« パッチギ! Love &Peace | トップページ | サッカー・アジア・カップ 日本代表 豪州戦での雪辱を期す! »

2007年7月17日 (火)

読書日記 「リバタリアン宣言」 蔵研也 著(朝日新書)

読書日記 「リバタリアン宣言」 蔵研也 著(朝日新書)
2007年2月28日発行
2007年6月25日読了

■リバタリアンとは
リバタリアンとは、「自由至上主義者」だそうです。
リバタリアニズムとは、「国家権力によって、富者の財産権を侵害しながら貧困者を救済することは道徳的に許されない。唯一肯定できるのは治安を維持するという最低限度の機能をもった最小国家だけである」という思想です(ロバート・ノージック)。当然、社会権を否定します(「隷従の道」だもんね))

現在の新自由主義者の学者たちもリバタリアンなんでしょう。八代尚宏センセとか、福井秀夫センセとかもそうなんでしょう。そう考えたら、彼らの発言も、よ~く理解できます。

■クニガキチント主義
この本の著者は、自らを、「無政府資本主義者」として宣言する「真っ当なリバタリアン」です。「国がキチンとすべき」(クニガキチント主義)との考えは「自由社会の敵」なのです。

■「国家医師免許」廃止論
例えば、国家の機能として医師資格を国が認定する必要はないと言います。国がきちんと医師を認定する現行制度は、基本的に競合関係にたつ組織がないために、そもそも緊張関係がないために、現在の日本のように低レベルの医師が量産されるのだそうです。

民間の医師資格の認定機関が担えばよいのだそうです。もし、その民間認定機関の認定医師が医療過誤を起こせば、その認定機関の評価が下がる。複数の認定機関と格付け機関が、相互に競争すればいい加減な認定していては、倒産するしかないので、医師認定のレベルは維持される、という訳です。

■耐震偽装問題の解決策
耐震偽装問題も、クニガキチント主義が誤りの帰結だそうです。各種の民間認定機関が自由競争で評価をして、「安いが地震が来れば壊れるマンション」、「高いが耐震性が高いマンション」を自由に作り、あとは消費者の自由な選択にまかせれば良いというわけです。(ハハハ…笑うしかないですね。)</p>

■司法研修所廃止論
この本には書かれていませんが、弁護士資格も一緒でしょう。

だから、規制改革会議の福井秀夫センセたちは、司法試験合格者を1万人にしろと要求しているのです。法曹資格も民間ロースクールの認定に委ねて市場原理に委ねれば良いというわけです。もちろん、この場合には司法研修所は当然廃止となります。最高裁・法務省の官僚たちは猛反対しています。・・・(日弁連ももちろん反対です。ギルドですから・・・)。司法官僚制が大嫌いな私としては、司法研修所廃止は極めて魅力的な提言ではありますが(…、それはさておき。)

■国家権力は必ず腐敗する
このリバタリアニズムの根本思想は「国家権力は必ず腐敗し、官僚の餌食になる」ということだそうです。

■市場原理は常に正しい
著者は、民間企業は競争による「市場原理」による淘汰されるから、フェア・プレイに徹するのだと「民間」というか「市場の力」を本当に素朴に信じているのです。

■お人好しのリバタリアン
民間企業(人間)が、「市場原理」に委ねられれば、正直に行動するという原理を信じるなんて「アホかいな」と思います。

民間企業も大きくなれば、国家権力と大して変わりません。この著者には、個人は組織に一体化し、組織防衛の意識(身内びいき=自分が可愛いというエゴイズム)が強く働き、組織の一員してのみ行動せざるをえないという人間の行動傾向(組織原理)は、公的権力であろうが、私的権力であろうが変わりがないという当たり前のリアリズムが欠如しています。

これは、最近の日本(中国も、米国も同じ)の保険会社、食品会社、人材派遣会社などの一連の企業の不正を見れば一目瞭然です。人間、欲に目がくらめば、ばれないと思えば何でもやるもんです。

■ジョン・レノン大好きさんたち
この本の著者の蔵さんは、ジョン・レノンのイマジンを高く評価します。リバタリアンの唄だそうです。ただし、ジョンレノンのイマジンの中で「個人的な所有がないと想像してごらん」は間違いだと言います。

リバタリアニズムは机上の空論でしょうね。現実の生身の人間が生きている社会は、リバタリアニズムにも適合しないことは明白ですね。その意味では、リバタリアニズムは、美しい原理主義として、コミュニズム(ちなみに、コミュニストはジョン・レノンのイマジンが大好きです。)と、よ~く似ていると思います。(両思想の根っ子は同じ→「自由な生産者たちのアソシエイション」ってね。)

■所詮は人生と社会は「弥次郎兵衛」
民間企業と公的組織(政府・自治体・公的部門)のバランスをとりつつ、カネがある連中のコントロール(市場)と、カネがないけど政治的な力による民主的なコントロールの最適合となるバランスを求めて、右に揺れたり左に揺れたりの「弥次郎兵衛」のバランスをとっていくしか、今の社会には道はないのでしょう。

■強者のファンタジー
もっとも、リバタリアニズムの思考実験は面白いとは思いますが。リバタリアニズムって、強者のユートピア、ファンタジーのようなものですね。

|

« パッチギ! Love &Peace | トップページ | サッカー・アジア・カップ 日本代表 豪州戦での雪辱を期す! »

読書日記」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 読書日記 「リバタリアン宣言」 蔵研也 著(朝日新書):

« パッチギ! Love &Peace | トップページ | サッカー・アジア・カップ 日本代表 豪州戦での雪辱を期す! »