない。しかし、ピアノ最高裁の論理で思想良心や信仰の自由を侵害するものではないと言う判決を書くこともできたのに、敢えて上記の論理をとって判断している以上、安易に職務の公共性から制約を合理的であると判断することは考えにくい。
■国立二小東京高裁第21民/H19.6.28判決
この東京高裁判決も注目すべき判断をしている。実質的にはピアノ最高裁判決には従っていない。
この高裁判決も、ピアノ最高裁判決を引用するが、次のように判断している(判決文11~12頁)。
「校長が控訴人に対し本件小学校の式典において国歌斉唱のピアノ伴奏をすることを指示した行為が、指示を受けた教諭の思想及び良心の自由、信教の自由を侵害する性質を一般的、不可避的に有するものであるとはいえない(ピアノ最高裁判決)。
もっとも、前記のとおり、学校の校長から上記のような指示又は命令を受けた教諭でその思想、良心又は信教に忠実であろうとするために当該指示又は命令に従うことに耐え難い苦痛を受けるものがあり得ることまでも否定することはできないから、仮に上記の教諭が自己の思想、良心又は信教を優先させて当該指示又は命令に従わなかった場合において、そのことを理由に不利益な処分がされたときにはじめて、上記の教諭個人の思想及び良心の自由、信教の自由との関係において当該処分が裁量権の範囲を超える違法なものかどうかを検討することになるが、これを検討するに当たっては、裁判所は、上記の教諭が自己の思想、良心又は信教を大切にするために真摯に当該指示又は命令を拒否したものであることを確認した上で、当該指示又は命令により達成されるべき公務の必要性の存在及びその程度、代替措置の有無、当該不利益処分により上記の教諭が受ける不利益の程度等を総合考慮して判断すべきである(エホバの証人の最高裁判決)」この21民高裁判決も、不利益については、真摯な思想良心、信仰によって拒否した場合には裁量権逸脱となりうるとしている。エホバの証人最判を根拠に実質的にはピアノ最判の趣旨を変更する論理を展開している。
■ピアノ最高裁判決後の、下級審の二つの流れ
下級審は二つの流れに別れています。最高裁判決にべったりのヒラメ判決の大阪地裁枚方思想調査事件判決、東京地裁解雇事件佐村判決。他方で、再発防止研修の東京地裁中西判決、国立二小事件東京高裁判決です。なお、この中西コートに、不採用事件、戒告処分取消訴訟が係属しているのです。
■世界8月号に解雇訴訟批判の私の論考を掲載してもらいました。
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2007/08/133.html
実は、西原博史教授の世界5月号論文の批判を書くつもりでした。でも、解雇事件で敗訴して、それどころでなくなりました(学者を相手にしてもしようがない)。西原教授の論文には何も触れませんでした。ただ、内容を読んでもらえれば、西原教授の予防訴訟判決批判がおかしいことはわかってもらえると思います。興味のある方は世界8月号をご覧下さい。
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